友方=Hの垂れ流し ホーム

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最初はいつだったか忘れたけど、多分クリスマス前だ。メモ魔じゃないから一々そんなことまで記録なんかもしてないけど、でもまーその辺だ。街中電飾だらけんなってうるさいぐらい賑わってたことは確かで、そん中を嫌な気分で歩いたの覚えてるから。ピンポンピンポン鳴らすんで、てっきり現次か誰かだろーとか思って開けたんだけど、そーじゃなかった。初老の紳士って感じの背の高い人が、陰気な顔してドアの前に突っ立ってた。見上げるほどだったから180は軽くあったと思う。たわわに実る稲穂みたいに白髪の頭垂れて、フラフラ体が揺れてた。その揺れに合わせて前髪もフラフラ揺れてる。深呼吸でもするみたいに息深く吸ってその揺れ止めて、「聖さん、いらっしゃいますか?」ってその人は言った。

「は?」何が何だか分かんなくて思わず訊き返してた。うちには聖なんて人はいないし、親戚にも知人にもそんな名前の人はいない。でもその人は確信込めた表情で「いや聖さんです」って重ねて言って、念押すよーに軽く微笑み掛ける。思わずこっちも笑っちゃいそーんなるぐらい厭味のない爽やかな笑顔で、自分が間違ってるなんてこれっぽっちも思ってないらしー。

「いや、いませんけど……」それでよーやく自分の間違いに気づいたみたいで、困ったよーな顔してイヤイヤするみたいに首二、三回左右に振ってから、「こちらは聖さんのお宅ではないんですか?」ってゆーからはっきり「違います」ってゆーと、ひどく落ち込んじゃって首カクンて落としてバサバサ前髪垂らして悲愴感漂わして、「そーですか……」とか床に向かってゆーと、とぼとぼ肩落して何度か振り返って首傾げたりしながら帰ってった。

それから堰を切ったよーにどんどん来だした。そして間違いなく聖氏を訪ねておれんとこに来んだった。来る人来る人が聖さんはいるかって訊くんだった。「いえいませんけど……」って言えば大概は「そーですか……」って言って肩落して帰ってくけど、中には「えー、嘘でしょー?」とか言って中覗き込もーとする奴がいるし、「またー、そんなこと言ってー」っておれ押し退けて上がり込もーとかする奴までいる。「隠したって駄目です、ここに居んのは分かってんですから」とか言って怒りだすのもいたし、「隠すと為んなんねーぜ」とか脅し掛けてくんのもいたし、いないって言ってんのに「あの、じゃー、これだけでも渡しといて下さい」とか言って、折詰めかなんか出して無理やり置いてくのもいた。

年齢は区々だった。若い奴もいれば年食ったのもいて、恐そーなヤクザみたいなのもいれば小学生五人連れってのもあった。腹の出た妊婦さんも来たし乳飲み子抱えた親子も来た。一家五人総出ではるばる東北の方から来たのまでいる。スーツ着たサラリーマンも来たし制服着た女子高生も来た。みんな聖氏訪ねてくんだった。管理人に訊ーてみたけど前に借りてたのは聖とかゆー人物じゃないし、過去にそーゆー人物が借りてたこともないってゆー。どこでどー間違ってうちに来んだろーって考えてみたけど分かるわけなかった。迷惑千万な話だった。朝五時ぐらいから早起きの年寄りはやって来るし、夜中の三時四時頃には夜更かしの若者が大勢で押し寄せたりとかして、寝る間もなかった。

40ぐらいのオバサンだったけど、眼ー吊り上げてヒステリックに声上擦らせて、「独り占めしよーなんて汚いわよ。そこどきなさい」とか言ってグイグイ押してきて、強行突破しよーとかする。バーゲンかなんかで鍛えてんのか妙に力とか強くて、危うく押し退けられそーんなった。こーゆーオバサン連中がいちばん質悪くて、どーしても中に入れないって分かると悪態ついてドアとか蹴っ飛ばしたり自棄糞んなってチャイム押し捲ったりすんだった。

いちばんしぶとく粘んのもやっぱオバサンで、小一時間ぐらいドアの前にいたりする。「開けなさいっ、開けなさいったら」とか言ーながら二時間ドア叩いてたのもいたし、「こんなことしてどーなるものでもないでしょ。聖さんはあなただけのものじゃないのよ。そーゆー自分勝手なことは止して、もっと大人になりなさい。さー、ここ開けてちょーだい」なんて説教し始めたりすんのもいたし、「聖さんあっての私なんですー。この誰もが餓える世にー、ドンと構えてなんかいらんないでしょー」とかわけ分かんないこと涙ながらに訴えんのもいた。「農村部じゃ酸性雨と格闘してるってのに、あなたはこんなとこで何やってんの?」とか言われても俺には分かんないし、ついてけない。

紙にマジックで「聖氏不在」って書いてドアの前に貼ったりもしてみたけど、全然効果なかった。ってゆーか却って不審に思われて余計ドア叩かれたからすぐ剥がしちゃった。

一遍訊ーてみたことがある。みんながみんな口揃えて聖さんてゆーの聞ーててやっぱ気になるんだった。聖ってゆー人が一体誰なのか知りたくなんのは当たり前だ。度の強い眼鏡掛けた30代前半ぐらいの貧相なサラリーマンで、外廻りだからか靴ボロボロでスーツもヨレヨレだったけど、「あの、聖さんて、誰すか?」って訊ーただけなのに眼ー円くして驚いて、「しっしっ知らないんですか?」とか大袈裟にゆーんだった。「聖さんですよ?」

なんか相当有名な人らしー。タレントかなんかだろーか、それとも超有名な大学教授かなんかだろーか? でもそんな有名ならズケズケ押し掛け訊ねてくるなんてのはちょっとおかしー。でも案外そんなもんかもしんない。今日び有名人の家の前には観光バスも止まるぐらいだから、ファンがゾロゾロ来るぐらいごく当たり前のことなのかもしんない。益々その正体知りたいとか思って「誰なんすか?」ってまた訊ーたら、「ホントに知らないんですか?」って言って近づけてきた顔を「冗談でしょっ?」って言って遠ざけた。余っ程興奮してるみたいで眼鏡曇ってる。「いやホントに知らないんです」ってゆーと、一瞬全身が凍りついたよーに硬直したけどすぐに不安げな顔んなって、「恐ろしー恐ろしー」とか言ーながらピューって逃げるよーに行っちゃった。他の人にも訊ーてみたけど大概驚いて逃げた。

これはいけるって思ってしばらくは訊き返してた。面白いよーにみんな逃げてった。中には腰抜かしてへたり込んじゃった婆さんとかもいて、「大丈夫すか?」って手ー差し伸べたらまるで化け物に取って喰われるとでもゆーよーに、悲鳴上げてその手を払い除けよーとかした。手ー合わせて「ナンマンダブナンマンダブ」って念仏唱えたりする婆さんもいたし、泡吹かして白眼剥いてひっくり返ったり、痙攣起こしたり脳震盪起こしたりする奴もいて、そーゆーのは逆に困ったけど大概は飛んで逃げてった。

でもそーやって訊ーてって断片的に掴んだ聖氏の情報を総合してみても、その全体像は浮かび上がっては来ない。小学校の恩師だみたいなことゆー奴がいれば郷土史家だってゆーのもいたし、何とかゆー慈善団体の偉いさんだってゆーのもいれば政治家に影響力持ってる裏の実力者だってのもあった。革命党派の幹部だってのもいたし、ヤクザの幹部だってのもいたし、何とか寺の偉い坊さんだってのもいた。いつぞや危ないところを助けて頂いた命の恩人だとかゆー奴もいたし、いつもいつもよくして頂いて、一度お礼に上がらなければと思ってたんですとかゆー奴もいた。どいつもこいつもゆーことバラバラで、聖氏を知ろーとすればするほどその輪郭はボケてくるし、情報が多くなればなるほど全体は霧に包まれて見えなくなる。そのうち訊くのも面倒臭くなって相手すんのもうざったくなったんで、それからは警戒して滅多にドア開けなくなったけど、開けないといつまでも居座ってチャイムとか鳴らし続けんのがいたりして、近所の迷惑もあるんで最後には開けざるを得なかったけど、ドアチェーン掛けて中には絶対入れなかった。

それがうっかりドアチェーンすんの忘れてて、細めに開けた隙間にするりと腕入れられて初めて気づいて、ヤバイって思った瞬間にはもー体の半分が中に入り込んでて、慌てて閉めよーとしたけど「痛いイタイいたたたた、死ぬシヌしぬー」って気違いみたいに大声で喚き立てるから仕方なくドア開けら、今度は全身グイグイ押し込んできて強引に中まで入ってきちゃった。腰の曲がった老婆が三人、横一列に並んでおれの部屋の狭苦しー玄関に立ってる。見るからに見窄らしくて線香臭くて今にも臭ってきそーだった。ってゆーか臭ってた。線香で出来てんのかってぐらい臭ってた。

「なんすか?」年寄りだからって嘗めて掛からず語気荒くゆーと、殆ど泣き出さんばかりの涙声で真ん中のいちばん背ー低い老婆が「あの、聖さんに会わせてくれませんか」ってゆー。そのあまりにも切迫した言ーよーにちょっと気圧される。透かさず右の老婆があとを受けるよーに「私たち、聖さんがいないと駄目なんですー」とかゆー。ズルズル音立てて鼻啜って、右手に握り締めたハンカチを頻りに鼻に押し当てる。時々それが糸を引く。左の老婆は咳ばっかしてて、ゲホゴホげほごほってだんだん激しくなんの見兼ねたのか、真ん中の老婆が手ー伸ばして背中摩ってやりながら、「これなもんですから、何とかその、聖さんに、会えないでしょーか?」って言って縋るよーな眼でおれを見るんだった。「一眼でもいーんですっ」って透かさず右のが言ってズルズル鼻啜り、左の老婆がげほごほやる。しまいにはホントに縋りついてきて、「どーかお願いですからーお願いですからー」ってやり始めた。ボロボロ涙流しながらしつこく纏わりつくんだった。気味悪かった。

宗教関係の人なんだろーか、聖ってのは。ヤバイ宗教なんだろーか? 身ぐるみ剥がすよーにお布施を何千万って取ったり、安っぽい壺とか仏像とかを高っかい値で売りつけるよーなヤバイ宗教なんだろーか? 終末が迫ってるとか言って集団自殺とかするよーな恐い宗教なんだろーか? 害毒に凝り固まってるとか言って一般市民を大量殺戮しよーとかするよーな狂った宗教なんだろーか? だとしたらあんま関わりたくない。巻き込まれんのは真っ平だ。

「聖なんて人は知らないし、全然関係ないすから、もー帰ってくれませんか」ずばっと言ってやった。セールスなんかもそーだけど、こーゆーのははっきり言わないと分かんないんだ。それで随分痛い目とかも見てるから、バシっと言ってやった。これですっ飛んで逃げ帰るって思った。

「そんなことないと思いますー。ちゃんと調べてきたんですからー」三人でハモってゆー。

飽くまで引き下がんないつもりらしく、放っといたらそのまま座り込みでもしそーに思えたんで、強引に押し出そーとした。軽く手ー当てただけなのに老婆は勢いよくひっくり返って外に転げてった。ちょっと気が引けたけどこの際仕方ない。転げた老婆助け起こそーとあとの二人が続いて外に出たのを見計らって、素早くドア閉めて鍵掛けてチェーン掛けた。老婆たちはピンポンピンポン鳴らしたけどおれは出なかった。10分ぐらいしてからかな、よーやく静かんなったんで覗き穴から外窺って、そーっと細めにドア開けていないの確認した。ドア閉めて鍵掛けてチェーン掛けた。

それからってゆーものチャイムの音に異常に神経質んなった。鳴らない方がおかしーってゆーぐらい立て続けにピンポンピンポン鳴ったからで、恐怖症とまでは言わないけど、殆どそれに近い状態だった。

そんな部屋には住んでらんなかった。悪いことは重なるもんで彼女いなくなった途端にこーだ。彼女はおれの運さえも一緒に抱えて持ってっちゃったみたいだった。いやそーじゃない、彼女のせーなんかじゃない。彼女に責任はない。これがおれの元々の運勢で、彼女がいたお陰で今まで何事もなく過ごしてこれたんだ。彼女が防波堤んなってあらゆる災難からおれを護り、おれの生活をハッピーにしてくれてたんだ。冬場の別れほど応えることはないってゆーことを身に沁みて実感した。身体的な寒さが精神的な寒さと渾然一体んなってとんでもないことになるんだった。寒いなんてもんじゃない。

総てを一新して新たな出発しよって、思い切って引っ越しした。彼女との思い出のあるもんも一切合財捨ててきた。とは言えすぐにってわけにはいかなかった。なにせ二ヵ月の家賃滞納が首根っこをしっかり掴んで放さなかったから。これ何とかしなきゃ出るに出らんなかった。仕送りも底突いてたけど何人かの友人に当たって何とか金掻き集めて支払った。南向きのいー部屋で家賃も安くて掘り出し物って言ってよかった。駅も近いしすぐ下がコンビニだし、文句なかった。おれにとっては理想的な環境だ。

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