Effluents from Tomokata=H

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「そうね」ようやく心配し始めたらしい妻が言い、ちょっと見てくると言って立ち上がったとき、玄関のドアを勢い良く開ける音がして、親の心配など知らぬげに甲高い奇声を発しながらドカドカと大きな足音をさせて子供たちが駆けてきた。どうすればそんなに汚れるのかというほどドロドロに汚れていて、廊下にはくっきりと足跡が付いていた。それを見て妻はいつものことだというように二人を風呂場に直行させると、うんざりしたというような疲れた笑顔を私に向け、小さな溜息を吐いた。

御先祖たちが皆一様にただ現れるだけで何かを訴えようとしているわけでもない様子に、出現そのものは理不尽に感じ鬱陶しく思いはするものの、それ以上の悪感情は不思議と私には全くと言っていいほどなかった。父の言っていたようにだんだん馴れてきているのかもしれない。ただ妻や息子には現れず、私にだけ現れるということに無性に腹立たしさを感じてはいた。何故私だけを狙って出てくるのかということを解明したいとは思ったが、御先祖たちからは何の情報も引き出すことができないので解明のしようもないのだった。抵抗しても御先祖にダメージを与えることはもちろんできず、こっちが疲れるだけだということも分かった。無理をせず流れに身を任せていればそれでいいのかもしれない。それで万事うまく行くというならそうするより他はないと思った。

現れる御先祖は概ね百姓らしく、皆一様に痩せ細っていた。中には野武士のような姿で現れる者も混じり始め、顔つきも厳めしくなっているように見えなくもなく、時代が戦国に入ったらしいことが分かった。一様に表情はないものの天下泰平の江戸と戦乱の時代とではやはりその趣きは異なっており、一目見て分かるのだった。江戸の百姓は十把一絡げといった感じで皆同じように見えたが、戦国の百姓は目立つというほどではないにしてもひとりひとりを見ると個性的に思えた。

更に時代が下ると着ている物もどんどん簡素になり、いつしか貫頭衣とかいうものになり、弥生、縄文時代に遡るまでそう時間は掛からなかった。弥生から縄文への変化ははっきりと分かった。それまで平安貴族的とまでは言わないが割りとあっさりしていた顔つきが徐々に琉球、アイヌのような眉が濃く彫りの深い顔に変わっていったからだ。その後東南アジア的な顔つきになっていき、私の先祖が南方系だということが判明した。その頃には御先祖の数は優に三桁を超えていて、数える気力もなくなっていた。私の周りは総て御先祖に囲まれ普通なら足の踏み場もないような状態に近かった。御先祖には実体がなく、その間を擦り抜ることができるので行動の自由は保証されているものの、見た眼には常に満員電車にでも乗っているような押し合いへし合いの状態なので堪らなく息苦しく感じるのだった。空気の薄い山の天辺にでもいるように呼吸そのものに困難を感じることさえあるのだった。それでもごくたまにひとりも姿が見えないときもあり、そんなときは言い知れぬ解放感に満たされ、異常なほど嬉しいものだったが、すぐにまた御先祖は現れ始め五分もすれば元の混雑具合に戻ってしまうのだった。

御先祖たちに横の繋がりというようなものは一切なく各人各様てんでんばらばらなのだが、ごく稀にだが総ての御先祖がまるで申し合わせたように一瞬ぴたりと動きを止めることがあった。ただの偶然に過ぎないのだろうがこれは堪らなく不気味だった。私が何か気に障ることでもしたのかと思い、思わず弁解しそうになる。それでも神経が衰弱するとかノイローゼになるとか気が狂れるとかいうことはないのだった。日常生活で特に困るということもなく、我慢できないことはないのだった。そんな中でリラックスできることもあるのだった。困るのは便所にいるときで、そのときくらいはひとりになりたかった。犬だって糞してるところを覗き込まれれば、恥ずかしそうな困ったような顔をする。それで便秘になった。

しかしある程度の操作もできるようになった。操作といっても御先祖がある一定以上に増えないように僅かばかりの制限を加えることができるというくらいのもので、その一挙手一投足までも思いのままに制御できるというわけではなかったが、それでもかなり楽にはなった。飽和水蒸気量が気温によって変動するように御先祖にも飽和限界量があるらしく、しかもそれが可変的であることが分かったのだ。隊列を整え一列に整列でもさせるように強くイメージすることで僅かながら影響を与えることができ、そうやって御先祖同士を重ね合わせると相殺されて消えるのだった。消えるといっても一時的なもので放っとけばまたすぐに現れるのだが、一時的にもせよ御先祖の頭数を減らすことができるようになったことは何よりだった。殆ど消してしまうこともできないことはなかったが、それには非常な体力を消耗しそのあとの反動も大きいのであまり意味がなく、自分の体力を考えてある一定量を超えないように調整するくらいのことしかできなかったが、それでも何もしないよりは遥かにマシだった。

子供たちの顔つきが以前にも増して狂騒的になり、ディズニーランドに連れていけという要求が一段と強まり強迫めいてきたことで、すでに夏休みに突入してしまっているということに気づいたのだった。去年も一昨年も約束していたのだが仕事の都合で土壇場になってキャンセルしたということもあって結束は固く、妻の後ろ楯もあってか口を開けばそのことばかりで念仏のように唱え続け、じりじりと私を追い込み追い詰め、逃げ場はないに等しかった。気合いを入れて掛からなければならなかった。とても日帰りはできそうにないので土曜日に出掛けてホテルに一泊し、翌日曜日、開園から閉園まで丸一日そこに釘づけになるのだった。考えただけでも気が滅入った。

どこから集まってくるのかディズニーランドは朝から人でごった返していた。群がり集まる群集は私にとって御先祖と何ら変わりなく、御先祖を掻き分けるようにして群集を掻き分けていった。それでも私の周りだけは御先祖で溢れ返っていて見た眼は根柳家の貸切りのような状態だった。御先祖はその群集と重なり合ってひとつになりまるで実体を獲得したかのように見えた。周囲の喧騒に釣られるように次はこれ、その次はあれと、獲物を狙うハンター宛らギラギラと眼を輝かせて言い、歩くことを忘れたように走り廻る子供たちのはしゃぎよう喜びようとは裏腹に、御先祖は人気のテーマパークに驚く様子もなく終始無表情の我関せずといった面持ちで私の周囲を徘徊していた。てんでんばらばらな動きを飽きもせず繰り返していた。炎天下を何時間も汗だくになって行列に並ぶことよりも御先祖の襲撃の方に私は悩まされ、乗り物類などにも一切乗る気になれなかった。最初のひとつふたつは義務感から付き合って乗りもしたが、そのうち気分が悪くなり、ひとり残って冷たいものを飲みながら日影で休んだりしていた。時々御先祖の中からディズニーのキャラクターの着ぐるみが現れた。それらは到る所に潜んでいて、まるで御先祖のように不意に現れては私を驚かせた。不自然に巨大なその頭部にはどれもこれも凍りついた笑顔が張りついていた。そのふざけた笑顔とおどけた仕種に腹が立った。子供たちはそれと一緒に写真を撮ったりなどしていた。妻もいつの間にか子供たちと一緒になってはしゃいでいた。楽しそうだった。私は御先祖と格闘していた。

一時を過ぎてようやく前半戦が終わり、昼飯となった。これまた行列に並んで30分も待たされてようやく席についた。妻はメニューを見てその高額なのに驚き、弁当でも買ってくればよかったと零していた。コーラ、サイダー、ウーロン茶と水物ばかり飲んでいた私の腹はタプタプと波打ち食欲もなかったが、後半戦に臨んで体力をつけるために、味わうこともなくビールで無理やり流し込んだ。子供たちは何をするにも楽しげで常に針が振り切れるくらいに昂揚していたが、少しも衰えを見せることなく最後まではしゃいでいた。

気合いを入れて後半戦に臨んだものの御先祖の勢いは衰えず人込みと一体になって押し寄せるため、遂には制御もできないほど疲れてしまい、そのため御先祖は野放しの無秩序状態となり大量に現れ押し寄せた。子供たちは妻に任せっきりだった。

「どうしたの? 疲れた?」ベンチに休んでいた私の顔を覗き込みながら妻が言う。

「人込みがね、ちょっと……」人込みというより御先祖込みだった。凄まじい御先祖込みだった。子供たちは苛立たしげに「早く早く」とジャンプして急き立てるんだった。

むずかる子供たちを宥め賺して予定より早めに帰ってきた。風呂にも入らず床に就き、疲れからすぐに眠ってしまったので助かった。夢の中まで悩まされることはなかった。

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