Effluents from Tomokata=H

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03

猫のいそうなところを他にも捜すが関口さんは見つからず、クタクタになって自宅に戻ると関口さんの奥さんはまだ寝ていた。別に頼まれてしたことではないから筋違いなのは分かるが、だらしなく四肢を投げだしたその無防備な寝姿に仁美は何だか腹が立って「奥さん、起きてください奥さん」と揺さぶると、ビックリしたように四肢を突っ張らせてから眼を醒ました奥さんは首だけ擡げて「あらご免なさい、寝ちゃったわ」と間延びした声音で言い、次いでゆっくりと起き上がると大きく延びをし、首の辺りを後肢で掻いたりしていて、普通なら愛らしいはずのその仕種がしかし妙に癇に触り、皮肉めいたことのひとつも言いたくなるのを抑えて「関口さん、どこ行ったんですかね?」と眠そうな視線を彷徨わせている奥さんに仁美は訊いてみる。尤もらしい答えを期待していたわけではないが「そうね」との気のない返事に苛立ちも急速に冷めていくのを覚え、それ以上問う気も萎えてしまい、夕飯の支度があるから失礼すると奥さんが帰ってしまうとひとりソファに浅く掛け、寂寞ともつかぬやり切れない思いに仁美は茫としていたからご飯さえ炊くのを忘れていて和之が帰宅してからそのことに気づき、夕飯はだから宅配のピザで済ませた。

その残りを翌朝レンジでチンしてホットミルクで流し込みながら仁美は関口さんに思いを馳せるが、猫は死際に姿を隠すというからあるいはとつい最悪の事態を想像してしまい、そんな自分を戒めつつ時間の許すかぎりその日も捜索をつづけ、そのようにして何日かが経過するが関口さんの消息は杳として知れず、捜索の範囲も徐々に拡大していくが手掛かりさえなく、時日が経過すればするだけ不安も募って捜索願いを出したらどうかとも提案するが「猫がいなくなったくらいで警察が動くか」と和之の言うのも尤もで、関口さんが猫という以上猫捜しのビラでも貼るより他に打つ手はないと仁美は思い、そうだその手がまだあったなぜそれに気づかなかったのかと自身の迂闊さに怒りさえ覚えたが、今は腹を立てている場合じゃないと気持ちを鎮めて警察が当てにならないなら自分ひとりで捜すより他ないとその困難を思うと気が重いが、とりあえずビラ作りから始めようと和之が床に就くのを待って作業に掛かり、三時まで掛かって仕上げたその出来には満足していないが急を要すことだからと眼を瞑って仁美は床に就いたのだった。

翌朝起きたときにはすでに和之も出勤していてひとり遅い朝食を仁美は摂ると仕上げたビラを持って化粧もせずにコンビニへ走り、とりあえず五〇枚だけコピーして町内各所に貼って廻り、それだけではしかし安心できず猫の所在は猫に訊くのが一番とその足で猫たちへの聞き込みをするが、他の猫のことには感心がないのか、あるいは関口さんがよほど猫づき合いの悪い質だったのか、皆一様に知らぬと答え、ビラを貼ったその日に有力情報が得られると楽観していたわけではないにしろ意気込んでいただけに落胆も大きく、何の進展もないままさらに何日かが経過すると総てが徒労に終わるのではとの不安が兆してまたも最悪の事態を想像して夜も寝られず、そんな仁美の焦躁など知らぬげに「子供じゃないんだから、そのうち帰ってくるって」と和之はまるで取り合わず、それでも怯まぬ仁美に他所のうちのことにあまり首突っ込んでもなと困惑げに言うのだが、人ひとりいなくなってなぜ平然としていられるのかそれが仁美にはひどく不愉快で、その温度差がさらにも仁美を苛立たせるがそれきり関口さんのことはなかば禁忌となって話題に上らなくなってしまい、関口さんの奥さんも最近見掛けないし訪ねても留守なのか応答はなかった。

電話口ではずいぶん興奮していた早智子のその気負い立った様子に仁美はいくらか気後れを感じたが、テーブルを挟んで向き合った早智子は一転して妙に落ち着き払っていて、ついに決定的証拠を掴んだとの言葉もどこか事務的で他人事のようなのがしかし仁美を不安にさせ、「見てよコレ」とテーブルに置かれた写真の束にしばらく手が出せずにいた。二、三口コーヒーを口にする間に告げられた早智子の話を聞いてからゆっくりと仁美はその写真に手を伸ばし、それでも早智子の言う決定的証拠を目の当たりにするのを先送りするかに一枚一枚じっくりと眺めるが、当の一枚に差し掛かったのらしく半身を乗りだして指差しながら「ほらソレよソレ」と早智子に促されるように焦点を合わせると興信所の隠し撮りというその写真には確かに早智子の旦那が写っているが、旦那が愛しげに抱き寄せているのはまだ幼さの残る子猫なのだった。子猫とのツーショット写真のどこが決定的なのか仁美には理解できず、安堵したというよりは拍子抜けして「猫じゃない」と言えば「呆れたわ。とんだ泥棒猫よ」と吐き棄てるように早智子は言い、これだけの証拠があれば有利に働くとそれは弁護士の言だそうだが来月にも調停に入るとのことで、何が有利なのか全然分からないが弁護士がそう言うのならそうなのだろうと仁美は思い、いや、本当にそうなのだろうかと不意に疑念が過るがこれこそ当事者間の問題だし弁護士に委託しているとなればもう他人がどうこう口出しすべきことじゃないと仁美は疑念を呑み込んだ。興に乗って早口に喋りつづける早智子に適当に相槌を打ちながら漫然とコーヒーを啜るうちに、猫に亭主を寝取られたというそのことがしかし妙に滑稽に思えてきて、どことなく勝ち誇ったような微笑を瞬間浮かべて「まずこれだけは確実らしいけど」と早智子の示した弁護士の試算だという支払われるべき慰謝料養育費等は仁美の想像を超えていて、端的にその額に仁美は驚くものの早智子がその離婚調停への意気込みを真剣に語れば語るほど却ってその滑稽感が増していくのをどうにも抑えがたく、ギリギリでその表出を怺えながら何か人の不幸に託(かこつ)けて楽しんでいるようでそんなふうに思う自分が腹立たしく思えてきて、関口さんの奥さんを責める資格さえないと妙に仁美は落ち込んでしまって「なんて顔してんの、別に仁美が離婚するわけじゃないでしょ」と早智子に言われて「それはそうだけど」と答えたものの自身への苛立ちは解消しがたく、久々の早智子の奢りで「悪いね」と笑ましげに別れたのに何だか釈然としなかった。

そのまま自宅のほうへは向かわずに駅前の商店街へ来たのはその釈然とせぬ思いがそうさせたのだろうが何となくうちへ帰る気にならなかったからで、何か予感めいたものがあったとかそういうことでは全然なく、何を買うわけでもなくただブラブラ仁美は歩いていたのだが、人並みが途切れて視界も開けるその商店街の尽きる辺りまで来ると、その視野の左端に自身貼りつけたビラが眼に留まり、これも何とはなしに歩み寄ったのかといえば若干異なり、何かおかしな具合にそれが蠢いているのに気づいて仁美はそのビラのほうへと向かったのだった。視力は悪いほうではないが予想外のことに目の前に来るまで事態に気づかず、その真ん前に立ってようやく無惨にそれが破かれているのを瞬間仁美は嘘だろうと疑うが、確かにそれは破かれていて、疑い得ぬその事実にかなりのショックで立ち眩み、次いで猛烈な怒りを覚えたのはビラの下三分の二ほどが丁寧に短冊状に裂かれていたからで、確かに誰に断ったわけでもないから破かれても文句は言えないが、単純に貼紙禁止の意図とも思えぬその所業に仁美は非常な悪意をさえ感じて滾(たぎ)るという感覚をはじめて実感したように思い、その現実を前にしかしどうしたらいいのか分からなくて不在の犯人への怒りだけが沸々と沸いて出るのを持て余しつつ無惨に破かれたビラをしばらく睨めつけていた。

見ているとほんの少しの空気の動きでその吹き流しめいたビラの下方が持ち上がってしまうのが妙に仁美は気になり、両掌で押さえつけて直そうとするがそんなことくらいで直るはずもなく、しばらく空しい作業をつづけていたが不意にその無意味に気づいたというように手を離すと一、二歩ばかり仁美は後退(あとずさ)り、次いで小さく溜息をついた。後退ったからか吐息のせいか知らないが僅かに吹き流しが揺らめいて、それが何か自身の居措それ自体を嘲笑っているかのように仁美は感じてひどく脱力してしまい、滾っていたものも蒸散したかに鳴りを潜めて立っているだけで何だか辛く、倒れ込むように一歩前へと踏みだしながら再度ビラに手を伸ばすともう用をなさないそれを仁美は剥がそうとするが、それさえずいぶんと手間取ったし強力な接着剤を使ったわけでもないのに壁面に幾筋もの紙の跡が酷たらしく残ってしまい、爪で刮(こそ)げようと試みるが爪のほうが割れそうなので諦めてその酷たらしい紙の跡を瞬間睨めつけるように見つめると反転し、手のなかで小さく丸めた紙っ切れをさらに強く握り潰しながら一度も振り返ることなく仁美はその場から離れた。

屈辱とも敗北ともつかぬ息苦しさに耐えかねてもう帰ろうと思いながらもどうにも気になって仕方なかったので各所を点検に廻り、結果何ケ所か同様の被害に見舞われているのを確認してさらにも仁美は落ち込んで、しばらく茫と路肩にしゃがみ込んでいたらしく、その間どれくらい経過したか知らないが道路の向こう端を通り過ぎる一匹の猫を眼端に留めてそれが端緒となり、すいと立ち上がりざま「あのちょっとお訊ねしたいんですけど」と仁美は猫に背後から呼び掛けるが驚かせてしまったらしく、すいませんを連発して引き留めると関口さんの容貌を事細かに説明して問うたのだったが、芳しい答えは返ってこなかった。いや、別れ際ふと思い出したように仁美のほうを見返した猫は探しものなら四丁目の何とかいう猫に訊けば大概の物は出てくると教えてくれたのだが、神憑かりなど信憑できないし況してそれが猫の神憑かりとなると尚更で、地道な聞き込みに優るものはないと仁美はそれを斥けるがその思いと裏腹に足は四丁目へと向かっていたし、聞き込みしながらも直接その所在を問うことは避けていたが意識の隅のほうではずっと気になっていたから、訊かぬ先に「ほらそこにいるから」訊ねればいいと促されてえっと振り返り見た先にいたその猫の姿を眼にしたときには憑きものが落ちたような妙な安堵を覚えたのだった。

とはいえこれはただの聞き込みで占ってもらう気などなく、そんなつもりじゃ全然ないからと自身に言い訳ながら仁美はその猫のほうへゆっくりと歩み寄るが、見ればまだずいぶんと若い幼さの残る顔立ちで占いに長けているというからもっと年嵩に想像していたがこれじゃ何だか頼りないと仁美は思い、思ってから違うそうじゃないこれは聞き込みだと自嘲的な笑みを浮かべたのを見咎めてか「何か用?」とちょっと権高な物言いとともに猫は見返り、いくらか怯んだ仁美が低姿勢に聞き込みをはじめるのを終始澄ました態度であらぬほうを眺めているのが何だか癪だったが、もし何か知っているなら怒らせてもまずいと思ってそれだけはこっちを向いている耳をじっと仁美は見つめながら訊くだけのことは総て訊いたのだった。

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