男はどっからか煙草出して断りもなしにぷかぷか吸い始める。窓は締め切ってるしエアコンは壊れてるから煙はどんどん部屋に充満する。それにも構わず男は何本も吸ー。ってゆーかわざとやってるみたい。部屋はあっとゆー間に煙に包まれて、男の顔が遠く霞んだみたいんなる。男は煙をおれに吹き掛けながら不気味に笑い掛けて「バイト、しませんか?」とか言ーだす。
「バイト、っすか?」うまいこと言って山奥にでも連れてってズドンてなるに決まってる。
「そーです、バイトです」煙草の先から灰の塊がボタって落ちたけど男は全然頓着しない。構わずぷかぷか吸い捲る。人の部屋だと思って。いや、自分の部屋だからか?
「どんな、バイトすか?」すぐ断ってもアレなんでとりあえず様子見る。
「鉱山の試掘です」
やっぱそーだ。そーに違いない。そんなとこにノコノコついてったら穴に埋められてダイナマイトでドカン、木っ端微塵だ。
「いや、そーゆーのは、ちょっと」
男は鼻から勢いよく煙吐きだしながらおれの方は見ないで、「鉱山と聞ーてみんな二の足を踏むんですがね、別に難しーことはありません。今は殆ど機械化されてますから楽なもんです。結構いーんですよ、試掘賃は」とかゆーけど、そんなの罠に決まってる。
「いや、そーゆーのは、ちょっと」
そしたら男はやけにあっさり「そーですか。仕方ないですね」とか言って引き下がる。凄んで威し掛けてくるかと思って身構えてたから拍子抜けした。
「盛り妻に淫具って言ーますからね」ボソっと男がゆー。
「何すかそれ?」思わず訊ーたら、「女盛りの人妻は無邪気に淫具を弄ぶってことです」とかわけ分かんないことゆー。「つまり、亭主一人では手に余るってことです」
何言ーたいのかサッパリ分かんない。男が吸ってんのは煙草じゃなくて、マリファナかなんかじゃないかって思った。そー思って見ると眼ー虚ろだし口半開きだし、指の痙攣も物凄くなってるし体もフラフラ揺れてるみたいだし、単なる麻薬中毒患者に見える。それともこれも計算のうちなんだろーか?
「世論は寸毫もとどまってはいないんです。先を読まなければ時代に遅れてしまいますよ」
支離滅裂だ。ヤクザじゃないのかもしんない。ただのいかれ男なのかもしんない。縮んだからいかれたんだろーか? いかれたから縮んだんだろーか? どっちにしてもただのいかれ男なら呑気に相手なんかしてらんない。
他に見るもんなんもないから壁に掛けてあるポスター眺める。特に白緑赤のオブジェの*の眼を眺める。男の方にはあんま眼ーやんなかった。怖くて見れないとかそーゆーんじゃなくて、見てると釣り込まれそーだったからだけど、それでも一通り観察はしてる。言葉の切れ目とかでふっと間が開いたりなんかしたときにチラっチラって男の方盗み見たりする。指だけが不自然に動いてんのがやっぱ気んなる。
おれがポスターばっか見てんの男も気づいたらしくて、「キリコがお好きなんですね」とか言ってあれこれ訊ーてくるから、仕方なくそれ貰った経緯とか掻い摘んで話して聞かせる。当然彼女のことにも話が及んで、そしたら男は専ら彼女のこと訊ーてきて、あんま話したくはなかっけど話さないとヤバそーな雰囲気になりそーにも思ったから、訊かれるままいろいろ話した。その間も男の指はずっと不自然に動いてて、それがこの場の雰囲気を変な方に変な方にと導ーてるみたいな気がした。話に興が乗ってくるとその動きも活発になるんだった。
一通り話してゆーことなくなってしばらく沈黙続いたから、ポスター見よーとか思っておれがそっちに眼ー向けよーとしたとき、男は徐ろに「それ、事実ですか?」とか訊ーてきた。散々人のこと根掘り葉掘り訊ーといて最後んなってそれ全部覆えすよーなことゆーのにちょっと向っ腹立って、でもヤクザ相手に喧嘩なんかできないからかなり腰引けてたけど、それでもいくらか興奮気味に「事実に決まってんじゃないすか」っておれがゆーと、「どーしてそーだと言ー切れるんですか?」とか笑ってゆー。
「抑も彼女がいたのかどーかさえ怪しーですね。殆どあなたの理想像とも言えるよーな人に、そー簡単に巡り逢えるものですかね」とか男は言ー、「総ては捏造されたものです。作り物、紛い物です」とかゆー。「記憶とゆーのが抑も捏造されるものなんです」
わけ分かんない。尚も男はわけ分かんないこと言ー続ける。過去も未来も何もかも嘘っぱちで、総ては疑って掛かるべきもんで、そんなもん頭っから信じてるなんてのはお人好しだとかゆー。
「問題は可能性なんですけど、記憶がそれを阻むんです。捻じ曲げてしまうんです。でもそれがないと自分を見失ってしまいますしね。難しーとこです」
男の指はその間もずっと男と関係なく動いてたけど、その動きはなんか興奮したみたいに速くなって、リズミカルに動いてる。それがピタって瞬間止まった。チラっとその指見てから男はニヤっておれに笑い掛けて、「あなたも一度、記憶の箍を外してみたらどーです?」とかゆー。違う意味で怖いとか思った。なんか、底知れない恐怖感じて背筋寒くなる。
それまでソファーの背凭れに凭れ掛かってた男が急に身ー乗りだして、「法然院てご存じですか?」とか訊く。そんなの知ってるわけないから「知りません」ってゆーと、「私も知りません。京都にあるらしーんですけどね。そこの偉いさんの何とかって人によく間違えられるんですよ」って言って笑う。
何でこんな男部屋に入れちゃったんだろー。いや抑も迎え入れた記憶なんかない。いつの間にか部屋にいたんだった。湧き出るよーに出てきたんだった。そんでここは自分の部屋だってゆーんだった。メチャクチャだ。男の名前も知らなかった。見ず知らずの男と差し向かいなんだった。そしたら突然、おれの脳内流れる神経パルス横取りして頭ん中見透かしたよーに、「そんなことはどーでもいーことです」って男がゆー。「私が誰だろーと問題じゃありません」とか、まるで悟り切ったよーな、坊主然とした顔して訓戒でも垂れるみたいに偉そーにゆー。ヤクザのくせに。名前ぐらい教えてくれたっていーじゃんか、減るもんじゃなし。言えないわけでもあんのかよ。「そんなことないですけど。そーですね」ってまたおれの神経パルス掠め取って男はゆーと、「ヒジリと言ーます。聖者のせーと書いてヒジリです。耳に口に王」とか言って眼の前の空中に文字書いてみせる。そんなの言われなくたって分かってる。松田聖子のせー、聖徳太子のしょー、聖書のせー、聖歌のせー、斉天大聖のせー。どっかで聞ーた名前だってふと思った。ひじり。ヒジリ。聖。
またそれに答えるよーに「お眼に掛かるのは初めてです」って聖氏は言ー、「でもあなたのことはよく知ってます」とかゆー。おれは知らないって思うと「いや知ってます」って聖氏はゆー。知らないって。何を根拠にそんなことゆーのか分かんないけど、聖氏はそー言ー張るんだった。
元より聖氏は客じゃなくて押し売りみたいなもんだったんで、こっちから話し掛ける義理はないし、ヤクザだからって機嫌取ることもないって思ったから黙ってたんだけど、いやそーじゃなくて、正直ゆーと下手なこと言って機嫌とか損ねられんのが単純に怖かったからだけど、でも黙ってても考えてることとか読まれちゃうだろーから、むしろ上辺だけでもなんか話してた方が良かったのかもしんないけど、それでも話す気にはなんない。だから黙ってた。
聖氏も話すことなくなっちゃうと口閉じちゃって、煙草吸ーことに専念してぷかぷかやってボトボト灰とか落とし捲ってる。しばらく沈黙が続いて気まずい雰囲気が煙草の煙と一緒にこっちに漂ってきたって思ったら、矢庭に聖氏が袖捲って腕時計見て、「それじゃーそろそろ本題に入りましょーか」って誰にゆーともなくって感じで全然おれの方見ないで、虚空に向かって誰かに合図でもするみたいにゆーと、今度は真面におれの方に向き直ってちょっと笑って、「実はですね、面白いもの持ってましてね」とか言ーながらポケットからなんか取りだしてテーブルの上に置いた。
「これなんですけど、見覚えありませんか?」
そんなもんがよくポケットに入ってたなってぐらいでっかい出刃包丁で、それ見た瞬間ちょっと怯んだけど、聖氏は落ち着き払ってて別に殺意とかはなさそーだ。刃んとこが全体的に赤黒く染まってんのは血の跡みたいだけど、なんか妙に生々しくてついさっき使ったばっかって感じで血とか滴り落ちてきそーだった。訪問販売で半強制的に買わされた奴だけど、使ったことはそー言や一回もない。
聖氏に「あなたのですね」とか言われてつい反射的に「あっはい」とか言っちゃたけど、血糊までつけて小細工するヤクザにバカ正直に答えることないって後悔する。でも千里眼的に人の頭ん中読み取れる聖氏に嘘言ってもすぐばれるから意味ないかとも思った。それにいつ聖氏の気ー変わっておれに出刃包丁向くか分かんなかったから、変なこと考えない方がいーって思った。やっぱ泣き寝入りだった。
聖氏が「ではこれは?」とか言って、まるで手品師みたいにポケットから次に取りだしたのは鋸だった。これもやっぱ訪問販売で半強制的に買わされた奴だけど、今どき鋸とか使う場面に出喰わすことなんかあるわけないから、一回だって使ったことはない。それなのに血塗れだった。赤錆色の血糊がべっとりついてる。聖氏は「あなたのですね」って念を押す。
「あっはい」
聖氏がおれの答えに満足そーに頷いて、「ではこれは?」って言ってまたポケットに手ー突っ込んで取りだしたのは麻のロープ。これは訪問販売じゃなくて現次に「一遍試してみろよ」ってもらった奴だけど、さすがにそーゆー趣味はないから使ったことはない。聖氏はこれで全部っての表わす意味でか、両手広げてみせる。
出刃包丁に鋸に麻のロープ。確かにどれもおれんだけど、でもみんな埃被ってその辺に放置されてたはずで、血塗れってのが分かんない。でもこれだけ出揃ってて聖氏の策略が分かんないわけはなく、「お分かりですね」とか念押されるまでもない。でも違う。おれじゃない。そんなことあり得ない。確かに夢に当て填めればそれらの一々がピッタリ符合するかもしんないけど、それは飽くまで夢の話で現実じゃない。現実じゃなきゃ証拠としては不充分で不起訴だろー。如何にもヤクザのやりそーな手口だとか思って顔色窺いながらも一応抗議はしてみたけど、聖氏は聞ーちゃくんない。「これだけ物的証拠があって夢だなんてよく言えますね」とか言って凄んでくんだった。いや凄んでなんかいない。聖氏は全然普通の口調で、ってゆーかむしろ聞き取りにくいぐらい小声で事務的に言ってんだけど、その方が却って怖いんだった。両手の指のアル中みたいな痙攣がそれに変な味つけとかして、怖さを倍加させる。
聖氏が「証人もいます」とか言って玄関の方に目配せすると、ドア開けて誰か入ってくる気配。足音もさせないで静々入ってきたのは三人連れの老婆で、聖氏に軽く会釈する。聖氏がおれの方指して「この方、知ってますね」ってゆーと三人とも頷いて、お互い合図し合って真ん中のがゴクって唾飲み込んでからゆー。
「ひどい人です。中に入れてくれないんです。アレは何か隠してる証拠です。間違いありません。はい」
両脇の二人もうんうん頷く。言ー掛かりもいーとこで、「知らない人部屋ん中に入れる方がおかしーっすよ」っておれはゆーんだけど、聖氏は聞ーちゃいねー。老婆たちの言葉に耳傾けて頻りに頷いたりしてる。老婆はそれに後押しされて勢いづいて、「この年寄りを思いっきり突き飛ばすんですよ。いくら何でもあれはないです。ひどい仕打ちです。息子夫婦にだってそんな邪険に扱われたことありませんよ」とか興奮気味にゆー。
まだ喋りたそーな老婆たちを手で制して脇に控えさせた聖氏が、また玄関の方に目配せすると、また誰か入ってくる。長身の老紳士がゆっくり歩いてきて、やっぱ聖氏に軽く会釈する。老紳士は前髪ユサユサ揺らしながら、「細めにドアを開けただけでしたから、中の様子までは分かりませんでしたけれど、はい、確かにそーゆーところは見られなくもありませんでした」とか言って老婆たちの証言に追随した。聖氏は満足げに頷いて老紳士を脇に控えさせる。合図で次が入ってくる。今度は女だった。
「変な臭いしてました。饐えたよーな臭い。死体の臭いに決まってます。部屋も不自然に散らかってるみたいでしたし。何か、乱闘でもあったよーな感じを受けました」
「みんな勝手に上がり込もーとかしたんすよ。そっちの方が不審じゃないすか」そー訴えても誰も聞ーちゃいない。