友方=Hの垂れ流し ホーム

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一次発酵は温度二十八度から三〇度で湿度七十五%ほどで六〇分から九〇分焙炉(ほいろ)を使用して行うのだが、焙炉などないのでこの家に越してくるときに使って律儀に取っておいた段ボール箱を書棚の上から取り下ろし、降り積もった埃に繁殖していたダニに忽ちやられて露出した肌のあちこちにできた小さな赤い粒々を掻き毟りながら上部を切り取ってその上面を刳り貫きビニールを被せて蓋にした手製のものを使用して行い、電気スタンドの熱を利用して熱源との距離で温度を調節し適宜霧を吹くことで湿度を調節するのだが、三〇度と思っていても徐々に温度は上がっていてしばらくすると三十四度にもなっていて慌ててスタンドを離すと今度は三〇度を下まわったりとその振幅は激しく、気温とスタンドの距離との相関関係を求めたとしてもその気温が常に変動するため一定の温度を維持することは極めて困難で、それでも一次発酵のときはミキシング前に以後の修正を最小限に抑えることができるように時間を掛けて調節できるからいいが、ベンチタイムをおいたあとの最終発酵の準備にはそのベンチタイムの五分から二〇分の間にセッティングしなければならないため電気スタンドを段ボールの蓋のビニール面に密着させて急激に温度を上げて三十五度近くなったところでそれ以上温度が上がらないようにスタンドを上に撥ね上げるのだが、四〇度を超えるとイーストの活動が鈍ってくるため三十五度から三十八度に設定する最終発酵においては常に目を離すことができず、だから発酵のときはブドウ糖、果糖を食ったイーストの排泄する二酸化炭素を絡め取って膨張していく生地の横で本を読みつつ見守るのだが、そのとき読む読み物は各章が長く一旦読みはじめたらやめられないような長篇より一編が短く気軽に読めていつでも閉じることのできるエッセイが適していて概ねそのようなものを選択するが必ずしもそうとは限らず、今手にし読んでいるのは岩波文庫の『西遊記(四)』中野美代子訳で各章平均三〇頁ほどあり、生地を自家製発酵器にセットして片づけやら次の準備やらをして一息ついて頁を開くころには二、三〇分は経過していて残り時間が三〇分ほどなのでトントンで読み終える頁数だが、ちょうど金角大王銀角大王が出てきたところでこっちも眼を離せず、圧力鍋の蓋についていたものだという両脇にネジ穴のあいているタイマーをセットして手元に置くが時間は飽くまで目安に過ぎないので一次発酵の時間が六〇分ならタイマーは五〇分にして次の行程に移るかどうかは常に生地の状態を見て判断するものの、あと一頁を残して栞を挟む勇気がないために発酵過多になることもしばしばで、その意味で『西遊記(四)』の選択は誤りだったかもしれないと読みはじめてから後悔しても遅く、ジジジジジジジジジとタイマーが鳴る前にこの章を終えなければならないと猛烈に活字を追っていくため孫行者の動きも目まぐるしい。

目まぐるしいのは孫行者だけでなく一部の文学狂いの戯言ではないかと思えるほど書店は活字で溢れ返っているし入れ替わり立ち替わりして出入りする人の絶えないその混雑人いきれにのぼせて胸が悪くなることさえあるものの、そこにある活字は活字であって活字でないようなバサリ一振りしただけで紙面から剥がれ落ちてしまいそうな水で薄められた歯応えのないものばかりと言ってよく、若者の未発達の顎に象徴されるようにそのようなソフトな口当たりの柔らかい離乳食紛いのものが好まれているということに腹立ち、それに反発するように重くて噛み応えがあり噛めば噛むほど味が出てくるものを選択的に読むというような殆ど活字漬けと言っていい私に有隣堂はなくてはならないものとしてあるが、有隣堂といっても本店だけではなく横浜駅東口ルミネ店もその規模は本店には及ばないものの充実した品揃えで思わぬ書籍を手にすることもあるのだが、ヨドバシカメラハンズへの道程とは逆方向のため、つまり京急横浜駅改札を出て左方面の横浜そごうに至る東口はそのそごうに行く以外は殆ど利用しないため余程のことがないと左に曲がることはなく、その道程の途中に位置しているジョイナス四階の栄松堂の方が便がいいため自然そっちに足が向くことになり、栄松堂書店→ヨドバシカメラ横浜駅前店→東急ハンズ横浜店というほぼ固定化している不動の道程を覆すことは外出前から予定されていない限り困難だったが、それでもついでの域を出ることのない横浜駅周辺の書店群はその利用頻度において有隣堂本店書籍館には及ばない。

以前ダブリンの地図を手に入れたくて旅行・地図関連の棚を探したのは巻末の簡略地図ではどうにも心許なくもどかしく、何より頁を行きつ戻りつするのが煩わしいしその都度栞を挟まなければならないし挙げ句挟んでいた栞がハラリと落ちて読んでいた頁を見失って腹は立つしと気が散るばかりで集中できず、是非とも別紙の地図が必要でより堪能するためにはより詳細な地図が必須だと感じていてできることならその当時のものが望ましいがそれは無理としても現在の地図くらいは入手したかったからだが、その切実な願いも虚しく見つける前に読み終えてしまったためにブルームの辿った足跡を明確にイメージすることはできないものの、それでもまだ『フィネガンズ・ウェイク』二巻は有隣堂の紙カバーに包まれて『ユリシーズ』三巻の隣に控えているし同じ柳瀬訳の『ユリシーズ』も今後続刊していくだろうことを思えばあって損はないのだが、とりあえずは必要ないとその旅行関連の棚前をなるべく棚の方には眼を向けずに顔を右向けて手摺り向こうに拡がる一階フロアを眺めながら通って正面階段へ出ると、その階段脇にある最近改装されてえらく綺麗になったせいかそこから発せられる光が妙に白く浮き上がって見えるエレベーターの扉がちょうど開いてその白い内部が覗け、横目でチラと覗き見るが乗り込むことはなく、非力な脚力で息切れしながら階段を上がるのだったが、裏の文具館のエレベーターもそういえば利用せずその狭い急勾配の階段を利用するしどこに行っても利用するのは専ら階段かエスカレーターで、あの外界から隔絶された狭隘な空間の時間が停止してしまったかのような、少なくとも内的時間を狂わせてしまう静寂のなかに否応なしに居続けなければならないということに耐えられず、そこは何某か精神の変調を来たすことは間違いのないある種の監禁に等しい非日常的空間で、たとえそれまで快活に喋りまくっていたとしてもエレベーターの扉が閉じられ外界との連絡が絶たれた途端にそれを意識せずにはいられないし沈黙する他なく、そのようにエレベーターは時間を無に帰して人が人である所以の言葉を剥ぎとり、人ではない何物かに変貌させてしまう恐ろしい装置という他なく、そんなものに平然とあるいは我勝ちに乗り込んでいく者の気が知れない私は一軒家にしか住んだことがなく、高層マンションなどには一生住むことができないだろうし住みたくもないと内心思いつつ息切れしながら一段一段踏み締めてその感触を実感しつつ階段を上がっていく。

しばらく孫行者の行動を追っているうちに周囲の気配が変じたように感じたためふと顔を上げれば日ノ出町駅前の猥雑な光景が現前しつつあり、その日ノ出町駅前で右往左往する孫行者を笑うこともできず事態の把握に戸惑っている間に主客転倒して悟空はその雲で十万八千里を飛び去るように遙か後景へと退いてチカチカと点滅する光点となり、代わって実体化したいつ来ても必ずいるティッシュ配りのおねえちゃんの差しだすティッシュを無視して京急ストア前に出ている露店に積み重ねられた漉し餡と御手洗と磯辺と蓬の団子に眼を奪われつつその誘惑を振り切り、「通りゃんせ通りゃんせ」の方ではなくもう一方のどうしてもタイトルを思い出せない曲のその電子音とともにスクランブル交差点を渡るのだが、そのときのタイミングで余裕を持って斜めに渡ることもできれば横断歩道に足を掛けた途端にチカチカと信号が点滅しはじめて真っ直ぐにしか行けないこともあり、斜めに渡ったときと真っ直ぐに渡ったときとでそのあとの道程に微妙に差異が生じるものの、それでも忘れられたようにポツンと立っている長谷川伸生誕の地のこぢんまりした高札のような碑を脇に控えた上げ潮のときには濃厚に潮の香の漂う大岡川に架かる長者橋を渡るということに変わりはなく、このとき必ず川面を覗き込んで昔に較べて幾分透明度の増したその水面下にプカプカとミズクラゲが遊泳していたり銀鱗がきらめいていたりするのを眺めずにはいられないのだった。

落ちたのはこの大岡川ではなくその先の中村川だったが、船の乗降のための階段が切ってあるすぐ前だったのとすぐに善意の人が通り掛かったのとで助かったもののそうでなければ間違いなくヘドロに絡め取られていたはずで、だからその名も告げずに去っていった通りすがりの人のお陰で今の私があるのだが、顔も覚えていないし風体も何も記憶にないため有難味もあまり感じておらず、仮に「あのとき君を助けあげたのは私だよ」と当人が現れても「あなたが私を…」と涙流して礼を言うような『ご対面』シーンが展開されることは恐らくないだろうが、それを罰当たりのように思わなくはないものの実感できないものを実感することは不可能なのだからと観念している。係留してある船に無断で乗り込んで岸縁の水面付近に横並びに二匹いた蟹を捕虫網で掬おうとしていてギリギリで網が届かずもう少しと身を乗りだしたらバランスを崩して落ちたのだったが、そのとき背後に誰かいるのをチラと見た記憶が微かにあるが、その誰かも不意のことで抱き留めることも手を差し伸べることもできなかったらしく、不思議と浮遊している間が編集されたように欠落していて気づいたときには水面下で、必死に藻掻いていたのはまだ泳げなかったからだが底にヘドロの溜まった泥臭い水をガブガブ飲んで靴をガポガポ鳴らしながら帰る間も嘔気を催し続け、その中村川のほんの数百メートル下流の寿町辺で実際に溺死した少年が同じ頃にいて罷り間違えば自分もそうなっていたと思うと空恐ろしくなったが、あるとき不意にその少年が自分の身代わりに死んだように思えてきて一旦そう思ってしまうと打ち消しがたく意識に刻みつけられ、以来水というものは人を呑み込み取り殺す妖怪変化と同義で恐怖の対象でしかなくなりいつまた水が私自身を欲して引き摺り込もうとするかもしれないと一切水辺には近寄らず、いや近寄れなくなってその臭いが掠めただけで息苦しくなり鳥肌立ち足が竦み嘔気を催し、だからプールも駄目だったし海にも入ったことはなく、その上に架けられた橋を渡らざるを得ないような状況に追い込まれたときには息をとめて全力疾走で走り抜けるのだった。全体大岡川中村川にグルリ囲まれたこの埋立て地は絶海の孤島に等しくそこに私は囚われの状態で、生白くなった最大の原因はやはりそこら辺りにあるのだろうし今でもそれが恐怖であることに変わりはないものの日常生活に支障がないほどには克服されているのでどうということはないとはいえ、それでも川面を覗き込まずにいられないのはそこに死をではなく生を見出したいためで、そのように見ることで水を捻じ伏せつつ心成しか早足で長者橋を渡ればその右角がampmで左角がダイハツの展示場で、そこから左に振り返ればすぐそこにランドマークがまた顔を出しているのだった。

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