友方=Hの垂れ流し ホーム

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幾重にも包まれたその荷を解くのは容易ではなさそうだったがプロの手際で素早く作業は進められ、古いのと引き替えに運び込まれたそれが所定の場所へ据え置かれると中古とはいえ見栄えよく、クリーム系の色合いによってキッチンが一際明るく華やかになったと自身の見立ての正しさを誇りかに示した弥生は雨のなか買いだしへ出掛けてまだ戻らず、その間瀬田はすることもなく冷蔵庫の前に佇んでそれを眺めたりしていたのだったが、電源をコンセントに差し込みアースを接続するとモーターが作動して低い唸りをそれは発し、艶やかなボディが心做しか震えたように見えたのは錯覚かもしれないが扉に掌を宛うと微かに振動しているのが感じられ、次いで扉を手前に引くとメリメリと剥がれるような音を立ててそれは開き、同時に中の明かりが点灯して庫内を照らしだす。大方は処分してしまったから入れるものとてまだないが、広々した庫内は乾燥した空気に包まれて吹きだす冷気のツンと鼻腔に刺さる匂いに瀬田は眩暈し、一頻り棚の具合など確かめてからゆっくりと扉を閉めると小さく頷き、何ごとか口のなかで呟きながらリビングへ戻ってソファに掛け、いつまでも止まない雨を眺めながら弥生の帰りを待つが待ちくたびれて寝てしまった。

目醒めると一室は強い香りに満ちていて青々したリンドウがグラスに挿してあるのを瀬田は眼に留め、眼前のテーブルに飾られたそれを見て重い溜息をつくが、キッチンに立つ弥生の姿を認めて安堵したように身じろぐと、向こうも気づいたらしく起きたのと声を掛けてきたから起きたと返すとそれなら手伝ってと弥生は言い、その声に救われたように瀬田は立ち上がると食事の支度を手伝う。水を張った鍋を火に掛ける弥生の横で瀬田はニンニクを包丁の腹で潰し、それをオリーヴ油とともに弱火でじっくり炒めてから椎茸しめじ舞茸マッシュルームを加えてさらに弱火で加熱し、しんなりしてきたところで白ワインを加えてアルコールを飛ばし、生クリームを加えて少し煮詰め、塩、胡椒で味を調えたらあとはパスタの茹であがるのを待つだけだが、湯のなかで踊るそれの一本を弥生は菜箸で摘みあげると切り口を眺めてから噛んで確かめ、フライパンを軽く揺すりながら「どう?」と鍋のなかを瀬田が覗き込むと「もうちょいかな」と菜箸を瀬田の口元へ差し翳したからそれを瀬田も噛み、一呼吸置いてから弥生はそれを笊にあけると瀬田の持つフライパンに入れ、瀬田は手早くソースと絡めるがあまり勢いよくフライパンを振ったせいで具材が飛び散り飛沫が撥ね、顰め面になる弥生に詫びつつ慎重に皿へ盛り、サラダとスープとともに弥生がそれをテーブルへ運ぶあいだに鍋とフライパンを瀬田はナイロンスポンジたわしで、テフロン加工面を傷つけぬよう緑色のナイロンのほうではなく黄色のスポンジのほうで洗う。冷蔵庫にビール入れといたからとの弥生の指示を受けてグラスとともにそれを持ってゆくと、濃厚なクリームときのこの香りが一室に拡がってリンドウはなかば駆逐されているが、それでも瀬田はそれから距離をおいて座に着き、ふたつのグラスにビールを注ぐとひとつを弥生へ手渡して新たな門出を迎えた冷蔵庫に乾杯した。サラダもスープも申し分ないがパスタが塩辛かった。

食事が済むと濃厚なきのこの香りは徐々に劣勢になってそのうちまた一室はリンドウに満ち溢れるが、その香を弥生は好んでいるようでグラスを鼻に近づけていつまでもクンクンして飽きず、とはいえその香のすべてを弥生が吸い込んでしまえるはずもないから少しでも散らすことができればと瀬田が細めに窓を開けると、風がないからか空気はさして移動しないし辺りは森閑と静まり返っていて、そのせいか微かな衣擦れさえひどく遠くまで響き渡って息が詰まるしその静寂が臭いを際立たせもするらしく、落ち着かなげに瀬田は視線を彷徨わせる。日が落ちてから雨足はずいぶんと弱まったし風も収まったが霧のような雨に視界が悪く、一帯を白っぽく霞ませるそれはあらゆるものを包み込んでしまうし草深い山のなかだから誰が見ているというわけでもないのだが誰かに見られているような気がしてならず、とはいえこういったモノの始末は専門分野だろうから湯之塚を信頼することは決してできぬながらも万事抜かりはないはずとそう瀬田は思い、それでも拭いきれぬ不安が目の前にあり、自らその一方の端を抱え込んでいるそれは死体にほかならないが、それが牧野かどうかなどということはもうどうでもよく、ただこの苦役から解放されたいだけだった。

少し開けた場所へ出ると民家の明かりもちらほらと見えたから見つかる可能性もなくはなく、そう思うと緊張は弥増して手のなかの梱包もズシリと重くなり、それでなくとも雨に濡れて滑るから持ちにくく、両手でしっかりと抱え込んでいないと落としてしまいそうだから歩みも至って遅く、道のりはだから長く果てしなくつづくかに思え、動悸の高鳴りを気取られぬよう平静を装いながらまだかと瀬田が問えばもう少し先だと男は顎をしゃくって坂の上方を示すが、真っ直ぐにつづくその先は靄に包まれて見定められない。それでも誰かに見咎められるといった最悪の事態に陥ることなく搬送は片づき、安堵の溜息を瀬田が漏らすと「お疲れさん」と爽やかな笑みで瀬田の肩を叩きながらあとはこっちで片づけるからと湯之塚は言い、次いで車へ乗るよう促すが今度はどこへ連れてゆく気か、いよいよこの身が始末される番なのかと尻込みすると気を利かせたつもりか歩いて戻るのは大変だろうから車まで送ると湯之塚は言うのだが、とても信用できるものではないから尚も固辞するといいからいいから遠慮すんなってと無理やりに押し込められてしまった。

路面が悪いうえに運転が乱暴だから両足を踏ん張っていないと体を持ってかれそうで、しかも車は幾度となくスリップするしそのたび草叢に突っ込みそうになったから肝を冷やすが、湯之塚はむしろそれを楽しむかに鼻歌など口ずさんでいるから尚さら不気味で、先行きの不安よりも粗暴な運転に瀬田は恐怖して腋の下に嫌な汗を滲ませていたが、車が停車すると安堵の溜息を漏らしたのも束の間トランクのなかのモノと同席することになるのかと元もとの恐怖が再燃し、心做しか手足が震えているしドアロックの外れる音にも過剰に反応してしまう。運転席のほうへ眼を向けることさえできぬまま硬直していると右のほうでシートの軋みと衣擦れが聞こえ、次いで下のほうから腕が伸びてきたからその手に握られた拳銃で頭を砕かれるのかと首を竦めるが手には何も握られていない様子で、ただ前のほうを指し示しているだけらしいが、そんなふうに湯之塚の動作にビクビクしながらもその指差す前方を窺うと靄に包まれてよくは見えぬながら車が一台停まっていて、恐らくそれは瀬田の車に違いなかった。降りたものかどうか決しかねていたが降りないわけにもいかず、とはいえまだまだ安心はできず、歩いてゆく瀬田を後ろからズドンとやる可能性だってなくはないし助かったと安心させておいて仕留めるそれがヤクザの常套だと思えば尚さら出るに出られず、そうかといってこのまま湯之塚についてゆくわけにもいかぬから降りるしかなく、震える手でドアを開けると立ち込める靄のなかに瀬田は降り立つが、忽ち体が濡れそぼつ。寒さのせいではない震えに身を縮こまらせながらも少しく車から離れるとそれはすぐに靄に霞み、その視界の悪さからして草叢へ逃げ込めば助かるかもしれないと瀬田は考えるが思うように体が動いてくれず、すぐ後ろが草叢なのにもかかわらず茫と突っ立ったまま湯之塚の車を注視していた。次の瞬間動いた。といってそれは瀬田ではなく車のほうで、空吹かしのエンジン音が四囲の静寂を破ったかと思うと急発進し、瀬田のほうへ突進してくるかに見えたのはしかし錯覚で、泥を跳ね飛ばしながら車は泥濘をバックしてゆき、道幅の少し広い場所でスピンしたように方向転換するとそのまま靄のなかへ消え、もう戻ってはこなかった。

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