ミシシッピの耳アカめ!
2010年06月22日
ミシシッピアカミミガメ、俗にミドリガメと言われるやつで、体長20センチくらいだろうか、もちろん誰かが捨てたのに違いないが近所の川でたまに見掛ける。これが意外と獰猛らしく在来種を駆逐してしまうらしい。あまりよくない環境下でも、というのは汚れた河川でも平気で、繁殖力も強いという。
いつも単独でいて、他の個体は見当たらないからこの一匹だけなのかもしれない。一匹だけなら繁殖もできないからそれほど気にすることもないのかもしれないが、こいつが呼び水となって二匹三匹と増えないともかぎらない。というのは捨てる輩が現れるかもしれないということだ。
そんなことを思いつつ上流へ向かっていたら数十メートル先の橋袂に三匹浮かんでいるのを見つけた。いずれも20センチはありそうで、捨てられたのか自然繁殖かそれは分からないが、大きさからして数年以上経っているだろう。その橋袂に暗渠があるのだが、そこを塒にしているのでもあろうか、奥にはもっとウヨウヨいるのだろうか。下流にいたのは流されたのかもしれない。駆除なり保護なりしてもらうべきなのだろうか。
とはいえ、一旦自然繁殖で増えてしまったものを元に戻すことはほとんど不可能だろう。バス然りザリガニ然りで、ザリガニと言えば最早アメリカザリガニのほうが一般的なくらいだし、ニホンザリガニなど見たこともないし。
前半分だけでも……
2010年06月11日
今書いている小説について。実はまだ書き終わっていない。もう少しで終わりそうなのだが、なかなか着地点が見出せないでいる。とはいえ、200枚を超えてしまったのでとりあえず前半だけでもupすることにした。前半部分はもうそれほど改変しないと思うので。まあ200枚といってもかれこれ一年半近くになるので遅筆にも程があり、枚数としてはむしろ少ないくらいなのだが。
ただタイトルがこれでいいのか、いまいちピンと来ないというか、納まりが悪い気がしてならない。尤も、何かもっと他にいいタイトルはないものかと毎回思っていて、そう思いながら結局そのままになってしまう。タイトルなどあってないようなものだから何でも構わないのだが、納まりが悪いとやはりちょっとモヤモヤする。しばらく長いタイトルがつづいていたので簡潔なものにしようとしたのが間違いだったのか。といって何か象徴的な、内容を暗示する類いの、そうしたものを求めているわけではなくて、むしろまったく無意味な、内容とは関係ないような、そうしたものにしたいのだ。しかし内容と乖離すればするほど納まりも悪くなるのではないか、そうとすれば矛盾していることになる。
ではどうすればいいのかというと、内容と関係なくそれでいて納まりのいいタイトルということになるが、それが難しい。
『滴るまで 1』
マンガたち。
2010年05月23日
『午前3時の危険地帯 1』ねむようこ(2010年05月祥伝社)
主要登場人物は前作『午前3時の無法地帯』と変わらないが、ももこと多賀谷との恋愛を軸として展開してゆくようではないらしく、さしあたりそれは脇へ押し退けられている。
そうして新入社員として新たな主人公を迎えて仕切り直しということらしい。つまりは同じことのくり返しか。
『潔く柔く 12』いくえみ綾(2010年05月集英社)
あちこち寄り道しながらも、ようやくラスボス登場と言ったところ。とはいえ大きく迂回することで、カンナと禄の出会いに説得力が出てくるわけで、この二人を結ぶ線上に人物を配して周りから攻めてゆくその愚直さというか、こだわりというか、手っ取り早く二人を出会わせないところが作品に奥行きを齎しているのだろう。
『デビルサマナー葛葉ライドウ対コドクノマレビト 1』(2010年05月エンターブレイン)
作画:綾村切人
原作:金子一馬
監修:山井一千
脚本:真壁太陽・原田庵十
綾村氏の流麗且つ繊細なペンタッチだけでも充分に堪能できるが、大正という時代の面白さに満ちているというか、それが大きい。探偵、猟奇といったモチーフは、大正という時代にこそ相応しい。原作のゲームは知らないので予備知識もないが、さして影響はなさそうだ。
それにしても長いタイトルだ。
エビ星人現わる。
2010年05月09日
邦題:第9地区
原題:District 9
監督:ニール・ブロムカンプ
脚本:ニール・ブロムカンプ、テリー・タッチェル
2009年アメリカ/111分
1982年、南アフリカ共和国ヨハネスブルグ上空に突如飛来した宇宙船。船内では多数のエイリアンが劣悪な環境のなかで衰弱していた。エイリアンは難民として保護されることになり、その管理は政府から委託された多角的企業MNUが行うことになる。
それから約30年。その風貌からエビと蔑まれるエイリアンは高度なテクノロジーを有しているにも拘わらず不潔で野蛮で醜悪で、居住区はスラムと化し、好物のネコ缶を得るために自分たちの武器の密売までする始末で、地域住民との軋轢は深まってゆくばかり。
そこで居住区を移す計画が持ち上がる。MNUのエイリアン課に勤務するヴィカスがその責任者に抜擢され、承諾のサインを取るために武装した兵士とともに第9地区へ赴くが、あるエイリアンの小屋で誤って謎の液体を浴びてしまう。そのことでヴィカスはMNUから追われる身となる。
隔離された居住区で生活するエイリアンとそれを管理する人間という構図から、南アのアパルトヘイトや難民問題を下敷きにしているのは見てとれるが、南アに於ける対立構造は単純に白人と黒人の対立軸だけではなく、白人の間にもイギリス系とオランダ系とで階級差があるらしく、さらにはナイジェリア移民のギャングが絡んでくるなど、ちょっと込み入っている。そうしたモチーフは南ア出身のブロムカンプならではのものだろうが、事情に暗いと分かりづらいところもある。
とにかくそうした社会的政治的背景からシリアスな内容なのかと思ったのだが、全然違った。
冒頭から実際のニュース映像や市民へのインタビューを交え、加えてこちらは虚構だろう学者や関係者へのインタビュー等々が随所に挿入されていて、南アの現実を背景にしているだけに、そうしたモキュメンタリーによる描写は一定のリアリティを感じさせるのだが、単にリアルなだけではなく、全体にB級感が漂っている。ポール・バーホーベンやデヴィッド・クローネンバーグのようなテイストを感じさせる、モキュメンタリーでリアリティを担保した差別ネタ満載のザ・フライといった感じ。つまり明らかに受け狙いで作られていて、映像がリアルであればあるほど笑いが嵩じてくるといった構図になっているのだ。
地球を侵略しに来たわけでもなく、さりとて愛すべき隣人というわけでもなく、たまたま不時着しただけで人類には何の関心もないというエイリアン像は斬新で秀逸だが、どこか笑いを誘う。
また途中からバディものめく展開になったり、『エイリアン2』を思わせるパワードスーツが出てきたりと古今のあらゆるSF映画の要素が、それこそ臆面もなく詰め込まれていて盛り沢山でもある。なかでもエイリアンの兵器で撃たれた肉体が破裂する場面はクローネンバーグの『スキャナーズ』を彷彿とさせ、カメラのレンズに血飛沫やら肉片やらが飛び散ってくるその描写は小気味よい。ミサイルが板野サーカスしているのも嬉しい。
そうした随所に見られる低予算だからこそ可能な不謹慎なネタやどぎつい表現が、この映画の最大の魅力だろう。かといって映像に見劣りがするわけでもなく、VFXも遜色ない出来だ。
ヴィカスは平凡な会社員だが、妻の父親がMNUの重役か何からしく、重責に抜擢されたのもそのためだろうが、エリート意識が強く、エイリアンに対して差別的に振る舞う。ある共同体に内属しながら当の共同体に於いてなかば自明な事柄を自覚することは困難なもので、白人社会に帰属している彼は自らの差別意識に無自覚なのだ。ところが謎の液体を浴びて追われる身となり、その帰属している共同体から排除されることで、家庭を失い、家族を失い、孤独になって、ようやくそのことに気づく。
そこではじめてエイリアンと対等な関係として、同じ立ち位置に立つことができ、エイリアンにも家庭があり、家族がいて、仲間あるいは妻だろうか、その死を悲しむということを理解する。
とはいえその辺りをあまり深く描かずにさらりと流していたり、後半から急速にマンガ的な様相を帯びてきて、最後は派手なバトルアクションになるところなどはまさにB級らしい展開だが、それはそれで面白い。というかすべてはそれを楽しむための布石と言ってよく、ご大層なテーマやメッセージを読み取るよりも純粋にネタとして笑うべきだろう。
多少強引な展開や無理やりな設定があるにもせよ、とにかく狂騒的で笑いに満ちていて、最後まで飽きさせない映画だ。
サギにあった。
2010年04月28日
例によって買い物帰りに川沿いを歩いていたら、というか川沿いへ出る路地が川に突き当たるところ、今まさに視界が開けて真正面に川を覗ける位置に差し掛かったところで、そこから川岸へ下りる階段が設けられているので自ずと視線は河面へ落ちていったのだが、その視線の先にある浅瀬の岩の上に白いものを見つけた。
サギだ。遠目ではっきりしないがあまり大きくはないので、体長六〇センチくらいか、コサギかもしれない。ここら辺りを餌場にでもしているらしく時折見掛けるヤツで、恐らく同じ個体だろう。前にも撮ろうとして失敗しているが、晴れていたのと動き廻っていなかったのとで何とか撮れた。
それにしてもどこからやってくるのか、近くに塒(ねぐら)になるような森や林もなさそうなのに。
出た。
2010年04月08日
先月末、古井由吉の新刊『やすらい花』が出たので購入した。こうして次々新刊が出て、それを次々読めるというのは嬉しいことだ。今ちょうど『白暗淵(しろわだ)』を読んでいるのだが、それをを読み終えてもまだ『人生の色気』が控えているので『やすらい花』はそのあとということになる。ただ、流し読みできるものではないし、じっくり味わいたくもあって少しずつ読んでいるからいつになることやら。
さらには並行してプルースト『失われた時を求めて』を読んでいるし、ガルシア=マルケス『族長の秋』も読んでいるし、ハイデガー『ニーチェ』も読んでいる。それらを読み終えても読んでいない本のストックはまだまだあるので、本当にいつになるのかは分からない。
それはさておき、以前に比べると最近のものは平明な文章で、ずいぶん読みやすくなっているような気もする。
ジョルジュ・ペレックの『煙滅』も購入した。リポグラムという特定の文字を使わない手法で書かれていて、フランス語で使用頻度の最も高い「E」の文字を使っていないという。とんでもない小説もあったものだが、それを翻訳してしまうのだからすごい。邦訳ではそれを「い段」抜きで、つまり「いきしちにひみりゐ」抜きで書いている。
巷ではウェルメイドの、ただ涙を誘うだけの、毒にも薬にもならないようなストーリーが蔓延っているが、それだけが小説ではないということだ。まあ、ウェルメイドにはウェルメイドの面白さがあるにしても。
ところで自作小説だが、遅々とした進みゆきでいまだ難航中。まあそれでも書き進めてはいるので、いずれ脱稿できるだろう。