友方=Hの垂れ流し ホーム

目次 第一回へ 第二回 第三回へ

戻る  

五段 六段 七段 八段

六段

月下の廃屋

まず巨視的視点に立って大まかな当たりをつけて全体を把握したら次にそれを手懸かりに微視的視点へと移行して全体の構図を保全しつつ誤りがあれば適宜修正して次第に細部を描出して構築していくというデッサンの基本的猫法に則して自身の記憶を辿っていくと、最初に朧ろげに見えてくるのは薄気味悪くほの光って遍く周囲を照らしている頭上の真っ白い月のその異様な真っ白さで、その月の異様な真っ白さを妙に薄気味悪く感じたのを思いだし、それに派生して出てくるのは夏というのに鳥肌立つほどうそ寒い草ぼうぼうの小屋前に聡志と二人佇んでいる光景だが、当初五人の参加者が予定されていたにも拘らずそこにいるのが私と聡志の二人だけなのは待ち合わせ場所に時間通り来たのが私と聡志だけだったからで、あちこち藪蚊に刺されムヒを持ってこなかったことを後悔しつつボリボリと身体中を掻きむしりながらそれでも十一時までは待っていたものの他の奴はいつまで経っても現れないのでやめにしようかと私が言うと、ここまで来てやめるのも癪なので二人だけでも決行しよう、いやならおれ一人でも行くと聡志は言い張り、それにおし切られる形で夜の暗さと辺りの静けさと季節感をまるで無視した不自然な寒さと月の異様な真っ白さとで聊か怖気づいていた私を他所にズンズン歩いていく聡志の後ろに私はついて行ったが、やがて懐中電灯の光線に照らしだされて目的の小屋が見えると聡志は立ち止まってゆっくり振り返って私に知らせ、私が頷くと聡志も頷いてしばらく並んで小屋の前に佇んでいたが、背後の異様な真っ白い月明りに照らされた小屋は昼間見るよりも一層薄気味悪くて早くも後悔の念が湧出してくるものの今さら聡志一人をおいて帰るとも言えず、観念して腹をくくって足踏ん張ってその場にとどまっているが、さらに追い打ちをかけるようにポツポツと小粒な雨が落ちてきて私と聡志の体を濡らしにかかり、ことさらそれを厭うわけではないもののその雨を避けるように朽ちてぼろついて腐れ果てた戸を強引に引き開けて小屋内に不法侵入し、見る影もなく朽ち果てたその小屋内の光景が眼前にありありと現前し、あの廃墟と化した掘っ建て小屋に聡志とともに今また再びやって来たような錯覚を覚えるほどそれは実にリアルに精緻に再現され、その時感じた不安や期待までもが忠実に再現再構成されて朽ちて穴だらけの屋根から侵入してくる雨や破れて抜けた床から生えでている草やポタポタ落ちてくる雨漏りの滴の音やザワザワと不審な響きで鳴る葉擦れなどに言い知れぬ不安をかき立てられ、何より眼前の引戸の奥にあるはずの階段に尤も意識が集中して緊張するがそれは聡志も同様らしく、常にそれを気にかけながらその引戸の真ん前に持参のビニールシートをバサリと広げてヒラリと敷いて「遠足にでも来たみたい」などと心にもないことを言ったりして気を紛らせつつ、この時のために用意した持参の駄菓子類を悉くビニールシートの上にぶちまけて貪るように食べて不安とともに咀嚼し嚥下して口内に残るそれら日常口にしている駄菓子類の混合された味を味わうことで辛うじて冷静な日常的思考を維持することができ、小屋内を冷静に観察することができるのだったが、揺らめく蝋燭の薄明りではあまりに暗過ぎて折角持ってきた漫画は読むに読めないのですることなく、時間を持て余して夜の長さを身に染みて感じてふとこのままずっと夜がつづいてどれほど待っても永遠に朝は訪れないのではないかと思ってまた不安がぶり返しそうになり、慌てて駄菓子を頬張ってモグモグポリポリやりながら眼前の聡志を窺うと、親指と人差指の二本でビスケットを二、三枚一纏めにつまんで今まさに口に入れる体勢のまま凝固して首を左の方に捻じくり曲げて引戸を凝視しており、釣られて私もその視線の先を追って引戸を見るとカタカタと微かに音を立てて鳴っていて、いくら風通しが良すぎるほどの廃屋とは言っても不気味なことには変わりなく、しかもこの時風など少しも吹いてはおらず、つまり全くの無風状態なのにも拘らず朽ちた引戸だけがカタカタと笑うように鳴っていて、というより笑っているとその時私は思い、途端に世間でのあらぬ噂が後頭部辺りから凄まじい勢いで噴出してグルグルとめまぐるしく飛び交いはじめ、どうしてもそこに何か霊的なものを見出さずにはいられず、否応もなくその霊的な禍々しいものの気配は濃厚になっていってそれが最高潮に達した所でもはやこれまでと断念して聡志を窺うと、カタカタと笑い鳴っている眼前の朽ち果てた引戸を前にして眼をランランと輝かせ口許に薄く笑みすら浮かべてそのカタカタと笑い鳴りやまない腐れ朽ち果てた引戸を凝視しつづけており、その聡志を凝視していると「何かついてるか?」と粉を吹いた口許を拭った手の甲を濡れ布巾で丁寧に拭きながら言って一かけの粒餡の大福餅を口に入れる聡志は、三十年前の聡志と容易に連絡することができるほどその変化のあとは僅かだが、私の方はまるで別人になってしまい、いやそれ以前からの微細な変化の蓄積は当然あるだろうがそれを考慮に入れてその分をさし引いたとしてもアレが決定的に容易に見分けもつかないほどにも私を変質変容させてしまい、聡志がまるで他人を見る眼で私を迎えたことでもそれは窺える。

充分過ぎるほどの休憩を取ってその踊り場の四畳半を出てギシと床杉板を軋ませて二人並んで踊り場に立って上方の闇を仰ぎ見ると相変わらず真っ暗い闇が濃厚に立ちはだかっていて何も見えずその重圧に息が詰まりそうになるが、その闇があまりに濃く深く何かゴツゴツした物のような手応えをさえ感じるためかその果てには上る者を期待させずにはおかない何かがありそうで、いやあるに違いないと確信して一歩一歩足を踏みだすのももどかしく脇目も振らず目的物に直行する子供みたいに思わず駆けだしてしまいたくなるのを極力抑え、自己の体力と上るペースを考慮してゆっくり確実に上ってギシギシとえも言われぬ軋みを掻き鳴らし、上っている間はお互い口も利かずただ黙々と上ることにだけ専念しているが、階段の軋みがうまい具合に間を繋いで沈黙の不安を和らげる緩衝剤の役目を果しているのでその沈黙が何ら苦痛でもなく、会話は専ら疲労した肉体を休めているときに踊り場の椅子に腰掛けながらあるいは四畳半の卓袱台を挟んで餅菓子米菓子を突つきながら交し、それもペースが落ちているだの腕の振りが甘いだの息が上がっているだの筋肉が張っているだの年齢を考えろだの煙草は控えた方がいいだのと実際的なことしか口にしないがそれだけで充分盛り上がって愉しく、それに階段での会話は何か夾雑的に響いて軋みの邪魔になり十全な愉楽を味わうことができないようにも思えるので上るときは上ることだけを考え上ることだけに集中して上るよう努め、そのようにして私が前を行ったり春信が前を行ったりと交互に入れ替わりながら上へ上へと闇を見据えながら逃げていくその闇を追うようにギシギシと軋゛みを上げてその軋゛みを鎧い纏って上っていくが、その二人の足並みは特に意識しているわけでもないのにピッタリと同期同調してその四本の足が立てる階段の軋みを聴くと二人の人間のものとは思えず一人のようにしか聞こえないのが不思議で、前を行くときには春信が本当に後ろにいるのか本当に私のあとについて上ってきているのかどうか気になって何度となく振り返ってそこに春信の姿を認めて安堵し、後ろを行くときは前にいる聡志が影のような存在に思えて幻覚ではないのかあいつのような実体のない幻なのではないかあいつの攻撃を牽制するためにあるいはこの堕落した私を導いてくれる先導者を求めんがために生みだした虚像なのではないかと不安になり思わず手をさし伸べて確かめずにはいられなくなって何度となくその肩をその腰を叩いてしまうのだったが、「ん?」と言いつつ振り返る前を行くその人物が紛れもなく聡志であいつではなくつまり虚体ではなく実体だということを確認するまでの途轍もなく長い一瞬間の緊張の高まりはすさまじく、普段の低血圧が嘘のように動悸激しくドクドクと脈打って激流となった血液が頭部に結集して二倍にも三倍にも膨れ上がるような気がしてクラクラとのぼせ上がるし眩暈はするしで、あとで思い返すとその極端な高ぶりようが我ながら可笑しくて「変だよな」と聡志にも同意を求めつつことさら自嘲的に笑ったりするもののこればかりはどうしようもなく、その振り返った聡志と顔を見合わすたびに粒餡の大福餅が咽喉に詰まったような息苦しさを覚え、たとえ犯罪者逃亡者隠遁者に似つかわしいむごたらしくも無残な最期を遂げることは免れうるとしても粒餡の大福餅の器官閉塞による窒息死を免れることは恐らくできないだろうとふと思い、それは正月に餅を咽喉に詰まらせて死ぬ年寄りと同様にいかにも滑稽で傍迷惑な死だが隠遁者犯罪者逃亡者の死にはそれもまた相応しいものかもしれず、むごたらしい死を死ぬよりは滑稽味があるだけ幾分ましだ、いや、粒を残して小豆の触感を温存させた餡をモチモチした真っ白い吸いつくような餅でやさしくくるんで片栗粉をまぶした私にとってなくてはならない永遠の伴侶とも言える粒餡の大福餅を食道にとどめて永久に消化しないまま彼岸へ旅立つ、いや、旅果てるというのはむしろ本望ではないかとさえ思えてきて、その思いを堅持することで前後から押し迫ってくる深く濃い闇を辛うじてかわすことができ、分厚く張った氷塊を砕きすすむ砕氷船のようにその闇を切り裂いて上へと上っていくことができるのかもしれないが、それよりも何よりも私を援護し後押しするのは階段のこのミシミシというえも言われぬ軋みで、愉楽の極みとも至上の陶酔とも言えるこの軋みを聴けば闇の深さ濃さなど何ほどのこともなくグイグイとその闇をかき分けすすむことができるのも聡志とともにあるということも多大に影響していて、その聡志に便乗してまた上を目指すことになったとは言うものの、そもそもなぜそんなことを言いだしたのか思えば自分でもよく分からず、単なる興味本意なのかも知れないがそれだけでは割りきれない何かがあるような気がしないでもなく、黙々と楽しげに階段を上る聡志を見ていると私も楽しくなり階段の軋みまでが何か楽しげに鳴り歌うように響いている気がして更に上を目指そう、そこにはきっと素晴しい何かが犯罪者で逃亡者で隠遁者の私をさえ包み込んでしまうような巨大な何かがデンと横たわっているという気になるから不思議で、逃亡のために上っているときの必要以上の背後への恐怖や追い立てられるような切迫感や前後に迫る闇そのものへの言い知れぬ不安など微塵もなく、一日上りつづけたあとの筋肉の張り具合やその疲労も恐怖や不安の対象ではなくむしろ心地よく感じられるし眠ることの不安もなければ自身の存在そのものへの漠とした不安すら蒸散して何もかもが快適で、祭り上げられ崇拝され畏敬され絶対不可侵の領域にされていつしか忘れられてしまった階段の本来の使用法利用法活用法とはこういうものなのか、階段とはある種の通過儀礼のようなもので内にある汚れを落とし澱を拭い去って身を清めて浄化をもたらす禊のような装置なのかもしれず、そうであるなら私の内にあって私を責め苛んでやまない私の汚れとも澱とも言えるあいつを私から拭い去り消し去ることもあるいは可能かもしれず、上りつづけていればいつか晴れ渡った明るい世界へと抜けでることができるのかもしれず、軋みの癒しとはそういうことなのかもしれないと思うと俄然筋肉の動きが活発になり、後ろから突き上げ急き立てるようにミシミシと軋みを上げるが、前を行く聡志は落ち着き払ってはやる私をセーブして階段の上り方はこうだと教示するように規則正しく交互に足を出して一歩一歩踏板に足を乗せ、最もいい具合に踏板をしならせて最もいい音色で踏板を軋ませようと慎重に体重をかけてミシミシと目眩のするほどいい音をさせて上っていきつつチラリと振り返ってどうだと聊か自慢げにその眼で語って私を促し、その聡志の巧みな手本にならって私も一段一段着実に最高の軋みを心がけつつ上っていき、そのように二人してミシミシとえも言われぬ軋みを存分にかき鳴らして濃密な闇を切り裂いて階段を上っていく聡志と私の合計四本の、いや、ピタリと同期しているために二本になったその足が鳴らす軋みは壁板に反響し天井に反響して階段内の空気を歓喜に振動させ、それが体を伝わって細胞という細胞の代謝を活性化させる効果があるかのように気分が昂揚していくのが分かり、上れば上るほどその位置エネルギーの増加とともに力が増していくような気さえしてペースも徐々に上がっていき、上ることそれ自体がたゆみない愉楽をえも言われぬ陶酔をこの身にもたらし、私は癒されているこの階段に癒されていると心底思って無意識的ではあったものの私のこの選択は間違いではなかったのだと嬉しくなるが、調子に乗ってペースが乱れるということもなく程良い疲労と程良い空腹を抱えて「疲れた」と部屋に上がって「腹減った」と青畳に頽れ、夕食までの間繋ぎにと卓袱台に出した真っ白い粉を噴いて真っ白く輝いているアンコたっぷりの粒餡の大福は悉く私と春信の胃内にほぼ一対三の割合で納まったが、それでもまだ物足りなげで口寂しそうにカラになった菓子盆を見つめている春信に「まだあるぞ」と勧めて新たに大量に補充するとこれも忽ち食べ尽すというほど春信は粒餡の大福を好んで食べ、「これさえあればあとは何もいらない」とまで豪語する春信のその豪快とも言える旺盛な食べっ振りにあの青々しい月の仄輝きがまたも現前し、この踊り場の四畳半があの掘っ建て廃墟小屋へといつの間にか変貌してなかば廃棄され掛かっていた埃塗れの黴臭い記憶までが連れだされ呼び覚まされて鮮明クリアな像を結んで展開するのを記憶の最構築に好都合とその幻覚幻影を逃すまいと逐一観察しようとするものの、もう一方の眼の前にも春信が卓袱台越しに坐っていて旨そうに粒餡の大福を頬張りつつ眼鏡の奥の円らかな瞳をパチクリして頻りにあれこれ訊いてくるためそっちの方に優先的に意識を向けざるを得ず、適宜答えなどしているうちに青月夜の光景は遥か後景へと引っ込んでしまって気がつけば跡形もなく霧散しており、途方に暮れた私は手持ち無沙汰に濡れ布巾で大福の粉の飛散した卓袱台を拭いて気を紛らすより他なく、隅々拭き清めて拭くところがなくなってしまうと丸い卓袱台の縁を時計廻りにグルグル延々と眼でなぞって何とかもう一度青月夜を呼び戻そうと試みるものの総て無駄足に終わった。

五段 六段 七段 八段

戻る 上へ  

 モバイル版へ

目次 第一回へ 第二回 第三回へ


コピーライト