友方=Hの垂れ流し ホーム

04

その手紙に見る限り麻那辺はただ転送の手続きをしただけらしいから麻那辺をストーカー扱いしたことを紀子は僅かに悔いるが、意図してかどうかは分からぬがそう思わせる身振りをしていたのだからと自身を宥め、それ以上にしかし気になったのは「責任は果たすつもり」というその一文で、沖のこともあるからそこに紀子は嫌な結末を見てしまうが、麻那辺は何も書いていないし手紙もそれについては触れていないからその後の吉岡の消息は分からず、いくらかそれを気に掛けつつ今はしかし知恵美の帰還のことしか頭にないしその歓びに浸るうち再度テンションも上がってきてその淡く虚ろな輝きを存分に浴びてそれは頂点に達し、何より知恵美との再会が嬉しいと紀子はこれを祝わずにはいられず、酒は昨夜皆空けてしまったから「買いに行く」と急いで着替えに掛かるが体調はまだ万全ではないから支えなしには真面に立てず、よろけてモタついているのを無理せず寝ていたほうがいいと半透明の恵美の霊に窘められるが「這ってでも行く」と聞かず、自信たっぷりな口調で「ボクがついてるから大丈夫さ」と笑う知恵美の言葉に力を得て半透明の恵美の霊とともに紀子は知恵美を携えて酒とつまみを買いに出掛け、その知恵美の言葉通り随分楽にはなったものの行って戻るとやはりそれなりに堪えたから「無理しないで」との半透明の恵美の霊の意を汲んで少し休んでからということにして再度紀子はベッドに沈む。端的にその帰還の齎した安堵からかそれともその灼かな霊験の現れか知らぬが常になく快眠を得て夕方頃まで深い眠りを眠り、目醒めると頭の曇りはすっかり晴れて酔いの残滓など欠片もなく、軽い身熟しで起きあがるのを気遣わしげに「具合どう?」と訊かれて「うん、かなりいい、っていうかほぼ全快」と晴れやかな笑みを紀子は返し、安堵の笑みとともに「よかった」と洩らす半透明の恵美の霊に「何、人を死に掛けみたいに」と道化て言えば「死に掛けみたいだったじゃん」と負けずに半透明の恵美の霊も切り返し、それまでの鬱屈も悉く払拭されたかに常のように遣りとりしていることに改めて紀子は気づいて無邪気に笑みを交わすと「寝たらなんかお腹空いた」と『孤夢想庵』の天笊セット特盛り蕎麦掻きつきを頼み、蕎麦の届くのを待つ間に仕度を整えて細やかながら知恵美の帰還の祝いを挙げ、「改めて、お帰り知恵美」と白ワインで乾杯するが飲んでもいくらも酔いは廻らず、その灼かな霊験に感嘆しつつ賽の目の人参を食べる際のカリカリという音が妙に懐かしく響いて「いい音」とつい聴き入ってしまうのだった。程よく酔いが廻って口も軽くなっただろうというのではないが向こうでの生活のほどをそれとなく訊けば「うんまあ、良くしてくれたよそれなりに」と知恵美は答え、あの地下の穴蔵で実際沖らは何をしていたのかやはり気になるから続けて問えば詳細は分からぬらしいが「爆弾をね、届けてくれって」頼まれたとなかば予期していた答えにそれでもいくらか紀子は動じ、引き受けたのかとさらに問えば「うん面白そうだったからね」とあっさりと知恵美は認め、淡い光の明滅にそれへの関心のほどが知れるが「で、どうなったの? テンノウ吹っ飛んだ? ボクも見たかったな」と訊かれて紀子がその後の経過を告げると「何だつまんない」と明らかに落胆したように光量が落ち、沖の意気地のなさをさんざんボロ滓に罵ってその血飛沫あげて砕け散る天皇を見たかったと零すからこれがメシア=天皇と崇められる者の発言かと「そんなこと言うもんじゃ」ないだろうと諫言すれば「何言ってんの、神ほど血に塗れてて虐殺好きで子供染みたヤツはいないじゃないか」それに殺戮の場面以上に昂奮するショーはないと再会早々から滅入るようなことを口にする知恵美に紀子は戸惑いながらも常に代わらぬ気炎それ自体は好ましく思えないでもなく、祝宴のムードも最後まで維持されたから端的にそのムードに押されてということだが、不意に思い出してタンスの奥に封印していたスケッチブックを取りだすと「描いていい? 続き」と一から仕切り直すとでもいうように訊き、「全然」と快諾を得たから「そこ坐って、えと、ちょい右」と指示してセッティングすると部屋の明かりを落とし、知恵美の淡い光の元で半透明の恵美の霊を紀子はスケッチする。

その淡い光を受けて半透明の恵美の霊は今までになく輝いて是ぞ正しく恵美=マリア=皇太后というかの神々しさで、描き掛けのスケッチと現前するその姿とは大きく異なっていてしばらく紀子はその修正を試みるが巧くいかず、結局総てを反古にして一から描き直すことにし、神々しいその姿に改めて紀子は感嘆して線と色の交錯による描出でそれを表わすことの不可能をなかば知りつつ描かずにはいられず、疲れを知らぬ半透明の恵美の霊と知恵美とを、いや、恵美=マリア=皇太后と知恵美=メシア=天皇とを相手に昼間の休息が功を奏してか同様疲れを見せることなく紀子は無心に描き続け、気づけば仄かに明るくなっていてカーテンの隙間から外光が射し、つと立ってその隙間から覗き見れば青っ白(ちろ)い朝の景が紀子の眼を刺し、開けると外光に紛れるからと遮光カーテンを隙間なくピッタリと閉じてさらにも紀子は描き続け、そのようにして筆の動きは一向止まらないが巧く描けぬというのではなく、何枚でも描けるし何枚描いても次が描きたくなって止め処がなく、というのも一枚描き上げるごとに変奏するかにその姿が別様に映ずるからで、描くことの至福というものを初めて紀子は味わったような気がし、その勢いを借って「知恵美も描いていい?」とすでにパステルを走らせながら訊けば「カッコ好くね」と甲高に笑いながら知恵美は諾い、何枚も何枚もさらに紀子は描き継いで輪郭も定かならぬ光の塊というように描かれたそれをしかし「コレってカッコいいの?」と知恵美は首傾げ、いくらかその反応に落胆しつつ「カッコいいカッコいい、ねえ」と半透明の恵美の霊に振れば「カッコいい」と大きく頷き、「ならいいけど」とそれでもいくらか訝しげで「気に入らないの? 悪くないと思うけど」と紀子が問えば「そんなことないよ、うん、なかなか行ける」と笑って知恵美は胡麻化し、その甲高な笑いに紀子は拍子抜けて「メシア=天皇にアートとか言っても無理か」と嘆けばさして気にするふうもなくそっち方面は「ダメみたい」と知恵美は言い、その存在それ自体がアートを凌駕しているのだからと半透明の恵美の霊がフォローする。


夜通し集中し続けてひどく疲れたから少し休もうと横になるが昂奮から全然眠れないしアドレナリンの放出が已まぬのか頭は冴え渡っていくばかりで、身体的には疲労の極限近いのに脳だけが暴走して活動をやめぬのを紀子は危惧するが無理に抑え込もうと焦れば却って力んでしまって逆効果で、そうかといって力みを解そうとしてもその指令は巧く伝達されず、いつか逆の指令となってやはり力みは増していき、徐々に感覚もおかしくなって周囲の事物との距離感にまず狂いが生じ、次いで少しずつ現実感の薄れていくのを感じもしてこのまま放っといても大丈夫なのか、何らか講じねばヤバいんじゃないかと訝りながら何の策も講じ得ず、そのうち総てが夢のような気がして在りもせぬものを見続け感じ続けていたのではとの疑念が兆すと自身の存在さえもが虚ろに思え、ハッピーエンドを夢見させられていたサムのように何か巨大な夢の中にでも吸収されてしまうような非理性の穴に堕ちていくような漠たる不安に陥り、そうじゃないはずと神棚に駆け寄り見れば確かにそれはそこにあるし常に変わらず淡い光を淡く発し続けていて、眠っていても変わることのないその淡い光に浴して再燃する歓喜を味わいつつベッドに紀子は腰掛けて寝てなどいられぬと山とあるスケッチの束を手繰り寄せ、その中から幾枚かを選びだそうとするが膝に乗せた束から一枚除けるのさえ困難を窮め、これも変わらぬ姿でその淡い光に共振しつつ「だいじょぶ?」と心配する半透明の恵美の霊に「うん」と頷き返しはするがその僅かな首の上下動でさえ世界全体がグラグラと揺らいでいつまでも止まらぬから「やっぱダメだ」と再度ベッドに横になり、それだけが頼みというようにロウソクの炎めいた淡い光の揺らめきを眺め続けているうち眠りに落ちる。目醒めたときにはだからいくらか小康を取り戻していて黄昏の茫と霞む意識にたゆたうように身を委ねつつ紀子はほとんど何も考えていないが、ふと前面に擡げてくるものがあるのに気づいて何とはなしにそこへ意識を振り向けると帰還した知恵美へのそれは激しい歓喜で、臥せって浸り損っていた分を取り戻そうとするかに溢れ返るその歓喜に紀子は浸りきるが、自分ひとり耽溺していることが罪のように思えてこの歓びをもっと多くの人と分かち合いたい、いや、是非にもそうすべきなのではと切実な思いが兆し、知恵美抜きを打ち出した教団に今さら帰ってきましたと示したところで要らぬと突っ返されるかもしれないが、いや、紀子には却ってそのほうがいいようにも思え、日下八木に対抗してというのではないが折り合いのつかぬほど乖離してしまったことを思えばそれより他に手はないし已むを得ぬこれは措置なのだと自身に言い聞かせもし、不用意に提示することはためらわれるが黙過することも紀子にはできないから既成事実として先に信者らに曝けてしまえばいいと思い立ち、それよりも端的に皆とその帰還を祝いたいというのが正直その動機として強くあったのだった。

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