明るく暖かく何もかもを弛緩させてその意識を凡庸なものへと変容変質させてしまう日の光の差し込む窓がこの階段にはないが踊り場の四畳半にも同様に窓はなく、従ってここにいる限り燦々と照り渡って人を陽気に能天気にさせる太陽の光を拝むことはできず、麗らかな春の日差しを浴びて読書しているうちに微睡みそのまま転た寝るとかチリチリと皮膚を焦げつかせる強烈な日差しを受けて玉の汗を掻きつつ日焼けするとかいうこととはまるで無縁だが、そんなものは必要ではなく、強過ぎて直視できない日の光は人を酔わせもし狂わせもするスパスパとよく切れる諸刃の剣で、電球の光くらいの薄ぼんやりとして照らすものの輪郭を柔らかく背景に和ませ溶け込ませる弱光が程よい明るさと言ってよく、電球の淡くやさしい光だからこそ精神を平衡に保って上り続けることができ、そうでなければとっくに発狂して狂い死にしているだろうはずで、それはまたえも言われぬ響きで鳴る階段の軋みの愉楽があるお陰とも言え、靴の爪先を床に軽く押しつけて小さな軋みをギチギチと立てつつそんなことをぼんやりと脳裡に巡らせながら煙を吸吐し、三分の二が灰になったところで携帯用の吸殻入れを取りだして吸殻を入れると、深呼吸して杉の香交じりの空気を肺内に満たして鈍麻した脳に新鮮な酸素を送り込んで活性を促し、徐ろに立ち上がるとまた上り始めようと上方の闇を見上げ、朝は決まった時間に起きだし、夜は決まった時間に蒲団に入るという以前の乱れ気味の生活と較べて遥かに規則正しい勤勉な寄宿生のような模範的生活を今は送っているが、何がそうさせるのかと言えばやはり階段がそうさせていると言え、というのは一日休みなく上り続けることでかなりの運動量にはなっているはずで、それが心地いい疲労を作り心地いい睡眠を促し心地いい目覚めを齎し、そしてそれらが蓄積総合されて規則正しい生活が構築されていくわけで、だから体重も増えたし健康にもなって病気ひとつしないが、しかしそれが階段本来の属性なのか、あるいは上る者との関係によってその反応も違ってくるのかということまでは比較検討するためのデータがあるにはあるがとても信憑できるようなものではないので分析のしようもないが、そんなことは抑も私にはどうでもいいことで、私はただ心地よい軋みを軋ませてその陶酔に浸りたいだけで、ただそのためだけにギシギシと軽快に踏板を軋ませて一歩一歩確実に一段一段身悶えながら上を目指して高きを求めて愉楽を愉楽するために今その階段を上っているのだが、踏板に足を乗せるとカツッと言って軽い靴音がまず鳴り響き、それから徐々に体重を掛けていくに連れて板がギシギシと軋゛みを上げ、その呻きとも嘆きとも喘ぎともつかないどこか憂いのある軋゛みを聴いていると、何もかもが、脳内に納められている自身の全記憶内容がそっくり総て失われてしまうような不思議な陶酔に浸ることができ、眼前の闇も背後の闇も眼中になくなって更にこの愉楽を味わい尽すことだけに一点集中していくと、今度は逆にそこからポコポコと浮かび上がってくるものがあり、何かと思えば今消え去ったあらゆる記憶の断片で、踏板を一段ギシと踏むと記憶がひとつポコと蘇生するという具合に飛びだし、忘却の果ての再湧出再構築とでもいうように記憶の消失と再生の繰り返しが果てもなく続くのだが、階段の軋みとかその匂いとかその佇まいとか雰囲気とか構造自体が殆ど条件反射的にそれと結びついてしまっているのか、あるいは直接それに呼応する何物かが存在するのか、軋みに誘発されて出てくるのは少年期の周辺記憶ばかりで、それら湧出する様々な映像音声匂い皮膚感覚が順繰りに何の脈絡もなく浮かび上がっては消えていく中で、よく眼にし耳にし鼻にし肌にして後々まで残存して消えないのが夜空に青い真ん丸の月の浮かんでいる寒々とした夏夜の光景で、またその青い真ん丸の月に導かれて湧出するのがその青い真ん丸の月の青い光に照らされて浮かび上がる廃墟の掘っ建て小屋、つまりこの階段の表玄関口とも言える掘っ建て小屋廃屋の記憶映像で、風が吹いて朽ち剥げた壁板がガタガタリと軋んで鳴り、星がチカチカと青く瞬いて、また風が吹いてそこらの草叢を混ぜ繰り返してその青臭い匂いが鼻腔に入り込んで噎せ返り、青い月の青い光を背に浴びて立っている自身の映像、軋みの愉楽に散漫な意識が齎すそれら不鮮明な記憶、瞼の裏側を掠めていく不明瞭なそれら記憶の数々がポコポコと湧き出てくるのを、足元に絡ませ引き摺りながら階段を上っていくことに無上の歓びを感じているが、ごく稀にだが前夜思わぬ夜更かしをしたりあるいは深酒が過ぎたり本当に稀なことなのだが体調が崩れ掛かっていたりすると、一挙に疲れが襲いきて踊り場や踊り場の部屋での休憩が増え、いつもなら耳に心地いい階段のえも言われぬ軋みすら不快に感じだしたり自分の呼吸音が耳について仕方なかったりして次第に苛々が募ってきて、その苛々を散らそうとしてつい余計なことを考えたりしてしまって急にわけの分からない不安に襲われたり、あるいは逆に軋みが変に間遠になり遂には何も耳に届かなくなって辺りが静寂に包まれ、六十ワット光の私をしか照らさない薄暗い電球のため階段の前後闇がグンと間近く迫りくる異様な圧迫をグンと感じてそれに益々息が詰まり、それが不安をグンと呼び覚まさせ、その不安はすぐに恐怖へと成り代わり、それが更に発作へと繋がるのだが、このような一連の過程を明確に意識していて上りながらも常にそれに注意してさえいればそれほど怖れることはなく、頃合を見計らって踊り場の部屋に入って休息すればいいし、そこにレコードかもしくは書籍などあれば尚いいが、なければないで二つ折りにした座蒲団を枕に青畳にゴロリと横になって行儀は悪いが片足を卓袱台に乗せ、美津恵に何度指摘され注意され躾られたかしれないが物心ついた頃からの悪癖のためか一向に改善されることはなく、思えば父尚義もこれと同じ恰好でゴロ寝していて幼い里美を連れて三人での何度目かの帰省の折にその父の毛深い足を卓袱台に投げだしたゴロ寝姿を初めて目撃した美津恵は絶句し続いて短い嘆息を洩らし、その後帰省するたびに父のそのゴロ寝姿を見るに及んで諦めたのかあまり注意もしなくなったためにお墨付が出たと大っぴらに足を投げだしていると、口では何も言わないもののその態度表情にはありありと嫌悪が滲み出ていてその美津恵の無言の非難に些か罪悪感を感じなくもなかったが何十年来の癖を改善することは容易ではなく、遂に改善できぬまま今に至っているのだが、ここでは誰の眼を気にせずともいいので横になれば必ずこの恰好になってしまって我ながらその行儀の悪さに苦笑せざるを得ないが、そのようにしてゴロ寝しつつ漫画雑誌を観たりテレビを観たりして半日ほどのんびりと過ごせば大概発作の波は退いていき、時間が遅ければそのままその部屋をその日の宿にしてもいいし余力があればまた上ってもよく、何の制限も受けることなく自由気儘に行動できるここは楽天地だと思いつつギシギシと軋゛みを掻き鳴らして勢いよく真っ直ぐの階段をまっしぐらに上っていくが、ふと真っ直ぐのように見える階段が実はメビウスの輪のように空間が歪んで終りのない閉じた世界になっていて延々そこを堂々巡りしているような気がし、そう思うと果てなく宇宙にまで拡がっていた無限階段が矮小化して途端に小さな箱庭一個の盆栽にでも変じてしまったように思えて、昨夜泊まった部屋も以前に一度泊まったことがあるように思えてきて気のせいだとそれを払拭して上ることに専念しようとするものの気のせいとして片づけようとすればするほど頭の中に巣食って離れなくなり、意思に反してそれは勢力を増していき、確かに前に一度泊まったことがある、卓袱台の真ん中辺にあった何か刃物ででもつけたような大きな傷といい、その脇の煙草のものらしい焼け焦げの跡といい、壁に掛かっていた小さな肉筆の風景画といい、何から何までそっくりでどう考えても同じ部屋としか言いようがなく、今まで気づかなかったのが不思議だったが、いや、そんなことはあるはずがなく同じような間取りで同じような家具調度であれば似通っていても何ら不思議ではないし、それにここには恐らく何百何千何万何億と、いや無数無限に部屋があるのだから偶然的に酷似した部屋がある可能性もないとは言い切れないし、どの部屋も同じ間取りなのでそのパターンにも自ずと限界があるのだから似通っていても不思議はないのだが、それにしても傷からシミから焼け焦げまでもが同じ可能性など果してあるのかということに思い及び、やはり同じ部屋なのだメビウスの輪だ堂々巡りだと思うものの、一方では記憶の齟齬混乱によるそれは単なる思い違いでいわゆるデジャヴュ現象に過ぎないとも思い、最終的には齟齬混乱記憶ということで片除けるしかなく、いつまでも瑣事に拘っていたら肝心の軋みの愉楽に浸り耽ることもできなくなるので存分に愉楽を愉楽し陶酔を陶酔するためにはそれは避けねばならないと、軋゛軋゛ギシむギシみを怡識してその淫蕩な響きを全身で享受しつつ上りつつ甘受しつつ軋゛ませつつ眩暈いつつ上り、汗を掻き肩で息をして顎の先から汗滴を滴らせて上へ上へと上っていくのだった。
六十ワットの裸電球に照らされて薄ぼんやりと浮かび上がっている壁板杉の木目の線がモゾモゾと蠢く気配がさっきからしていて気になっており、軋みの愉楽悦楽にそれが何らか影響を及ぼすというほどではないものの何度確認してもそれは変わらないのでどうやら気のせいではなく実際に壁杉板の木目の曲線がモゾモゾと蠢いているらしく、いや、そうとしか見えず、その何か生き物の蠕動する臓腑の内の襞々のような蠢き具合が不気味と言えば不気味だが六十ワットの笠なし電球の柔らかい黄色い光の加減でか幾分艶かしい蠢き具合でもあり、不気味さと艶かしさが溶け合い混ざり合った妙な蠢き具合でその質感も何か全く別のものに変じているように見える、というよりそれが本来の姿で樹木とは本来こういうものなのだということを誇示するようにモゾモゾと揺らぎ蠢くのだが触るとそれは硬く壁板杉以外の何物でもなく、しかし触れている手を板壁杉から離すとまた艶き蠢きだし、これは今までに経験したことのない出来事で噂にも聞かないし文献にも出ていない現象で充分観察考究に価するとは思うが新たな発作の兆候という可能性も否定できないのであえて危険は冒さず休息を取ることにして上方闇を窺うと、幸い次の踊り場は二十段とないところにあるので慌てることはないものの前に一度焦って駆け上って何に蹴躓いたというのではないがガクリと体が傾いて足を踏み外しそうになったことがあるので一段一段慎重に足を運んでギシギシ軋゛む階段をモゾモゾもぞめく板壁杉になかば平衡感覚を狂わされながらよろめき上っていくのだが、何がどうなったのか自分でも分からないほどあっという間のことで、気がついたときにはすでに体は仰向きに倒れ掛かっていて視界には天井しかなく、両足も踏板から離れて宙に浮いているのだが足を滑らしたという実感はまるでなく、まるで遊園地のビックリハウスのように階段がクルリと回転したように思えたが回転したのは私の方で横様に階段の上を浮遊しており、上り続けて遂に成層圏を抜けて宇宙に出てしまってフワリと衛星軌道にでも乗ったような浮遊感で、実際落ちているという感覚など全く感じてもいず、階段をゆっくり下へと空中移動しているとしか思えないのが何とも不思議で、それでもやはり落ちているということになるのだろうが、まさか缶ビール一缶で酔うはずもないので酔って足を滑らせたとか足が縺れたなどということはあり得ず、原因は別にあるに違いなく私の何か不穏な思念に階段が拒否反応を起こしたのでもあろうかとか、上る者として相応しからずと拒絶しているのだろうかとか、あれこれ思いを巡らせてはみるもののこれという原因は遂に分からず、ただ流れに身を任せている他はないとフワフワと流されて随分長いこと宙に浮いているが、落ちていく、いや流れ漂っていく先を見ると相変らず深い濃い闇で、まるで井戸の中を滑り落ちていくような気がし、地獄の底にでも堕ちていくのだろうかあるいはこのままメビウスの輪のようなこの無限階段を延々と落ち続け流され続けていくのだろうかと思うほど長いこと地面は近づいてこず、命が尽きてもまだ落ち続け、そのうち白骨化して骸骨となり風化して粉微塵になって更に分子原子に還元しても落ち続けている自分の姿をありありと思い浮かべてしまうが、そう思っている間も尚落ち続けて果てしがなく、なかば呆れていると急に空気の塊にぶち当たったように失速して眼の前に階段の縁がグンと迫ってきてどう考えても助かりそうになく、上り続けることにこの上ない愉楽を感じ、それが儚くも適わなくなり、それが駄目でも落ち続けることに望みを託したがそれも今潰えようとしており、何もかもが裏目に出て夢も希望も糞も小便もなく遣り切れない思いに腹が立ち苛が立つが、いくら腹が立ち苛が立ってもグングンと迫りきて私を亡き者にしようとしている階段の縁を押し退け遠ざけることができるわけでもなくどれほど強い私の思念も外界に物理的影響を与えることは恐らくできないので事態を静観しているより他ないと思い、そう思ってしまうと一切の感情の動きがピタリと停止して無感情の観察者のような態度で事態に相対しており、物凄まじい勢いスピードで後方に流れ去っているにも拘らずやけに木目がハッキリと見えるし濃厚に遍満している杉の香りが強烈に匂うしで、それが階段への未練の思いを掻き立てようとするが無感情の観察者モードに切り替わっているため何の感情も沸き上がってはこないので更に観察を続けていると、今まで聞いたことのない異様な軋みがしてその音を聞いて初めて自分が階段の縁にぶち当たって尚も転げ落ちているということに気づき、せめて意識を失うまでは落ち続けていたいと思うがそれも適わないらしく、階段の滑り止めがブレーキの役目を果し体のどこかが階段のどこかに当たるたびに落下のエネルギーを奪われて次第に減速していき、間もなく完全に動きをとめてしまうと、眼前に階段の煤けた天井が仄見え、その階段の煤けた天井から私をスポッと照らしている付近にチラチラと舞う微粒の埃を従えた六十ワットの丸裸電球が鈍く黄色い光を放っているのが見えるが、その光が直視することもできないくらい妙に眩しくて眼を閉じるのだがそれでも瞼がこそばゆく、手の甲でこすろうと右手を持ち上げようとするもののまるで力が入らずそれなら左手だと左手を上げようとするがこれも意思に反して全く動こうとしないのでどうしたものかと考えるともなく考えていると、そのうち自分の体が人形のように無残に階段の上に転がっているのを六十ワットの丸裸電球に成り変わったように天井辺りから覗き込んでいるという、いわゆる臨死体験現象によく見られる幽体離脱とかいう状態になり、それでいつもの夢だということにようやく気づき、上る者にとって落ちる夢は宿命みたいなものなのかと思って何とも遣り切れない思いが胸中に沸き上がり溢れだして毎度のことながらうんざりするがしかしそれは弛みない愉楽と引き替えなのかもしれないとなかば諦めてはいるものの、毎朝毎朝人形のような自身の顛落死体を嫌というほど眺め廻してから目を覚ますのにはやはりかなりの抵抗があるのも事実で、それこそ毎日毎日臨死体験を繰り返しているようなもので、つまりは死と再生の際限ない繰り返しという輪廻紛いの現象に不快に吐き気を催すようなものでそれに馴れるということもなく、頭を下にして万歳でもしているような恰好で仰向けに転がりシャツが開けてだらしなく生白い腹を覗かせてパッチリと両眼を見開いて天井の電球をでもジロリ眺めているようだが瞳孔は開き切り筋肉は弛緩し切って口もだらしなく開いており、紛れもなく顛落死者以外の何物でもないことを物語っているその私の右足は骨折しているらしく不自然に外側にひん曲がっているのが痛々しいが白々しいとも思い、それが人形っぽさを演出するのに一役買って不気味さを更にも強調して脳裡に焼きついて離れないが、一日それにつき纏われて不機嫌になり思い悩んで打ち沈んでしまうということはなく、スルリと蒲団から抜けだしてそれを畳んでゴソリと押入れに仕舞ううちにもすでにそのことは忘れ去ってしまっていて跡形も残らないので大概気分よく一日を開始することはでき、それが不思議と言えば不思議なのだが前日に蓄積して排出し切れなかった疲労や澱の残り滓を一挙に洗い流すことがその効用で不快極まりない夢の洗礼を経ればこその翌日の晴れやかさなのだと思うことでその有用性を認めることはでき、とにかく気分よく一日を開始することができるのでそれ以上深く追求する必要も意味もないと綺麗に畳んだ蒲団を押入れに押し込んでピシャリと襖を閉めてそこに昨日を封印し、どこを見ても傷ひとつ汚れひとつついてはいないもののそれでいてある程度使い込んで古びた趣きというか馴染み易さとでもいうようなものを感じもするその真っ白い中型の冷蔵庫の扉をグイと引き開け、整然と整列している鰤と鮭と鰺と秋刀魚と鯖の中から迷いに迷った挙句に鰺の開きを選んでガスコンロのグリルで両面を弱火でこんがりと焼き、テレビを観ながらそのこんがりと焼けて程よく焦げ目のついた鰺の開きをそこが最も美味で飼い猫に与えるなど以ての外だと皮も頭も尾も骨も残らず食べ、ご飯も米粒ひとつ残さず総てを平らげてぎっちり胃袋を満杯にし、卓袱台に足を投げだして夢とも現ともつかない寝入り端の最も心地いい至福の状態を堪能していると、コツコツと杉ドアを軽くノックする音がしてその夢とも現ともつかない寝入り端の最も心地いい至福の状態を満喫している私の邪魔をするのだったが、まさか誰かが訪ねてくるなどとは思ってもいないのでテレビの音でもあろうと気にも留めなかったが、しばらくするとまた今度はさっきよりも幾分激しく、中にいるのは分かっている早く出てこいと催促するようにドア杉を叩くので、それがテレビのスピーカーから流れ出ている音ではないことにようやく気づき、というよりテレビが点いていないということに気づき、しかしまだドアの外に杉板戸一枚隔てたその向こう側に何者かがいるということが信じられず、どこからこの音は発しているのかと狭い四畳半の内を隈なく見廻すがそれらしいものは何もなく、どう考えても何者かがドアを叩く音以外にないと息を殺して叩かれているドアの方を窺うと、ドンドンとドアは音を発していてドアの向こう側に何者かがいるということは間違いなく、そう思った途端急に不安に戦き全身ガチガチに凝固して辛うじて卓袱台の上に乗っている足を下ろすことはできたものの立ち上がることはできなくてただドアを見つめるばかりだったが、考えてみればこれだけの構造物を維持管理するのに全く人手が掛からないということはないはずで、部屋の清掃から食材の配送に残り物の運搬に廃棄、あるいは電気、ガス、水道などの点検や新聞、雑誌、書籍等の配達からトイレットペーパーの交換や破損箇所の補修に至るまで、どうしたって人の手を煩わさなければならないことはいくらもあり、今まで見掛けもしなければ気配すら感じなかったからと言ってそれを疑いもしなかったのは早計に過ぎたが、噂にしか聞いたことがなく信憑できる資料も殆どなかったので無人だと思うのも無理からぬことではないかと自ら慰めて気を落ち着けようとし、それやこれやの取りとめのない想念が頭の内をめまぐるしく駆け跳び巡っている間もドアを叩くノックの音は止むことなく続いていて、それをぼんやり聴いているわけにも黙過してやり過ごすというわけにもいかず、ゆっくり立ち上がってドアに向かってノックの音に向かってゆっくり歩きだすが、端からドアには鍵など付いてはいないので開けようと思えば簡単に開けることもズカズカと侵入することもできるのだが、ドアの向こうにいるのは余程礼節を重んじる紳士的な人物でもあるらしくそのドアの叩き方から推していくらか苛立ちは感じられるものの、当然の権利とでも思っているようにズケズケと覗き込み入り込んでくる悪気がないだけに質の悪い母親のように決して妄りに侵入しようなどとはしないので、それほど怖れることはなくドアの向こうに立っているのは真摯な紳士だと下手な駄洒落で気を紛らせつつ把手に手を掛けガチャリと廻す。