Effluents from Tomokata=H

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10

アイラーの音にノイズのようなものが混じっている。さっきから気になってはいたのだが、車だの電柱だのに手一杯でそこまで気が廻らなかったのだ。無視できないくらいそれが大きくなっている。よく聞くとそれは無数の人の声で、どういう具合でそうなるのかMDが声の受信装置になってしまったらしく、誰かの声を勝手に拾って流し込んでくる。最初はそうと気づかないから音量を上げて回避しようとしたのだが、声の流入は全然止まらないからおかしいとその故障を知ったのだ。

傍受した無線電波みたいなノイズの多い割れた声で「ニゲロニゲロ」とそれは言っているらしいが「ニエロニエロ」というふうに聞こえなくもなく、第二音にしかしアクセントがあるからそのイントネーションから逃げろなのだと分かる。とはいえ何から逃げろというのか、肝心な部分を伏せているから不安は尽きない。車に気をつけろということなのか、雨にやられるということなのか、空腹が襲うということなのか、あるいはその総てが同時に襲い掛かるということなのか。それとも全然別のことを意味していてゲロがふたつとか二種のゲロとか、それが前進を阻むとでもいうのか、大量のゲロが土砂のように流れてくるのか。そう思うと徐々に怖くなってきて、地響きのような音まで聞こえるような気がし、ひっきりなしに通る車もそのゲロ流から逃げているのだと合点して、未曾有の大災害だと慌てて逃げようとするのだが、車の往来が激しくて戻ることは困難で、それよりも美佳の安否が気になって逃げてはダメだと先へ進むことを忍は決意する。その間もニゲロゲロゲロは頭上で警報のように鳴り止まないし、頭が割れそうなほどにもガンガン響くから耐えきれず、アームレスヘッドホンを忍は耳から毟り取る。耳内に声が残響してしばらく動悸が収まらない。

洗脳された、洗脳されてしまったと忍は焦り、逃げることもできずその場に踞ってしまう。その眼の前を「死にたいんかアホボケッ」と罵りながらいくつものタイヤが横切っていく。声の飛沫が顔に掛かるのを拭おうともせず、死んだように動かない。ある意味死んだも同然と忍は思い、違う違うとそれを美佳は強く否定するが、他の声に紛れて忍にまでは届かない。このまま横に寝転がれば総ては終わるとふと思う。その横っ面を張り倒すように「轢いてまうど、だアホッ」とスピンするタイヤが言う。そうしてもらえるとありがたいと忍は思うが、「アホかっ汚れるやないか」とタイヤは言って走り去る。

焦ってたから迷ったとか妨害する声を受け入れてしまったとかそういうことじゃないと思う。その道順もそこへ至るまでの景もちゃんとしていて、総ては順調に運んでいたはずだ。それなのに美佳の住む部屋が見つからないのだ。ほとんど毎週末来ているのだから記憶違いということはないはずなのに、同じ通りを幾度歩いても目指すマンションはないのだった。電柱に記された番地で確認もしたが、そこには全然別の見たこともない家が建っている。昨日今日できたというような感じじゃなくて、もう何年もそこにあって生活が営まれているというふうで、どこで間違えたのだろうと忍は記憶を辿り返すが、その分岐点は見出せない。

間違えたんじゃなくて空間それ自体が入れ替わってしまったのだと忍は思い、同じ車が何度も通ることから考えてそうに違いないと確信する。待っていればまた入れ替わってマンションが現れるかもとその場にしゃがんで待機するが、二時間待っても三時間待っても空間が入れ替わってマンションが現れることはなく、代わりに雨が降ってきて傘がないから濡れてしまうが、構わず忍は待ち続ける。全身に染みついた声の飛沫を洗い流してくれたのはいいが、濡れそぼった形(なり)は異様に目立って近所の人に不審に思われて通報でもされたらヤバいと焦り、二日でも三日でも張り込む意気込みだったが已むなく帰ってきたのだった。美佳からメールが来ているかもしれないと念のため確認するが、新たなメールどころかあるはずのメールまでもがなくなっている。捨てた記憶はないから最初っからなかったということになるが、そんなはずはない。声の反乱だろうか。もう、ダメなのだろうか。

ほとんど密会に近い忍と過ごした時間がテキストからはなぜかゴッソリ抜け落ちている。どこか奥のほうに仕舞われているのかもしれないが、眼にするかぎりそのことに関する記述がほとんどないのはちょっと寂しい気もする。文字として釘づけなければならないような忍を脅かす不穏な声がそこにはなかったのだろうと思えばいくらか気も安まるが、確かにあったふたりだけの時間が見出せないというのは美佳にすればその事実を否定されているようで何より辛い。僅かな記述からでも再構成するより他なく、ひどい越権行為のような気もするが、忍なら許してくれるだろうとトマトプリッツを口を窄めてリスのように前歯で齧りながら美佳は思う。

どの時点で意識しはじめたのか実は美佳にもよく分からない。最初からそのつもりだったといえばいえなくもないし、成りゆきでそうなったと思えなくないが、記憶するかぎり意識してはいなかったはずだ。いつものように迎えていつものように寛いでいつものようにひとりで喋りいつものように食事していつものようにゲームで遊んだ。忍の持ち込んだそれはプレステだが、両親に気兼ねしてか自宅ではできないのらしく、忍の気の済むまでつき合いもするがむしろ美佳のほうが熱中してつい夜更かししてしまい、深夜タクシーで帰らすことも珍しくはなかったのだ。

食事中忍の箸が不意に止まったのを見てふと考え込むように美佳は首を傾げ、急に思い出したように「あ、ゴメンこの前も春巻だったっけ」と済まなそうに見つめるが、忍の希望通りのそれはメニューだから済まながることはないと忍は見つめ返し、むしろ自身の停滞こそが悪いというように猛然と食べだすのだった。食後、食器類をシンクに運びながら「ビワ、あるよ」と美佳が冷蔵庫から出してきたそれを食べたが、まだ熟し切っていなかったらしくて甘みも弱く、ひとつ食べただけで美佳はやめてしまったが、気にすることもなく忍は食べ続けるから「甘くないでしょ」と訊くと、こくと忍は頷くが手を休めることはなく、無理して食べることもないと言っても無理などしていないという眼で忍は見返すのみで、ひとつひとつ丁寧に皮を剥いてはかぶりつき、残らず食べてしまう。

汁塗れになったその手を忍は布巾で拭おうとしていたが、食器類を片づける際布巾も一緒に持っていってしまって手元に拭くものは何もなく、手首の辺りまで流れて今にも滴り落ちそうなその腕を咄嗟に美佳は掴んで引き寄せる。静脈の浮き出た白い手首に唇を当てて流れた汁を吸い、次いでその濡れた十指を一本一本丁寧に嘗め取ったのだ。爪の間に挟まった果皮や果肉も綺麗に嘗め取った。ビワの汁で淡い橙色に染まった忍の指は仄かにビワの香りがした。不思議そうに忍は見つめていたが、手を引っ込めようとはしないからいつまでも美佳は嘗めしゃぶっていた。自身の唾液でベトベトになった指を忍が見つめているのを「手、洗って」と美佳は促すが、蛇口から流れる水に手を浸す前に忍がその指先を嘗めたのを美佳は目端に捉え、自分の指を嘗められたように感じて身震いする。

そう促したのもゲームがすぎて遅くなったからで、何の含みもないものと断言はできないながら口にしたその瞬間それを意識してはいなかった。伸びをするように上体を後ろに仰け反らせてそのまま床に横たわり、チラと時計のほうに首を振ってからまた起きあがって再度確認するように時間を読む。美佳のその動きを気に掛けているふうの忍に這い寄ると、何気ないふうを装いながらその内腿に手を置いて「泊まってく? も遅いし」と訊かれて忍は一瞬その意味が分からず硬直するが、ゆっくりと小さく頷き返す。

端的に窮屈な自宅に帰りたくなかっただけだ。本当にそれだけかと振り返れば萌芽的とはいえ美佳への欲望の底流していたことを忍は認めざるを得ないが、帰りたくないということのほうが圧倒的に強かった。その手から美佳はコントローラーを取り上げると「じゃお風呂」と忍を先に入れるが、そのときもまだそんなつもりではなかったのだ。いや、今もなぜそうなってしまったのか分からないのだが、気づけば素裸の美佳が眼の前に立っていて、微かに笑みを含んだ眼差しで浴槽に漬かる忍をチラと横目見て「何年振りかなあ」と呟くように言ったのだった。その足元に視線を下ろして少しずつ上にのぼ上っていくが、太腿辺りでとどまってそこから先へはどうしてもいけず、密かに求めていたものが眼前に曝されてあると却ってどうしていいか分からず、浴槽から掬いとった湯を浴びる美佳の艶やかな肌からしかし眼を逸らすこともできず、焦点のズレた眼差しで美佳を忍は見つめていた。

静かに美佳は立ち上がると片足を上げ、隠しもせず総てを曝そうとするかに浴槽を跨ぐからその脚のつけ根の黒く繁る縮れ毛が忍の鼻先を掠め、性器から肛門までが覗けて一旦焦点を合わせてしまうともうソレから眼を離すことができない。とはいえそれも一瞬で、濡れた裸身はすぐ湯の中に沈んでその顔が横に並ぶ。それでも今見た像が頭から離れず、美佳の顔がその性器と重なる。浴槽は狭いからどうしたって密着してしまい、美佳の息遣いを強く感じもして全身強張って身動きひとつ忍はできず、その忍の左膝に美佳は右手を置き、最初膝頭を撫でていたそれが徐々に下のほうに降りていって、いつのまにか内腿へ滑り込んでいるのに美佳は驚く。自分の手の動きに牽引されるようにして欲望の露わになるのを押しとどめたものか解放したものか計り兼ねていた。

指先に触れたソレは固く張りつめていて、忍の緊張に倣うかのようで妙に可笑しくなるが笑ってはいけないと怺え、そっと握ると押し返すように手の中でソレは蠢く。ただ握り締めているだけでさして扱いたりもしなかったが、すぐにソレはいってしまった。浴槽に漂う白いものを美佳は掬いとってしばらく掌の上で玩んでから水に流した。啜り飲みたい気もしたが、忍が見ていたから控えた。互いにその欲望を確認しあうかに見つめ合うと、それを抑圧するはずの倫理の作動しないまま徐々に顔が接近し、長いことキスしていたから上せてしまって朦朧として意識を失い掛けた忍を美佳は抱えて洗い場に横たえる。

そのとき忍の右手は美佳の左の内腿に置かれていて、美佳が動くたびにその手の甲に縮れ毛が触れるのだった。そのうち掌を返して直に襞に触れるが咎められることもなく、といって調子扱いて弄ったりはせず、控えめに襞の感触を確かめるにとどめていた。その手の上に自らの手を重ねて奥へと導いたのは美佳で、さらには上に跨って鼻先に突きつけられたからもうダメで、舌を這わせないではいられない。

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