友方=Hの垂れ流し ホーム

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その怯えようから功次が何かに恐怖しているのは分かるが「え、何どうしたの?」と紀子が訊いても答えはなく、半透明の恵美の霊の「気づいたみたい眼が合った」との言葉でそうと知るが、何をそれほど怖がることがあるのかとそれが紀子には不思議で、マリアと崇めぬまでもその彼氏ではないか半透明の恵美の霊の言う三つ巴の受精の一翼ではないか、その栄誉を二分する徳雄先生のそれへの対応に照らしてみてもその恐怖が紀子にはもひとつ理解できぬから「え、何で何で?」と執念く訊けば、半透明の恵美の霊を気にしてかためらいつつ「怨念なんだソレ」と功次は言い、即座に「違う違う」と否定する半透明の恵美の霊の声に反応して「呪詛だ、オレをっ、かっ、こっ」と小声に呟く功次に苛立たしげに両手を打ち振って太腿辺りを叩きながら「違うってばちゃんと聞いて」と半透明の恵美の霊は声高に訴え、その激した態度に上司の叱責でも受けるかにその身を僅かに震わせて「聞いてるよ」と功次は答えるがひどく動揺していて、怯えているから声を荒げるなと眼顔で半透明の恵美の霊に示せば「分かってる」と頷き返して一呼吸置いてから宥めるように「私別に功次殺そうとなんかしてないし」勝手にそう思い込んでいるだけで被害妄想だと言われても果たしてその言葉を信憑できるのかと自問すれば油断させといてその隙にってこともあるからいまいち信じられず、そう功次が思うのとほぼ同時に「信じてないって顔してる」と図星を指されてその呪詛の力を思い知って蒼白となり、そのように逃げ道塞がれてしまえば観念する他ないが釈明の余地くらいあるだろうと思い、それによって呪詛から脱せられるとは思わぬながらも為さぬ罪まで着せられたくはないと吉岡と旧知の自分が疑われるかもしれないとの怖れが漠然とながらあったことは確かだから言い訳めいて「聞こえるかもしれないけど」自分が疑われる前に誰かに疑いを掛ければというような策略の意図はまるでなかったと功次は言う。その真偽を確かめるかに半透明の恵美の霊を顧みると「ホントみたい」と頷き、冤罪が認められたとは思わぬながらほんの少しだけその執行日が延びたような気がし、少なくとも今じゃないということは感じられ、そう思わせといてとの懸念もなくはないがそこまで悪辣でもなかろうといくらか直視できるようにはなり、不確かながら捉え得るその像に初めて功次は正面から向き合うと、像自体か不眠の疲れ眼か分からぬが霞んでいてその表情もよくは捉え得ぬながら呪詛の凝り固まったものとは思えぬほどそれは生前の恵美そのままで、その不審の総てを拭い去ることこそできないが徐々に恐怖心も和らいでいき、マリアとまでは思わぬながらその半透明の淡い姿にそれなり功次は魅了されて少なくとも不断に続くかに思えた不眠の苦しみからは脱せられそうな気がし、隈掛かった眼をいくらか晴れやかに見開いて半透明の恵美の霊を真っ直ぐに見つめながら「ほんとゴメン」とそれまでの非礼を功次は詫び、紀子にも再度詫びて自身いくらか気が晴れたような気はし、和解というのでもないがそれまでの蟠りのいくらかなりと解消できたような気はしたから紀子もそれなり人心地ついて「よかった」と嘆息し、それを機にドッと噴出した疲れに紀子はソファの背にグタリと凭れ掛かるとしばらく立つこともできぬのだった。

まるで疲れを知らない半透明の恵美の霊を羨みつつ緊張で凝った首肩腰を順に揉み解しながらともども席を立つその気配に田尻はひとり先に表へ飛びだし、それを目端に捉えつつさして慌てることもなく紀子は腰に当てていた手を首廻りに戻して再度丹念に揉み解し、筋を伸ばそうと左に首を捻って次いで右に捻じるとちょうどその先にいた功次と眼が合い、これからまた捜索かと何気に訊けば「まさか」と首を振って寝に帰ると功次は言い、隊の面々には「オレからちゃんと言っとくから」と約束すると安堵からか奥歯の詰め物が覗けるくらいの欠伸を隠しもせず、億劫げに右手を顔の辺りまで挙げて「じゃ」と紀子と半透明の恵美の霊との両方に暇を告げるといくらかフラついた足取りで帰っていくのを半透明の恵美の霊ともども紀子は見送ってから田尻の待つ車に急ぎ、その遅れにも拘らず慌てた様子もなく「それじゃ行きますか」と田尻は言うと静かに発車させて三〇分遅れで小セミナーへと向かうが、田尻の運転はそれでも眠りを誘う滑らかさで走りだしてほどもなく紀子は眠ってしまい、揺り起こされて眼を醒ますと予定ギリギリで到着したと聞いて間に合わぬとばかり思っていたから驚嘆し、どんなからくりか知らぬが「タクシーの運転手になれる」と冗談でもなく紀子が言えば「そうすか?」と愛想笑うのみで「時間ないですから」と生真面目にマネージャー然と急かすのだった。


徐々にだが靄掛かった景色の晴れるかに確実に眼の前の障碍物は除けられているようで、それ自体喜ばしいこととは思いながら、一方で紀子にとってその最大の障碍たるしかもそれひとつでその他総ての障碍に相当する知恵美の不在がほとんど手つかずといっていいほど停滞しているような状態だから安易に歓びに浸るということはなく、むしろ知恵美の不在がより一層肥大化して何らか手を打たねばと紀子を駆り立てて已まず、紀子にできることといえばしかし祈ることより他ないから外出時と帰宅時の祈りは欠かさぬところに起床時と就寝時の祈りも追加され、敬虔なイスラム教徒にでもなったかに日に幾度も祈りをあげねば気の済まないのをちょっと常軌を逸していると自身紀子は危惧しながらもやめることができず、常なら道化て笑い飛ばすところだがついさっきまで見ていた夢の中でも延々祈り続けているのをひどく深刻に受けとめもして、というのも夢とはいえその祈りに呼応するかに厚い雲間から太陽のそれではなくて紛れもなく知恵美の淡い光の射し込むのを目の当たりにしたからで、どこかオーロラめいたその揺らめきは美化されたイメージの投影に過ぎないだろうしその姿も眼にすることはなかったが自身気づかぬうちに知恵美からの交信を受けているのかもと思わぬでもなく、雲の彼方に隠れて見えぬということはしかし昇天したと見ることも可能で、そう思うとそうとしか思えなくなったから紀子は不安になり、判断を託すというかにその夢の詳細を半透明の恵美の霊に打ち明ければそれは吉夢に間違いないと請け合い、何を根拠にと問うのは愚かもしれぬが紀子にそれは必要で「何で?」と重なり合うほどにも身を寄せて訊けば「私も今それ見たとこだから」と分からぬことを言う。霊が夢を見るのか眠りもしないくせにと紀子は訝るが夢ではなくて「幻視ってのかな、私みたいにさ」あるようなないような不確かな像だが朧に淡い光が雲間から覗くのを確かに見たと「ほらあの辺」と窓の外を窓突き抜けて指差し示して半透明の恵美の霊は言い、助手席のほうまで身を乗りだして「何です?」とその指示する方向を眺めようとする田尻に「何でもないこっちの話」と紀子は介入を許さず、訝りながらも姿勢を戻す田尻を他所に紀子はさらに身を低くして厚く垂れ込めた雲の切れ目を探すかに窓の外を窺いながらも自分を気遣っての虚言かもしれないと思い、いくらか田尻を気にして小声に「ホントなの?」と重ねて訊くが「ウソついてどうすんの?」と答えるその眼に嘘はないと紀子は見て、そうとすればその指示したところに今知恵美がいるということに他ならず、これこそが求めていた知恵美からの応答ではと思い、この機を逃したら次はないかもしれぬとシートに手を掛けその耳傍まで顔近づけて「あのさ、悪いんだけど」寄り道できないかひとつくらいセミナー素っ飛ばしても「いいからさ」と頼むが「そらちょっと無理ですよ」と介入を阻止されて気を悪くしたというふうではなくマネージャー然と率直に田尻は言い、無理なのは分かっているがこっちのほうが「大事なんだって」と悲痛に訴える紀子に「そう言われても」困ると田尻も屈せず、ここはしかし何としてもその意を通さねばと半透明の恵美の霊ともども「知恵美いるかもしれないから」と懇願すると「分かりました」と前方を向いたまま田尻は頷き、次いで半身を振り向けて「マリア様に頭下げられちゃ」否とも言えぬと苦笑交じりに承諾し、助手席に移動した半透明の恵美の霊のナビでその指示する方面に向かうが、ここと場所の特定ができないからその付近一帯を走り廻る他なく、箱乗りでもするかに半身乗りだして首が痛くなるまで紀子は上を見続けるが厚い雲の層を透過する淡い光を見出すことは遂にできず、二件素っぽかしたが残る小セミナーにも全然気が入らないし手応えもだからもひとつないし「なんか最悪の空気でしたね」と田尻も気鬱に呟き、その沈んだ様子から素っぽかされた信者らからの連絡を受けているだろう駒井の許に田尻をひとり行かせるのはアンフェアと「オレならだいじょぶです」と断わるのをそうもいかぬと紀子もともに本部事務所に戻る。

あからさまな叱責こそないものの「どうしたんです? 何か事故でも」と訊くその視線に非難の込められているのは分かり、紀子としてしかしあの場合已むを得ざる行動で他にどうすることもできなかったと訊かれるままその経緯を告げはするが、端的に捜索隊の領分を侵す行為だし言い訳めいてもいるし同様の事態に立ち至ればやはり同様の行動をとるに違いないとも思えるから弁明する気にはなれず、田尻にしかし責めはないとそれだけは認めさせ、功次とある意味で和解が成立したとはいえ駒井の信用を失えばこの教団において紀子の立場の極端に悪化することは眼に見えているし、その権力に屈するというのではないものの駒井の立場も分かるからその叱責を紀子は甘んじて受け、以後気をつけてくれ少なくとも連絡くらいしてくれと言われて「はい」と素直に答えて放免され、送るという田尻の申し出を断わってひとり紀子は半透明の恵美の霊とともに帰途に就くが、歩きながら最前の出来事を反芻していてあれは知恵美との感応ではなくてすぐ隣にいる半透明の恵美の霊と感応しただけなのかもしれぬとふと思う。そうとすればそのこと自体忌避すべきものではないとしても端的にそれへの感応性の強化は一方の感応性の弱化を意味することになり、知恵美との隔たりがまた一段と拡がったようにも思え、総ては徒労に過ぎないとさえ思えてきて紀子はひどく落ち込むが、励ますつもりか「それだけ強く思ってれば」知恵美の帰還も遠くはないと半透明の恵美の霊は楽観的で、どこかはぐらかされたようで釈然としないがそう言われて悪い気はせぬからいくらか足取りも軽くなり、ふとその前に立ち止まるとゆっくりと斜め上方を向き、今にも落ちてきそうな古看板を見上げつつ変らぬその佇まいについ数日前のことながら妙な懐かしささえ覚え、そこでの実際の進み行きは少しも和やかではなかったしその日参加した小セミナーのうちで尤も難航したはずだったが、それだけにしかし強く印象に残っているしそれに付随することとして朋子の件もあったしするから妙な具合に昇華されてしまったらしく、それが真正のものかどうか確かめるようにその古看板の汚れ掠れた文字を一筆一筆辿り眺めながら並び立つ半透明の恵美の霊の存在を忘れてひとり紀子は反芻し、一旦階段口に消えながら再度半身覗かせて「何してんです?」と急かす田尻に拡げた思惟を手早く仕舞い込むと「ゴメンなさい」と駆け寄ってその背にピタリと寄り添う形で一段ごと不定形に変化するワイシャツの皺を眺めつつ狭暗い階段を紀子は上がり、さらに暗がりに入り込むように奥へ進んで町内会事務所に至ると先日の眩暈(めまい)するような空間の歪みが思い出されてか階段に息が上がってか立ち眩み、心配げに差し覗く半透明の恵美の霊を他所に田尻の背になかば凭れるようにして気息を整えてからドアを引き開ける。

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