友方=Hの垂れ流し ホーム

03

すぐ耳傍で聞こえた「知恵美」との呟きに再度視線を向けるとぐっと上半身を乗りだした恰好の半透明の恵美の霊は涙眼で、頷き合って桐箱に掛けた手に紀子は力を込めるが手を掛けたまま開けようともしないのは送られたのはこの箱だけで中味はカラということはないだろうかとの疑念が不意に過ったからで、そう思うと忽ちそれが真実らしく思えてきてそうでなければなぜ知恵美を返して寄越すのかが分からないし最初に手にした感じからカラと疑った自身の感覚がその証左ともなって蓋を開ける勇気がまたも失せていくのを紀子は感じ、成否はともかくとして人質ならぬメシア質をとって紀子を介して教団に破格の身代金を要求するというのが真相ではないか、あるいは黒焦げの姿焼きを送って寄越したのではとの疑念が次いで兆すとその像がリアルに現出さえしてあの麻那辺ならやり兼ねないと紀子を悩ませ、ストーカー特有の捻くれ曲がった神経など忖度できるものではないと思いつつもそれに何の意味があるのかと思いを巡らせ、箍の締めつけとも相俟って思考が混乱してくると開けるべきなのかべきでないのかも分からなくなるが半透明の恵美の霊の督促するような眼差しに押され、無惨な姿焼きを幻視しつつもそれを払拭するために指先に力を込めてゆっくりと蓋を開けると干涸らびたようなミイラのようなその姿が眼に入る。黒焦げなのでも血塗れなのでも八つ裂きなのでもしかしなく、その淡桃色の肌は常に変わらず、あるかなきかのその眼は虚ろに見開かれていて自分のほうに向けられているのが分かり、ゆっくりと顔を近づけながら仔細に眺めて見たところ異常はないと紀子は思い、無事と分かると急に全身脱力して箱に掛けていた両の手もダラリと脇に垂らして半透明の恵美の霊ともども安堵の次いで歓喜の眼差しでその無事な姿を眺め入り、眺めるうち二日酔いによるものか再会の歓びによるものか分からぬが動悸は激しくなるし眩暈(めまい)もしてくるしで頭を真っ直ぐに維持できぬくらいひどくなり、ヤバいとベッドの縁に凭れ掛かって紀子は気息を整えつつ「ウソじゃないよね?」と訊けば「ウソなわけないじゃん」と自信たっぷりに半透明の恵美の霊は答え、抑え切れぬ波立ちに眼を潤ませて「知恵美」とユニゾンで呼び掛ければ、その感情の高ぶりを賺すかの軽い口振りで「ただいま」と知恵美は甲高に答え、その声にさらにも高ぶって泣きそうになるのを追い打ち掛けるかに再度「ただいま」と知恵美は言い、怺えつつも答えねばと落ち着き払っている知恵美に合わすようにテンション下げて「お帰り」と紀子が半透明の恵美の霊が答える。見たところ手荒な扱いで窶れたようでもないし過酷な状況を潜り抜けて精悍になったというのでもなく、時間の流れに与しない普遍性永遠性を端的に示しているように死に掛けのミミズみたいな華細い手足も以前のままだしそのあるかなきかの淡い光も以前に変わりなく、弱まりも強まりもしないいい具合の淡さ加減に紀子は魅入られたように眺めて飽きることなく、その際思わず口をついて出たのが「相変わらず光ってるね」だがほとんど意味のないその呟きに「テンノウだからね」と無意味な返答を知恵美も返し、その語にしかし一瞬脅威を感じて視線を脇へ逸らして「まだそんなこと言ってる」と半透明の恵美の霊ともども笑いに紛らせば「だってそうなんだから」と甲高に知恵美は笑い、久し振りに聞くそのカカという甲高な笑いは不思議と頭蓋に響くことはなく、いやむしろ箍の締めつけを緩めるかにスウと頭痛の晴れるのを紀子は感じて灼かな霊験とそれを短絡するのではないにしろ知恵美との再会が自身を賦活させていることは確かだし、少なくとも袋小路からは脱せられたように思い、それが果たされたということは端的にイニシエーションの総てが完了したことを意味するはずで、底流する頭痛に喘ぎながらも長っがい芝居の終幕に至ったような非常な疲れと安堵と歓びを紀子は覚え、これでやっと安眠できると思うのだった。

数えあげれば切りないほどにも訊きたいことはあるが「眼、廻さなかった?」と扱いそれ自体は慎重を期したものの開けるときに上下を返したりしたからそれが心配でまず訊けば、戯けたように頭を左右に揺らしながら「うん、ちょっとね」でも大したことはないしそんなことくらいで参るほど柔じゃないと知恵美は言い、確かな身熟しからもそれは確認できたからいくらか紀子は安堵して「どこにいたの?」と次いでその疑念をぶつければ、めんど臭そうに「ここにいたよ、この箱にずっと」と知恵美は答えて天皇も楽じゃないねと祀られてあることの退屈を愚痴り、何かというとメシア=天皇と崇められるから「もっと普通にできないかなって言ったんだけど」却って恐縮するばかりで参ったよと知恵美は言い、態とはぐらかしているのかと訝りながら「そうじゃなくて」箱もろともどこに連れていかれたのかと突っ込めば「それはボクにも分からないよ」箱の中にいたんだからと首傾げ、そんな細かいことはどうでもいいじゃないかと知恵美の言うのも尤もだが気になるものは気になると執念く紀子は問いを重ね、それでも「さあね」とさして関心を示さぬからその温度差にいくらか苛立って危険を顧みず「沖んとこまでさ、探しに行ったんだから」少しは食いついてくれても良さそうなものだが「そうなんだ、全然知らなかった」とやはり驚いた様子もなく、居心地はとくに悪いということはなかったが「なんか暗いとこだったな」とのぼんやりした印象を聞き得たのみで、それ以上は訊いても無駄と諦めて気分を変えるかに紀子は横へ少し躄って散らかった包装紙を掻き集めに掛かる。嵩張らぬよう一枚一枚丁寧に小さく折り畳むがそれでもかなりの嵩で、無理からゴミ箱に押し込んでさらに上からグイグイ押さえつけるが手を離すと溢れて半分近く零れてしまい、頭部への影響を憂慮してゆっくりと紀子は立ち上がると拾いあげた包装紙を再度ゴミ箱に押し込み、そこへ右足突っ込んで踏みつけにするがあまり強いと出すとき骨だと加減して溢れない程度に詰め込み、ゴミ箱から抜きだそうと右足を持ちあげたときにバランスを崩して大きく後方へつくがその右足裏に紙の感触を感じてまだあったと見るとそれは包装紙ではなく便箋らしく、どこに紛れていたのか知らぬが一緒に捨ててしまわなくてよかったと拾いあげて麻那辺からかと広げ見ればそうではなく、線の細いその筆跡は一見して麻那辺のそれとは全然違うし何より判読できる丁寧な楷書だから別人の手になるものということは瞭然で、それに非常な興味を示して「何なに?」と覗き込む半透明の恵美の霊に頷き返して紀子はその手紙を音読し、読むうちそれが吉岡のしたためたものらしいと分かって紀子も昂奮してきて、その昂奮を鎮めようということもあるが端的に細かい字に頭痛がひどくなったから一旦手紙を卓に伏せ置き、その身振りに不安を感じてか「ちょっと何? なんか変なこと書いてあるの?」と言う半透明の恵美の霊に「そうじゃなくて頭が」痛いから少し休ませてくれと紀子は詫びるとタンブラーに水を一杯汲んできて、五分ほどの小休止ののち再度手紙を手に取り読めば、そこには謝罪する意味の言葉が書かれていた。


時間もないので手短かに書きます。

まず知恵美メシア天皇をさらったことをお詫びします。その際起きたことは計略でも何でもなくて、つまり、ラチすることを目的として紀子さんと関係を結んだわけじゃなくて、自分の正直な反応としてそうなったのです。言い訳にしか聞こえないかもしれませんが。さらうつもりでお宅に上がったわけじゃないんです。一人の信者として知恵美メシア天皇の御姿を拝したいというその思いだけでした。今さらこんなことを言っても信じてはもらえないでしょう。でも本当なんです。あのときの感動は今も忘れてはいません。いや、これからも忘れません。紀子さんとのことも含めて。

朝がた目が覚めたときはまだみんな寝てましたから、起こしたら悪いと思って一人で拝んでいたのです。そのとき今なら楽々さらえると気づいたのです。そのとき初めてそう思ったのです。だからうまくいったのかもしれません。予想もしていなかったのでしょう、沖も驚いていました。というより慌てていたように思います。計画が予定よりずっと早まったのもそのせいです。案外それが失敗の原因かもしれませんが。

抑もあれは日下さんの布教活動を側面から援護するというのが当初の目的でした。例の天皇爆殺の件です。少なくともそう自分は理解していました。神聖チエミ教を世界宗教へと発展させるためにはそれが絶対的に必要なのだと。それがしかしそうじゃなかったのです。

沖はメシア天皇を虚構だと言いました。みんな踊らされているのだとも。日下さんのいう符牒というのともそれは違うものだと言っていました。急にそんなことを言うからみんな最初は冗談と真に受けなかったのですが、紙人形とまで言うに及んではその場に居合わせた知恵美派の人たちも驚いていました。とにかくしきりに目を覚ませと言って知恵美メシア天皇など存在しないのだと言うのです。知恵美メシア天皇を目の前にしてです。それをみんなに示しながらです。全く信じられない話じゃないですか。

自分には全くそれが理解できないのですが、自分が利用されているということは分かりました。というのも沖には最初から天皇を爆殺する気などなかったらしいのです。ショック療法だとそれを沖は言うのですが、計画は何とか予定通り進んでいますからそれにはみんな正直戸惑ったようです。とにかく全てを仕切っていた沖が一抜けたを宣言したのですから派のまとまりもなくなって、今はもう収拾つかない状態です。

自分には沖が何を求めているのかまるで分からなくなりました。日下さんや八木さんへの私怨なのかも分かりませんが、仮にそうだとしたら自分にはそれに荷担するいわれはありませんから手を引くべきだと思いました。そしてコレはやはり本来あるべきところに返すべきだとそう思い、麻那辺に託すことにしたのです。あとのことを思うとちょっと気掛かりですが仕方ありません。

許されることじゃないのは分かっています。その責任は果たすつもりです。少なくともそれがおそれ多くも知恵美メシア天皇をさらった自分の罪滅ぼしじゃないかと思います。決してほめられることじゃありません。笑ってください。

最後にひとつお願いがあります。麻那辺は何も知りませんからこれ以上巻き込まないでやってください。自分が言うのも何ですが。

手短かにと言いながら長くなってしまいました。済みません。

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