Effluents from Tomokata=H

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07

虚ろなその眼差しはどこをも見ておらず、割り込むようにその視線のうえに視線を重ねても岡本へと焦点が合わせられることさえなく、いつまでもそれは虚ろなままどこか知らぬ世界を見つめている。それに背を向けて死体、人形と岡本が独りごちると背後で異を唱えるような気配が立ったような気がし、常の蔑むような視線を意識しつつ振り返り見るが虚ろな眼差しをどこともない世界に向けていることに変わりはなく、気のせいとやり過ごして仕事はどうするのかと問い掛けるがこんな状態で仕事どころじゃないかと欠勤するのならその旨連絡しなければと番号を問うがやはり何ひとつ答えてはくれず、やっぱ死体だと得心したような眼差しとともに岡本は自室をあとにしたのだったが、黄白く浮かびあがるゆかりの裸身が終始脳裡にチラついて離れないし内臓の浮くような変な感覚に見舞われもして終日気分が優れず、昼ごろから陰った曇天がさらに拍車をかけた。

仕事中何度も注意されるが裸の女が見えるんですなんて言えないし、ましてそれが通じる手合いでもないから諂(へつら)うような笑みで胡麻化しつつ定刻に岡本は帰途につき、昼よりさらに低い位置を連なり流れる雲に雨を懸念しつつ、駅へと向かう途中で鳴ったケータイに無視しつづけていたのは端的に空廻りだった仕事への鬱屈だろうが釈然としない思いが蟠(わだかま)ってもいたからで、切れたのを見計らって取りだし電源を切ろうとしたところ再度コールされて舌打ちつつ出れば、そこから聞こえてきたのはゆかりの声だった。常に変わらない怒ったような口ぶりで話すのを遮ってどこから掛けているのかと岡本が問えば、どこだっていいじゃないそれよりさあこれからそっち「行ってもいい?」と唐突に切りだし、いつだってゆかりは唐突だからさして驚きもしなかったが来ると言われればそれなり準備も要ると内心焦りつつ「え、でもなんで?」と問う岡本に「何ダメなの?」とゆかりは問いで返し、いやべつにダメじゃないけどと濁すのをじゃいいとこれも唐突に通話が切れた。

出社したのかどうかは知らないがあれからゆかりが目を醒ましたことはたしからしく、心配するまでもなかったと安堵するとどっと疲れが腰にきて、駅のホームのベンチにかけるともう岡本は立ちあがれず、急いで帰る必要もないのだから一本やり過ごしてと思ううちにも居眠ってしまって目醒めれば辺りに人気もなく、ヤバいと時刻を見ればしかしほんの数分しか経っていないので浮かしかけた腰を再度ベンチに落ち着かせて一服しようと岡本はポケットを探るが落としでもしたのか箱ごとなくなっていた。昼に開封してまだ二本しか吸ってないのにと舌打ちしつつ買いに立つのも面倒で、固い背凭れに半身を預けて茫と次の電車を待つあいださっきのゆかりの声を岡本は反芻していたが、ほどなくホームに入ってきた電車を視野の端に認めて腰を気遣いながら立ちあがる。

それでも疲れはずいぶん取れてるようで、腰に手を当て左右に捻れば小気味よい音がポキと鳴り、いくらか軽くなった足取りで混み合う車輛に乗り込む人らの列の最後尾について一番最後から乗り込むと、ドアに凭れる恰好で揺れに備えるそれが岡本の常の乗り方なのだが、心地よいその揺れは気を弛ませてあるいはゆかりはオレをからかってたのかもしれないとそう岡本に思わせ、ノブくんと共謀してうろたえ動揺する様子を眺めて内心楽しんでいたのだろうか、仮にそうだとしてすでに交際を解消した相手にする行為としてそれは常軌を逸しているしそこまでゆかりは根性曲がっていただろうか、そんな仕打ちをされるほどオレはゆかりにひどいことしただろうかとつらつら考えなどしていると、すべてがウソのような気さえしてくるし単なる妄想と片づけたくもなるのだった。

とはいえオチのないコントみたいでその目的も意図も一切が不明のままというのが一方で岡本を苛立たせもし、さっきのはそのネタばらしにくるという電話だったのかと思えば再度こっちから来てくれと頼んでも絶対にうんとは言わぬだろうことを知悉しているだけにその機を逸してしまったことを端的に岡本は悔やみ、も一度ゆかりのほうから連絡してくれることを願いつつ車輛を降りるとすぐケータイの電源を入れたのだった。雲行きの怪しいなか駅舎を出ると狙いすましたように雨粒が岡本の頬を打ち、さらに一足ごとに雨脚は強まって自宅アパートに着くころにはもうかなりの振りで、傘など用意していなかったから岡本はひどく濡れてしまい、それが何かゆかりのせいに思えたのはゆかりから電話がなければ一本早いのに乗っていただろうからで、だからやはりこれはゆかりのせいだと岡本は無性に腹が立ち、濡れて滑りやすいアパートの外階段を理不尽な怒りを抱えつつ慎重に上がると乱雑にカギを取りだし乱雑に錠を開け乱雑に敷居をまたぎ越し乱雑に靴を脱ごうとして異変に気づいた。

真っ暗い自室に人の気配があるのだった。誰もいないはずのこの部屋に何者か侵入していると岡本は息を呑み、ヤクザな連中が箱を求め乗り込んできて家捜ししてるのかと恐怖し身構え、小っさいのはゆかりが持ってったからもうここにはひとつしかなく探しても無駄だと思えば尚さら恐怖は弥増すが、開錠する音なりドアの軋みなり差し込む玄関灯なりでこっちの気配に気づかぬはずはないのに誰何(すいか)する様子もなく妙に静まり返っているから気のせいかと手探りに壁面スイッチをそれでも恐る恐るONにすると、そこに照らしだされたのがゆかりなのに気づいて一旦は安堵するもなぜここにゆかりがいるのか理解できずに再度岡本は硬直してしまう。

まるで予想外だったからよけい驚いたがノブくんとの共謀なり雨に濡らされたことなりの怒りが再燃してくるようでもあり、アレ帰ったんじゃなかったのとしかし物腰柔らかく問うてしまうのは端的にその隷属性を示していて、自身改めてそのことに気づいて再燃した怒りもいくらか萎えるが、岡本の着せたTシャツに短パン姿で朝と同じ姿勢で微動もせずソファに坐しているゆかりに岡本は苦笑せざるをえなかった。来るなら来るで連絡しろよと腹のうちで譴責しつつ「何どうしたの?」と来意を問うがやはりゆかりは何も答えず、岡本の知るかぎりこのようにも児戯めいた無意味な遊戯をゆかりは好む質じゃないからその真意を考えてみても全然理解不能で、ノブくんの差し金という一点に岡本は怒りの鉾先を向けると、温和なその外貌からはとても想像できぬ陰湿な企みにさらにも怒りを強めるが、そのノブくんがさらに裏でヤクザな連中と通底しているんじゃないかと思うに至って真逆のベクトルが生じて恐怖が再燃するに及び、やはり何かどえらいことに巻き込まれてしまってるんじゃないかと濡れた髪を乾かすのも忘れて坐り込んでいたせいでカゼを引いてしまった。熱を計ると七度二分と微妙だが、熱に弱い岡本には相当苦しく、薬で抑えて何とか持ちこたえつつ移しちゃ悪いと思うから帰宅を促すのだが、死体=人形に何を言っても無駄なのだった。

食事も摂らずただ寝てるだけの毎日でどうして生きていられるのか不思議でならないが、死体=人形だからとの答えは何をも意味しないしそのようなわけの分からない答えでは納得できようはずもなく、とはいえこのまま放置しておいて本当に死体になられても困るしそうなれば監禁、殺人、死体遺棄の罪に問われるのは必至だと岡本は危惧し、いや、それより以前にゆかりの身が心配だった。本当にそうかと突き詰めて自身に問い質すことはしかしついになかったが、端的にこのわけの分からぬ茶番のすべてを粉砕するためにはゆかりの覚醒がまず何より先決だと岡本は自身知るかぎりゆかりの好んでいたクノール・カップスープを買いに走り、速攻スープを拵(こしら)えてその薫り立つ深皿を鼻先へ持っていって反応を見るが、ゆかりの腹はグウとも言わない。断食芸人じゃあるまいしこんなこといつまでつづけるつもりなのかと込み上げる怒りを腹に押し戻して「ここおいとくから」と引き寄せた座卓にスープをおくと自分用に拵えたクノール・カップスープをゆかりの目の前でさも旨そうに音立てて啜ったのだった。

岡本の知るかぎりゆかりがダイエットをしていたとかしようとしていたとかいうような事実はないはずで、少なくとも岡本にそのような認識は全然なく、況して断食まがいの絶食ダイエットなどとは無縁なスリムボディのゆかりが身を呈してまで死体に扮しなければならないその理由が分からなかった。ゆかりは何も食べなかった。岡本の拵える食事を頑なに拒否していた。それにもかかわらず衰弱することもなく現状を維持しつづけているゆかりはやはり生きた死体というよりほかなかったが、ヌイグルミにでも話しかけるように物言わぬゆかりに岡本が話しかけるのは、反応を示さぬだけで聞こえているに違いないと思うからだしその沈黙が岡本に饒舌を強いもするからだった。いつだってそうだった。口を閉ざすことでゆかりは常に優位に立っていてそれが岡本には癪だったが、語を重ねれば重ねるほど言い訳めいて響いてしまうのを知りつつゆかりの沈黙に沈黙を以て対抗することが岡本にはできなかった。

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