定刻通りに電車が入ってきた。私は立ち上がり殊更乱暴に御先祖を掻き分けて白線の前まで進み出た。電車はスピードを落しながらこっちに迫ってき、線路上でぼんやり立ち尽くしている御先祖を次々に轢き倒し飲み込んでいった。御先祖は無表情のまま面白いように電車の下に吸い込まれていった。窓外を流れ去る景色を漫然と眺めながら二時間半ほど御先祖と共に揺られていた。それだけで疲れた。うんざりした。
「根柳君、例の件だけどね、あれね……」その後ろには二人の御先祖がまるでボディーガードのようにぴったり張りついているし、眼の前を引っ切りなしに通り過ぎてもいく。ボディーガードの二人は日に焼けて真っ黒な顔を俯き加減に傾け、痴呆的とも言える無表情でぼうっと突っ立っている。二人とも終生の農作業に倦み疲れたというような、醜く窶れて腰の曲がった貧素な年寄りだった。農作業中に卒中でも起こして死んだのだろうか、ひとりは右手に鎌を握り締めていた。「根柳君、根柳君」御先祖は弱々しく虚ろな眼差しでどこか宙の一点を見据えているだけなのだが、何故か睨まれているような気がした。「聞いてる?」御先祖の声など聞きたくもない。この上御先祖が喋りだしたら堪らない。それだけは勘弁してもらいたい。「あっ、はい、聞いてます」思わず御先祖の方を見たまま答えてしまい、慌てて相手に焦点を合わせる。眼の前を邪魔するように何人もの御先祖が通っていく。「例の件だよ」少し語気を荒くして言うのが遠くの方から耳に届く。「はい」
それにしてももう少し小綺麗な恰好はできないものか。眼についてしょうがない。しかしスーツの中で着物にちょん髷ではどうしたって目立ってしまい、眼につかない方がおかしい。極力見て見ぬ振りをするのだがどこに眼をやってもその視野の中に御先祖の姿が入ってきてしまう。生身の人間の数より御先祖の数の方が遥かに多く、職場の雰囲気までが変わってしまったような気になるのだった。時々自分がどこにいるのか分からなくなってしまうこともあった。すっかり疲れてしまった。
その疲れを辛うじて捩じ伏せ脇に追いやって、疲れと共に襲う眠気を押して書類に眼を通していると、その書類の上に手を翳して邪魔をする者がいる。節くれ立った浅黒くごつい手で、爪が黒く汚れていた。明らかにそれは肉体労働に従事しているといった手で、どう見ても職場にいる人間の誰のものでもなく、不審に思い見上げると御先祖が立っている。無表情の棒立ちではなく自らの意思で何か自信ありげに立ちはだかっている。そのあまりの積極性に私が唖然として声も出せずにいると、「働き過ぎだな、そんなことやってるとそのうちコロッと死んじゃうよ」と言ってカラカラと笑う。その笑い方は父そっくりだった。そんなこと御先祖に言われる筋合いはないと思い、「うるさいな、今仕事中なんだ」と声を荒げた。遂に仕掛けてきたと思い負けられないと思ったせいで些か攻撃的になってしまった。いや霊には強く意思表示した方がいいとどこかで聞いたことがある。
「怒りっぽいのも良くないな」からかうように言うその声もまた父そっくりだった。相手にしてはいけないと思いつつも更に語気を強めて「いい加減にしろ」と私は言った。「いくら御先祖だからって人の仕事の邪魔をしていいって法はない」人の行動にまで一々難癖をつけられては堪らないと思い、早いうちに釘を刺しておいた方がいいと思った。付け入る隙を与えたら負けだと思った。
「先祖を邪魔者扱いたあ随分じゃねえか」急に喋り方までが父のようになり、まるで父に言われているようで尚更腹が立った。いや父に言われたのなら腹は立たなかっただろう。御先祖だから腹が立ったのだった。父の声を真似ていることに腹が立ったのだった。
「事実を言ったまでだ」
「これだよ。最近の奴は口の利き方も知らねえんだから困るね。一体誰に教わったのかね。なあ、先祖はもっと大事にするもんじゃねえのか。ああ、世も末だね」御先祖はそう言うと大仰な身振りで芝居っぽく嘆いてみせ、「こっちだってな、何も好き好んで出てきてんじゃねえんだ」と言い、いつの間にか周りに集まってきて私を取り囲みひそひそ囁き合っていた御先祖たちに同意を求めるように見廻した。周囲の御先祖たちは皆一斉に頷いた。それを確認してから御先祖は続けた。
「抑も何でおれたちを避ける。仮にも先祖だぜ。おれたちがいなけりゃお前だってこの世にゃいねえんだぜ。それにはそれなりの扱いってもんがあるんじゃねえか。なあ」と言ってまた周囲に同意を求めた。御先祖たちの頷きの中から「そうだ、そうだ」という声が返ってきた。 「別に避けてるわけじゃ」
「避けてるじゃねえか。こうしてわざわざ出てきてるのによ、無視するたあどういうこった」
「別に出てきてくれなんて言った覚えはないですよ。それに無視してるのはお宅らの方でしょ」
「屁理屈を言うな、若造が。大体墓参りだって来やしねえじゃねえか。それにお前、引っ越そうとしただろ。おれたちなんか相手にもしてらんねえってわけか。何様のつもりだ」
「何様のつもりだ」と誰かが唱和した。
「引っ越すのは自由でしょ。一々お宅らにお伺い立てる必要があるんですか?」
「自分さえ良ければそれでいいって言うわけだ。先祖を大事にしようてな気持ちもこれっぽっちもねえんだ。そんな奴に根柳を名乗る資格はねえ」周りの御先祖が一斉にうんうんと頷く。
確かに墓参りには行っていなかったがここで引き下がっては負けだと思い、「そんなことない」と激しく否定したが、「ふん」と鼻で嗤われた。「嘘つけ」という声が脇の方から聞こえた。周囲の御先祖たちもだんだん興奮し始め、語気を荒げ手を振り上げて私を難詰しだし、しまいには御先祖全員で私ひとりを寄って集って罵り始めた。「先祖を馬鹿にするな」「この罰当たり」「根柳家の恥だ」などという声があちこちから聞こえ、フロア全体に飛び交い谺し響き渡っていたが、次第にそれはひとつになり最後には合唱のようにハモっていた。「罰当たり」を皆で連呼していた。耳を聾する大音声が私を襲った。