Effluents from Tomokata=H

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10

茫とドア前に佇みながらいったいどこでどう間違えてしまったのだろうと弛みきった思考で岡本は考えるが、べつに間違えたというわけでもなかったのだと強く頭を振り、戸籍上の誰をも傷つけるわけではないのだから問われることはないはずだとそう自身に言い聞かせてもみるが、それが一個の死体であることに違いはなく、いずれ腐敗がはじまれば隠しきるのはたぶん無理だろうからそうならぬうちに処分しなければならないということは分かっていて、分かってはいても実行に移すとなるとやはり相当の覚悟が要るしやり果せる自信はさらになく、どうにか回避する手立てはないものか逃げ道のひとつくらいあるんじゃないかとそうのんびり考えてもいられないのにグズグズと岡本は困苦しつづけていた。そのようにして長いことドア前に立っていたせいかひどく腰が痛みだし、さらにはいちじくに眩暈し立ち眩みもしたためドアに施錠して死体=人形=箱のある部屋へと岡本は戻った。

とはいえやはり自分ひとりでは手に余るとなかば共犯ともいえるゆかりに手伝いを頼んでも、何でわたしがあなたの尻拭いにつき合わなきゃなんないの止めてよ冗談じゃないよと憤然とした金切り声で喚き、わたしは関係ないんだからと一切の関わりを拒否してもう掛けてこないで下さいと一方的に通話を切られてしまい、濃密ないちじくの薫りに満ちた自室に死体=人形=箱と対峙してひとり岡本は苦悶しつづけるほかないが、どれほど苦悶したところで為すべきことはそれよりほかなく、決断せねばならない、というか決断せざるをえないのだがどうにも決断できずに一昼夜が過ぎ、さらに二日を岡本は思い悩んで過ごしてたしか三日目の会社から帰宅した晩だったと記憶するが、月もない夜空の冴え冴えとした帰路を暗澹たる思いでよろめき歩きながら後先考えずとにかく決行せねばと何か非常な切迫感に襲われ、気づけば自身のネクタイをその細い首に巻きつけ締めつけていたのだった。死体=人形=箱だからだろうか、ソレは苦しげにもがくというようでもないが確実に生気を失いつつあるのは見てとれ、徐々に黄白く変容してゆく顔の色を間近に見て自身の為そうとしていることの危うさに岡本は我に返ると、締めつけていた指の力を弛めてその手を離し、力なくその足元に頽れてしまう。廃棄した挙げ句処分しろと言いソレとの関係までをも否定し去るゆかりへの怒りが徐々に沸き立ってくるが、沸き立つ傍から急速に冷めていくようでもあり、眼前にある死体=人形=箱への殺意となってそれが結晶することはだからなく、とはいえまだ首に巻きついている自身のネクタイがその行為の生々しさをとどめているのが眼につき、それが臙脂(えんじ)だからかよけい眼に痛いし自身を責め立てるような気もし、再度手を伸して外そうとするのだが貼りついたようにきつく巻きついていてなかなか外れず、四~五分ほど格闘してどうにか外すことはできたがそこには臙脂に染められたかの赤黒い筋がクッキリと浮かびあがっていた。

もう誰にもその身の潔白を証明できぬだろう犯行の証拠を自ら刻印してしまったことを岡本は知り、言いようのない無力感に囲繞されたような具合でどうにも身動きとれなくなってどれくらいの時間そこに坐り込んでいたか知れないが、開け放したままだった窓から流れ込む外気はもうずいぶんと冷たく、震えるほどじゃないにしてもカゼっ引きにはいくらかこたえ、その肌寒さに辛くも自失から脱して誰にともなく寒いとひとこと呟くと窓を閉めに岡本は立つが、一足ごとにその足裏に冷え冷えとした床が貼りつくようでその妙な感触に眉顰めつつ窓を閉めて施錠し、さらに隙き間なくぴっちりとカーテンを閉ざしたが、その途端にいちじくが猛威を振るって一室を占拠してしまうのだった。

濃密ないちじくとともに自室が色濃い闇に支配されると明かりもつけぬなか夜行性の昆虫か何かのようにウロウロと狭い自室を岡本は歩き、時どき黄白い箱に蹴躓きながら思案を巡らすでもなくただ歩いた。何をすればよいか何をすべきなのかもう岡本には分からず、歩けばソレから遠ざかることができるとでもいうかにソレの前を行きつ戻りつした。部屋はいちじくの薫りに満ち、時どき思いだしたようにその濃密な薫りに噎せ返りながら岡本は歩きつづけたが、いつまでも消えぬ、というかさらにもその濃度を増していく感のあるいちじくの薫りに辟易してどうにかならないかと弛みきった思惟を巡らし、ふと空気清浄器を使うことを思いついたのだった。嵩張るだけでどんな効果があるのかも分からないから一度も使用したことはなく、毎月のローンだけはしかし確実に引き落とされつづけていくから見ているだけで不愉快と見えぬところへ仕舞い込んだのだった。脱臭消臭とはいかないにしてもそのマイナスイオンで少しは気分が安らぐかもしれないし無駄に腐らせておく手もないと今までそれに気づかなかったことに呆れつつ憤りつつ明かりを点け、その眩しさに眼を閉じてしばらく馴れるのを待ってたしか押入れに入れてあったはずと岡本は押入れを開けたのだが、空気清浄器を見つけだす前に不可解なものを発見してしまった。

なぜそれがそこにあるのかが岡本には分からないのだが、ひどく窮屈そうに縮こまって隠されていて泥人形のように転がり出てきたそれは死後幾日かが経過したノブくんの死体だった。岡本の広げた足の間へ俯せに倒れ込んでいるソレを見て最初ノブくんとは気づかず、あああと低い呻きを洩らして後ずさった岡本は力なく坐り込むと再度押入れに押し戻そうとその後頭部を蹴りあげたが、横たわったままでは支(つか)えて入らず、諦めてしばらくソレを眺めていたら見たような顔つきだと思い、廻り込んで横からその顔を覗き見てはじめてノブくんと気づいたのだったが、黒ずみ浮腫んでいるせいでそうと気づかなくても不思議はなかった。撲殺か絞殺か刺殺か薬殺か知らないが、死体があるということにまず驚いたしそれがノブくんということにさらにも驚き、パニクってどうしていいか分からぬなか落ち着けと自身を叱咤して岡本は考えるが、何がどうなっているのか全然分からず、どうしようどうしようと低く呟いているうちに眩暈したように意識が遠退いていき、気づけば明け方近くなっていた。カーテンが矩形に切り取られたように仄明るく、眩しげに眺めつつ朝だと思うがそう思っただけで無気力なままさらに幾時間を岡本は横たわったまま動けず、空腹にようやく腰をあげたときにはもう昼を過ぎていたが、その間部屋の電話とケータイとが幾度か鳴ったのは会社からだろうが、実行犯らの強迫まがいの電話かもしれないと怖くて出ることができなかったし線を抜けば居留守を教えるようなものだからそれもできず、ただ怯えて耳を塞いでいた。

とにかく空腹を何とかしようと熱々のクノール・カップスープを腹に納めるといくらか思考能力も回復したようで、今一度事態を把握し直すようにゆっくりと岡本は考えを巡らせるが、どう考えたところで何者かに嵌められたとしか思えず、つまりはヤクザな連中の巧妙な罠に掛かってしまったのらしく、がっくりと肩を落として完全に戦意を喪失してしまい、さらにはこの苦境から脱することの困難を思って絶望し、眩暈し視野狭窄に陥ってほとんど何も見えなくなってしまう。視野の遮蔽が却ってそれを浮き立たせるのか一種異様な匂いがするのをふと岡本の嗅覚は捉え、ノブくんの転げている辺りからそれは匂ってくるようだがなんだろうと躙りよってその周辺を嗅ぎ廻ったところ、その体内で何かが発酵でもしているのかノブくんが強烈な匂いを発していて、死臭とも異なる甘く濃厚なその匂いは岡本を悩ませていたいちじくの薫りそのもので、つまりはノブくんがその発生源なのらしかった。

頭の中で何かひとつ歯車が噛み合ったような気がしたがそれが巧いこと動きだすようではなく、自身の身に起きている全体を把握するにはだから至ることなくいちじくの薫りを発するノブくんへの恐怖だけが増幅され、わけも分からず気づけばサンダルの音高く小走りに外を岡本は走っていた。べつにどこへ逃げようとかいうのではなくてとにかく部屋を離れたいとの一心で、あのまま部屋にいつづけてノブくんと睨み合ってその発する濃密ないちじくの薫りを嗅いでいたら気が変になっていたに違いないと一時非難のつもりで岡本は出てきたのだが、のぼせた頭を冷やすにもそのほうがいいとそれはしかし出てきてからの後づけで、というのもついさっきまで降ってたらしく路面が黒く濡れていて外気もそれなり清涼に感じられたからなのだった。少なくとも自室の澱み荒んだ空気よりはよほど旨いとそのいくらか湿気を含んだつんと鼻腔に刺さる冷たい空気を岡本は深々と吸って吐き、さらにつづけざま肺一杯に吸い込んで深呼吸して肺内のいちじくを洗い流したのだった。そうするうちにだんだんと沸騰していた血も冷めてきて落ち着いてくるが、自室へ戻るとなるとやはり気が重く、ダラダラと先延ばしに雨に濡れた道を闇雲に彷徨いながらコンビニからコンビニへと渡り歩いていた。財布など持ってこなかったから何を買うわけでもなくマンガ雑誌を立ち読みしながら対策を講じていたのだが、対策といってヤクザな組織にひとり立ち向かうことの不可能を思えば何の策も岡本にはなく、すぐに前向きな思考は停滞してしまってどこで間違えたのかと過去を検索することに意識は向けられていき、ほんとうにどこでどう間違えてしまったのだろうとページを捲りながら記憶のほうも捲っていってどこかにあるはずの分岐点を岡本は探し求めるのだったが、そのうちページが尽きて棚に戻し置いたマンガ雑誌とともに間違い探しの道も空しく閉ざされたような恰好で、所在なげに棚を眺めながら次の一冊に手を出しかねていた。

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