友方=Hの垂れ流し ホーム

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その苦境から何とか脱しようと呻吟の果てに、一面埃を被った各種家電製品のマニュアル類の詰め込まれている缶カラを食器棚の上から引き下ろしてきて殆ど当てにもしていなかったオーブンレンジの取扱説明書を打開の一助になるかもしれぬと渉が頁をめくったのは、ケーキの作り方もそのレシピとともに掲載されていたのをふと思い出したからで、購入から三年近く経つが黄ばみもなく真っ新の状態を保持しているその取扱説明書によると自動メニューで約二〇分とあるが、これはオーブンとレンジの二段構えでどこか姑息な気がして使う気にはなれない。問題は手動だと頁を探すと下段隅のほうに手動時の温度と時間が型のサイズごとに小さく記載されており、十八センチの丸型では一五〇度で四十五〜五〇分となっていて一般的な焼成温度に較べて三〇度も低くその分時間が倍になっている。ということは一八〇度では火の当たりが強過ぎるということで、つまり生地が浮き上がる前に表面が焼けて膜ができ、それが生地膨張を妨げているということになる。これではいくら肌理細かい気泡ができてもその気泡力を封殺することになり生地が持ち上がらないはずだ。今まで生地の状態ばかり気に掛けていたのは何より生地の不出来が失敗の原因とばかり思っていたためで、焼成温度焼成時間などだからほとんど考慮してもいなかった。どのレシピを見ても大概一八〇度三〇分と記載されているからだし全卵の泡立てが肌理細かいその気泡がジェノワーズの命でそれなくしてジェノワーズはあり得ないと『リュバン状』あるいは『リボン状』という符牒のもとにお題目のように唱えているためで、そこに落とし穴があろうとは思いも寄らなかった。温度時間を変えての試みが必要ですぐにも焼成試案の作成に取り掛かりたいとの念に駆られる渉だが、ジェノワーズ・オルディネールを十八センチ丸型で焼いてばかりいても、似たり寄ったりの菓子が羅列することになるし生クリームの使用頻度も必然高くなるため、ビスキュイだのシューだのパイだのタルトだのバターケーキだのとバリエーションを変えて作ることになる。そのためようやくまたジェノワーズに帰ってきたときには同じ失敗を繰り返すことにもなり、納得の行くまで、即ち自身想定している及第点に達するまで作り続けることのできない素人のそれが最大の障碍だとそこで渉はまたも思い悩むのだった。

とはいえ四センチより以上には膨らんだことのないジェノワーズを作る気力はなく、気分を変えて何か他のものをとすでに筆写済みのレシピを当たっていて抹茶の賞味期限がすでに過ぎていたのを渉はふと思い出し、その線で当たって抹茶とヴァニラのバヴァロアに逢着し、これだこれだこれに決めたと中沢純生クリーム三パック六〇〇ccを購入したのがつい一昨日のことで、早速ビスキュイ・ア・ラ・キュイエールを焼く準備に掛かる。側面に巡らす帯状のものと底面中段に敷く二枚の円盤状のものを焼くのだが、でかいオーブンなら一度で済むところを都合二回焼かねばならないのが甚だ面倒で、それでも以前は円盤状のものを二回に分けて、つまり側面のビスキュイと合わせると都合三回焼いていたのが、ギリギリ小さくすることで三〇×三〇センチの角皿に一度に二枚納まることに気づいた。つまりセルクルは十八センチだが側面にビスキュイをグルリ巡らすので実際に使用する円盤の直径は十五〜六センチで間に合い、十八センチ径の円盤に焼いてもだから周囲をかなり切り落とすことになるので無駄が多く、屑がケーキ皿に一山できてしまう。屑は屑でクラムにして別の菓子に使用するなり小さく切り分けてそのまま食べるなりするので捨てることはないものの最初から小さく焼けばロスも少なく済むし以後の作業効率も格段に上がる。試しにSTAEDTLERのコンパス 554 02TSK Jで有隣堂の紙袋側面の広い部分を切り取った裏側に十六センチ径の円をふたつ描いて角皿に宛ってみるとピタリ納まった。それらを踏まえて改変したレシピを参照して作るのだが、ここでは解した卵黄にメレンゲを加える前に水溶きの抹茶を加え混ぜておく。当然だが薄力粉はよく篩っておき、オーブンは指定の温度に予熱しておく。

ビスキュイ・ア・ラ・キュイエール

         〈円盤2枚分〉〈帯2本分〉

ムラング・オルディネール

卵白──────── 65g    52g

グラニュー糖──── 50g    40g

卵黄───────── 40g    32g

薄力粉──────── 50g    40g

粉糖───────── ──    適量

1 ボールに卵白を入れてホイッパーで泡立て、立ち上がってきたらグラニュー糖を数回に分けて加えながら角が立つまでしっかりと泡立てる。

2 別のボールに卵黄を入れて軽く解し、1のメレンゲを少量加え混ぜ、馴染んだら1に加えてゴム箆で掬い上げるように混ぜる。

3 2に薄力粉を加えてゴム箆で掬い上げるようにさっくりと混ぜて艶良く滑らかに仕上げ、1cm径の丸口金をつけた絞り袋に入れて敷紙を敷いた角皿に6cm幅30cm長の帯状のもの2本、もしくは16cm径の円盤状のもの2枚を絞りだす。

4 3の表面に粉糖を茶漉し等で軽く振り、2〜3分おいて粉糖が溶けてきたところでもう一度振り、190度のオーブンで11〜12分焼き、クーラーで冷ます。

参照した元のレシピは抹茶のバヴァロア一種類のみで最初はその通りに筆写したのだが、それでは味気ないし切ったときの断面の見栄えもよくないと半量をヴァニラのバヴァロアにすることにし、そのため二種のバヴァロアの間にもう一枚ビスキュイを挟む方がいいとそれも計算し直してレシピを一から作成したのだった。配合に忠実に再現することを渉は心掛けているので小数点以下も二桁まで四捨五入せずに記述しているが、その厳密さが思わぬ陥穽を生みだすこともあり、計算それ自体に誤りがなくとも計算の許になる分量の変換に思い込みによる誤謬があると、計算の正しさゆえに変換の誤謬が覆い隠されて見えなくなってしまうのだ。問題は抹茶とヴァニラのバヴァロアの間にビスキュイを一枚挟むことでバヴァロアの分量をどれだけ減らせばいいかということで、型に使用するセルクルは全高五センチだから底部分のビスキュイ約一センチ分を差し引くとバヴァロアの厚さは四センチになるが、側面ビスキュイを四センチ高に作るため上部一センチ分はビスキュイの部分をもバヴァロアが占めることになり、だから単純に二十五%減とはならない。基本レシピ通りの分量では恐らくバヴァロアが余ってしまうだろうからいくらかは減量せねばならないが、減量し過ぎて足りなくなることだけは避けねばならない。ビスキュイ分二〇%と渉は踏むが、何ら根拠はなく勘だ。構成は下からビスキュイ・ア・ラ・キュイエール、バヴァロア・ア・ラ・ヴァニーユ、ビスキュイ・ア・ラ・キュイエール、バヴァロア・オ・テ・ヴェール、グラサージュ・オ・テ・ヴェールとなる。

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