友方=Hの垂れ流し ホーム

目次 第一回 第二回へ

戻る 前ページ 

一段 二段 三段 四段

階段の軋み

一段

階段を上る男

床板が、いや床板だけではなく壁板も天井板も眼に見えるところは何から何まで総て杉なので辺り一帯杉の香りに満ちているものの濃厚に香って噎せ返るほどでもなければ希薄でもなく程ほどの立ち籠め具合なのが巧妙な計算なのか単なる偶然なのかは分からないがどうかすると沈みがちな気分を和らげる効果を発揮して心地よく、そのような作用を及ぼす素材なのだから余程立派なそれこそ樹齢何百年というような巨樹巨木をふんだんに使用しているのだろうと思えばそうでもなく、見たところそれほど見事な杉でもなく理路整然と木目が揃っているわけでもないしところどころ節があったりして安価に入手可能などこにでもあるあり触れた建材で造られているのが素人眼にも分かるもののそれが前面に顕著に表出して安っぽさを際立たせているというのではなく、だから取り立てて称美讚嘆するほどのものでもなく、いやむしろ中途半端に古びているだけに余計見窄らしく見えて前後に果てなく拡がる闇を一層際立たせてその陰気さを更に助長しているように感じもするが、杉以外の建材を使用しないという頑ななまでのその杉への拘りに何か職人気質とでもいうような今では貨幣経済の功利主義実利主義の波に呑まれて影も形もなく、いやどこかにひっそりと生き延びているのかもしれないが人々の意識の表層に現れ出ることはすでにないので存在しないも同様で辛うじてその言葉にかつて確かに存在していた痕跡が窺え朧げながらその輪郭が仄見えもする職人気質とでもいうようなものを感じなくもないので好ましく思わないでもなく、その呼吸し息吹する杉の少しも脂臭くはない柔らかな息が仄かに立ち籠めて階段は杉の香りに満ちており、これは称讚に価するとその杉の香りに浴しつつ朽ちて腐れて剥げ落ちてきて危険極まりないと壁床天井四面総てをコンクリートで塗り固め、これで関東大震災級いやそれ以上の烈震激震縦揺れ横揺れが襲い来てもビクともしない万全だ絶対だと、その危機管理能力の無さを露呈させた阪神の震災の起きる遥か昔のまだコンクリート神話が立派に通用して人々の信仰厚くその冷たい感触質感の新しさに眩惑魅了されて本質を見誤っていることにまるで気づいていなかった頃に施工された遥か下方の入り口付近の見るに耐えない惨状は、その朽ち腐れた外観に劣らず、いやそれ以上に見窄らしく汚らしくて意識表面に上せるのも忍びなく愉楽の極みに昂っている気も忽ち落ち込みへこんでしまうが、体温を吸い取られるような非情な冷たさがあって薄ら寒く感じもしてともすると鳥肌立つほどの固くて必要以上に膝に負担を強いる罅割れて水滴したたるコンクリートではなく、適度に撓ってその衝撃をやさしく柔らかく吸収して遥かに上り易い木の板杉の板を踏んでいると意識し感得して落ち込んだ意気を賦活させてまた上を目指すが、木材には上る者をやさしく包み込むような温もりがあり、その軋む音は上る者を励まし鼓舞しているようにも思えて一段と意欲が増すから不思議で、その上る者の足並みに合わせて規則正しく鳴るギシギシという乾いた軋みを両方の耳で確かに聴きながら更に上り続けていると、それこそえも言われぬ陶酔が全身を隈なく覆い尽してこのままずっと永遠に上り続けられればいいそのためになら総てを捨てても惜しくはないなどと思ったりもし、この果てもない上昇、無限の登攀にこの上ない無上の歓びをえも言われぬ愉楽を感じてひたすら上を目指して一段一段味わうように踏み締めて上っていき、そのようにして上り続けているこの階段には一定間隔にではないがほぼ二百段ごとに畳二畳ほどの広さの踊り場があり、その不規則性に上り続ける者の倦怠を回避緩和させるための巧みな計算があるようにも思えて感服せずにはいられないのだが、その畳二畳ほどの広さの踊り場には上る者が休憩できるようにとの配慮からだろう、脇に椅子が何脚か備えつけられてもおり、その椅子の脚は床板にしっかり頑丈に釘づけあるいはネジ止めされていて、罅割れコンクリートの水漏れ階段にあったものは金属製の安パイプ椅子に替えられてしまっていて趣きも何もなくて腰掛ける気さえ起きなかったが、木製の階段にある椅子は本来の木製のものなので、それだけで趣きも随分変化して窮屈で殺伐とした感じは一切なくなって踊り場に至ってそれら木製の椅子を見るとつい腰掛けたくなってしまうほどだが、踊り場で必ず休憩するというわけではないので横眼でチラリと窺いつつ通過したり背凭れを軽く指の腹で撫でさするだけにとどめて通過したりするのだが、坐っていけとの椅子の誘惑に打ち勝つのは容易ではなく、ささくれだらけの板に棒っ切れがついているだけの簡素なものでさえそうなので況してや豪華なロココ調の椅子などが非常な存在感を放って踊り場一杯にデンと横たわっていたりなどするともう駄目で、自分の意思の脆弱さを嘆きつつもそこに尻を填め込まずにはいられず、ぐっと眼を閉じ息を詰めて無視を決め込んで一旦は通過して階段を二、三段上り掛けたのを引き返してその椅子に腰掛けると、椅子は殊更大きな音を立ててギシギシと軋゛みを上げ、耳障りと言えば耳障りだが心地いいと言えば心地よくもあるその音は、階段の上方と下方に均等に拡散していく、というより吸い込まれていくという方が表現として適切かなどと思いつつ「あああ」と嘆息を洩らし、意識的にギシギシと椅子を軋゛ませてバネの具合を確認しつつ額に浮きでた汗の玉をシャツの袖口で軽く拭い、勢いよく首を左右に打ち振ってポキポキ鳴らして今朝下で調達してきた缶ビールを背中のリュックから取りだして、まだそれほどぬるくはなっていないのを確認して蓋を開けようとして初めてそれが国産のものだということに気づき、缶の横腹に描かれた架空の動物の麒麟の絵柄を眺めつつ失った水分を補給する私の喉が掻き鳴らすゴクゴクという歓喜の悲鳴は、やはり上方と下方の闇に均等に拡散していくがある瞬間に余韻を残さず掻き消えてしまうと周囲は完全な静寂となり、それだけに遍満する杉の香りが一層引き立ち匂い立って前景に躍り出てくるのだった。

大概の踊り場にはドアがふたつ向かい合わせに取り付けられており、そのドアの向こうは四畳半の部屋になっているが部屋はどれも皆四畳半で狭いと言えば狭いのだが、冷暖房完備で風呂もあるしテレビもあるし小さいながらお勝手もあれば最新ではないものの感じのいい中型の冷蔵庫もあり、その冷蔵庫の中には新鮮な肉や魚や野菜が適度に納められていてそこにあるものは自由に飲み食いしていいし代価も不要で、というより金を受け取る者が存在しないらしくどこからも請求が来ないので支払いようはないのだが、とにかく生活に必要なものは一通り揃っているので腹が減ればその踊り場の部屋で食事をし、身体的精神的疲労に見舞われればその四畳半で休息し、衣服も必要を感じる頃になると事前に用意されているし、眠くなればそこに泊ればよく、それでいて何もかもが無償でどこからも誰からも文句は一切ないので安心して自由気儘に使用することができ、時には豪華なステレオセットが狭い四畳半の部屋を殆ど占領していて壁一面マニア垂涎の復刻ではないオリジナルのしかも新品同様のレコードで埋っていたりすることがあり、あれもこれもと聴いているうちに日は過ぎてつい長居をしてしまったりもするが、督促があるわけでもないので何日何ヶ月何年何十年とどまっていても何ら問題はなく、そのため中には踊り場のひとつの部屋に定住している者もいるとの実しやかな噂をかつてどこかで聞いたことがあるが、今のところそのような者に出会ったことはないしどの部屋のドアを開けても先客がいるということもなければ気配すら感じたことさえなく、他者の存在を忘れてしまうほどこの階段は孤独なところだと言え、まるでひとり山籠りしている修験者にでもなったような気になることがしばしばあるが、その孤独は踊り場の部屋や杉の香りや階段の軋みそのもので充分慰められ癒されるため孤独に責め苛まれその重圧に押し潰されて精神が破綻するということもなく、従ってここでの生活は至極充実したものだと断言できると何度となくひとり頷いて納得し、一息に飲み干した国産の空缶ビールをリュックに仕舞うとそこから今度はこれも国産の軽めの煙草を取りだして一本吸うというのがこのところ踊り場での小休止の際の一連の動作に組み込まれて儀式化しており、疲れた体には堪らないと煙を吸い込み吐きだしてはその煙草の先から立ち上る一筋の煙を見るともなしに見ていると、煙はランダムに拡散しながらゆっくり天井に上っていき更に天井を這い進みながら上へと上っていくのを首を右に捻じ曲げてその煙の行き先を確かめるように上を見上げるが、そこには真っ暗い闇があるばかりで煙は吸い込まれるようにその闇に溶け込み消えていき、次に反対側に首を捻って今上ってきたばかりの階段の遙か下方を覗き込むが、これも同様に暗い闇に閉ざされていて何も見えず、上と下の両方を闇に挟まれて闇と闇の間にいるのだなとぼんやりと思い、窓がひとつもないために闇に包まれていてまるで暗い地下トンネルの中を地上目指して上ってでもいるように思えてくるこの階段に今自分はいると思うと不思議な気がするが、窮屈だとか怖いとかいうことはまるでなく、ただそうなんだと思うだけでそこからは何の感情も湧出しては来ず、それはこの階段が人の感情という感情を栄養素として吸収しているためではないか階段そのものが巨大な一個の生命体なのではないかなどという馬鹿げた想像をしているのにふと気づき、酒に酔ったのか煙草に酔ったのか分からないが酔っていることに違いはないとひとり苦笑してまた真っ暗い闇を眺め入ってこの何とも言いようのない不可解な酔いを一頻り愉しみ弄ぶが、暗いと言っても真の闇ではなく明かりはもちろんあって天井にほぼ四メートル置きに六十ワットの裸の電球が吊り下げられているが、上る者の前後数メートルの範囲にあるいくつかの電球が点灯するだけで、つまり数メートル先の電球がひとつ点くと数メートル後ろの電球がひとつ消えるという寸法で、それがどのような仕組なのかは分からないが常に上る者だけを照らすようになっていて効率的ではあるかもしれないが前後を常に闇が覆っているということが心細さを掻き立て不安を煽り立てるようでもっと明るく照らすことができないものかと不満に思うこともなくはないものの、ただ普通階段は踊り場で反転しているものだが、この階段はそのような構造になってはおらず踊り場の先もただひたすら真っ直ぐ一直線に上へと続いているためにもし煌々と明かりが灯っていて先の先まで上の上まで下の下まで見通すことができたとすればかなり恐怖を感じるはずで、そのための配慮なのかもしれないが、前後を常に闇に覆われているというのもその闇に飲まれてしまいそうでやはり幾分は不安でもあり恐怖でもあり、いずれにしろ不安が兆すのなら消費エネルギーの少ない方をということなのかもしれないが、ただ踊り場の照明が階段に使用されているものより数段明るい百ワットの電球であることに些か配慮が窺えて有り難く、その踊り場の百ワットに照らされて壁板が一見木とは思えない金属的とも言えるほどの反射率で艶々と輝いているのが如何にも不思議で、つい時間も忘れてまじまじと眺め入ってしまい気がつくと二、三時間くらい経過していることがあって焦ったりするが、ここでは時間などないに等しいので気にすることはなくそうしていたければいつまでそうしていても本来は何の差し支えもないのだが、それでも自ら生みだした時間という概念にがんじ搦めに縛られている人間存在であることから私も免れることはできないためそのような無為の時間を空費と感じざるを得ずやはり幾分後ろめたい気持ちになることは事実で、そのあとその自失していた二、三時間の分を取り戻そうと早足になったりしてしまうのを滑稽に思い、不意に可笑しさが込み上げてきて声を出して笑うが、一旦笑うとそれが止まらず、しばらく笑い続けて自然と波が治まるのを踊り場の椅子に腰掛けて待つが、その笑い声もまた均等に上下に分かれて闇の淵に吸い込まれて階段の栄養素になるのだろうか不意に掻き消えるのだった。

一段 二段 三段 四段

戻る 上へ 前ページ 

 モバイル版へ

目次 第一回 第二回へ


コピーライト