はじめたこと
2020年10月30日
そういえば新しい小説を書きはじめた。といってまだ1000字程度ではあるが。とにかく何か書きださないといつまでも書きだせないから、書きだせたこと自体は良かったというか、何かひとつ山を越えたような気さえするがそれは言いすぎか。
小説とは言っているがあれらを小説と言っていいのかどうか。抑も小説とは何かというような、その定義を問いだしたら切りがないのでそれは措くとして、以前はそれなりに小説の体を成していたかもしれないが、最近は意味不明な散文というか、ただの散漫な文章にすぎないというか、小説的な構成とは掛け離れている気がする。尤も小説らしい小説を書こうとしているわけではないから、小説的なものから掛け離れてゆくのも已むを得ないところはあって、どうせ誰も読まないと好き勝手書いているからそんなふうになってしまったのか。かといってそれを改めるつもりはないというか、改めようとして改められるものでもないような気がする。
どこへ転がってゆくのかまったく分からないがどこかへはゆくだろう、とそう思いながら、なぜと言ってそんなふうに思っていないと先へ進めないからだが、そうして書きつづけるほかになく、それでもどうにかこうにか書いてこられたのだからなんとかなると楽観しているわけではないにせよ、気にしても仕方がない。
とにかく書きはじめてしまった以上書きつづけねばならない。
はじめること
2020年07月26日
小説の書きだしにはいつも悩む。尤も事前に準備を整えたうえでさあ書くぞと原稿に向かうのではなく、毎回行き当たりばったりの思いつきで書きはじめてしまうからなのだが。要するに構想もテーマも何もない丸腰の状態で、どこへ向かうのか転がるのか皆目分からぬまま、ふと書きつけた言葉の赴くというか導くというかするほうへ、ひたすら書き進んでゆくのみ。だから自分で書いていながら自分で書いているという感覚があまりないのだろう。
それでもまったく何も考えていないというわけではなく、書きだしに接続詞なり否定辞なりを据えるということが最近の傾向になっている。つまり書きだしの前にも何かがあって、そのつづきという体になっているのだ。これは文体とも関係してくるのだろうが、切れ目なくつづく文で書くことを長らくつづけてきたためか、文のはじまりということに何かしら抵抗があるのかもしれない。そう言えば最初に書いた小説も円環構造になっていて小説の末尾と書きだしがひとつの文で繫がっていた。
何かがはじまるということ、何かをはじめるということ、果たしてそんなことが可能なのか。抑もはじまるとは何なのか。何ごとも気づいたときにはすでにはじまってしまっているのであり、遡ってそれを示すことなどできない、要するに途中参加であり、途中退場であり、はじまりにも終わりにも立ち会うことなどできない、とそんなふうに認識しているのだろうか。
1977年1月12日のセミナー「ディスクールを聞かせること」でディスクールについてバルトが「始めること、それは主体内のある階層においてはつねに、続けることである。何に続けるのか? 途中まで話していた事柄に。」(ロラン・バルト『いかにしてともに生きるか─コレージュ・ド・フランス講義 1976‐1977年度(ロラン・バルト講義集成1)』野崎歓訳/筑摩書房2006年3月1日/205p)と言っている。
「主体内のある階層においては」という条件はあるが、バルトの言うようにはじめることがつづけることであるなら、書きだしをつづきとして書いてもいいわけで、何となく腑に落ちたような気がしたが、腑に落ちたからといってすらすら書けるようになるわけではないし、絞りだすようにしてしか言葉は出てこないからああでもいなこうでもないと捏ねくり廻すことしかできないだろう。それでもいくらか救われたような気がしないでもない。
因みにまだ次の小説は書きはじめていない。
終わった?
2020年06月14日
ようやく小説を書き終えた。130枚程度書くのに何年掛かったのだろう、途中入院などあったりして、もう無理なんじゃないかと思わないでもなかったが、どうにか終えられたのでよかった。
例によってストーリーもなくだらだらと切れ目なくつづく文章で、シニフィアンの戯れという迷走というか、意味を欠いた文の連なりとでも言えばいいのか、尤もそんなふうにしか書けないのだから仕方ないが、登場人物も曖昧で固有名もないから誰が誰なのか特定するのも容易ではないだろう。
要するに通常の小説とは掛け離れている。だからほとんど読まれることもないのだが、書きたいと思うものを書いているのだからこれも仕方がない。
さて次をどうするかだが、どうするもこうするもいつだって構想などないし、何を書くかなどということはもうずいぶん前に捨ててしまった気がするが、書きはじめるよりほかに書きはじめることはできないのだから何はともあれ書きはじめるしかないわけで、とにかく一歩を踏みだせば自ずから次の一歩が前へ出るかどうかは分からないにせよ、人は目的もなく歩きだすことができるのだから目的もなく書きはじめるとだってできなくはないとこれまでそんなふうにして書いてきたのだが、これからもそんなふうに書いてゆけるかどうかはもちろん分からない。
それでも書きたいという思いはあり、あるいは書かねばという衝迫かもしれないが、書きたいという思いがある以上書きつづけねばならないというか、少なくとも書くのをやめるという選択肢は今のところない。
まあそのうち書きはじめるだろう。
脱臼骨折
2020年03月24日
サーバ移転ドメイン移管を済ませた直後の正月二日、骨盤を脱臼骨折した。股関節部分が内側に骨折して大腿骨が骨盤にめり込むような恰好になっていた。折れた骨盤を金属プレートで固定する手術をし、二ヶ月半もの入院生活を余儀なくされた。
退院はしたもののまだ骨盤への加重制限があるため松葉杖だしリハビリも続けなければならない。傷の痛みはほとんどないが、体勢や力加減によっては筋肉が痛む。痛いので寝返りも打てず、寝返りが打てないと腰が痛くなる。腰痛のストレッチができれば少しは緩和するだろうが、筋力が落ちていて足が上がらないのでそれもできない。
股関節の可動領域も明らかに狭くなったようで、辛うじて足指に手が届くくらい。靴下を履くのも難しいが、股関節が壊れたので元通りにはならないと医者にも言われていて、これは仕方がないのかもしれない。
いすれにせよ筋力が戻らないことにはどうにもならないわけで、つまりリハビリをするしかない。リハビリと言ってもほとんど筋トレなのだが。
ところで入院中あまりにも暇だったのでレシピのスケッチをいくつか書いたのだが、分量を計算していずれ試作したい。いつになるかは分からないが。
それから書き掛けの小説がそのままになっていて、あと少しで書き終わるのだが、二ヶ月半まったく手をつけていないので一度ちゃんと読み返さなければならず、これもいつ完成するのやら。