思わぬ誤算があったのは熱でボール紙が歪むということで、横幅が短ければそれほどの影響はなかったのだが二十四センチにもなると如実に影響してオーブンに入れたときに上部熱源の網のラインにピタリと合わせていたのが焼くうちに歪んでズレてしまい、結果そのズレた部分からの熱で見事に焦げてしまったのだったが、熱による歪みを考慮して最初から斜めに置かなければならないということをそれは意味するもののそれが不可能なのは明らかで焼成中の扉の開閉はなるべく避けたいのだが適宜位置修正せざるを得ず、さらにはオーブンには丸皿と角皿が一枚ずつあり丸皿はそれ自身回転するように設置せざるを得ないので食パンを焼くときには角皿を使用する他ないのだが、その角皿の中央部分がなぜか分からないが僅かに丸く盛り上がっているために型の安定が悪く僅かな衝撃でもクルクルと回転してしまうために生地が真面に電熱器の真下に来てしまうこともあり、直火に当ててみすみす焦がすわけにも行かないのでやはり適宜修正しなければならず、そのようにして扉の開閉が増えれば小さい庫内なのですぐに熱が逃げてしまい、しっかりしたクラストが形成できずケーブインしたりする。何事にも失敗はつき物で次への活力になると思ってみても何の慰めになるわけでもなく、溜息ばかりが出てくるのを如何ともしがたく、その焦げついたイギリスパン、いや出来損ないのイギリスパン擬きを前にフロアに佇んでしばらく息を整え、撫肩のために何も入っていなくてもそれ自体の重みでズレ落ちてくる左肩に掛けた鞄を左手親指を肩と鞄の間に差し入れて手前へと伝い下ろして掛けなおしつつ平積みの新刊文庫を掠めてまず向かうのは左手脇の新書の並びにある岩波文庫の棚で、独特の艶めかしい肌色を基調に青灰緑赤黄の各色を哲学思想・政治経済・日本文学・外国文学・古典にそれぞれ配色した二色の背表紙が全面に拡がっているのを左上から順繰りに眺めていき、時折手に取りパラパラと捲りなどしつつ一通り物色すると角を右に曲がって壁伝いに新潮文庫集英社文庫文春文庫ちくま文庫講談社学術文庫講談社文芸文庫と逐次見ていき、その先の外国文学、その角を右に曲がったところの郷土史・民俗学を掠め心理学を抜けて哲学・思想へと赴き、時間的精神的肉体的余裕があれば民俗学の並びにある心理学・哲学裏の宗教・歴史を冷かしていくこともあるが、コルトレーン擬きのおっさんに翻弄されて疲弊しきった今それだけの余裕はなく視野狭窄に陥ったようにヨタフラヨタフラ歩いていると、出掛ける前に済ませておかなかったせいか急に催してきたのでいい潮時とここは切り上げて階段の半階下の踊り場脇にある従業員兼用と表示された男子トイレに行き、ライトブルーの重い扉を押し開ければ眼前に現れたのは生白い肌を青白い蛍光灯に照らされて一層生白く浮かび上がらせているひどく窶れた生気の欠片も感じられない私自身で、いや左右反転した私擬きで、その執拗に私を模倣する私擬きをチラと一瞥してから右手手前の衝立の向こうにふたつある小用便器の右側の便器に立ってファスナーを下ろしトランクスの左裾からモノを引っ張りだし、ずり落ちてきそうになるボロ鞄を肩と腋で押さえつつ永い放尿をする。
臭かったのはその茣蓙だか筵だかで濛々と立ち籠める埃やらカビ臭い空気やらに噎せ返ってしばらく咳き込んでいたが、喉の粘膜に執拗にへばりついて離れない埃カビの異物感がコルトレーン擬きのおっさんの異物感のようにも思えて妙に腹立たしく、それでもとにかくその一振りで移動はしたらしいと周囲を窺えば一面タイル張りの青白い空間で、トイレだということは分かるが有隣堂のトイレでないことは確かで、嫌な予感とともにそこを出れば前方には階段が開け左手は立ち食いで右手に拡がる空間の先にあるのは改札口で、一度抜けているから切符はすでにないと焦ったが前ポケット右を探れば幾分皺が寄っているものの元通り切符はあったので不審に思いつつも安堵して再び改札を抜けて再びティッシュ配りのおねえちゃんの脇を掻い潜ったと思った途端にむずと左腕を掴まれ、コルトレーン擬きのおっさんのしつこさに腹立ってそのまま無視して腕振りほどいて行こうとすると、「ねえ」となよやかな声で言うのを気色悪い声を出すと振り向けば生白い私の腕をぐっと強く握り締めている褐色の腕はコルトレーン擬きのおっさんのものではなくティッシュ配りのおねえちゃんのもので、「あたしのティッシュは使えないっての?」とグイと腕を強く引き寄せながら言うそのティッシュ配りのおねえちゃんは妙に艶めかしく、黒眼勝ちのやや垂れ下がった眼は細く一重の瞼でその端がキュッと持ち上がった唇は薄く全体にのっぺりとした面立ちは美人の範疇からは外れるが私好みなので立ち去りがたく、その一瞬の躊躇がつけ入る隙を与えてモタモタしているうちにも「ねえ」と言いつつ一方の腕を腰に廻してきてシャツをたくしあげてジーンズの中に手を差し入れて弄りながら「使ってよティッシュ」と言うとすっとしゃがみ込んでジーンズを脱がしに掛かり、何もこんなところでと逃げ腰になるが小柄で華奢な体格に似ず男並の腕力で逃げるに逃げられず、足踏みしているうちにおねえちゃんは喉元まで深々と啣え込んでおり、涼やかな笑みを浮かべてゆっくりと首を前後させてはこれは私のものとでも言いたげに愛おしげに舌先で舐るのだった。何の屈託もなさそうな涼やかな笑みなのだがその屈託なげなところが何か妙に恐ろしくて蛭のように吸いついているおねえちゃんを強引に引き剥がせば唾液と粘液が名残惜しげに糸を引き、それでも糸が切れれば何事もなかったようにティッシュ配りに余念なく、上手い具合に青なのをいつになく早足で横断して横浜駅根岸道路を根岸方面に向かって長者橋を渡りミシミシと軋みでも上げそうな足を引き摺り引き摺り歩いていくと、不意にまた袖口をグイと掴まれて恐る恐る振り返り見ればコルトレーン擬きのおっさんで蛭のおねえちゃんではないことに安堵するが、コルトレーン擬きのおっさんも蛭のおねえちゃん同様油断できないと警戒しつつ「何すか?」と言うと、「返してくれよ、俺んだぞそれ」と大事な商売道具なくしたら商売上がったりだとでもいうように妙に真面目腐った面持ちで茣蓙だか筵だかを指差して言うのでもう用はないと黙って差しだせば、我が子でも抱きかかえるように両手で大事そうに抱きとり抱きかかえて「素人にゃ無理だよ素人にゃ」と我が子をあやすとでもいうようにその茣蓙だか筵だかに向かって言い「熟練が要るんだよ何事もな」と言ってカラカラと笑うのを相手にしていられるかと放っといて歩きだすとコルトレーン擬きのおっさんも歩きだし、歩きながらもしばらく笑っていたが急に静かになったのでチラと振り返り見ると間髪入れずに「兄貴、まだ苦しんで呻いてるよ」とコルトレーン擬きのおっさんは言って「どうする?」とその抱え持った茣蓙だか筵だかをバフと叩くが、見たくもないと返事もせずに早足になると「とどめぐらい刺してやれよ」と言って追い縋って執拗に訊くのが鬱陶しく、他人の振りを決め込んでふと顔を上げたところにあった湘南しんきんのデジタル時計を見ると1:05で、二時間近くも無駄にしたことに気づいて驚き焦り、それもこれも総てこのコルトレーン擬きのおっさんのせいだと思うとよけい腹立ってくるが相手にするだけ損だとも思い、ちょうど青になったので渡ってそのまま直進すると、背後から聞こえるか聞こえないほどの小さな声で「自分だけいい思いして」とコルトレーン擬きのおっさんが言うのが聞こえ、思わず「いい思いなんかしたことない」と声に出そうとしているのに気づいて慌てて声を呑み「い」の字に開けた口をゆっくりと閉じる。
親の前では虫も殺さぬいい子ちゃんだが私の前ではお前は虫以下だとでも言わんばかりの支配者振りを現すそいつの如何なる命令にも即座に従わねばならず、少しでも返事が遅いと小突かれたし余所見でもしていようものなら蹴りが飛ぶというような奴隷も同然だった私のそいつへの憎嫌悪は解消されることなく長年貯蓄されており、何事にも口を出し手を出すその父にも母にもない権力主義は今も尚続いているため自ら制御しがたいほどにもそれは膨大になっていて、物理的接触を避けているのもその貯蓄の噴出を怖れているためだが、そいつは不意に現れては「お前の作るもんなんか誰が食うか」と耳打ちし「おえっ、不味っ」と聞こえよがしに言って吐きだし「やめてくれ頼むから」と故意に怒りを掻き立てるのを楽しんでもいるようで、飲みたくもない中村川のヘドロ臭い水をガブガブ飲んでいるときもそいつは船上から冷やかに眺めていただけで手を差し伸べようとも助けを呼ぼうとさえもせず、笑みさえ浮かべているようにも思え、その蟹を捕れと命じたのもそいつだったし、「臭せえんだよこっち来んな」と足蹴にし「何やってもトロいなお前は」と鼻で笑い「だから何やっても中途半端なんだよ」と頭を小突くそいつに「あんとき死んでりゃよかったよ」と事あるごとに言われ続けてきたために「お前はうちの子じゃねんだ」という他愛のない嘘さえもが真実らしく思えてきて、だからその絶対権力者の消滅をもっと喜ぶべきなのだろうが、いや喜びは一入なのだがそれと同じくらい煮え切らない思いがあるのも確かで、その行為の前とあととの懸隔は計り知れないのだが差異はごく僅かなものに過ぎないようにも思え、コルトレーン擬きのおっさんのように総ては単なる妄想に過ぎないのかもしず、いや、紛れもなくそれは妄想で一連の行動に現実感がまるでないのを見ても明白で、重石を括りつけて海に沈めたり一千メートル上空からパラシュートなしで突き落としたり車で細切れの肉片になるまで轢き続けたり切れない鋸で手足の先から一センチずつスライスしたり焼けた火箸で穴という穴を穿り廻したりダイナマイトで粉砕したりとあらゆる状況設定で何度も何度も嬲り続け殺し続けてきた妄想のそれはひとつに違いなく、そんなことに今かかずらっている暇はなくこれ以上の遅れは致命的だといつになく早足で歩いていけばコルトレーン擬きのおっさんもその歩調に合わせてピタリ離れずついてくる。
自室にはビデオ、コンポに作りつけの時計の他に置き時計も掛け時計もないし普段から所持してもいないため時計を見る癖がなく、常に勘だけを頼りに行動しているためじっくり物色していたり手にとって買おうかどうか逡巡していたりすると二時間三時間は途端に過ぎていき、フロアの時計を覗いて慌てて上階へと進むこともしばしばで、そういうときほど時計の必要性を感じるものの潰れる寸前の普通なら疾っくに廃棄されているだろうこの鞄同様買わなければと思いつつも買いにいくのが億劫で、この鞄にしても何か忘れがたい甚大な感情の揺らぎを齎した記憶が付帯しているというような曰くつきの代物ではないので新品の鞄が用意されれば即座に棄てて顧みないが、いくつか店を経巡ってこれと当たりをつけてもまだ他にもと一渡り廻ってやはりあれかと戻り見ると何か違うような気がしてあっちの店のあれなのかとその店に行って手に取るとやはり違う気がし、そのように行ったり来たりを延々繰り返して何とか購入しても家に帰って包装を解いてみると店頭で見たものとまるで違うように思えて愕然となるということはザラで、いや殆どそうだといってよく、それを思うと出掛ける気力は失せてしまうのだったが、それでも靴だけはなければ外出することもできないし一歩踏みだす度にキュッキュッと鳴る赤ん坊の靴になってしまった古革靴にもいい加減腹が立っていたのでさんざっぱら行ったり来たりを繰り返してやっとのこと購入したが、傘は未だに買えずにいるため雨天の外出はできないものの外出すれば大概本屋には立ち寄るので必然雨天中止となり、傘の必要性をそれほど感じてはおらず、目下必要なのはやはり時計だが、常に数字の上に留まっていて断絶的飛躍によって一足飛びに一秒が刻まれてしまうデジタル表示よりも絶えず動き続けて文字盤の数字の上を通過して留まることのない針のその無限の運動の方が時間を時間としてイメージしやすいため買うならアナログ表示のものと決めており、更には腕に嵌めてその身体的自由を拘束する手錠にも等しい腕時計は時間に絶対的に隷属させられるような気がするため懐に納めて時間を手の内にしているようにも思える懐中時計がよく、文字盤は1・2・3のアラビア数字ではなくI・II・IIIのローマ数字のものがよく、今度MOメディアを買いにヨドバシカメラに行ったときについでに時計も見てくることにしよう、いや、その前にハンズに行くかもしれないからそのときでもいいが、とにかく時計を買うことに決めたと幾度も下された決定を執拗に自分に言い聞かせはするもののその実行がいつになるかは見当もつかないしデジタル秤同様眼前で引き返す可能性も否定できないのだった。
この辺ではハンズほど充実して製菓器具製菓材料を揃えているところはないがハンズとて万能ではないのでそこになければ他を探すしかなく、それで合羽橋まで出向いたのだったが、都営銀座線の田原町からが最も近いということだが、銀座線など乗ったこともなければ見たこともないしその銀座線との連絡もよく分からず田原町ということも疎覚えだったし、そのうえハタラチョウなのかタワラチョウなのかタワラマチなのかタハラマチなのかも分からず、下手に迷うよりはと京急でまず横浜駅まで出て快速特急に乗り換えて品川まで行って更にJRの京浜東北線に乗り換えて上野まで行き、そこから歩くという安全策を取ったのは大した距離ではないと高を括っていたからでもあるが、実際歩くと思ったより遠く感じるのはゴールが見えず目算が立たないための緊張が最後まで継続するからで、ようやく辿り着いたときにはかなりへたばっていたが、不意に眼前に現出した大通りの両側に何百メートルと続く店舗群を前にすると開店早々で人影疎らの妙に静まり返ったその佇まいに踏み込みがたい違和のようなものを感じはするものの気力が賦活してくるのを感じもするのだった。その道具街を昼食も摂らずに数往復して飲食店用の看板だのズラリ並んだ食品見本だのに眼を奪われて目的を見失い掛けては思い出したようにフラリといくつかの製菓器具店に入るが、土曜日ということもあってか昼を過ぎて数を増したその客の殆どが女性かカップルで、物珍しげに「スゴいね」「何でもあるよ」などと交わしているその中を掻き分けながらむさい男がひとりしかつめ顔で、内心その品揃えに彼女ら同様圧倒されつつ物色しているのは些か滑稽にも思えたが壁一面にびっしり隙間なく吊された各種口金をひとつひとつ手に取り眺めているうちにその滑稽感は消し飛んでしまう。マンケ型もフラン型も角セルクルもクグロフ型もマドレーヌ用シェル型もサントノーレ用口金も欲しかったがアレもコレもと買っていったら切りがないし嵩張るし金もなく、今日は偵察がてらなのだからと最小限に絞り込んで六センチの無地タルトレット型一〇個と目的の十八センチタルトリング一個を購入し、収穫の喜びにその疲労も空腹も緩和麻痺して日盛りのなかもと来た道を瞬く間に歩き、赤信号で直進を妨げられて左へ曲がって「そう来るか」と言い「なるほどね」と言いながら尚もついてくるコルトレーン擬きのおっさんを尻目に入った脇道は日陰が多いので比較的涼しく、通りの喧噪もあまり届かないし網の目のように上方を覆う電線に遮られた視界の閉塞感がたまらなく心地よく、暑さも途端に引いていく。それでも背後からヒタヒタと押し寄せるコルトレーン擬きのおっさんの発散する湿気た雰囲気のせいで不快感は拭いきれず、逃げるように先を急ぎ、二つめの十字路を右に曲がればニューテアトル前に出てその向かいの横浜銀行を左に曲がればもうイセザキモールで、そこから有隣堂はすぐだという気の緩みからか一瞬眩暈がしてフラリと体が右に傾げたのを足踏ん張って持ち直し、右手親指と中指で両こめかみを軽く押さえてから歩きだそうと踏みだした右足がゴツンと何かにぶち当たり、何かと思って前方を窺えば視界はガラスに遮られて薄ぼやけていて右も左も背後も一面ガラス張りでガラスに閉じ込められており、そのガラスが風俗のチラシで埋め尽されていることから即座に電話ボックスと見当はつき脇を窺えば確かに電話機もあるものの場所の特定まではできないのでチラシの隙間から外を透かし見てはじめて松竹前のボックスだと分かり、不審に思う前に気配を感じて横を窺えばボックスの外からコルトレーン擬きのおっさんがにやけた笑みを浮かべて覗いているのだった。