脱会者の急増で壊滅的といっていいほど教団運営が破綻するとそれ以外の収入源はなきに等しいから収入もゼロに近くなり、しばらくは貯金から補填していたそれもそろそろ底をつき掛けていてこのままでは家賃も払えぬことになると紀子は焦り、最悪徳雄先生に頼んでアトリエ講師のバイトでもするよりないと思いを巡らしなどしつつ茫と天井ばかりを眺め、そのように横になったままいつまでも起きられぬ紀子の頭を直撃するように不意に枕元の携帯が鳴ったのは昼を少し過ぎた辺りで、手探りで掴みとって通話ボタンを押せばひどく懐かしい声に接し、急にガキっぽく甘えたような口調になってしまうのを嫌悪しつつも「ああ先生」との悲痛な呻きに切迫を感じ、日下八木らの専横に疲弊してのことに違いなく、でなければこうも悲痛な呻きなど出るはずもないと徳雄先生はひどく不安になったから「具合悪いのか?」と訊かれて紀子は「ちょっと呑み過ぎで」と答えるがそのまま鵜呑みにできるはずもなく、気に掛けつつもまずは自身の報告を「こっちは万事片づいた」としかしひどく疲れたような物言いで告げ、実際労力のいる手続きなのだろうとその疲れた物言いに実感させられながら声がひどく遠いのが気になり、電波のせいかと疑うがそうではなくて自身の耳鳴りめいた脈動が障碍となっているのらしく、会話に支障を来たすほどではないが妙な間が開いてしまうからぎこちなさは拭い得ず、自分への蟠りとそれを見做した徳雄先生は手短かに報告を切り上げると「で、そっちはどう? なんかえらい騒ぎになってるみたいだけど」とその後の状況を訊かれて紀子は「も最悪」と一言洩らす。最前の不安の的中したことを徳雄先生は確信して今さら自分に何ができるとも思えぬながら為し得ることはないかとそれでも思いを馳せ、もひとつ情報が不正確らしくて「捕まるってことはないよな」と不安げに訊く徳雄先生に抑も天皇爆殺計画は沖ら知恵美派の画策で教団の与り知らぬことだしそれ自体発動する前に頓挫してしまったらしいから絶対とは言えないにしろそれはまずないだろう、いや、それもこれも総てはイニシエーションで「茶番だよ茶番」と否定するが、いや、イニシエーションに託けた画策なのかもとその思惟にノイズが生じて「ええ、ちょっと待ってアレって」本気だったのかと不意に擡げる疑念に紀子は戸惑い、それを説明する段になって自身の曖昧な認識に気づいて緊縛された頭をさらにもきつく締めつけられたように眉間に皺寄せて苦渋に喘ぐのを「そうじゃなくて」その手の事件に世間は敏感だし警察もその辺踏まえているだろうからそれへの対応は詰めておかねば「ヤバくないか?」と徳雄先生は言い、週刊誌の記事にあったオウムに次ぐ「無差別テロとかいうヤツ?」と訊けば下手な対応すると却って拙いと徳雄先生はその懸念を洩らし、小さく嘆息して箍の具合に紀子は気を配りつつそれこそあり得ぬ話で総ては沖の突出のせいで八木にしろ日下にしろそんな大それたことのできるタマじゃないのは「先生も知ってるでしょう」と言われてその小市民振りを思い浮かべつつ「そりゃまあ」そうだろうとは思うが万が一ってこともないとはいえないから要らぬ忠告かもしれないが気をつけたほうがいいと徳雄先生は念を押し、八木日下への不信はしかし徳雄先生以上だから大丈夫と紀子は告げて「っていうか教団がどうなったって」自分には関係ないと付言すると、訝しげにその真意を問う徳雄先生に事の真相はまだ自分にもよく掴めてはいないが少なくとも教団とはその進むべき方向を大きく異にしていることだけはハッキリしたと紀子は言う。
それとも知恵美を拉された復讐に「私が爆弾仕掛けたとか思ってんの?」と徳雄先生の沈黙を突くかに言い、その道化るというよりは突っ掛かるような返答に「そんなこと言ってないよ」と困惑したように徳雄先生は言い淀んでしまったから言い過ぎたと反省し、いくらか下火になったとはいえそれでも何やかやあるらしくその対マスコミの処置に手一杯で再建も困難らしく、誰かに告げることで踏ん切りつけようとするかに「先生だから言うけど」と紀子は切りだし、左手人差し指と中指でこめかみ辺りを押さえながら引っ被った蒲団で声が籠もっていないか気に掛けつつ電話向こうの徳雄先生の様子が気になるらしい半透明の恵美の霊を視野に納めもしながら紀子はゆっくりと「ずっと考えてたんだけど」と切りだし、皆再建に必死だが自分はもう関わりたくはなく、というより知恵美抜きの教団の有り様にまるで関心が持てないのだと打ち明けて「恵美、っていうかマリアがほら、いないと困るって」言うし、その窮状も相当なものだし一部とはいえ実際熱心に恵美=マリア=皇太后を信仰している信者らを眼にしてもいるからやめるにやめられなくて乞われるまま続けているが狂言廻しみたいなことはもう嫌なのだとその虚しさを訴え、熱心な信者らには済まないがいずれ抜けるつもりだと告げるが今はまだ抜けられそうにもないと弱気に言う。これまで内に秘めていた蟠りの総てではないにしろ吐露したことでかいくらか支えの取れたような気がしないでもなく、何でもない電話にその声にひどく慰められたように思いもし、頭痛の晴れることはないにしろ苦しみ寝ていた半日の苦もそれなり遠退くかに思えたから「ありがとう、電話してくれて」と沁み沁み言われて急に照れ臭くなり、どうにも切りだしにくくなって「実はね」急だからどうかとも思ったが明日会えないかと掛けたのだが「なんか、具合悪そうだからまた今度にする」と切ろうとし、なぜか分からぬがこのまま切ったらそれっきりになりそうな気がしたから「待って」と華細い掠れ声でとどめるとただの二日酔いだから問題ないと諾い、気遣う徳雄先生を口説いて諒解をとるとその安堵から妙な間が開き、その気拙さを紛らすかに「恵美と代わる?」と訊けば一瞬考える間をおいてから「いや、いい」と徳雄先生は断わり、代わりたそうな半透明の恵美の霊に首振り答えながら「じゃ明日鉋屑で」と切って携帯をまた手探りで戻し置き、それだけでもしかし頭に響くというように伸ばした腕を紀子は静かに蒲団に引っ込めると小さく嘆息する。
長いこと喋ったからか非常な疲れを覚えたしこめかみ辺りの脈動が頭蓋に響いて眼も動かせぬような状態がしばらく続くが、いくらか小康を取り戻してゆっくりと寝返り打って室内に眼を向けたときにチャイムが鳴り、弛み掛けた箍を再度締めつけるかにそれは響いてもっ遍鳴らされたら敵わぬから二度鳴る前に出なければと箍の嵌った頭を押さえてフラつきながらも紀子が出れば宅配便で、判子を取りに戻る余力はないとサインで済ませて小包を受け取ると落とさぬよう腹辺りに抱き込むようにして心配げに見守る半透明の恵美の霊に牽引されるようにフラつき戻り、屈んで卓にそれを置くと血が逆流してか物凄い勢いでこめかみが脈搏つからヤバいとベッドに戻り、番でもするかにその前に正座して前屈みに眺める半透明の恵美の霊のその態度にというのではないが妙に気になったから再度ベッドから這い出て卓前に横座りになり、額を接して覗き込みながら「誰から?」と訊けば「読めない」と首を振り、見れば確かに判読しがたい乱筆だが見覚えのある癖っぽい筆跡でそこに書かれているのは「麻那辺」で、一瞬何かの間違いじゃないかと疑うが確かにそれは麻那辺からの郵便小包に違いなく、麻那辺がなぜここの住所を知っているのかとしかしまず紀子は訝り、仮に知っていたとして何を送って寄越したのかと次いで疑念が兆すとその粘着質の口調やら物腰やらが思い出されて河馬井とはまた異なる余裕たっぷりなその眼差しに見据えられでもしたように紀子は身震いし、今の今徳雄先生に慰撫されたことも悉く吹っ飛んでストーキングのターゲットにされたと端的に紀子は思い、自分ばかりがなぜこうも狙われるのか狙われ癖がついてしまったのかと怒りとも嘆きともつかぬ吐息を洩らす。送られたその小包を開封する気は急速に失せていくが何か危険物とかだったりしたら事でそのまま捨ててしまうのもだからためらわれ、一応確認くらいはしといたほうがいいと手を掛け封を切れば中から出てきたのは一五センチ四方ほどの小箱で、デパートの包装紙で几帳面に包装されているが折り目が不揃いなのから推して在り合わせの包装紙で自身包んだものらしく、その風貌に似合わぬ神経質的な措置に一層嫌悪を懐いて小箱に触れているその手許から腕肩首筋背中へと連鎖的に表皮の粟立っていくのを紀子は感じ、それ以上踏み込めなくなって小箱を前に開けたものか捨てたものか逡巡するがストーキングに間違いないとすればこれはその貴重な証拠物件なのだから捨てることはできぬだろうし、やはり確認だけはせねばと箍の締めつけに喘ぎながらも一度引っ込めた腕をソロソロと伸ばして手に持てば、カラかと疑うほどそれが軽いということに初めて気づき、訝りつつも止めてあるセロテープを丁寧に剥がして爆弾処理でもするかに慎重に包みを開けていくが出てきた箱も同様几帳面に包装されていて、それを剥がしてもまた包装と幾重にも包装されていてなかなか中味に到達せず、几帳面を通り越して変質的なその所為に苛立つとともに恐怖しはじめたころやっと最後の包装を除いて剥き身の本体がそこから現れ、変哲もないそれは桐の小箱だがよくよく見れば肌身離さず携帯していたあの桐箱に間違いなく、つまり知恵美の安置されている桐箱に違いなく、でもなぜそれを麻那辺が手にしていたのかそしてそれを自分に送り返してきたのかと疑念は際限なく湧いてきて紀子を苦しめ、脈搏つ頭ではしかし推測もできぬし整理さえつかないからその経緯はまるで分からないがこの箱の中には知恵美がいるに違いなく、いや、そうに違いないと紀子は短絡してすぐ横に正座して見守る半透明の恵美の霊の期待とも不安ともつかぬ眼差しにもいくらか鼓舞される形でソロリと蓋に手を掛ければ、木肌のやさしい手触りが妙に懐かしく遂にその帰還が果たされ再会できるのかと感慨深げに紀子は思うのだった。