友方=Hの垂れ流し ホーム

02

毅然としていてまるで動じないゆかりに岡本は打つ手もないが、今を逃したらもう挽回する余地はなくなるとの焦りからその理由も定かならぬまま詫びを入れ、そんなふうに詫びることを最もゆかりが嫌悪しているということに詫びてから気づくがすでに遅く、軽い吐息を吐いてから「別にもう謝んなくても」とあっさりと撥ね返されてその失態を後悔する。完全に終止符の打たれたことだけはその雰囲気から充分に察せられ、今はもう何を言ったところで好転の見込みはないと判断した岡本は、尚残る未練と格闘しつつ席を立つ頃合を計るかに尻の位置を微妙にズラしていくが、それを暴挙の前触れとでも思ったのか煙草を揉み消しながら「ちょっと」とゆかりが眉を顰め、形の良い眉の片方だけが吊り上がるその微細な動きを岡本は見逃さなかった。少なからず動揺を示す無意識裡のその仕草に何か事態の好転を予感させるものが潜んでいるようにも思え、つまりはここで易々と引き下がらず今一歩踏みとどまれまだ再考の余地はあるとの含みのある「ちょっと」ではないのかと岡本は思いたく、いくらか期待を込めつつしかしその望みは薄いとの客観的判断も小脇にしつつ「え?」と小声に返すと「それ」とゆかりは顎で指し示し、示されたその先を見れば無造作に置かれたままの箱が二つあり、岡本が自らそこに置いたそれは黄白い箱だった。

不意に「それ何?」とゆかりが二つの類似の箱に興味を示すのをいや別に何でもないこれはと隠すように右手を覆い被せるのを「何見せて」とゆかりは執拗に問い、さらには腰を浮かして手を差しのべて「いいじゃん見せてよ」と常の権高な物言いで見せろと言って聞かず、已むなく二つをテーブルに移して大きいのと小さいのと並べおくと、夫婦箱とでも呼びたくなるほど酷似しているその箱二つをしばらく無言で眺めていたゆかりは、岡本のほうにチラと上目に視線をやってから分かったまた買わされたんでしょと呆れたように軽く鼻で嗤う。再度手を覆い被せて引っ込めようとするのを貸しなさいと嗜めるかに言われて渋々岡本は箱のひとつを差しだすが、噛むかもしれないから気をつけてと思わず口にしたのがなぜなのか自分でもよく分からず、手渡された小さいほうをゆかりは無造作に受けとりながら一瞬岡本の言葉に眉を顰めるが無視して箱を眺め入り、目利きの鑑定士か何かのように真剣な眼差しなのが岡本を何か分からぬ漠とした不安に陥れるが、強引にそれは捩じ伏せた。

薄暗い照明の加減か黄白い箱とそれを包み込むゆかりの両の手とが同じような色合いに見え、そのうち解け合うようにひとつになってしまうような気がし、見つづけることで現実化しそうにも思えたからゆっくりと岡本はソレから視線を逸らしていくが、一抹の不安とともに視野の端のほうにはとどめおいていた。その視野の端で何かが拡大したのはゆかりが半身を近づけてきたからで、何かと思って向けた岡本の視線に被せるように「蓋、ないね。蓋どこ?」とゆかりは問い、そう問われて即座に岡本が答えられないのをゆかりは訝るふうでもないが、手のなかでクルクル廻しているのをひどく乱暴な扱いだと岡本が返してくれないかと手を差し伸べると「まだいいでしょ」と一括され、オレのだ返せと腹のうちで毒づきながらもしおらしく待つよりない自身の不甲斐なさを岡本は笑みに紛らした。何が入ってんのとのさらなる問いに岡本は困り、実際何が入っているのか岡本にも分からないのだから答えようもなかったが、べつに何もと適当に繕って早いこと返してもらおうとしたのが癇に触ったのか、何か分かんないのに買うなんてバカげてるとまた鼻先であしらわれる。

とはいえ仮にそのときの状況を事細かに説明したとしても全然理解されないだろうことは分かっているので、いいだろべつにと岡本は不貞腐れたようにしかし今度は完全に眼を背けてしまった。それまでゆかりの危なげな手つきをそれとなく注視していたのだから、さらに注視しつづけていれば眼にしえただろうその出来事を、うっかり眼を逸らしてしまったために事態の起きるその瞬間を、だから見逃してしまったのだった。といって絶対に起こりえぬ事態と頭からそれを無視していたわけではなく、何らか予感めいたものはあったのだが端的に常識に斥けられ、「痛っ」と殺しぎみの小さな叫びとともにテーブルに放り投げられた箱の転がる音を岡本は耳にし、さらにはその黄白い軌跡を視野の端に捉えもしてやはりそうかとなかば瞭然の事実のようにそれを受け止めているのに気づくが、違うと頭(かぶり)を振りつつ違うということを確認するかにようやくそれに眼を向けたのだった。

噛まれたらしいと右手人差し指を左手で握ってゆかりは顔を顰めているが、冗談に決まってるとなかば無視していると噛んだ噛んだよコイツと次第にゆかりは声を荒げ、箱が噛むわけないだろう蓋か何かで挟んだのだろうとそう執りなせば、違う挟んだのじゃなくて噛まれたのだと執拗に訴えるその眼は真剣そのもので、その裏を読めずに口籠り箱を手元に引き寄せる岡本を尻目に、見てよほら赤くなってると目の前にその細く長い指を突きだしてゆかりは示し、見ればたしかに右手人差し指先端部の腹側にほんのりとピンク色に色づく程度の跡がある。噛み跡に見えなくもないが違うと岡本が独りごちるとそれに覆い被せるように違わないとゆかりは言い募り、たいして痛くもなかろうに顔を顰めて痛がっているのをいくらか岡本は気疎く感じながら、その不快に歪められた眉間の浅からぬ皺がしかし妙に艶(なまめ)かしく、さらには出血もない小さな淡いピンクの跡がなぜかいっそう艶かしく、いつまでも見つめて飽くことがなかった。そのうち眩暈したように何もかもが視野から遠ざかって耳鳴りめいた甲高い音のみ響き渡り、そのような一切の言葉を喪失した状態がいったいどれほどつづいていたのか知らないが、不意に間近から「聞いてんの? ね、ちょっとお」との甲高いがドスの効いた声がして岡本は眼前のゆかりに焦点を合わせようとするが、炎天下に何時間も無帽で立っていたかにフラフラと縺れて引き寄せられるように肩が触れると同時に「いらっしゃいませ」とそこはもう店のなかだった。床から天井まで届くほどにも積みあげられた器物の山がゆらゆらと揺れ蠢いていて、触れるだけで倒れそうなのがいかにも危なげな光届かぬ薄暗い店内を岡本は所在なげに見廻していた。表の喧しい呼び声の若干霞むその場に器物らに同期するかにゆらゆらと揺れ佇みながら、どっちに踏みだすべきかで岡本が逡巡したのは背後に控えていた店員がひどく気になったからで、マンツーマンディフェンスの要領でピッタリと離れないその不屈の精神になかば根負けしつつもちょっと立ち寄ったくらいの雰囲気で軽く一瞥してそっと出てこようと岡本は思い、背後を窺いながらゆっくりと店の奥へ向けて歩きだすと、影のほうもゆっくりと動きだす。

店は奥へ行くほど埃に塗れてカビ臭いし器物の圧迫感に息もつまりそうだが、後ろはがっちりガードされてしまっているから奥へと進まざるをえず、興味ありげに器物のいちいちに視線をとどめて物色する素振りで岡本は背後を牽制するが、興味のない品物を眺めることほど退屈なことはなく、況してそれが数珠だの鈴(りん)だの線香立てだの仏壇だのいう抹香臭いものよりほかないとくれば尚さらで、あまりの退屈に欠伸が出かかるが背後に控える店員の手前ぐっと怺え、目頭に溢れた涙を親指の腹でさりげに拭いつつこのようにも場違いな客にいったい何を売るつもりかと岡本は首傾げるが、すぐに頭を振っていや自分は客じゃない、だから何も買わないと強く背後に念を送った。岡本のその思惟の流れを眼にしたとでもいうように背後からヒタヒタと歩みよる気配に買わないと岡本は思念のバリアを張り巡らすが、その空隙を巧みに掻い潜ってくる店員は右手に何か握っていて、その何かを岡本のほうへ差し伸べたり引っ込めたりしながら取り入る機会を窺っているのだった。

さらなる背後からの重圧に負けそうになりながらも辛うじて「あの急いでますんで」と岡本は牽制するが、お急ぎでしたらこちらなんかどうでしょうとそれでもいくらか譲歩したつもりか、何に使うのかも分からぬ箱めいたものを掲げてニッコと微笑む営業スマイルに岡本は頬を引き攣らせ、「いやあの、だから急いでるんです」と少しく睨めつければお急ぎなら即日配送もできます県内なら無料ですとまるで怯まない。店員の手にした箱は掌大ほどもあってそれ自身フルフルと小刻みに震えていて、鈴の類いかとも思うが部屋に仏壇とてないのに鈴など要らぬと訝しげな視線で震える箱とそれを掲げもつ店員とを交互に窺い見れば、その岡本の視線から遠ざけようとするかに店員は高々と箱を差しあげてわずかに覗く明かりに翳しながらその象牙をも凌ぐほどの色艶のよさを巧みな弁説で朗ずるのだった。いくら色艶がよくても不要なものは不要なのだと困惑げに首振る岡本をなかば無視して店員はひとり頷き、「で、お手入れの仕方なんですが」と詳細説明に入るその巧妙な包囲網に手もなく捕らえられてしまう自分に岡本は苛立ち焦り、こうなれば仕方ないと強行突破も辞さぬ覚悟で入口のほうを差し覗くといつの間にか店の隅に追い込まれていて入口は遥か彼方の小さな光点となって店員の背後に仄見えるのみで、そのあまりの遠さになかば脱出を断念しつつ念仏のようにしか聞こえぬ店員の口上に曖昧に頷きながらもうどうとでもなれと脱力してしまった。

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