Effluents from Tomokata=H

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04

一日に一日分の日記とその他二、三のテキストを読んで眼についた文章なり単語なりをピックアップして別ファイルにストックしておき、ある程度溜まったところでその概略を纏めるという作業行程が徐々に定着する。その寝かせる行程が案外重要で、すぐに纏めようとするとどうしても主観が多く入り込んでしまって巧いこといかないのだ。充分に寝かせることで自分の勝手な解釈でそれら語の群を強引に結びつけることなく、語同士が自然に脈絡を構築するなりその端緒を開くなりするのをサポートすることができる。時間の経過がそれを可能にするのだった。自分はただ語と語を連結するだけ、それ以外の余計なことは一切しない。

翻訳ソフトのようなものかとふと美佳は思い、システムに組み込まれた一アプリケーションに私はすぎないのだと美佳はそのようなソフトになろうと努める。とはいえファイル間に脈絡はないし、そのほとんどが意味不明だからそう簡単に結びついてはくれず、作業も遅々として進まないのだった。期日があるわけではないから急ぐ必要は全然なく、語それ自体が熟成するのを気長に待つのみだ。とはいえ決して退屈ではなく、今までにないそれは読書体験だし、文筆体験と言っていい。果てしのないそれは出会いの連続で、自分の知らない忍との出会いに美佳は密かに昂奮する。一アプリケーションとしては感情に流されてはいけないのに、はじめて開くファイルにはどうしても高ぶりを抑えることができない。だから寝かせる必要があるのだと美佳は思う。

声といういやらしい亡霊を棄てて文字という楔を獲得したのだった。

自身に届く声をひとつひとつ捕まえて文字に変換し釘づけること。そのようにして総ての声を釘づけたとき、世界は静寂に包まれる。そのとき忍を脅かすものは恐らくない。壮大な企みだが実現は難しい、というよりほとんど不可能だ。でもやめることはできない。あるべき自身の姿を常に模索し続けていたのだということに最近忍は気づいた。夢見続けていたと言ってもいい。実現不可能なそれは夢で、最初から挫折を決定づけられていたのだ。これはだから必然の結果なのだと忍は思う。そうだろうかと美佳はちょっと疑問に思う。いや、そうなのだと忍は念を押す。でも、と美佳は腑に落ちない。

呼び掛けは常に「ねえ」だった。お互い名前は忌まわしいものとして暗黙のうちに避けられていた。なぜなのだろう、と何かそれが根元的問題でもあるかのように偽装してみても無駄だ。血の繋がった姉弟ということを思い出させてしまうからなのだ。とはいえ忍自身にそれが罪悪だったことは一度もない。本当にそうなのだろうか。少なくとも自分には忍のように断言することができないと美佳は思う。頽廃的で背徳的な欲望に憑かれていたことは否定できないし、だからこそその罪深さに恐怖して逃げだしたのだ。美佳の頽廃に較べて忍はあまりに純粋で、純粋すぎて自分はそれに値しないと思い、その関係を絶つより他なかった。ひとり残された忍はその裏切りに絶望して命を絶った。遺書らしいものも何ひとつ残さなかったし、素振りにも普段と変わったところはなかったらしく、何か意表を突かれたというように両親は茫然としていた。美佳にそれは悲痛というより滑稽に見えた。まるで理解できないという様子で説明を求められて「私が忍を弄んだせいなの、全部私のせいなの、私が殺したも同然なの」とかまさか言えるはずもないから困惑を装って胡麻化し、忍のように沈黙したのだった。

結婚とそれに続く妊娠出産がその死を決定づけたことは事実なのだから美佳にしても衝撃は大きく、その責めは総て私にあると美佳はしばらく鬱いでなかなか立ち直れなかった。何をする気も起きなくて孝裕に当たることもあったし、一時期ちょっとヤバかったが何とか乗りきって今はだいぶ落ち着き、取り乱すこともない。少し痩せたが孝裕が気づいている様子はない。そういう人だと知っているし、またそういうところが安心なのだが、反面苛立つこともないではない。

違うと孝裕は否定するだろうし、美佳としてもそれを譴責するつもりは全然ないが、こっちの鬱積なり蟠りなりを見下すようなところがその眼差しに時どき窺えるのだった。つい「何よ」とか突っ掛かってしまうが、孝裕の「何でもない」との回避行動で収束するたび、自分の大人げなさを反省する。とはいえ美佳の中で却ってそれは浮き彫りされるように余計際立ってしまうのだった。その前に向かうことでそれら蟠りを悉く解消できるというわけでは全然ないが、残されたファイルのうちに何か別の可能性を見出せるかもしれないとの淡い期待を懐きつつ忍のテキストを美佳は読み続ける。いくら読んでもそのような可能性などないということを保証し後づけることにしかならないとしても、未知の忍の相貌に出会うと何かしら期待せずにはいられない。

端的にいろいろなことを思い出させてくれるし、自分でもまだそれと気づかないうちからその萌芽のあったことを気づかせてくれたのも、やはり忍のテキストなのだった。抑もその動機自体ハッキリしないが、急に思い立って忍の部屋に入ったのだった。いや、その前から部屋にいたような気もして前後関係は曖昧だが、どっちにしても支障はない。

眼だけを美佳のほうに向けてベッドに横向きに寝そべったまま起きあがりもしない忍の前に美佳は歩み寄り、そのミニから覗く太腿辺りを無気力に見つめる忍の顔の前に置かれた、半分縁から食みだして今にもダラリと垂れ下がりそうなその手を徐ろに掴んで「行こ」とだけ言ったのだ。ポカンと口を半開きにしたまま「どこに?」とも「何しに?」とも忍は訊くことはなく、前屈みになった拍子にずり上がったミニの端から仄見えた青っぽい下着が頭から離れない。その残像を残したまま次いで焦点を握り締められた手のほうに忍は移すと、冷水にでも浸したような妙に冷たいその手の感触に驚き、死んだ人の手のようとふと思う。いや、確かにこれは死人の手で、そうだとすればいつの間に入れ替わってしまったのかと忍は訝り、顔を確かめようと視線を上へと辿っていく。

そこに見える淡いピンクのノースリーブは確かに美佳のだし、体のラインも美佳に違いないといくらか忍は安堵し、いや顔を見るまでは安心できないとさらに上を見上げると、屈託なげな笑みを返す美佳の眼差しにぶつかって不遜な考えを懐いたことを忍は恥じ入るように眼を背け、寝返り打って仰向けになると何か考えるふうに天井をしばらく見つめる。それからゆっくりと起きあがるがまだ答えは出ないようだった。その間もずっと手は握られたままで、自身の熱が奪われて徐々に冷たくなくなっていくその手を忍は見つめながらどう答えたらいいのか迷っている。いや、そうではなくて出した答えをどう伝達したらいいのかで戸惑っているのだった。こっちから言うべき言葉がないのだった。それを察したらしくギュッとその手を握り締めて「ね、行こ」と再度美佳が言うと、促されるようにうんと忍は頷いたのだ。

とはいえ何の説明も抜きだから気後れするのも当然で、その緊張は予想以上に激しく、忍の手を引きながら「だいじょぶだって、全然だいじょぶだから」と美佳はずっと宥めていたのだが、それでも忍の緊張を解すまでには至らず、汗ばんだ手がヌルリと不快で間にハンカチを挟んだのだった。

でもなぜ黙っていたのだろう。隠す必要などなかったのに、なぜあのとき私は忍に何も言わなかったのだろうと美佳は考える。ビックリさせようとかそんなつもりは全然なく、抑もそういう騙しめいたことを忍が最も嫌悪しているのを知っているから、そのような作為はなかったはずだ。七、八年も前のことだから記憶に定かではないが、明かして拒絶されるのを怖れていたというのが最も真相に近いのではないかと美佳は思う。

少し遅れて待ち合わせ場所に着くとみんなもう来ていて「遅ーい」とまず非難され、低姿勢に「ゴメンゴメン」と詫びる。連れの忍が気になるらしく興味深げに眺めながら「誰? カレシ?」と訊き、その問いに怯んだようにピッタリと身を寄せてくる忍の肩を美佳が抱きかかえると、答えも待たずに「ちょっと美佳のカレシだってえ」と早合点する。違う違うと首振って「弟の忍」と紹介すれば「ええウソー、カワイイ」と嬌声を上げてその周りを囲み、あれこれ質問攻めにするから忍は真っ赤になって俯いてしまい、それがまたみんなを刺戟してグンと輪が縮まってさらに囃し立てるから忍の緊張はピークに達する。

ヤバいとその前に開るように乗りだして「あんまりほら、ね、人見知り激しいから」と美佳が割って入ってくれたから助かったが、でなければ逃げだしていたに違いない。いや、美佳をおいて逃げることはできないからあのまま放置されていたらえらいことになっただろう。忍自身どう思っていたか美佳は知らない。直接訊いたことはないし、訊いても答えないだろうことは分かるから。ただ拒否的な素振りはなかったように思う。以来遊びにいくときはほとんど連れていくことになったが、何も言わずについてきたから満更嫌でもなかったのだろう。

飛び抜けて美形というわけではないが、女子高だったせいか友達の間でウケは好かったし可愛がられてもいた。いや、それどころか結構評判になっていて、紹介してくれとか手紙を言づけられたりとかはしょっちゅうで、そのうちファンクラブめいたものまで作られてアイドル的な存在になってしまうと、その異常な人気に美佳は戸惑うのだった。

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