御先祖に取り囲まれて茶の間でテレビを見ながら飯を食っていた。子供たちがテレビに夢中になり箸が止まっていたのを妻が咎め、テレビを消そうと立ち上がり掛けたのを私は制した。御先祖は頻繁にテレビの前を横切って邪魔するので内容は殆ど分からなかったが、それでも点けていないよりは余っ程マシでその音だけでもいくらか気は紛れるのだった。見られているわけではないのだが、それでもやはり気にはなるものであまり食は進まない。御先祖出現以来食が細くなっていることは確かだった。
服装の簡素化と文化レベルの低下とで何となく予想はしていたものの、それが本当に眼の前に姿を現したときには驚き、箸の動きが止まった。裸同然の姿で石斧だかを持って現れたそいつは人という印象があまりに希薄だった。毛深くごつい体格をしていて所謂典型的な原始人という様相をしており、無表情だからか余計不気味に見えた。思わず声を上げてしまい、子供たちはテレビに見入っていて気にも止めなかったようだが脇にいた妻を訝らせた。右手の方から現れたそいつはひどくゆっくりした動作でのそのそとテレビの前を横切っていき、廊下に接している壁の中に消えた。ほんの数秒の出来事だった。そいつが丁度私の眼の前に差し掛かったとき、一瞬私の方にそのいかにも原始人的な鋭い視線を送り、私はその獣のような眼差しに縮み上がった。ライオンにでも睨まれたような感じがしたのだ。しかし本来御先祖は無表情で、眼だろうが何だろうが自ら発する表情はなく、感情らしきものも一切読み取ることができないはずなのだが、私の原始人に対する強烈なイメージがそう感じさせたのだろう。そいつがそのような視線を発したのではなく、私が自分のイメージを勝手にそいつに投影してしまったのだろう。
実際の変化はもっと緩やかで段階的なんだろうがこっちの印象では突然の出現に近く、ある瞬間にきて初めて積もり積もった変化に気づいて驚かされるのだった。そのあとも何度となくそいつに出会し、その度に私は声を上げそうになり慌ててその声を呑み込むということが続いた。
ふと思いついて会社からの帰り掛けに書店に立ち寄った。丁度会社と駅の中間辺りにあり、通勤時に必ずその前を通るんだった。六階建ての自社ビルで近くに別館もあった。私は出版物の殆どをそこで入手していた。雑誌、文芸書、辞書、地図、文庫本、画集、写真集と、隅から隅までゆっくり歩いて見て廻るのがいつもの癖だった。コースも殆ど決まっていて、入口近くにある雑誌、文芸書のコーナーから始めて一階から順に各階ごとに万遍なく廻るのが常だった。そのときそのときで進み具合は異なるし厳密に決めているわけでもなくそうしなければ気が済まないというほど神経質でもないので飛ばしてしまうコーナーもあるが、地図のコーナーにだけは必ず足を止めていて、日本の古地図、特に江戸城下の地図などを広げて矯めつ眇めつ眺めてはひとり悦に入ったりなどして多くの時間を割いていた。このときはしかし例外的に地図は飛ばして先を急いだ。にも拘らず思わぬところで捕まってしまった。ついぞ来たことのなかったコンピュータ関連のコーナーになぜか来ているのだった。全体この方面に弱い私は会社で何かと肩身の狭い思いをしていた。全く不知の領域に足を踏み入れていることにいくらか抵抗を感じ、場違いな気がして、何の抵抗もなくどこにでも現れ、平然としている御先祖を羨ましく思った。しばらく棚に並んでいる書籍の背表紙の文字を眺めていたが、さっぱりわけが分からず適当に手に取ってパラパラと捲ってみた。尚更わけが分からずすぐに棚に戻し、初心者とか入門編とからくらくとかすぐできるとか簡単とか銘の打ってあるものを探して手頃な一冊を手に取った。思わず読み耽ってしまい気がついたら閉店間際になっていて慌てて本を棚に戻した。こういうことはよくあって、立ち読みしている間に閉店になり目当ての本を買えなかったことさえある。私は早足で当初の目的だった生物学、自然科学のコーナーへ向かった。同じフロアの反対側で三つ四つ棚を隔てた医学書のコーナーに隣接した壁際にそれはあった。棚の角を曲がるところで突然御先祖が飛び出してきたが、普段ならそのまま突き抜けてしまうのが慌てていたために避けようとしてバランスを崩し、平積みになっていた本を膝で弾き飛ばしてしまった。本はバラバラと床に散乱した。容赦なく本を踏みつけにする御先祖を尻目に一冊ずつ拾い上げ埃を払って元に戻し、ゆっくりと静かにその場を離れる。人類の進化や生物の進化や脳や遺伝子などを扱った書籍がずらりと並んでいる棚の前に、まるで自分のことを知りたいとでもいうように原始人御先祖が立ち竦んでいるのを横眼に見ながら、手速く物色してこれ、これと選り出して脇に積んでいったらすぐに五、六冊になった。ちょっと考えたが思い切って全部買うことにし、御先祖から守るように慎重に抱えてレジに持っていった。
「カバーはお掛けになりますか?」レジ係りの女店員が訊く。
「お願いします」と言って顔を上げると、女店員の後ろに憮然とした顔つきの御先祖が何人も立っていた。
「お願いします」と言って顔を上げると、女店員の後ろに憮然とした顔つきの御先祖が何人も立っていた。
電車に乗り席につくと早速紙袋の中から比較的薄手の本を一冊取り出した。そのときになってコンピュータの本も買っておくべきだったことに気づいたが、もう遅かった。それは後日買うことにして、気を取り直して本を開いた。その中には興味深いことがいくつも書かれていて、降りるまでに大半を読んでしまった。それにはネアンデルタール人が洞窟の中にテントのようなものを張って生活していたとか、死んだ仲間を埋葬をし花を手向けていたなどということが書いてあり、それによって丁度眼の前にしゃがみ込んでいた御先祖たちが、急に身近な存在に感じられ恐ろしさも半減した。ただの類人猿に見えた。しかし眼が合うとやはり気味が悪かった。なるべく眼を合わさないようにした。家に帰っても眼を背ける手段として読書に勤しんだ。本を読むことで幾分眼の前の御先祖から遠ざかることができ、本を読むことで幾分眼の前の御先祖を知ることができた。ネアンデルタールはホモ・ネアンデルタレンシスというホモ・サピエンスの亜種だということでヒトの祖先ではないらしく、このとき現れていた御先祖はホモ・エレクトゥスとかいう、40万年~160万年前、新生代第四紀の更新世中期から後期に掛けて生存していた初期人類じゃないかと思われた。ただこれは飽くまでも私の推測でしかなく、実際それがホモ・エレクトゥスかどうかはよく分からず、もしかしたら原始的なホモ・サピエンスかもしれなかった。化石骨格の写真や絵と御先祖そのものをいくら見較べても私には分かろうはずもなく、辛うじてその想像図で比較することができるくらいだった。背恰好から言ってホモ・ハビリスじゃないことは辛うじて分かった。ホモ・ハビリスの身長は1メートルくらいしかないらしかったから。
前日にはまだ布を纏った人らしい御先祖の姿がちらほらと見られたが、翌日には全く見られなくなってしまい、周囲はホモ・エレクトゥスだらけになっていた。その次の日にはホモ・エレクトゥスはホモ・ハビリスに変わっていった。極端に小さくなったのでこれはすぐに分かった。ホモ・エレクトゥスは言語を持っていたらしいので、そう思って見ればなるほど人らしく見えなくもなく、人に見えればなんてことはなかったので努めてそう見るように心掛けていたが、ホモ・ハビリスになると背が低いからか余計猿のように見え人らしくは見えなかったが、二足歩行していることで人と思えなくもなかった。完璧な二足歩行だった。
まるで団体旅行のガイドか何かのようにぞろぞろと御先祖を引き連れて私は家を出た。満員電車に乗る原始人は滑稽としか言いようがなかったが、現代の街中を我が物顔で闊歩する姿は壮観だった。とは言え誰もそれに気づかないというのが些か不満ではあった。