友方=Hの垂れ流し ホーム

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優位に立ったことの表れか不意に馬鹿みたいな笑顔を一瞬麻那辺は見せると「あ分かった、彼女寝取られたんだあんた、そうかそゆことか」とひとり納得したように半笑いで田尻を眺め廻し、口元に笑みを残したまま宥めるような口調で「腹立てたってしょうがない」済んでしまったことなんだし合意の下だろうしお互い気持ちよかったんだし「あいつアレで結構もてっからな」としかし却って逆撫でするようなことばかり麻那辺は繰り、それ以上抵抗しようとはせずただ項垂れている田尻にいくらか安堵した紀子は核心を突くかに部屋の中を見せてはもらえないかと訊き、元より拒絶されるだろうことは承知しているが麻那辺の反応如何では何某か手掛かりになるものが見出せぬとも限らないと最後の掛けに出たのだが思ったほどの効果もなく、それでも一瞬ためらったのち「あんたひとりならいいよ、そっちのあんちゃんには待っててもらってさ」と好色な笑みとともに麻那辺が誘い掛けるのに危険を承知でもここは乗り込むべきじゃないかと紀子が頷き掛けると「そらダメです絶対」駄目ですと田尻が断固拒絶したため引き下がらざるを得ず、これ以上の追及は困難と「お忙しいところ有りが」と礼を言い掛けると「あれいいの確認しなくて、オレ嘘ついてるかもしんないのに」と引き止めに掛かり、こうなれば罠だとしても構やしないと踏みだそうとするのを背後から羽交い締めにされて「ダメですって」となかば引き摺られるようにしてそこをあとにしたのだった。田尻に背を押されて辛うじて紀子は前に進みつつ幾度も振り返りながら車まで戻り、特に期待していたわけではないものの教団に関係していない一般の人だからあるいはと淡い期待を懐いていたことは事実だし、実際踏み込めば何らか得られたかもしれないと思えば落胆も激しく、とはいえ田尻の憤りも分からぬではないから激しく譴責することもできないし何か言えばそのことに触れてしまいそうで何も言えなくなって三者それぞれ沈思に引き籠もって一言もなく、田尻の運転はしかし変らず滑らかで眠りを誘う心地好さだが蟠りのせいか眠りに落ちることはなく、重苦しい沈黙を甘受しながら紀子はそこにのみ慰安があるとでもいうかに知恵美に思いを馳せ、どれくらい経過したのかおよその時間も分からぬが濃厚な気配に隣座席を窺えば心配げに見つめる半透明の恵美の霊と眼が合い、いつの間に助手席から移動したのかと訝ることはしかしなく、背後の透けているその姿をただ茫と見つめ返すのみで、改めて見ればこれほど奇異な姿はないと思いつつまるで奇異と感じることがなくなっている自身の感覚をいくらか紀子は奇異に感じ、非理性の真っ直中にすでに堕してしまっているのではと不意に思い、その視点から最前の自身の行動を眺め返してみると些か常軌を逸しているというよりはほとんど狂的とさえ思えてくるのだが、そこには少しも後悔はないし知恵美との再会には非理性の領域へと堕ちていくことが必須の条件というなら非理性にでも何にでもなるとさえ紀子は思い、それ以上の沈潜はしかし直感的にヤバいと踏んでそれまでの思惟を放棄して知恵美への祈りに逃げ、どうにかそれで平静を保つと座席に深く身を沈めてたゆたうように揺れる車に紀子は身を任せる。そのようにして全身グタリと預けていると田尻の滑らかな運転で移動しているとの感覚さえ喪失していくようで、物質世界とほとんど相互作用を起こし得ぬ半透明の恵美の霊の感覚とはこのようなものかとふと紀子は思い、受容器官のある種の混乱と一方で真面な認識はありながら俗に言う幽体離脱ともどこか違う全身が内臓と化したかのような浮遊感を味わい、それが愉快というのではないにしろ不快なのでもなく、快不快とはどこか無縁の感覚で自身それが不思議でならないが恵美とのより深い部分での新たな関係の構築とそれを見做すことが可能ならそれ自体紀子には喜ばしいことで、端的に知恵美との隔たりもそれに即して変化し得ると思えば祈りにも一層熱が入ってその無事の帰還を紀子は祈り続けるが、今どこにいるのか何をしているのかとの不安が急に兆して「無事だよね?」と小声に呟けば「決まってんじゃん」と即答で、今の紀子にその言葉は嘘でも沁み入り、自身にも聞こえぬほどの「そだね」に半透明の恵美の霊は「そだよ」と応じ、気脈を通じた幼馴染みにして親友なればこそそれは初めて為し得る反応とばかりも言えず、新たな関係の構築をなかば確信しつつ知恵美には遙かに及ばぬかもしれないがそれなり灼かな霊験を備えているのかもと紀子は思うに至り、我ながら遅きに失したその認識は近さゆえのピンボケと思えば償うこともできぬほどの重い罪でもなかろうからこの半透明の恵美の霊が、いや恵美=マリア=皇太后が知恵美への最も確かな通路でそれより他に知恵美へと至る道は開かれてはいないのだと紀子は半身を捻り、真っ直ぐに向き直って「マリア様」と本気で拝みつつ祈ると「何言ってんの紀子まで、やめてよもう」と憂いを秘めた眼差しを向けつつフワリと浮遊して助手席に逃げていく。助手席から首を転じた半透明の恵美の霊の眼差しにはもう憂いは認められないが紀子の性急を見てとってか焦るとしくじると窘め、それでいくらか持ち直すものの暢気に待ってもいられぬ現況を思えば焦りもするし無茶もすると蟠りは残り、恵美との関係にしても今さら新段階もないだろうと思えば何もかも手遅れのような気さえし、そのあとの小セミナーもだからひどく疎ましく思えて暖かく迎えられれば迎えられるほど却って興醒めてしまうし、口々に「ああマリア様」と唱えて拝み祈るのを見えもせぬのに見えた振りなんかするなと罵りたくもなり、そんなことを思う自分が一方でしかし腹立たしく、さらにも紀子は自己嫌悪に落ち込むのだったが、それでも二件の小セミナーを何とか無事にこなし、遠回りになるのも厭わず「これも仕事のうちですから」と近くまで送ってくれた田尻に事務所での報告は任せてひとり紀子は帰途につき、窘められた性急さで何か手掛かりになるものはないかと麻那辺宅での遣りとりをその身振り口調の細部を反芻しつつ脇でずっと注視していた半透明の恵美の霊にも意見を求めれば、窘めるのを諦めてか答えぬわけにもいかないというように「揉めてるときにね」脇を擦り抜けてこっそり「っていうかこっそりでもないんだけど」中に入って覗き見たのだと半透明の恵美の霊は言い、なぜそれを早く言わないのかと声を荒げれば「そんな雰囲気じゃなかったしマリア様とかからかわれてちょっとムッとした」こともあって言いそびれたのだと半透明の恵美の霊は口籠り、そう感じたのなら謝る他ないが別にからかったわけじゃなくて「本気でそう思ったから」と弁解すれば「それは分かるけど」と半透明の恵美の霊は滑るように紀子を追い越して二、三歩前に出ていき、追い縋るでもなく呼び止めるでもなくその背を紀子は期待を込めた眼差しで見つめつつ「で?」と先を促せば日下めいた小刻みな上下動でうんうんと頷きながらもしばらく言い淀み、急かさず紀子が待っていると二歩先を行く半透明の恵美の霊はフワリ反転して向き直り、視線はしかし逸らしたまま「誰もいなかったし何にも」なかったと気落ちしたように首を振る。


いま一歩そこで踏みとどまってきちっと対処してたらも少し違った展開になっていたかもしれないが、あのときはああするより他なかったし再度同様の事態に見舞われたとしても同じ結果しか得られぬだろうと言い訳てもみるが、端的に自分が逃げて空隙を作ったことでその穴を埋める人員の必要から次の標的に抜擢されてしまったことは間違いないのだから、それ自体罪とは思わぬながらもいくらか責任があると思うのは紀子として思惟の流れに即したもので、解決すると宣言したからではないし況して瓦解を食い止めようとかいう善心からの決意では全然なく、それら一切とは関係なしに仮にそう宣言しなかったとしてもこれは自分の果たすべき責務なのだと紀子は思い、トンズラ扱いた張本人が何を今さら口出しすることがあるのかとか言われるかもしれぬことを思えばしかし忽ち意気は砕け散り、いや、それこそ自身甘受せねばならぬ言葉ではないかとそう紀子は自分に言い含めて幾度電話機に手を伸ばしたかしれないが、触れたら感電するとでもいうかに手前三センチ辺りの空を指先は漂うのみで、光を透過させるプッシュボタンのみ淡い乳白色で浮かび上がるブルーグレーの艶消しのプラスティック製の全体丸味を帯びた四角な本体にそれ以上近づけず、その不審な動きを見咎められて已むなく総てを明かしたうえで「どうしたらいい?」と率直に紀子は訊いたのだった。そんなこと私に訊かれても困ると言いたげな素振りを示しながら「そう思うならそうすべき」と半透明の恵美の霊に言われてその蟠りをほんのちょっとだけ紀子は流し去ってその分気持ちを新たにするが、真の霊媒といっていい田尻に較べたら貧弱すぎて霊媒などとは言えぬ自分にしかも知恵美の灼かな霊験もなしに何が可能かと思えば人ひとり救うことだってできゃしないし指差し示してそこに導くことだって難しいとひどく弱気で「らしくない」と言われても知恵美の不在からこっち自分らしさなど疾っくに見失っていると愚痴り、それが「らしくないって言ってんの」とさらにも叱られていじけるというのではないが恵美からそのようにも強い叱責を受けたことは今まで一度もなかったからダメージは大きく、それだけにしかし反省を促しもして塞いでてもはじまんない一ミリでもいいからとにかく前進せよと電話機の前にいま一歩躄(いざ)り寄って横座りに坐り込み、かつての同僚として見舞いくらいするのは当然じゃないかとの文言を脳内各所に布告して喧伝に努め、そのようにして内と外との二方面から自身を追い込んでいくが、ここまで漕ぎつけたのは半透明の恵美の霊の叱咤があったからで、田尻の言ったことをふと思い出して「マリア様の貫禄か」と口にすれば冗談はいいから掛けるのか掛けないのか「どっちなの?」と執念く迫られて「掛ける掛けるから」とは言いながら手それ自体が電話機を忌避しているかにコントめいた動きで空を泳いでしまう。受話器を取るのに二日全桁押すのにさらに二日とコールするまでに計四日を要し、しかも半透明の恵美の霊に「ほら早く早く」と鼓舞される形なのが不甲斐なく、連日の小セミナーでの疲労やら鬱積やらもあるからそのような側面からの掩護なしには容易に為しがたかったことも事実だし、加えて丸ごと全部引き受けるだけの度量など自分にはないと端から分かってもいるからだが、潰れても拉げてもこれだけは為し遂げねばと思ったのも確かで、コールできただけでもだから前進と慰めて相手が出るのを待ち、何コール目か定かではないがその耳馴れた声にすぐ気づいて「ご免なさい」と詫びれば「え、何が?」と分からぬらしく、名も告げてなかったからそれも当然で「あ、藤崎です」と言えば「急に謝られても何の」ことだか分からぬと言われて「ご免なさい」とまた詫び、しばらく会わぬがその後どうなのかととりあえず訊けば「弁護士と打ち合せとかいろいろあって」手一杯らしく恐縮げに「何か自分のことばっかで」申し訳ないと逆に謝られ、順調なのかと訊けば「何とかね、でも疲れるよ手続きとかほら面倒だから」とその細部を話したそうな口振りだったから長引いても困ると実は間違えて掛けてしまったと紀子は詫び、改めて掛け直すことを約してから切ると事態を掴めぬらしい半透明の恵美の霊に「誰? 今の」と訝られて「徳雄先生」と指の癖か無意識の逃避かどっちともしれないが反射的に押してしまったと紀子は言う。一見迂路のようだが必要なそれは手続きだったらしくワンクッションあったことでいくらか緊張も解れたように思え、今度こそはと確認しつつ押して間違いないと半透明の恵美の霊とも頷き合い、受話器から響くコールの電子音を不意に自身の鼓動のように感じて嫌な音だと紀子は独り言つが「何が?」と半透明の恵美の霊に突っ込まれて「何でも」ないと首振りつつ受話器を耳から離し掛けたときに「クダでございます」と声がしてもっ遍耳に押し当てるが微妙にズレたタイミングを合わすのは難しく、互いに牽制し合って妙にあいた間を埋められずにいると再度「佃田でございますが」といくらか不審げに言ったのは朋子の母で、恐縮しつつも手短かに用件述べて紀子が取り次ぎを乞えば「一応訊いてはみますけど」出るかどうかは分からないと告げて間延びした電子音楽に切り替わり、思ったよりしかし早く肉声に戻ったからにべなく拒絶されたかと短絡して今さら自分の出る幕などないと悲観しつつ電話が駄目なら直接出向く他ないと次の展開を考えていたのだが出てきたのは母ではなく娘のほうで、それまで誰だろうと電話には一切出なかったらしいが紀子からと聞いて話す気になったのらしく「もしもし」とその母に較べれば艶もあっていくらか若やいだ印象だが覇気なく沈んだその声調は痛々しいほどで、うわっこら相当来てると内心紀子はたじろぎながらも「久しぶり」と下手な感傷は傷を深めるだけと事務的に述べると「久しぶり」と答える朋子のそれはあまりに力無く、その力無さに紀子は次の言葉を喪失してしまい、自身の経験と照らしてみてこの場合何を言っても慰めにならないのは諒解しているから尚更何も言えなくなり、それでも何か言わねばと河馬井は地獄堕ちってもその確実的保証などないし傷はいつか癒えるっても胡麻化しにすぎないしあなたを守るマリアがいるっても朋子にはナンセンスだしと思いつくことの総てが検閲に引っ掛かって何をも発し得ず、「元気? なわけないか」と最悪な言葉しか出てこず、自身の無能力に紀子は愕然となってこんなんでよく伝道師とか言えたもんだと情けなく、電話でこれじゃ会って話なんかとんでもないと悲観的になるばかりだった。

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