他にこれといって事件らしい事件もなかったのか、それとも読者視聴者を魅了させるに足るインパクトが充分あったということなのか、惨殺事件ということで新聞雑誌テレビで報道されて取材陣が家に殺到しもしたらしいが、渉には他人事のようにしか思えず一視聴者としてしかその報道を見ていなかった。事情聴取ということで任意同行を求められたときに洗いざらい総てを話したのはその事件を担当した刑事課の刑事たちがいずれも至極温厚で人当たりのいい人物だったからということも若干あるかもしれないが、その時点ですでに目星はついていたはずで、しかも計画的犯行ではないので何のアリバイ工作もしてはいなかったし綿密精緻な逃亡計画を用意していたわけでもないので逃げて逃げおおせることなどできないのも分かりきっていたからだ。その逃亡生活を渉は想像してもみるが顔が割れぬよう整形手術を施し身元も何も総て捨て去って全くの別人となり、常に追っ手の気配に怯えつつ過ごす一秒一秒の累積に平安などあろうはずもなく、いずれその潜伏逃走の果てのない繰り返しに疲弊して已むなく自ら出頭するか精神的破綻に陥って精神を病むか路上に野垂れ死ぬか、というような陳腐な展開をしか見出せず、しかしその苛酷さは思うほど生易しいものではないと怖気づいて実際的行動に出ることなどだからあり得ず、とはいえ無計画的犯行のゆえに却って足がつかないなどと高を括っていたのでもなく、怨恨によるしかも顔見知りの者の犯行ということなどすぐに分かることで事実そのように報道されてもいたようで、「とすると君しかいないんだよね」と世間話でもするような平淡な口調で聴取に当たった刑事は言うが、その平淡さが底知れなく不気味で何もかもを見通しているように思えて渉は真面に返答もできず、シラを切り通すことなどできないと観念し、その全面自供が効いたのか否かは分からないが辛うじて執行猶予がついたのだった。葬儀に列席した記憶がないことが唯一渉の気掛かりで、あるいは裁判中で留置所だか拘置所だかにいたのかもしれないが、その間の記憶が全く失われているのも解せないといえば解せないし、どのような裁判が執り行われたのかすら覚えていないのは些か変だと思わざるを得ない。
過剰なそれこそストーカー紛いの報道のせいで母芳枝は錯乱し、常に誰かに見られ見張られていると怯えてカーテンどころか総ての雨戸を閉め切って家に籠もって外部との関係一切を遮断し、更には「盗聴器が仕掛けられてるのよそうに違いないわほらそこのそのコンセントそんなの前からあった? なかったでしょそうよなかったわよ盗聴器なのよ全部聴かれてるのよ何もかも見られてるのよ筒抜けなのよ」と取り乱して父真雄に訴えたりもしたらしく、一時期凄まじい様相だったと渉はあとで聞いたのだが、報道の波が収まるにつれて母芳枝の変調も次第に治まってどうにか以前の状態に復したと思えるようになり、以後渉の見る限り再発は認められなかったが、この一カ月また変調を来たしはじめ、いや、取り立てて変というほど変というわけではない。以前のような狂的な妄想に囚われている様子はないし奇声を発するのでもなければ不可解な行動に出るわけでもなく、会話も成立していて日常の起居に何ら不審な点は見られない。とはいえ普通とも言いがたく、いくらか普通から逸脱しているように渉には思えるのだった。電話口においてのみそれが現れるためだが、その通話の相手が尋常な相手ではないのだった。以前から長話長電話の母芳枝は日常における娯楽をそれより他に持っていないので少しでも時間があれば受話器を手にし、休日ともなればほぼ一日家の電話は通話状態で、必然電話料金が一般家庭の平均を遙かに上廻る。結婚当初その電話料金のバカ高さに父真雄は唖然とし、「絶対間違ってる、こんな高いはずない」と電電公社に電話しようとしたと酒が入って話題が尽きると決まってこの話をしてひとり笑い興じるが、それが至極尤もと思えるほど母芳枝の長電話は尋常ではないのだった。その母芳枝の長電話がこの一カ月ほどで更にも長くなり、一階リビングの南面窓際肘掛け椅子向かいの揺り椅子に掛けて前後に椅子を揺らしながら母芳枝は延々話していて、聞き耳立てているわけではないがリビングと壁を隔てていない台所にいれば必然渉の耳にも入ってくる。普段なら笑い興じなどして楽しげな雰囲気なのがこの一カ月ほどは総じて物静かで、どこがどうと確とは言えないものの口振りもこれまでとは違うような気がしてはいた。だから尚更誰と話しているのか何を話しているのか気にもなり、何とはなしに聞いていたのだった。
母芳枝は稔と電話しているらしいのだが、ただ渉には電話での稔との会話の母芳枝の声しか聞こえないのでその全貌が如何なるものかは分かり得ず、その応答から分かることのみ挙げれば稔はすでに結婚していて一児の父にさえなっているらしく、「友紀ちゃんに心配掛けちゃダメよ」だの「ジュンくん元気?」だのにそれが窺えるが、稔の交際相手で幾度か家に訪れたことがある「友紀ちゃん」には母芳枝も面識があるが「ジュンくん」というのは勝手に一子儲けてしまったために記憶のどこかから都合してきたのだろうが、誰に該当するかは不明だし実際に該当する人物がいるかどうかも分からず、母芳枝の理想の孫としての複数人の綜合ということもあり得る。プラスィックのプレス加工機械の製造販売をしている会社の営業を勤める稔は出張が多く留守がちで寝る間もないと愚痴り、過少な賃金で過酷な労働を強いる会社を詰り、上司をボロ糞に罵ってその人間性をまで否定しさり、仕事のあらゆるトラブルを客の容貌から雰囲気特徴口振りまで真似て事細かに説明してその憤懣をぶちまけるということが生前母芳枝との間に幾度もなされたが、母芳枝はそれらの会話を再現しているらしく、頻りに慰め諭し励ましなどしている。これまでにも幾度職を変えたかしれないがその度に「どうしようどうしよう」と母芳枝に泣きついていた稔は典型的なマザコンではないかと渉は思うのだが、何をするにもまず「おかあさん」なのだった。その母芳枝を基点として稔は世界と対峙していて、母芳枝の不在はだから世界での自己の基点の消失を意味し不安になり、その不安の凝結したものが「おかあさん」となって噴出するらしいのだった。迷子になって不安になるのは渉も同様だが、泣き叫んで取り乱して滅多やたらに走り廻った挙げ句引きつけを起こして泡を吹くのは決まって稔のほうで、その泡吹く稔の傍から離れて他人の振りをしていたのを渉は記憶しているが、密かに「ブタカニ」とも「カニブー」とも呼び習わしていたほどのその強烈な引きつけには成人してからも半年に一度は遭遇し、それはしかし滑稽を通り越して不気味だった。そのような母芳枝との強固な結びつきが他者への過剰な攻撃性の拠り所ではないかと渉は踏んでいるが、専門的知識に乏しい通俗的解釈に過ぎないことも承知しており、真相はだから分からない。死者について何を言ったところですでに遅い。
その母芳枝の不在による稔の恐慌は変わることなく続き、ただその顕現が泡吹きから暴力に変じただけで、「おかあさんは?」と訊かれて「知らない」とでも答えようものなら「リサーチしとけバカ野郎」と言って拳固が飛び、毎度のことにパターンを見通せるようになってその微妙な眼球の動きやら体重移動やら体の傾げ具合やら息遣いやら間合いやらタイミングやらで次に来る攻撃が手か足か右か左かローかハイかある程度予測できてしまうためその攻撃を回避しようと無意識裡に体が動いてしまうが、渉がよけるなり交すなりしようものなら「何よけてんだよ」と更に二発強烈なのを喰らう。その攻撃の理由に論理的一貫性は微塵もなく、「返事が〇・一秒遅い」だの「眼つきが反抗的だ」だの「人にケツ向けんな」だの「ハイって言ってりゃいんだバカ」だのといずれも自分に都合よく歪められている。そのうえその身に降り掛かってくる不祥事を霹靂の如く感じている稔はその総てに対して被害者としてしか関係できず、「何にもしてないのに何で僕ばっか苛めんの?」とでもいうように自分が繊細で柔で脆い存在だということを自己のうちにある基点としての母芳枝に対してアピールすることでその攻撃の正当性を獲得するのだが、その他者へと向けられる攻撃性は開き直った苛められっ子の一転して見せる見境のない攻撃性と同質のものにしか渉には思えないのだった。そのように渉は分析しているが素人の浅知恵なので真相はやはり分からず、ただ母芳枝の前では渉に対してほとんど暴力的に振る舞うことはなく、模範的兄を演じていて取り入っていたことからマザコンに関してはかなり確実と思え、とするとあの過剰なまでの攻撃性が母の愛の独占とも思えてき、そう解釈すると総てが肯けるのだが如何にも短絡的過ぎるし自分の都合で如何様にも解釈できてしまうと渉はそれを退ける。やはり死者について何を言ったところですでに遅いのだ。
母芳枝にその自覚はないらしいが電話口で立てる「ヘッヒー」というやけに擦過音の耳につく気色の悪い笑い声が益々あの稔にそっくりになっていると聞くたびに渉は思い、親子なのだから似ていて当然だといえばそれまでだが、一瞬その受話器の向こうには本当に稔がいるのではないかと思うことがあり、しかもそれが死者稔で腐敗し異臭を発するゾンビの如き稔が受話器片手に恨み言を訴えている姿を渉は想像してぞっとすると同時に嫌いな餡蜜豆の寒天を無理矢理食わされるような猛烈なえづきに襲われることがある。というのも寒天のあの水臭い臭いが溺れた中村川のヘドロ臭い水のように思えて寒天を口に含んだだけで忽ちその記憶が現前するし何より体が拒絶するのだった。ゼリーもだから好きではなく、これまでいろいろと菓子を作ってきたがゼリーは一度も作ってはいないし今後も作る気はない。その死者稔ゾンビが齎す強烈なえづきは不意のことなので防ぎようもないが、幸い口中に少量の胃液が上がってくるだけで胃の内容物までぶちまけるようなことは今のところ一度もない。
自ら手を下したことは問われて然るべきと渉は思うものの、あの男の暴虐が死に値するとの思いは今も変わりなく、それについては後悔はだから些かもなく、いや、少しくらいはあるかもしれないが悔やんでばかりもいられず、その怒り苛立ちを発条とも賦活剤ともしなければならず、ひたすら精進あるのみと一日八時間あるいはそれ以上の時間をそれのみに費やし、それ以外の時間にもそれのみを思考しているだろう第一級のプロにいくらかでも肉迫するには何より経験の蓄積が必至だと渉は手を休めずに器具の準備材料の計量に取り掛かる。
ジェノワーズに較べればビスキュイはそれほど困難ではなく、別立てなので泡立ちもいいしメレンゲと合わせるときとでき上がった生地を絞り袋に詰めるときに泡を潰さないよう注意すれば素人でもまず失敗はない。少なくとも使いものにならないほどの無惨なでき上がりになることはなく、この段階ではだから神経の波立つような胃の内側から千枚通しでプスプスと刺されでもするような苛立ちはない。最初の難関はやはりバヴァロア・ア・ラ・ヴァニーユだが初めて作るものなので勝手が分からず、作業の手も必然慎重にならざるを得ないし脇に置いたレシピを幾度も幾度も読み返すが、それでも不安緊張は拭いきれるものではなく、いや、その前にビスキュイに染み込ませるボーメ二〇度のシロップを作らねばならないと渉は慌ててシンク下から手鍋を取りだす。その手鍋で水とグラニュー糖を二対一で沸騰させ、グラニュー糖が溶けたところで火から下ろして水に浸して急冷するが、時間的余裕があればとくに急冷する必要はない。冷めたところでタンネンキルシュを混ぜるのだが、これは近所の見知りの店にはなく横浜駅東口ルミネ地下の成城石井で購入したのだった。生のフランボワーズもクーヴェルチュールもここで購入したのだが、そのフランボワーズと豊の香とを使用した所謂ショートケーキはクーヴェルチュールで飾りを作りなどして力を入れたものだったが思いのほか不評で、いや、あからさまな不評の声はなかったものの好評というわけでもなく、黙々と口に入れ咀嚼し嚥下し口辺に付着したクリームを拭いなどして逸速くこの気まずい沈黙の原因たるショートケーキを抹消せんと手を休めない父真雄と母芳枝を他所に、フォークで掬い上げたジェノワーズ片とフランボワーズ片と豊の香片とクレーム・レジェールとが渾然となった塊を見据えながら何がいけなかったのかと渉は考究するが、クレーム・シャンティーとクレーム・パィシエールを三対一で合わせたクレーム・レジェールに問題があったとも思えないし、ジェノワーズの出来が良くないにしてもシロップをたっぷり含ませているのでさほど気になるとも思えず、生地とクリームとフルーツのバランスが悪かったのか、あるいはフランボワーズが口に合わなかったのかもしれない。生フランボワーズの置かれた棚のその横には生ブルーベリーがあり、その価格は一七〇グラム税込み四一九円と手頃で駕籠にも入れやすいが、生フランボワーズのほうは一七〇グラム税込み一〇四九円と生ブルーベリーの二・五倍で、これはこれで妥当な値段なのだろうと渉は思うものの横並びにある生ブルーベリーと当然比較され、フランボワーズ英名ラズベリーと同じベリー系にしてなぜこうも価格に差があるのかとその価格差ばかりが強く意識されてフランボワーズは高いという印象が未だ拭いがたくある。フランボワーズを使用した菓子は多くあり、やはり一度は使用したい食材だとレシピもいくつか用意してもいたためそれまで敬遠していたのを無理して奮発したのが却って裏目に出てしまい、それを思うと渉は悔やまれてならず、父真雄と母芳枝と渉とで一個ずつ三個は食べたが残りの五個はどうなるのかとその行く末を思えば更にも気分は落ち込んで咀嚼する力も萎えてしまったが、そのときの口腔に拡がるフランボワーズ独特の酸味が思い出されるとともに不意に耳元で「材料のせいにすんなバカ」と稔の声が言い、その暴飲暴食の果ての内臓疾患による臭い息を確かに感じて幻聴幻臭幻触と分かってはいてもその腹立たしさは些かも減少せず、いや、むしろ幻触幻臭幻聴であればこそ腹立ちは増大し、振り返って誰もいないことを確認して更にも苛立ちは募り、手が指が微動して計量が捗らず、追い打ちを掛けるように「ヘッヒー」がいやらしく響き渡ったその拍子にグラニュー糖山盛りの大匙をボールの端にぶつけてその大半をぶちまけてしまう。
小説/literary fictions