この閉塞状況から非常なリアリティーを感じて自身の想像に紀子は気分を害し、眩暈(めまい)がして倒れ掛かるのを由雄が後ろから支えてくれ、その肩に凭れ掛かって紀子は身を支えると闇から湧出するかに浮かび上がる人の影を正面から見据えて眼を逸らさず、由雄の手にした懐中電灯がゆっくりとその影を照らすと眩しさに手を翳しながら「ひどいな人んち勝手に上がり込んで」と反響を嫌ってか静かに言い、その割りに冗談めかした物言いで譴責するふうでもないし笑みさえ浮かべているから嵌められたのかと焦って身構えるが「ま、空き家も同然だから仕方ないですけど」と自嘲的に笑うだけでさして敵意もないようで、油断させといてズドンとくる可能性を紀子は怖れたから警戒を怠らぬがマリアがいるからか強気な由雄は「遂に黒幕のご登場ときたね」と嬉しそうに言って妙に高ぶっているのがその息遣いでも分かり、その意気込みようを交わすかに「お茶もないけど、ま、坐りましょう」と卓に促す沖にはしかし気負いも何も感じられず、拍子抜けるというより却って不安を覚えるほどその挙措は年寄り染みているしどこか敗北者のそれを思わせもし、穴居生活はこうも人を矮小にしてしまうのかとその変質を訝りながら「どこです知恵美は?」と紀子は訊かずにはいられず、いきなりの本題にいくらか沖は面喰らったようだが「まま、とりあえず坐ってから」と促されてちょうど三つある円椅子を警戒していくらか距離を離して壁面に接するように並べるが、床が平らじゃないからグラグラ動いて安定ぜず幾度も置き直すのを「平らに均すのってコレ案外難しんですよね」と沖は言い、その仕事の雑さに「それにしたってもちっとやりようあるだろ」と呆れたように由雄が言うと「時間、なかったんでね、コレでもずいぶんマシなほう」なのだとデコボコして陰影に富んだ壁面を撫で摩りながら懐かしむかに微かに笑う。懐中電灯でそこら中を照らして警戒的にではなく興味深げに見廻しながら「何ヶ月掛かった」と由雄が問えば「二週間」と簡潔に沖は答えるが「コレ全部でか? ホントかよ」とその脅威的な早さに由雄は驚き、それほど大したことでもないとしかし謙遜するかにここの土質は思った以上に「柔らかくてね、サクサク掘れるから」予定よりもずっと早く仕上がったのだが「それだけにね、崩れやしないかってみんな」ビクビクしていたと沖は述懐し、脅すつもりでもないだろうが今もその危険はあるとそう沖は言うと疲れたような笑みを浮かべその表情なり身振りなりからはやはり殺気だったところは少しも感じられず、その総てを穴居生活のせいにはできないしこの舞台装置を勘定に入れても尚合点がいかなくて今眼の前にしているこの沖と自身見知っている沖とが巧いこと合致せず、妙な違和感を抱え込んで据わりの悪い椅子ともどもそれは紀子の注意力を散漫にさせ、その間由雄はずっと椅子を動かし続けていたがどこに置いても安定しないから諦めたように揺れる椅子に腰掛けると「さて」と仕切り直すかに沖に向かい、そのようにして両者向き合う形になってようやく話し合いの体勢が整うが却ってそれが煩わしいのかして落ち着かぬ素振りで沖は視線を彷徨わせ、そのように絶えず視線を動かしながら「訊きたいこたあいろいろあるけど」何から訊けばいいか迷うと言う由雄に「その全部に答えられるわけじゃ」ないと沖は牽制し、いや、答えたところでとくに差し障りはないだろうが「最後はね、カッコ良く決めたいじゃない」と言う。椅子の揺れるのを尚も由雄は気にしながら「何でオレらがここに来たかは分かるよな?」と訊くが、その廻り諄い攻め方が紀子にはもどかしいしどこか投げやりというか上の空な感じで、ズバッと核心突いたらと思いつつ由雄には由雄の考えがあるのだろうと尊重して問われた沖のほうを窺い見ればその裏を推し量るかに黙して答えず、ここは突っ込むところだろうと再度由雄に視線を戻すが気にせず由雄は先を続けて知ってるとは思うが「日下さんね、メシア切り棄てるつもりらしくてさ」こっちもそれで困ってね、その意を覆すには「これしかないと思ったからさ」危険を冒してこんなになってまで出向いてきたのだと由雄はその埃に塗れたスーツをこれ見よがしに示し、直々お出迎えとは正直驚いたが「ま、手間あ省けて却って好かったけど」と余裕たっぷりな笑みというよりは余裕たっぷりな笑みを意図したいくらか余裕のない笑みを由雄が浮かべると、それとは対照的に苦笑に紛らすふうに「いやそれがね」と言い淀んで卓に積もった埃を拭き取るように右掌を滑らせ、掌についた埃をパンパンと軽く払い落とすと洞内に響くその残響の消えるのを待ってから「私らもそれで困ってまして」と頭を掻きつつ予定していた計画も延期を余儀なくされたと沖は言い、技術的な問題は「総てクリアになったんですけどね」とそこでまたしばらく言い淀むと自嘲的な笑いを静かに笑い、それがしかし洞内に反響して思った以上に大きく響いたからか「すいませんつい」と沖は詫び、それから急に失速して黙してしまうのを「何だよ、何があった?」と由雄が問い詰めると「つまりですね、我々のその」結節点というか肝心の中心部分に重大な問題が生じて「延期とは言いましたけど実際のとこ再開は無理じゃないかって」絶望していて尽力はしているが「なかなか巧くいかなくて」とその困難を嘆いていくらか項垂れる。