Effluents from Tomokata=H

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09

観察がすぎたとしばらく留め置かれていた視線を剥がそうとして岡本はその足元へ視線を下ろすと足指を伝って爪先から床面へと逃れ、さらに床板の継ぎ目をアミダのように辿ってジャージと靴下の間からわずかに覗く自身の青白い脛へと逃れてつかのま安堵を覚えるが、知らぬ間にまた視線は逆走していて、慌てて視線を逸らすが気づけばまたそこへと環流している。その果てのないくり返しは瀰漫するいちじくともども岡本を眩暈させ、無自覚のうちにそれへと岡本をのめり込ませるのだった。仏具屋の店員もただの箱と言っていたのだからこれはただの箱なのだと岡本は念じるように独りごちるともう寝るよと一声かけて疲労をあらわに立ち上がるが、その声に反応してかゆかりがわずかに首を横に振ったように見え、ついに尻尾を見せたと歩みよって今動いただろと膝を揺さぶって問うが、知らぬ顔でゆかりは死体を装っている。さらにも激しく揺さぶりながらもうゲームは終わりだろ、尻尾を掴んだオレの勝ちといいたいトコだけど引き分けってことにするから眼開けてくれよと下から覗き込みもするが、頑なに瞼を閉ざしてゆかりは負けを認めず、その強情はたしかにゆかりのものに違いないと岡本は思うのだが、やはりこれは死体=人形=箱にすぎないのかと項垂れて床に就いたのだった。

濃密ないちじくの甘い薫りのなかそれでも何日かぶりで安眠でき、置き物かヌイグルミか何かのようにさして気にもとめることなく日々の暮らしを暮らすことに岡本は馴れていきもし、全体それが何なのかとの切迫した問いも日常のなかで徐々に磨耗してどうでもいい愚問というわけにはいかないにしてもやり過ごすことは可能になり、このまま収束に至るのではとなかば楽観していた矢先のことだった。ちょっと話があるから帰ったらすぐ連絡をくれとのそれはゆかりからの留守電で、そう巧い具合に事が進むことなどないのだなと嘆息しつつ折り返しゆかりのケータイに掛ければ、悪いけど出てきてくれると言下に告げられ、その指定した駅ビル向かいの喫茶店に岡本が出向くと、もうひとりのゆかりは先に来て待っていた。苛ついた様子で煙草を吸うその前に岡本は坐ると「話って何?」と怖ず怖ずと切りだしたが、何じゃないよとすかさず切り返されて萎縮した岡本はその先がつづけられず、目の前の灰皿にゆかりの一本目がひしゃげて転がっているのを無為に眺めていたが、まだ燻っているそれはあるかなきかの煙を微かに立ちのぼらせていた。

ふとこの場の情景に妙な既視感を岡本は覚えるが、約一年と二ヵ月の交際期間のあいだには似たような場にいくらも置かれてるだろうからそう感じても不思議はないし、今それを詮索してる場合でもないと消えゆく煙草の煙を尚も見つめていると、その視野にゆかりの細くしなやかな指が割り込んできて、いい趣味してるわねと一本目を弾き飛ばす勢いで二本目をゆかりは揉み消しながら、てゆうかあなたにそんな趣味があったなんて昨日はじめて知ったけどいつからって訊くのも変ね昨日今日はじめたなんてもんじゃないよねアレはとすべてお見通しとでもいうかに言い、ついでアレがいくらしたかなんて訊かないし訊たくもないけど見てしまった以上それを放置しておくことはできないとゆかりは告げ、そこではじめて息継ぎするようにして銜えていた三本目に火をつけた。

いやそんなことはしていないと岡本が弁明してもゆかりは一切耳を貸すことなく、夜な夜なアレを相手に淫らな行為をしてるかと思うと虫酸が走ると蔑んだような視線をチラと向けるが、すぐに逸らして店奥の薄暗い闇を睨み据えながらキモいと聞こえぬほどの声で呟くのをたしかに岡本は聞いた。それはしかしゆかりの勝手な想像にすぎず、そもそもアレを断わりもなく棄ててったのはゆかりなんだからそれについて責めを負うているのは岡本ではなくゆかりだと内心譴責しながら、ひしゃげた二本の煙草を見つめているのみで何ひとつ岡本は抗弁できなかった。実際にしてるしてないが問題なのじゃなくてその可能性を言っているのだと薄く漂う煙の膜の向うでゆかりは眉間に深く皺を縦寄せ、その可能性の拭えぬかぎりこっちは夜もおちおち寝られやしないとそれは尤もな言い分のようにも聞こえるが、ずいぶんと身勝手な要求ではないかとしかしあからさまに岡本は反駁できず、卑屈な笑みに紛らしつつでもそれってちょっと違うような気がすると小声に抗う。何が違うのとドスの効いた声で迫られてわずかに身を逸らせながらいやべつにと逃げ腰になる岡本を嘲るように見据えながらとにかく処分してもらいますとゆかりは言うのだが、処分するといってどうやってと問うとそんなのわたしが知るわけないでしょあなた自分で考えなさいとそれ以上の問いを拒否するように視線を逸らし煙草を吸う。

事態をあまり軽く見すぎてはいないか、死体=人形=箱はそんな生易しいもんじゃないとどうにかそれを分からせようと岡本は苦心するが説明は困難で、やはりその眼で今一度見てもらうよりないと提案してもいやですと即座に却下され、素直にしかし引き下がれなかったのは誤解を晴らそうというよりは自身それが何なのかハッキリさせたいという思いが強かったからで、いつになく粘り強い岡本の説得に根負けしたのか分かったからと渋々ゆかりは承諾し、気の変わらぬうちにとすぐ自宅アパートへと伴い戻ったのだった。

閑静な住宅街というわけでもないのにアパート周辺は妙に静まり返っていて、二人の立てる階段の甲高な音が不気味に谺(こだま)するのを聞きながらやっぱ帰るとか急にゆかりが言いだしそうな気がして内心岡本は警戒していたが、どうにか部屋までは連れてくることができた。それでも玄関のドアを開けた途端むっと噎せ返るようないちじくの薫りが広がったからさっきは気づかなかったけど何この臭いと眉を顰めてゆかりは入るのをためらい、大丈夫だからとその背を押して導くと恐る恐るゆかりは靴を脱いで部屋に上がり、口元を押さえてソレのあるソファ近くまで進むと訝しげに眺めやる。固唾を飲んで岡本の見守るなか、ソレが息をしているのを認めると不快とも恐怖ともつかぬ面持ちでゆかりは岡本のほうを顧み、何コレ生きてんのと頬を引き攣らせてそう問い、分かんないけど多分生きてると岡本は頷くとソファに凭れて眠るかのソレから少し距離をおいて頽れるように床に腰を下ろし、たしかに息はしてるようだが自分で動くということを一切しないし、意識もあるんだかないんだかこっちの呼び掛けには一切反応を示さないのだと説明しながらゆかりの反応を窺う。ついでゆかりが置いてったのかと思ったけど違うのかと率直に訊けば何でわたしがこんなモノとゆかりは口を尖らせるが、肌に粘つくいちじくのせいか常の気勢はなく、不安げに視線を彷徨わせているのを説得の好機と踏んだ岡本が、その黄白い肌合いから察するにあの箱と分裂したゆかりの肉体とが融合したものではないか、その精神性を喪失した肉体が何らかそれに代わるものを必要として手近にあった箱とひとつになってしまったのではないかとの推測を述べると、バカげてるそんなわけないじゃん蠅男ならぬ箱女だなんてマンガにもならないとゆかりは一蹴した。たしかにバカげているとそれを岡本も認めるが、それでは箱の散失をどう解すればいいのかと首傾げると、そんなことはどうでもいいからコレを何とかしてくれとゆかりは苛立ちをあらわにし、いちじくの薫りにかソレ自体にか分からないが気持ち悪いと吐き棄てるように呟くとじゃ帰るからと帰ってしまった。引き止めようとしたがもの凄い形相で睨めつけられ、言いかけていた言葉も呑み込んでそれ以上どうすることも岡本にはできなかった。

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