何がどう作用したか分からぬが木片か何かを割ったようなパキというやや硬質な響きの破裂音が頭の中心部辺りから聞こえ、その身に深く亀裂の走る音とそれを紀子は直感していよいよ壊れてしまったのかとその崩壊を目の当たりにしながら何ら打つ手も見出せぬ自分に苛立ち、表面はしかし穏やかというのではないにしろもひとつ焦点の定まらぬ弛緩した顔つきで視線を彷徨わせ、ふと卓上に眼を向けるとそこに置かれたフール・セックに忘れていた甘いヴァニラの香りが鼻腔を掠めるが見捨てられたような絶望感に沈み込むこの一室にそれは異質なものとして感じられ、吐き気とまでは言わぬがそれに近い気分にはなって誰もだから手をつけようとはせず、このまま賦活しようもなく凹んで駄目になってしまうのかと投げやりに紀子は思うが、その気拙い沈黙も延々続いたわけではなくせいぜい五分かそこらで、鬱いでいてもはじまらぬとの思いを皆懐いていたからだろうがそこから脱しようとの動きに期待を掛け、皆の期待にさらにも勢いづいたというよりはひとり先走って「日下さんがやらねんならよ、オレらがやるしかねんじゃねえのか」と不意に打って出るべきと強気に言うのは由雄で、最前の失態を取り返そうとしてかひとりテンション上げて向こうだって「手出しゃあできねんだから」一軒一軒手当たり次第に家捜しすればすぐ見つかると嘯いて「何、隠れるたって高が知れてら」と言うそのあまりの短絡には疑問を感じざるを得ないが、自分としても今動かねば遅きに失するとの焦りを感じていることは確かだと紀子が言えば「ソレよソレ」と頷いて「知恵美派だか何だか」知らないがそんな輩に出し抜かれたままなのは癪だしただ待ってたって埒開かないとなれば日下の意向がどうあれ大事なものを人任せにしてちゃ駄目だと由雄は強気で、後手後手に廻っていたら最後に痛い目見るのが落ちだと頻りに打って出ることを勧めるのを「そら無茶ですよ」二十四時間体制で臨んだ捜索に何の成果もなかったのだからと田尻は窘めるが、「あんたにゃ聞いてねえよ紀子ちゃんに」訊いているのだと蠅でも払うかに手の一振りで抑えて「ど?」と身を乗りだす。紀子には紀子で任された仕事があるし上には上の意向もあるだろうから「嗾けるようなこと言わないで下さいよ」と屈せず田尻の介入するのを「ちっとだあっててくれよ」と由雄は一喝し、その強圧に屈したわけではないが紀子の意を知りたくもあったから首巡らして紀子を見つめて「どなの?」と訊かれてできればそうしたいし単身乗り込んでいく覚悟もあるにはあるが実際的に不可能に近く、鍵の入手がまず困難だし破壊して侵入するのは尚困難ですぐバレるし騒ぎになれば向こうの警戒も強まるだろうから先の展開を考慮すればどうにも手の打ちようがないと嘆けば鍵なんぞ「開けんなあわけないさ」と言うのに紀子は呆れ、そんな泥棒みたいなことはやめてくれと延子も窘めるが「泥棒は向こうだろが」と我が身に疚しいところなどひとつもないと由雄は断言し、純然たるこれは捜査だと言い張って譲らないそのメチャクチャな論旨についていけぬというかに延子は溜め息混じりに「も、わけ分かんないこと言って」真面目に考えているのかと言われて由雄は「真面目だよオレは」と至って真面目に答え、じゃ訊くけどなと反撃の構えで心持ち顎を突きだす恰好で「メシアいなくてもお前、いいってのか?」と言われると「それは困るけど」とその一点を突かれるとそれ以上反駁できぬから「も、言いだしたら聞かないんだから」と諦めたように延子は肩を竦め、好きなようにしたらいいと夫に言うと「紀子さんはどうなの? 紀子さんが嫌なの無理にってわけにもねえ」と紀子に諾否を求め、その様子から否定してほしいのは分かるがそうとなれば紀子に否やはなく、控えめながら「是非」と頼むと「ホントにいいの?」と再度確認するのを「はい」とそれには決然と答え、紀子の賛意を得て勝ち誇ったように「そゆことだ」と由雄は言うとサブレをひとつ摘んで頬張る。
紀子がそう決した以上自分としてそれに従うより他ないと「オレも行きます」と田尻は言い、それに釣られるように「私も私も、私も行く」と友梨が手を挙げ、もひとつ信用できぬというかに「だいじょぶかよ?」と危惧する由雄にその点心配は要らぬと紀子が保証し、大勢で乗り込むのもしかし目立つし危険だから「田尻君はさ」見張りを兼ねて車で待機しててくれやと由雄は言うが、自分への返答がそこに含まれていないのを感じてひとり埒外に放りだされたというような不満顔で「私は? ね私は?」と友梨が言い募るのに「だあめっ」と言ったきり由雄は一顧もせず、予想外というかに「え、何でえ?」と頓狂な声を上げて友梨は抗弁する構えで身を乗りだし、横からそれを制して「止しなって、友梨ちゃんまで行くこと」はないと延子に窘められても自分にもできることは何かあるはずと同行を求めて已まず、素知らぬふうの由雄に「ね、由さん何でダメなんです?」きちんと理由を挙げて説明してくれと詰め寄られてその説明に窮してか説明が面倒なのか知らぬが「分かった分かったよ分かったから」そんな睨むなってと由雄は言い、渋々だが認められて安堵したように友梨は微笑むと由雄に続くかにサブレをひとつ摘み、次いでこれもマリア様のお陰というように半透明の恵美の霊に向けて手を振り、茫とそれを眺めながら捜索隊の総数に遙かに及ばぬたったの四人ではその帰還を期待するには充分とはいえないものの教団のように比較的大規模な捜索を試みる気は紀子として全然なく、ただ思わぬ支援を得たことそれ自体は素直に嬉しいし、なかば絶たれたと悲観していた知恵美への通路が妄想としてではなく現実のものとして開かれたような気もしたから「ホント、助かります」と感謝しつつ、これこそしかし試練ではと紀子はその実現の困難を思いながら由雄友梨に続くかにサブレを摘むと一口で頬張り、ゆっくりと舌で誘導して右の奥歯でそっと噛み砕くその動作に何か盟約めいたものを読みとってひとり無視するわけにもいかぬと三人に倣うかにサブレを田尻も摘みあげると忙しげに口に入れ、何とはなしに四人の結束をそれは固めたような気がしたのだった。