Effluents from Tomokata=H

戻る 前ページ 

01  02  03  04 

05  06  07  08  09 


連鎖

01

縁側から何が見えるというわけでもなく、ごく有り触れたどこにでもある光景が展開されているだけだ。僅かばかりの庭があり、あまり手入れも行き届いていない伸び放題に伸びて蜘蛛の恰好の住処となっている生け垣が道路に面していて、その向こうは灌漑用に作られたが今は殆ど用をなしていない幅一メートルほどの溝川を挟んで民家が建ち並んでいる。家の裏手はすぐ山が迫っているが南向きなので日当りには影響ないし、山といっても申し訳程度にこんもりと盛り上がっているだけの山というにはお粗末な小山で、名前があるのかないのかも知らないし、それにここ十年で半分ほどが削り取られ、造成して次々と家屋が建っていき、みるみる小さくなっていった。しかしバブルが終わってしまうとその勢いは急激に衰え潮が引くように皆引き上げていき、残りの半分は今も手つかずで、禿げちょろけの頭を寂しげに覗かせているのがいかにも中途半端で見窄らしい。

日当りだけはいいこの縁側から見えるものと言えば、うちの小さな庭と建ち並ぶ家々の屋根とその上を覆う空ばかりだ。変化に豊んだ大自然の息吹に魅了され、深く心に沁み渡り片時も眼が放せないというような絶景でも何でもなく、都心に較べていくらか空気が澄んでいてその分だけ空が青くて高いというくらいのどこにでも見られるごく普通の眺めだ。父は晩年この有り触れた光景に臨む頗る日当りのいい縁側に坐って殆どを過ごしていたと言っていい。私が朝仕事に出掛けるときにはすでにそこに坐ってコクリコクリ舟を漕いでいて、日が暮れるまでそうしているらしかった。冬でもよく晴れていて風もなければそこに一日中坐っていたらしく、休みのときには私も何度かそれを目撃している。自慢の盆栽が並べてあるからだろう、日がな一日縁側に坐っているのだ。まるで置物のように動かずにじっと坐っているので死んでるのかと思ったこともあるくらいだった。

うちは代々農家だったらしく、裏の納屋には蜘蛛の巣だらけの赤錆びた農具がいくつか残っていて往時が偲ばれるが、先々代つまり私の祖父の代に廃業してしまったということだ。祖父は私が生まれる前に亡くなっていたので私には祖父の記憶はなく、仏壇に飾られている写真に唯一その生前の姿を見ることができるが、その写真を見ると父と同じ顔をしていた。その祖父が何を思ったのか突然畑から何から総て売り払ってしまったらしいのだが、その金で何をしたのか詳しいことは知らない。父はそのことについて殆ど語らないし、私も改まって訊ねたことはない。何か事業を始めたらしいということは聞いているが、急に小金を持った者ほど質の悪いものはなく、案の定忽ち失敗してしまったらしく、辛うじて残ったのがこの家と土地だということだ。それがあるせいかバブルの頃なら売ればそこそこの金にはなっただろうし、その手の話もいくつかあったにも拘らず、父は決して手放そうとはせず、最後まで土地と家に執着していた。グルリと家の周りを囲うようにあった田畑が次々と住宅に変わっていき、ぽこぽこと土地成金が誕生していくのを横眼に見つつ、まるでそれが最後の砦だとでもいうように家と土地に拘り続け、私の再三の勧めにも頑として首を縦に振らなかった。今では地価はぐんと下がってしまい、二束三文にしかならないだろう。

父には人を寄せつけない、威厳とか謹厳とか崇高とかそういうものとは違う、何か障壁のようなものが常に張り巡らされていた。常に他者との距離を厳密に測り一ミリたりとも自己の領域には侵入させないというような潔癖とも言える態度を崩さず、たとえ家族と言えどもその一線を超えさせず、その超えがたい鉄壁の守りのために父は私にとって子供の頃から甚だ捉え難い存在ではあったが、世間一般の父とはそういうものかと長らく思っていた。だからかどうかは分からないが父への感心度は極めて低く、まるで煙のように希薄にしか感じられないのだった。父が死んだときもそうだ。会ったこともない遠い親戚の連れ合いでも死んだようにしか思えなかった。妻からの電話でそれを聞いたときも、立て込んでいたこともあってか「あっ、そう」とまるで他人事のように言ってすぐに切ろうとして、「それだけ?」と訊き返されたのだった。「お父さん、亡くなったのよ」とまるで実の父親が死んだとでもいうようないかにも切迫した妻の物言いにどこか違和感を感じ、尚更他人事のような気がしたのだった。

父の死は非常に呆気なかった。長く患うこともなく、頻繁に家と病院を往復することもなければ入院生活を送るでもなく、まるで家族に看病されたり介護されたりすることを拒んででもいるように、自らプツリと糸を断ち切るようにあっさりと死んだのだった。その意味では自己の孤高性を最後まで守り通したと言え、父らしい死に方だと思いもした。いつものように父は縁側に腰掛けてうつらうつらしていたらしいが、トイレにでも行くとみえて立ち上がったかと思うと、そのままコトリと倒れてそれきりだったらしい。買物に出掛けようとしていた妻がたまたまそれを目撃していたのだが、その倒れようがあまりにゆっくりした自然な動作だったので横になっただけだと思ったらしいものの、縁側で横になっている父の姿は見たことがなく気分でも悪いのかと近づいて声を掛けたが返事はなく、肩を揺すっても反応がないので不審に思い、顔を近づけると息をしていない。もう一度揺すってみたが体はぐにゃりと揺れるばかりで耳のそばで大声で呼び掛けてみてもピクリともせず、それで気がついてすぐに救急車を呼んだが、病院に到着したときにはすでに事切れていたということだ。医者の言うには脳溢血だったらしい。その死に顔に苦しんだ様子は微塵も見られず、いつもの高鼾を掻いて寝ていた姿と少しも変わりなかった。もちろん鼾はしていないが。とても死んでいるようには見えないと妻は言い、駆けつけた親戚たちも口々にそう言っていた。それでも父にはつけ入る隙がなく、体に触れるのさえためらわれた。

参列者の少ない身内だけのこぢんまりとした葬儀も滞りなく済み、父は霊柩車に載せられ火葬場へと運ばれた。昔はこの辺は皆土葬だったらしいが今では殆どが火葬になっている。

細長い煙突の先からまるで霊魂のように薄くユラユラと煙が立ち上っていた。ぼんやりとそれを見上げながら、今頃は丁度こんがり焼けて芳ばしい香りを発しているだろうとか、丁度食べ頃かなとか、いや食ったって旨かないかなどと思い、その黄金色になった全身の姿を想像したりもし、そのいかにも頽廃的な幻想をひとり密かに楽しみつつ私は妻に訊いたのだった。

「そう言えば親父、いくつだったっけね」

「自分の父親の年も分からないの」顔を顰め幾分詰るように妻は言い、「えーと、確か、六十八よ」と言うと、私の見上げていた煙突の方にちらと視線を送り、「でも変な親子よね。お父さんもお父さんだけど、あなたもあなたよ。まるでホントの親子じゃないみたいだったもの」と言って不思議そうに私の顔を見るのだった。「そんなことないよ、普通だよ」とそのときは言ったものの本当のところ自分でもよく分からないのだった。妻は確信を込めた眼で私を見つめ、「普通じゃないわよ」と言った。

灰になっても父の障壁は消え去ることはなく、さっきの冒涜的な夢想を嗤うかのように掴んでも掴んでもするりと箸の間を抜け落ちてしまい、最後にはポロポロと崩れて粉のようになってしまった。それでも何とか小さなひとかけらをつまみ上げて骨壺へ放り込んだ。そしてしばらく仏前に鎮座させてから、暗いじめじめした墓の下へと沈め、二度と出て来られないように蓋をした。今も父はそこにいるはずだ。

その父が生前私に妙なことを言った。トイレに立ったついでとでもいうようにフラリと茶の間に現れると、寝転んで肘枕をしてテレビを見ていた私を見下ろして「貴彦、ちょっと」と、どこか他所他所しい他人行儀な素振りで言って自室に呼び入れ、大真面目に言ったのだ。父は特にボケていたわけではなかったし、冗談を言うような人でもなかった。開け放たれた窓から緩やかな風と共に暖かな日が室内に漂い満ちていて、その風と日に吹かれるというように正面に坐った父の体は前後左右に揺れていた。揺れる父の衣服から衣擦れの音が静かに響いていた。父はしばらくその音を楽しむというように眼を瞑っていたが、ゆっくりと眼を開くと真っ直ぐに私を見つめるがすぐに脇へ逸らし、「おれももう長くはないから、言っておく」といつもの口の中に何か頬張っているようなモゴモゴした籠り気味の聞き取りにくい口調で言った。それから「覚悟しておけ」とそう父は言った。「しかし、まあ、あまり気にすることもねえのかな。いずれ馴れるさ」とか何とか言い、「そう、最初だけだ」「馴れりゃ結構面白れえもんよ」などということを早口で言い、「まあ、そういうことだ」と言うと不意に何か思い出したようにニヤリと歯を見せずに笑った。その笑い方は自分だけ高みに立って辺りを見下ろしているような、自分だけが総てを知っているのだとでもいうような、どこか人を突き放すような笑い方で、父のよく見せる笑い方だった。しかし父の笑みはいつも一瞬だった。他所見をしていると見逃してしまうほどその耐久時間は短く、その笑みを見せたのもほんの一瞬ですぐに真顔に戻った。父はまたちらと私の方を見たがすぐに目線を下の方にずらし、あとはずっと私の腹の辺りを眺めていた。

01  02  03  04 

05  06  07  08  09 

戻る 前ページ 


トップ | インフォ | プロフィール | 小説 | イラスト | レシピ | 雑記 | 掲示板 | 送信 | 履歴

コピーライト