友方=Hの垂れ流し ホーム

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廿三段

すっかりぬるくなって湯気ひとつ立っていない三つの湯呑み茶碗はほぼ正三角形の形に配置されており、その正三角形のほぼ中心であると同時に湯呑み茶碗の置かれている卓袱台のほぼ中心でもあり、尚且つこの踊り場の四畳半のほぼ中心でもある位置に唾液の分泌を誘う醤油の香りの香ばしい堅焼煎餅が天こ盛りの大皿が配置され、その脇には春信用に粒餡の大福の小皿が併置され、それら諸物を前にして男三人そのほぼ中心点を、つまり天こ盛りの堅焼煎餅の一番上の一枚のほぼ中心にできたぷっくりと膨れ上って半球状を成している気泡の固まりの頂点を、まるで念力で宙に浮かせようとでもする超能力者のようにじっと凝視したまま仏頂面して黙り込んで実時間で数時間にもなるが、内的感覚ではものの四、五分にしか感じていないのでそれほどこの無言の数時間を苦にしていないとは言うもののとうに口を開く切っ掛けを失っているので誰も何も口にできないまま更に無時間的な数時間が経過し、その時間の堆積がある種の安定化作用を齎して場面が固定化してしまって更に身動き取れなくなるが、その均衡を破るようにして蒲団男の腹がグウと鳴って静まり返った室内に大きく響き渡り、それに続いて春信の腹がググウと追奏するように高々と鳴り、更に二人の腹に応えるように私の腹もググウグと鳴って、それで初めて金縛りが解けたように妙な具合に緊張して不髄化していた諸随意筋も一時に弛緩して三人の手が一斉に伸びて私と蒲団男は眼前のてんこ盛りの堅焼煎餅を春信は粒餡の大福をそれぞれひとつずつ掴みとってバリバリモグモグと音させて食べ、入れ替えたお茶で口内を湿らせるとそれまでとは打って変わって言葉がツルツルと迸り出てくるが、それでも沈潜した荷を負ったような重苦しい気分を完全に拭い去ることはできず虚しく空廻りするだけなので、「時間も時間だし飯にするか」と言ってまず立ち上がったのは春信で、ついで蒲団男がモサリと蒲団をひらめかせて立ち最後に私も卓袱台を離れて支度に掛かり、衣担当は晴信揚げ担当は私盛りつけ配膳担当は蒲団男と誰が言うともなく配置について各自黙々と作業に専念することでいくらか打ち沈んだ気分を払拭するとともに夕食も出来上がり、中心を堅焼煎餅天こ盛りの大皿から各種天ぷら天こ盛りの大皿に替えての夕食になるが、箸は進まず会話に覇気なく全体に締まりがなくて何か物足りず、それが柴犬似の雑種の犬の不在のためだということは皆承知しているものの、それはすでに禁句となり禁忌となっているためあからさまに公言はしない、いやできないために皆悶々とむっつりと黙り込んでしまい、カラッと軽く揚がっているにも拘らずその各人の蟠りむっつり悶々が油に染み込むのか故意に油が吸い込むのかその両方なのかそれともその要因はまったく別にあるのか分からないが、車海老の天ぷらも紫蘇の葉の天ぷらも人参の天ぷらも薩摩芋の天ぷらも茄子の天ぷらも穴子の天ぷらも蓮根の天ぷらも椎茸の天ぷらも玉葱の天ぷらもインゲン豆の天ぷらも芝海老と三つ葉の掻揚げも、どれもネチネチと粘ついた食感になってしまっていて胸につかえ喉に引っ掛かってなかなか胃に落ちていかず、加えて古くからの友人であるというサトシ氏とハルノブ氏の二人が妙にギクシャクしてきて出ていけがしの態度は少しも見せないもののその居心地わるさはこの肉厚の冬蒲団の暑さの比ではなく、その二人の屈託した様子にいたたまれずこういうときだけは便のいい蒲団につい身を隠したくなるがそういうわけにもいかず、胃がもたれてもう食べられないと尤もらしいいい訳をして卓袱台の上の天こ盛り天ぷらの天井を指している車エビの尻尾の先のテカりを一瞥して気を利かせて席をはずして蒲団を引き摺り引き摺り出ていった蒲団男に感謝しつつ春信と向き合ったのも尚義の不意の出現のためで、蒲団男の坐っていたまだ温もりの残っている席についている尚義を見ると行方不明になった十歳当時のままの姿で、私が眼顔で「見えるか?」と訊くと、聡志は眼顔で「見える」と答え、二人同時に尚義の方にゆっくりと首を捻ってその十歳当時のままの姿の尚義を凝視するが、尚義は何も言わずに十歳当時のままのこの姿を見てくれとでもいうようにただ黙って坐っているだけなのだが、それが何か霊異的現象なのか単なる幻覚に過ぎないのか判断できなくて助けを求めるように春信の方を顧みるが、私を見つめる聡志のその訴えるような表情には困惑と不安の止め処ない噴出が読みとれるものの聡志同様私もかなり動揺していてこのいまの状況を的確に把握することはもちろんこの状況を打破回避する方途も何ら見出すことができなかったので、その聡志の悲痛な無言の訴えに曖昧な苦笑を曖昧に返すことしかできず、その曖昧な苦笑に更に困惑してチラチラと尚義の方を窺い見つつ言葉なく凝固していたが、尚義の方はそんな私と春信の困惑動揺にはまるで関心ないとでもいうようにただ黙って坐っているだけなのだが、このままでは埒が開かないと意を決して何か言い掛けようと尚義の方へと首を廻らしてじっと尚義を見据えると、その私の視線を交わすようにつと尚義は立ち上がって何事もなかったようにすうと滑るようにドアの方に行くがドアを開けて出ていく前にドアの手前で掻き消えてしまい、それで一時に緊張がとけて私も春信もはあと溜息をつき、「尚義だ」と私が言えば「尚義だ」と春信も言って頷き、「でも何でまた急に?」と私が言えば「何でだろ」と聡志は言って片眉をしかめて片首を傾げ、しばらく沈思したのち霊異であれ幻覚であれ尚義がここに出てきたということは、確証はないが尚義がここに来たということなのかもしれないと春信は言うが、しかしそんな話は聞いたことはないしあの当時ここに訪れたのは私と春信の二人だけだったはずで、約束した六人のうちにすら尚義は入ってはいなかったはずで、昼間でさえ怖がって小屋付近には絶対に近づかなかった臆病で弱虫で泣き虫でウンコ垂れとまで言われたあの尚義が、しかも単身ここを訪れるなどということができようとはとても思えず、「そんなことあり得ない」と私が決然と言うと、尚義が行方不明になったのは確か私たち二人が小屋に一泊したちょうどそのときだと春信は言うが、「だからって尚義がここに来たことにはならない」と私が言うと「それはそうかもしれないが」と春信は言い淀むものの自らの意思を撤回したわけではなく、その思いは私の中で次第に強くなり、「たぶん、いや絶対に、間違いなくここに尚義は来たんだ」と確信込めて言うと「まさか、あり得ない」と聡志は頑なに言い張って「その根拠は?」と私が問えば「ない」と言う他ないが、根拠があろうとなかろうと私には尚義がここに訪れたということを信じることはできず、聡志がそのように強く否定すればするほどそれは欲しいオモチャの展示ケースの前で声をかぎりに泣き叫ぶ子供のように見え事実を認めたくないばかりに見せる幼児性の発露のようにしか思えず、その聡志の幼児性に掩護されるかたちで私の確信はさらにも強化されて容易には覆しがたいより堅固なものになっていくのだった。

いつの間にか蒲団男が戻ってきていてついさっきまで尚義の坐っていた蒲団男の席に坐っているのにも気づかずに私も春信もなかば性行為後の虚脱感にも似た放心状態で自失しており、二人とも気がぬけて弛緩しきっただらしのない顔つきだと私が指摘してはじめて気がついたと、私をマジマジと見て安堵したような笑みを浮かべるが、その笑みの裏っ側には不安げなものがべったりと張りついているのがわかり、私が部屋を出て踊り場の椅子に腰かけて足で軽く床板を押してチキチキとささやかな軋みを立てて時間をつぶしているあいだに二人に何があったのかはわからないがそのことには触れないほうがいいと判断し、ことさら明るくふる舞って蒲団男にふさわしく道化に徹したのがよかったのか、二人の顔の裏っ側に張りついていた不安も徐々に氷解して和んでくるが、それでもいくらか淀みカスが溶けきれなかったコーヒーの砂糖のように底のほうに残っていて二人のいうにはその淀みの原因は部屋のほぼ中心に位置している大皿の上の食べ残しのてんこ盛り天ぷらで、その油に吸収された淀みのエキスをその内部で何倍にも濃縮させ増幅させて放出しているに違いなく、何もかもこのてんこ盛り天ぷらのせいだこれこそ諸悪の根源だ捨ててしまえと大皿に半分以上しなだれ残って部屋の明かりにテラテラとどぎつい光を乱反射させている本来なら翌日に天丼として再生転生するはずの、またそれを見越して多目に作っていたてんこ盛り天ぷらを三人で片しにかかり、そのことごとくをゴミ箱に始末してようやく気が晴れ胸が透いて寛いだ気分になり、青畳にゴロリと無造作に横になって款談できる状態になったと款談するうちにも夜は更けて三時を過ぎる頃床についたせいで翌日の朝は遅いが、それでも前日に較べれば軋みの具合が格段に良くなっているのは確かで、そのギシギシと鳴り渡る軋゛みの淫蕩な響きを全身に浴びて杉板壁の木目の揺らぎに眼眩み、その愉悦にどっぷり浸ることで不安は退縮拡散して内から気力が止め処もなく溢れてくるのを感じつつ踏板を踏み締め踏み締め階段を上り、裾が縺れるのか熱が籠って暑いのか汗を吸って蒲団が重いのかしばしば遅れがちになる蒲団男を叱咤し励まして私と春信の間に蒲団男を挟んで引き上げ押し上げるようにして十二時を過ぎても休まず上り続け、朝が遅かったため午後二時頃の遅い昼食を終えると休む間も惜しんですぐに部屋をあとにして更に上り、午後八時半頃にようやく一仕事終えたと部屋に腰を据え、まずシャワーで汗を流してからビールで水分を補給したあと疲労した筋肉を互いにマッサージし合ってほぐし和らげ、それから夕食の支度に取り掛かるのだったが、片隅に一台でんと設えられているカラオケのセットの業務用機材のために四畳半は一段と狭く、春信はひとり居心地悪げで息苦しげな様子で気鬱に黙りがちだったが初めて眼にしたという蒲団男は興味深げに繁々と眺め入り、操作法をサトシ氏に教えてもらって一曲歌ってみたところがさらに興がわいて二曲三曲四曲五曲六曲七曲と矢つぎ早に歌うと拍車がかかって止まらなくなり、ひとりマイクを放さず喉を枯らして憑かれたように歌いつづけるがその選曲には節操がなく凡そありとある歌を演歌だろうがロックだろうがニューミュージックだろうが童謡だろうが唱歌だろうが賛美歌だろうが軍歌だろうが登録されているものならどんなものでさえ歌おうとし、いや事実歌いまくり歌い尽し、それだけならまだしも適当に間の手を入れ拍手していれば済むのだが蒲団男の歌う歌はお世辞にも上手いとは言えず私も聡志も正直苦り切り、ことに私はこの部屋の狭苦しさとのダブルパンチで内心やめてくれないものかと思いはしたものの、初めてのカラオケにえらく興奮してその肉蒲団を上気させるほど楽しんでいるのに水を差すのも悪いと黙ってカラオケ男に変身変心してしまった蒲団男の、いやカラオケ男の歌う歌を聴いていた、いや聴き流していたのだったが、突然激しくドアを叩く音がしたかと思うと勢いよくドアが開き、「うるさいじゃないか、その下っ手糞な歌を今すぐやめろ」と大声で怒鳴り散らしながらドカドカ侵入してきたのは人ではなくてマネキン人形で、それを見た私も聡志も息を呑んだが声張りあげて熱唱していた蒲団男改めカラオケ男が自分の奇矯さにも拘らず最もそのマネキン人形に驚いた様子で腰を抜かしてヘナヘナとその場にへたり込み、しばらくカラオケの音だけが流れて狂騒的に響いていたが、その狂騒的なカラオケの音がうるさいとつかつかと歩み寄ってその背面から尻尾のように伸びているカラオケの電源コードをつまみあげてグイと引っ張って強引に電源を切ったのは私でも春信でも蒲団カラオケ男でもなく、その八頭身のスラリとした体躯と彫りの深い欧風の顔立ちからは想像できないほどヤクザっぽい雰囲気を漂わせている突然の闖入者の動くマネキン人形だった。

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