言い訳ととられても仕方ないが知恵美の復活に歓喜し眼眩まされていたからそのことにまるで気づきもせず、ようやく紀子がその現実に直面したのは翌日昼過ぎに目醒めてからで、どの時点でそれが確定されてしまったのかはだから全然分からず、いや、確定したと決めて掛かるわけにはいかないが日課となっている朝の祈りの際に常なら紀子より先に神棚前に立って「早く早く」と急かすくらいなのにこのときはそれがなく、不眠のはずの霊的存在に寝坊はあり得ぬだろうからどうしたのかと訝りながらも「何してんの、先祈っちゃうよ?」とひとり紀子は祈るが祈りを終えてもその気配さえなく、そこでようやく変だと気づいて「恵美ぃ」と呼ぶが答えはなく、さらに苛立ったように「恵美ぃ」と声を荒げるが起き抜けで掠れ気味の声はその不在を示すのみだし何ひとつ反応も返ってこないから急に不安になり、復活するとばかり思っていたから予想外の展開に直面して顔面の強張りが徐々に全身へと拡張していくのを紀子は不安とともに抱えつつ「もう質悪い冗談は止して」出てきてくれと懇願するが現れる様子は一向になく、半透明の恵美の霊のこれは悪ふざけとの思いに縋るかに「今なら怒んないから」と虚空に向かって呼ばわり続けるが、その声も徐々に小さくなって最後には聞こえぬほどの呟きになり、これを解決し得るのは他にないと神棚のほうに向かっていってそこに祀られてある桐箱に心地よさそうに横たわっている知恵美に「何、どうなってんの?」と総ては知恵美の仕業とでもいうかに詰め寄れば「さあ、ボクにもサッパリ」分からぬと他人事(ひとごと)のように言い、知恵美でなければ一体誰がこんなことをやらかすのかと尚もヒステリックに問い詰めるのを「分かんないものは分かんない」と飽くまで冷静なその態度に紀子は苛立ちを募らせて「もういい頼まない」と強引に蓋を閉じてしまう。ベッドになかば身を投げだしつつ枕元に置いた携帯を紀子は鷲掴み、ほとんど無意識に指が弾きだしたのは田尻のメモリーで、知恵美と自分を除けば半透明の恵美の霊を一〇〇%視認できるのは田尻の他にいないのだからこの選択は妥当とコールの音を聞きながらなかなか出ないのがしかしもどかしく、この状況下で田尻の不在は痛いと胃が不自然な蠕動を起こし掛けたところで巧いこと繋がり、緊急事態とのみ紀子は告げてとにかく「すぐ来て」くれぬかと言われてその慌ただしい口調に事態の切迫を田尻は察し、何が起きたのかまるで想像つかないが来いと言われれば行かねばと速攻で駆けつけると、出迎えた紀子はパニクるというほどではないが内心の動揺を抑えようとしているのが分かり、余ほどのことと緊張しつつ部屋に上がると「で、どうしたんです? 何が」起きたのかとまず訊くが、何が気になるのか周囲に視線を走らせながら「大変なの」を紀子はくり返すだけで要領を得ず、巧く説明できぬのも動揺しているからだと田尻は思いながら室内の様子から強盗とか暴漢とかの類いではないことを見てとると、事情を聞くにはまず昂奮を抑えねばと卓に促して坐らせ、ひとり田尻はキッチンに取って返すと手早く茶を入れ、湯呑みをふたつ手に持って戻るとその向かいに着いて「どぞ」と押し遣られた湯呑みを「ありがと」と紀子は受け取り、ほしくはないが一口啜って息を継ぎ、茶を飲むことでというよりは端的に田尻がいるということでそれまでの昂奮をいくらか鎮めることはでき、問われるまま事の経緯を順を追って説明する。
とはいえ田尻には見えているはずだからここにいるかどうかは訊けば一発で説明など不要なのだが、見えなくなったとは言い出せなくて訊かねば答えは得られぬと思いながらその問いは発せられず、核心を避けるかに余事ばかり述べるのをしかし田尻は急かすことなく根気よく耳傾け、そうしながら観察を続けてふと気づいたというように「マリア様どこです?」と訝しげに一室を見廻しながら問うより先に何気に訊かれてその消失が自分にのみ課せられたものではない客観的事実なのだと紀子は知り、あまりの衝撃に眼前の田尻の像がいびつに歪んでいくような気さえしてその問いに答えるどころじゃなく、そのストップモーションめいた凝固振りから自身の問いの不適切を田尻は察して「すいません、なんか変なこと訊いちゃったみたいで」と頻りに詫びるが、詫びられると余計惨めに思えてきて「違うの、そうじゃなくて」と取り繕いながら嘘はしかしつけぬと今のその問いこそが問題の核心なのだとその不在を告げれば「えっ、いないってそれどういう?」ことかと一瞬にして蒼白になり、その不可解に田尻も動揺を露わにしたから冷静に事に対処するのも困難になり、卓を挟んで湯呑みを抱えて茫然と見つめ合っていたのだった。ダウンタウンとかナイナイとかロンブーとかの売れっ子のコンビタレントみたいに四六時中顔つき合わせているそれ自体異常な状態から常のひとりっきりの状態に戻ったのにも拘らずその影が視野の内にないことが不安で仕方なく、死者なのだからいなくて当然だしそれが常態ではないかと捻じ伏せようとするが捻じ伏せられず、田尻の証言で確定してしまったその事実は打ち消しがたく紀子をその中枢から蝕み、知恵美は戻ったのに半透明の恵美の霊の戻らぬのはなぜかそれが分からず、知恵美が戻ったんだから半透明の恵美の霊も戻っていいはずと「恵美どこお」と力無く呼ぶが答えはなく、「いるんでしょ、ね、いるんでしょ」と幾度となく呼び掛けるが気配さえ感じられぬから絶望し、知恵美の復活の代償として消えてしまったのではとの疑念が兆して仮にそうとしてもそのような条件を呑んだ覚えはないし、いやそれ以前にそのような条件のあることさえ知らなかったと誰にとも分からぬが強い憤りを紀子は覚え、そんな理不尽な条件はだから無効ではないかと誰にとも分からぬが強く訴えながら「恵美恵美恵美恵美」と呼び掛け続けるが、いくら呼んでも答えはないからやはり消えてしまったのかと項垂れる紀子を「そんなことないですよ」メシア=天皇の復活によって生じたこれはちょっとした接触不良に違いないと田尻は慰め、そう短絡できればどれほど気が安まるかしれないがそんな保証はどこにもないから不安は拭いようもないのだった。やはり知恵美より他頼みはなくどうにかならないかと乞えば、他人事のような落ち着き払った素振りは変わらぬながら「心配要らないって、そのうち帰ってくるから」と灼かなその霊験で以て請け合ってくれ、その一言でしかし帰ってくると納得してしまう自身を紀子は疑い、一方で切実にそれを希求していながら一方では疑っているそのこと自体に苛立ちは募り、メシア=天皇が請け合ってくれたのだから「心配ない、帰ってきます」と田尻も知恵美の言葉にいくらか安堵してそう励ますが、その不協和的に底流する違和は少しずつ紀子の意識を侵蝕し、さらには少しずつ血管にでも滲出するのか身体をも侵蝕する勢いで、知恵美が鈍ナイフで二つに分断されたように自身も分断されていくような気がし、それを助長するかに知恵美がカカと甲高に笑ったりするからどうしたらいいのか紀子は途方に暮れ、意味なく笑みを返しはするが分断の脅威は去ることなく、消し飛びそうなほどにも稀薄な身体を固定しようと傍にあるクッションを紀子は鷲掴んで重石のように腹に抱え込み、そんなことでは何の気休めにもならないがそうでもせねば本当にどうにかなってしまいそうで、卓の向こうからその様子を窺っていた田尻は帰ってくるまでともに待つと言い、端的にそれを紀子は喜びながらひとりで大丈夫と念押して「帰ってきたら連絡するから」と強引に帰してしまい、無理言って呼んでおいて用が済めば帰れとは随分ひどい奴と自身蔑み、でもなぜかそうせねばならないと無根拠に紀子は決めつけて半透明の恵美の霊とともに知恵美の帰還をその復活を迎えたように今度は知恵美とともに半透明の恵美の霊の帰還をその復活を迎えるのだと知恵美と差し向かいに卓に着くと自身入れ直した茶で乾いた口内を潤し、知恵美には焼酎を猪口に注ごうとして傷に障るからと寝かしたままスポイトを使い、それが妙に懐かしく随分昔のことのように思い出されるがつい数ヵ月前のことなのに紀子は非常な驚きを覚える。時間そのものの様態が変質してしまったとも思えるその感覚の狂いに痰が絡んだようないがらっぽさを感じつつも知恵美の口元にスポイトの先を持っていくと、廻らぬ首をもどかしげに振って「ソレじゃなくてさ、猪口のほうがいいんだけど」と差しだされたスポイトを知恵美は軽く払い除け、何かの拍子にポロッと取れたりしないだろうかとそれがしかし心配で「だって、だいじょぶなの?」と訊けば「平気平気」と傷などまるで意に介さぬふうで、メシア=天皇がそう言うのだからとそれでも怖々注いで差しだせば「コレコレ、コレでなくちゃ」と知恵美はいくらかその光を嬉しげに震わせ、カカと一際甲高に笑うとゆっくりと口をつけてズズズと音立てて物凄い勢いで猪口を空け、軽くそれを押し返しながら「お代わり」と知恵美は言うとできれば何か食べるものも欲しいと言われて紀子はいくら何でもそんな急には無理だろうと渋るが、お腹が減って仕方がないと言うから「ちょっとだけだよ」とキッチンに立ち、適当に見繕ったものを皆一緒くたに小皿に盛って「無理しないで」とその前に据えれば、ググウと腹でも鳴らすかにその淡い光を明滅させて「いただきます」と知恵美は言うとビーフジャーキーを一欠片摘んで一囓りし、その瞬間淡いが強烈な光が異様な閃光とともに虹色に、というと大袈裟だがそれに近い感じでいくつもの色に輝いたような気がし、あり得ぬと自身の眼のほうを疑いつつ「何どうやったの? 今の」と思わず訊けば「どうって言われても」と首傾げ、もう一遍やってと頼むが意識してはできぬのらしく調子の悪い蛍光灯みたいにチカチカと明滅するだけで虹色には程遠く、ほんの一瞬ながらしかしメシア=天皇の真価を見せつけるかの現象に僅かに期待を懐き、幾度か知恵美も率先して試みてくれたのだが何度やっても巧いこといかないから「もういいって、無理しないで」と止めさせ、それより今は半透明の恵美の霊に意識を集中してくれと頼むと「そうだね」と素直に知恵美はそれに従う。