友方=Hの垂れ流し ホーム

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こなしてもこなしても一向減ることなく山と控えている仕事が疎ましく、次々紀子に仕事を宛(あてが)う河井課長の存在がしかしそれ以上に疎ましく、それら疎ましさの根本が恵美の不在に由来していることは明らかで、その支柱の一本が崩れ去ったように自己がグラつきだすのを紀子は感じもし、知恵美の存在が恵美の不在を一層際立たせるし「死んだ人のことくよくよ言ったってしょうがない」と一向悲しむ様子のない知恵美に冷血な爬虫類を見る思いがするが、いまだ縮小を続ける知恵美を手放すことはやはりできず、とはいえ何ら手の施しようもないままただ見守ることしかできないのが歯痒くもどかしく、その灼かだという霊験を恵美のように信憑できないしそれに代わる強力な何かを見出すこともしかしできず、その苛立ちは自己に向けられて無力な自分を道化以下だと紀子は思い、何もかも巧く行かず総てを失ってしまう前兆にそれは違いなく、これからは下り坂なのだ堕ち行くのみの後半生なのだと短絡し、いや、そうではなくて今までが巧いこと行きすぎていたのだそのつけがこれから纏めて襲いくるのだと悲嘆に暮れ、「らしくもないな、ボクに任してよ」との知恵美の慰めも表層に留まるのみで深部にまでは浸透しないのだった。河井課長にどやされ嫌味を言われてその陰険な河馬の眼つきで睨めつけられ、急に柔和な面持ちになったかと思えば腰に手を廻してきたりあからさまに髪の匂いを嗅ごうとしたりと二重の責め苦に遭い、それでも普段なら何とか交わしてやり過ごすところが余裕がないから腹にドスンと重く響いて完全に打ちのめされ、道化に徹することさえできなくなっていることに紀子は気づき、限界が近いのを知るが回避する手だてを見出せぬままズルズルと深みに嵌っていき、「ボクが懲らしめてあげる」と知恵美は言ってカカと華細く笑うもののまるで生気がなく、いよいよ最期だと紀子は思うが「頼もしいこと」と笑って表には出さず、その今にも消え入りそうな淡い光を前にして自身の限界と知恵美の限界とどっちが先かなどと下らぬ比較をしているその馬鹿らしさにふと気づいてこれではいかんと律せんとすればするほど却って芯が弛んでいくようで、それならばいっそのことと飛躍した想念が浮かびそうになるのをその都度押しとどめ、辛うじて平衡を保っているような現況を鑑みれば相当ヤバい状況と分かるが自身ではどうにもできないのだった。

そのような状況の中隔週とはいえ知恵美の顔見せという名目でセミナーへと紀子が出向くことを欠かさないのは、メシアとして天皇として知恵美を崇め祀るというよりは話題に事欠かぬ珍重なものというようないくらか玩具的扱いといえなくもない信者らの対応が紀子の宗教への怖れのかなりの部分を緩和させたからだが、それより何より知恵美が存外楽しみにしているらしいからで、下世話な野次馬根性ともしかし違うようだし崇拝されていることの責任からでもないようで、ただ単にそこで遣りとりされる会話を面白がっているようにしか思えず、好戦的な言い争いだの罵り合いだのが見られることもなく終始穏やかに進行する放課後のホームルームめいたセミナーの何が面白いのか場所柄も弁えずひとりカカと笑い興じるのだったが、その際チカチカと明滅する後光を信者らは滅法有り難がってもいるようで、紀子にはしかしその明滅が最後の余光のようにふと思えたりして耐えがたく、メシアを乗り越え明日を築こうとの唱和に「ボクは踏み台じゃない」と華細く言う知恵美の言葉を真に受けてこのままでは踏み潰されかねぬと危惧するが、知恵美は別段憤慨しているようでもなく、日下との対照からその直截な口振りも却って信者らの受けがよく、着実にその信奉者は増加するしそれに連れて知恵美への祈りも本物らしく思えてくるから不思議で、あまり苦痛を感じることなくこのセミナーに身を置いていられるのも知恵美が心底楽しんでいるからだと紀子は思い、僅かずつだが教団に染まってきていることにだから紀子は気がつかず、八木に乞われるまま隔週が毎週となり予定のない限り出席するようになったのもそれを知恵美が望んだからなのだった。眼に見えて明らかなその衰弱にしかし不安を訴える者もなくはなく、信奉が増せばそれだけ不安も弥増して結果擬議に上ることになって「それについてはですね、いずれ機会を設けますからそのときに」と日下は言いながらその機会の設けられることはなく、日下じゃ当てにならぬと「だいじょぶなんでしょうねホントに」と直接知恵美に訴えれば「だいじょぶだいじょぶ」と気安げに答え、知恵美の言葉だけではしかし不安なのかその視線は次いで紀子に向けられるが、同様不安げな眼差しを紀子は返して小刻みに首を横に振り、信者らの動揺をそれは助長するが日下らの前向きな対応をも余儀なくし、その対策のための打ち合せが終日遅くまで行われるが、いくら打ち合わせをくり返しても知恵美の縮小衰弱の進向を食い止めることさえできぬのは抑もその存在が条理に反しているからだし超越的だからで、対策の立てようがないのもだから当然で「端から敗北してるんですよ」と日下の言うのも分からぬではなく、といって何もせず茫としていることもできず、教団本部事務所をあとにしても頭から離れず紀子のあとをどこまでもついて廻り、なかば諦めてまるで予測のできぬ事態の進展をあれこれ考えながら緩勾配の坂をゆっくりゆっくり紀子は上っていくのだった。一歩一歩着実にそこへと近づきながらしかし何の目的で向かっているのか判然とせず、様変わりした付近一帯の様子など眼にも入らず一心に目的地へ向けて紀子は歩き、結局判然としないまま徳雄先生と対面してしまっていて、その戸惑い気味の対応にやはり来なければよかったと後悔しても遅く、「外行こう」と誘われるままビルを出て初めて付近一帯の様変わりしていることに気づいた紀子は驚くが「毎日見てると案外気づかない」と徳雄先生はグルリと見廻しながら一廻転するが弾みでよろけてガードレールに膝頭を思いきりぶつけ、辛うじて転倒は免れるもののその衝撃は骨に響いて坂を下りて左にすぐの喫茶店に入って腰下ろしてもそこだけドクドクと盛んに脈搏ち、「だいじょぶですか? 膝」との紀子の問いも「平気平気」と軽く受け流すが熱気はなかなか退かず、それでも話しているうちいくらか自己の無力感を忘却でき、それだけでも来た甲斐はあったと紀子は思い、僅かずつだが確実に和らいでいく痛みを徳雄先生は意識しつつ紀子の話に耳傾ける。今もバッグの中のポシェット内の桐箱の中に在(ましま)す知恵美のことを相談するつもりなどないし況して恵美の後釜を狙っていたわけでは決してないのだが現実は悉くそれらを裏づけるように展開し、「ここじゃちょっとアレなんで」と場所を変えるよう求めるが人眼につかずしかも二人きりになれる場所といって思いつくのはそこしかなく、とりあえずベッドを避けるようにソファに掛けるがやることはひとつしかないというように紀子の腰に腕を廻した徳雄先生は優しく引き寄せ、その如何にも自然な流れに抗うことができないというより総てはアトリエで会ったその瞬間からすでに諒解済みだったと紀子は思い、否やなどないとその愛撫を受け入れ愛撫を返し、舌を絡めたままベッドへと移動して倒れ込んだときには脱衣は完了済みだが照明は落としていないから隅々露わで、その露わな裸身をさらにも露わにせんと紀子の足を全開に広げて打ち眺めながらも徳雄先生の動きがどこかぎこちないのはさっきぶつけた膝を庇っているためで、「青くなってる、膝」と紀子はそのヴァギナを徳雄先生に曝したまま内出血している腫れて青ずんだ膝頭のほうに躙り寄ると愛しげに頬摺りし、次いで怒張したペニスへと頬摺りし、恵美にも増して敏感な反応で応える紀子に徳雄先生は熱狂してその技巧の限りを尽されて紀子も快楽の極点に達し、巧々と恵美の後釜に納まってしまった狡さを思うとしかし自身が嫌悪され、嫌悪する一方で必然とも紀子は思い、あるいは知恵美の計らいなのか恵美の言う灼かな霊験なのかとも一瞬思うがすぐにそれは否定される。


身長二十六ミリ、体重十六・五グラムでその縮小はピタリと止まり、「だからだいじょぶだって言ったでしょ」と知恵美の言うように危難は去ったかに見えたが、縮小が止まると活動もほとんど停止して「欲しくないんだ」と食事も摂らなくなって冬眠したようになり、さらに全身固い鎧で包まれたようにピクリとも動かなくなってその茶褐色の色合いといい固さといい蛹と言ってよく、間近に眺めつつ「蛹なの?」と訊いても知恵美の答えはなく、聞こえぬのかと大声出しても反応はなく、ヒトに擬態する新種の昆虫なのかとふと思い、反証するための材料がしかしないためただの思いつきにすぎないその想念が否定しがたくいつまでも意識の辺縁をウロウロしていて、そのせいで何か得体の知れぬもののように思えてきて、その得体の知れなさに紀子は身震いして廃棄してしまいたくなるが間違いなく恵美の怒りを買うとそれだけは絶対にできず、桐箱に納めて整理ダンスの上に置いた神棚に据えることは据えるが恵美のしたように柏手打って拝むようなことはせず、いや、できないのだった。淡いが神々しい光を発して人を魅了し虜にさせるし天皇ともメシアとも思わせて崇められもするが、その実ただの寄生虫ではないか宿主の存在なくしては生存できぬサナダ虫やら蟯虫やらと同列の気色悪い寄生虫ではないかと紀子は思い、この固い殻の一体どこに灼かな霊験が秘められているというのか、そのメシアとしての天皇としての崇高さ超越性が認められるというのか、その蛹様の外貌が齎す得体の知れなさからくる底知れぬ怖れに嵌り込んでしまった紀子は完全に状況を見失って頼みはここより他ないと徳雄先生とも共議のうえ本部事務所を訪れ、嘘偽りなく総てを八木に告げると、「私らも何ひとつ隠し立てすることはない」と蛹と化した知恵美を囲んでの話し合いが開かれることになり、「忌憚のない意見を仰有ってください」との日下の挨拶で始まるが八木の予想通り排斥派と擁護派に分裂して平行線が続き、そのまま瓦解するかに紀子は不安になるが総ては話の展開上の予定調和らしく次第に収束に向かう。これがメシアかただの虫ではないかとの意見も聞かれるが全体としてはある種の奇蹟の顕現あるいはその前兆ということで皆の合意に至り、その奇蹟の全貌はしかし一点知恵美の変態如何に掛かっていて、「知恵美さんの許に、いやメシアの許に皆がひとつにならねばいかんということです」と日下が述べると皆それに頷いて同意を示すものの、昆虫に成り下がるのか真のメシアへと変成するのかとの信者らの疑問が解消されたわけではなく、その疑問に答えてくれと視線が集中するのを紀子は軽く微笑を返して去なしつつ答えるべく沈思するが、紀子にすれば知恵美であることに変わりがなければどっちに転んだところで育てられると思うし一時の恐慌が鎮まった今はむしろその外貌が昆虫のほうが育てやすいくらいに思い、それより信者らのほうこそたとえ知恵美が昆虫に変態しようとメシアとして天皇として信奉すべきではないのかと思うが信者でもない自分が軽々しく言えることではないと口にはせず、自分も信者らと変わらぬ凡百といる普通人だしそれこそメシアでも何でもないのでこの先知恵美がどうなるかなど分からないし当人からも何ひとつ承ってはいないと紀子は答える。その蛹化が緩やかな死への移行だとしかし短絡することがないのは代謝が減少することで内からの光が減少するのではなくその固い殻をも透かしてさらにも増して百ワット電球に匹敵するほどの輝きを示しているからで、その増光を生の最期の輝きとか死への虚しい抗いと見ることもできなくはないし「この輝きようはちょっと変だよ」と不安を隠さぬ者もあり、その下水管工をしている教団でも古参株に入る四十年輩の沖はエネルギーを使うばかりで摂取しないのだからいずれ枯渇し死に至るのは必然だと悲痛に訴えるが、「メシアなんだから霞を食べて生きてるのよ」と別の信者がパイプ椅子をガタつかせて立ち上がり、エネルギー代謝など超越していればこそのメシアではないかと勢いで衆目を捻じ伏せようとするが「んなアホな」と一蹴され、宙に浮いた皆の視線はしかしまた紀子に集中したため「そうですね」ととりあえず口にするが、死を前にした残光とも超越的な後光とも紀子がどうしても思えないのは母親の僻目でもなく信者の盲信でもない純粋に客観的視点に立つと自任しているからで、これはだから変成への予兆で知恵美=メシア=天皇のメッセージに他ならず試練でもあるのではないかと紀子は言い、見限るのはだからまだ早いし買い被るのもかといって危険でしばらく様子を見るべきではないかと決然と信者らに述べたため会合は破綻することもなく暴走することもなく閉じられ、「いや、却って皆の結束が高まりましたよ」と日下に感謝されるが自己の立脚点を確認しただけで感謝されるほどのことでもないと紀子は恐縮しつつも笑顔で応える。

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