「萌え」って・・・
2003年03月30日
「萌え」って何だろう?
自分ではあまり使わないということもあってその内実についてはよく分からない。あるところで「萌え」と「フェティッシュ」と「感情移入」と、その三つの様相を比較しながら説明しているのを見たが、その実態はなかなか複雑で上記三点が絡み合っているのらしく、よく理解できなかった。
いわゆるサブカルにおいて九〇年代、物語消費が潰えたのちにキャラ消費へ向かったというのが大雑把ながらその理解するところで、それが「萌え」という現象を拡大せしめた契機なのらしい。そう言われると何となくその外貌は掴めるがその実態となるともひとつ捉えられない。
ある種の図像(それのみではなかろうが)に対する感情の動きだろうくらいは分かる。私のうちにも間違いなくそれはあるからだ。とはいえ相応に抑圧されていて、当サイトにおいても萌え系の絵はなかば意図的ながらほとんど排除されている。それはそれとして「萌え」という語が広く人口に膾炙するにつれ、その語の意味するところがますます分からなくなるようだ。
「萌え」って何だろう?
妙な切迫感
2003年03月14日
三月になってなんだかソワソワしている。何となく切迫した感じが常にある。いろいろ立て込んでいて時間に追われているせいもあるかしれないが、そればかりでもないらしい。花粉のせいか?
ってゆうか今日はホワイトデー。何がホワイトだか知らないが、とにかく白いのだろう。ヴァレンタインの返礼に何某か用意するのはバカらしいが、いやそれ以前に何も貰わぬのに返礼もクソもないのだが、それに託つけてこっちは菓子のひとつも作れるなら儲けモノというものだ。
とはいえ何を作ろうか? ショコラを作ろうと思いつつ一ヵ月が瞬く間に過ぎてしまったことを思えば、やはりショコラを作るのだろうか? それともほかに何かもっと相応しいものがあるのだろうか?
「何バカなコト言ってんの、小説もイラストも全然更新してないじゃないの」不意に背後で冷ややかな声が言った。
「いやでもほら、イベントだし、時流に乗り遅れちゃマズイかなと・・・」何か言わないとさらに険しくなるのを知悉しているからとにかくオレはそう答えた。出任せだった。
「あなたもずいぶんえらくなったわねえ、やることやらないで何がイベントよ」言いながら近づいてくる気配。妙な殺気を背中に感じ、言い知れぬ恐怖ととにもゆっくりと振り返る。
何かが眼前を横切ったような風を感じたと思ったら視界から彼女が消え、次の瞬間激痛が襲った。何も見えなかった。温かい液体が目から溢れて頬を伝い流れ落ちているのを感じるが、それが涙なのかそれ以外の何かなのかはしばらく分からなかった。口吻に伝うそれを嘗めとり血と理解した。
オレはのたうちまわっていた。笑い声が、していた。
お絵bって・・・
2003年03月05日
お絵bを設置したのはいいが、このところお絵bばかり描いていて全然ギャラリ用のに手をつけてない。元来が遅筆なところへもってきてラクガキめいたものばかり描いていて果たしてそれでいいのかとその質の低下の著しさに一抹危惧を懐きもするのだが、お絵bはお絵bでまた別の楽しさがあって、ちょっとハマってしまっている。
とはいえメインのモニタが2048x1536pxとデカく、それに較べてお絵bのキャンバスはあまりにも小さいために画面に近づきすぎてひどく眼を疲労させてしまうということもあり、長時間の描画は避けたいところだ。そうかといって描くたびモニタサイズを変更したりしてるとデスクトップ上にあるフォルダやら何やらの位置情報が失われて元に戻すのが面倒なのだ。疲れない程度にやればいいようなものだが描きはじめるとのめり込んでしまうのも事実。
どうしたものか?
ソラリス
2003年03月04日
先日CDを買いに出掛けた折、予定になかった『惑星ソラリス』のDVDを買ってしまった。CDにめぼしいものがなかったせいか、常なら素通りするDVDのコーナーでふと足をとめてしまい、ざっと視線を流しているうち「ソラリス」が脳裡を過って気づけば「洋画わ」を探していた。
ソラリスは以前から欲しかったのだ。それこそDVDなぞ存在しないLD全盛のころから買おうか買うまいかと思い悩んでいた。いざ買おうという段になってしかし廃盤になったのか店頭から姿を消してしまい、結局買えずにしまったのだ。それが去年十二月、新たに修復、デジタル化し5.1ch音声となってお目見えすると知り、かつての思いが再燃したりもしてちょっと気になっていた。念願というほどではないもののいくらかの感慨がないでもないそれを手にとりながら買おうかどうしようかまだ迷っていたが、今買わねばもうずっと買えないような気もし、逡巡しながらもレジへと向かい、決心のつかぬまま金を払い、商品を受けとった。その薄っぺらで軽いパッケージがそう思わせるのでもなかろうが、何だか買った気がしなかった。
それでも日の経つにつれて買ったのだとの実感は湧いてきて、それとともに早く観たいとの思いも強くなるが、全体タルコフスキーは万全の体調でないと観るのに骨だからまだそれは封も切られずラックの中だ。四方忘れることはあるまいが、長い映画だしいつ観ることになるかは分からない。
そういえばスティーブン・ソダーバーグ監督のリメイクが最近公開されたと聞くが、どうなんだろう、観たいような気もするが。
読めるかよ
2003年02月25日
『憂い顔の童子』大江健三郎著
『神聖喜劇(一)〜(五)』大西巨人著
『坊ちゃん忍者幕末見聞録』『浪漫的な行軍の記録』奥泉光著
『パレード』『龍宮』川上弘美著
『抱擁家族』小島信夫著
『ぐずべり』清水博子著
『幽界森娘異聞』笙野頼子著
『スチール』織田みずほ著
『梨の花』中野重治著
『文学評論(上)(下)』夏目漱石著
『日本文学盛衰史』『君が代は千代に八千代に』高橋源一郎著
『球形時間』多和田葉子著
『愛のひだりがわ』筒井康隆著
『死せる魂の幻想』寺村朋輝著
『るりはこべ(上)(下)』『月は静かに』丸山健二著
『裸のカフェ』横田創著
『無花果日誌』『海馬の助走』若合春侑著
『椿説弓張月(上)(中)(下)』曲亭馬琴著
『近松門左衛門集2』『井原西鶴集3』
『迷路のなかで』『覗くひと』アラン・ロブ=グリエ著
『トリエステの謝肉祭』イタロ・ズヴェーヴォ著
『懐かしの庭(上)(下)』黄皙暎著
『至福のとき』鄭義著
『アンダーワールド(上)(下)』ドン・デリーロ著
『未成年(下)』『カラマーゾフの兄弟(一)〜(四)』ドストエフスキー著
『ヴァインランド』トマス・ピンチョン著
『百年の孤独(新訳)』『物語の作り方』ガブリエル・ガルシア=マルケス著
『三人の女・黒つぐみ』ムージル著
『網状言論F改』東浩紀編著、永山薫、伊藤剛、齋藤環、竹熊健太郎、小谷真理著
『トランスクリティーク』『日本精神分析』柄谷行人著
『博士の奇妙な思春期』齋藤環著
『「帝国」の文学』スガ秀実著
『中上健次事典』高澤秀次著
『言語的思考へ・・・脱構築と現象学』竹田青嗣著
『分裂病と人類』中井久夫著
『グラマトロジーについて(上)(下)』『ユリシーズグラモフォン』『声と現象』『滞留』『パッション』『フィシュ』ジャック・デリダ著
『判断力批判(上)(下)』イマニュエル・カント著
『襞』ジル・ドゥルーズ著
『哲学とは何か』ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ著
『小説の言葉』ミハイル・バフチン著
『モードの体系』ロラン・バルト著
『真理のディスクール』『性の歴史(I)〜(III)』ミシェル・フーコー著
『ドイツ悲喜劇の根源』『暴力批判論』『フローベール』ヴァルター・ベンヤミン著
『論議』『創始者』『ボルヘスの「新曲」講義』『伝奇集』ホルヘ・ルイス・ボルヘス著
『人間の科学と現象学』『言語の現象学』『知覚の現象学1・2』メルロ=ポンティ著
『資本論(四)〜(九)』カール・マルクス著/エンゲルス編
『異教入門』ジャン=フランソワ・リオタール著
『現代文正法眼蔵(3)〜(6)』
『法華経(上)(中)(下)』
まだ読んでいない本がこれだけ書棚に控えている。いったいいつになったら読めるのか? 誰か私に時間をくれ。
ボンボン・ショコラでも作るか
2003年02月11日
今、世上はバレンタイン・デーを前にして浮かれ騒いでいるのだうか? 近ごろ頓に俗世間からの懸隔甚だしい私にはよく分からない。それでも例年この時期になるとボンボン・ショコラを作りたい衝動に駆られる。誰に送るでもないボンボン・ショコラを無性に作りたくなったりする。最近になってようやくチョコレートのテンパリングが失敗なくできるようになって少しく自信もついたせいか、尚更それは私を駆りたてて已まない。
とはいえショコラの扱いには神経を使うしひどく疲れることに変わりはなく、400〜500gのブラン、ラクテ、ノワールと三種のショコラをそれぞれテンパリングするのはそれなり重労働だし、テンパリング後も一定温度に維持しつづけねばならないしカカオバターの溶解温度を一度でも上がったらやり直しだしチョコに水滴が入ってもダメだしで作業終わりにはもうクタクタになる。
ひとつひとつガナッシュをクーヴェルチュールでコーティングしていくのは楽しいが、ボンボン・ショコラは少量ずつ作るというわけにはなかなかいかず、最低でも一種類十五〜二〇個単位くらいで作るから三種四種と作ろうと思ったら六〇個くらいできてしまう。
ってゆうか、誰かもらってくれないかしら? 味は保証できないが。
何を書きたいのか
2003年02月03日
何を私は書きたいのか。いきなりこんな問いを掲げても容易に答えられるわけはないし、ここはその場でもないだろう。
ただ、一年もサイトをやっていると少ないながら感想など頂く。それ自体は大変ありがたいことで、大いに批評して頂きたいくらいだ。とはいえ、小説については特異な文体を多用しているためか皆一様に戸惑われるらしく、その文章はイメージしにくいものなのらしい。たしかにイメージで捉えにくい錯綜した文を私は書くが、なぜそうなってしまったのだろうと自身思わぬでもない。つまるところそれはテキストから視覚イメージなり音声イメージなりを徹底して排したいということなのらしい。らしいとは私にもまだたしかなことが把握できていないからだが、言葉それ自体で何某かの陶酔に至らしめることはできないかというのが根底にあるように思うのだ。
テキストが視覚なり音声なりに依存すること、否応なしに依存してしまうことはもちろん承知しているし、それを完全に排することなどできないということも分かっている。
が、可能なかぎりそれを背景へと後退せしめ、言葉それ自体で訴えることはできないか、小説とは言葉で成るものでまず言葉ありきで、そうとすればそれ以外の夾雑物の一切を排して純粋に言葉のみで成立する小説というものも可能ではなかろうか、どうもそんなふうな欲望が私のうちにはあるらしいのだ。
一方でそれは単なる言葉遊びに堕してしまう可能性を孕んでいるし、ジョイスの悪影響ではないかと思わぬでもなく、不用意にジョイスなどに追随しても躓くのがオチだから止したほうがいいのだが、それでもそこへと向かわずにはいられないし錯綜した文で五感を狂わしめたいとの欲望は已みがたい。
道を誤った気がしないでもないが、とりあえず行けるトコまでは行ってみようかと思う。そう言いながらすぐに方向転換するかもしれないが。
何とか一年
2003年01月18日
本日、当サイトは一周年を迎えた。恙なくと言えるかどうかは分からぬが、とにかく一周年。ささやかながら小説とイラストとレシピの画像をupして記念する。とはいえ賑々しく祝賀の宴など開かない。昨日と同じ一日を静かに過ごすまでだ。こうして消え果てもせず存続し果せているだけでいい。それが何よりではないか。
人が来ようと来まいとそんなことはどうでもいい、と思いながら日々のアクセスに一喜一憂してしまうのもまた事実で、元来オレを見ろ式の自己顕示欲とは無縁なはずの私だが、こんな辺鄙なサイトながらも来てくれる方があるかと思うと嬉しいかぎりだし何がなしサービスもしようと思うから不思議だ。
アクセスログを見ると小説ページへのアクセスがイラストのそれのちょうど半分ということがいくらか寂しい気もするが、書いてるものがものだけに致し方ない。向後も以前に変わりなくひとりコツコツやるだけで、ウェブ向きのものを書く気も更々ないし改行の多い文はどうにも好かないのだ。賀すべき日に何とも低調な文で申し訳もないが、なぜかこうなってしまった。書きだしがまずかったのか?
焼き饅頭つくる
2003年01月14日
依士包皮(イーシーパウペイ)つまりイーストを用いた発酵生地、平たく言えば肉まんあんまんの皮なのだが、その生地で焼き饅頭をつくった。餡は手堅く餃子の餡を使い、それを生地で包むが餃子のように襞は取らず、焼きはしかし餃子と同様に水を差して蒸し焼きにする。肉まんとも餃子ともまた異なった味わいで、割といける。これまでにも幾度かつくってみたが、皮をより餡の味つけで難儀している。
餃子のように醤油につけて食べるのではないし皮は餃子よりもボリュームがあるしするから、それよりはいくらか塩分を高めにしないと味がぼやけてしまうのだ。
で、今回の結果だが若干塩分が高いように感じた。こちらの疲労度によっても塩分の感じ方は変わるから一概には言えぬが、辛いというほどではないにしろ、も少し抑えたほうがいいように感じたので、以下のような配合にしてみた。
依士包皮(10コ分)約360g
強力粉 100g
薄力粉 100g
グラニュー糖 7g
塩 1.6g
ドライイースト 3.4g
水(三〇度) 120g
ラードあるいはサラダ油 20cc
ベーキングパウダー 5cc
餡(10コ分)
豚挽肉 150g
醤油 5cc
酒 10cc
生姜汁 5cc
顆粒状中華スープ ごく少量
白菜 110g
長葱 40g
ニラ 40g
甜麺醤 8cc
胡麻油 8cc
塩 2.5cc
胡椒 少々
皮をつくる。合わせた粉にグラニュー糖、塩、ドライイーストを加えて混ぜ、水を加えて捏ねる。纏まったらラード、なければサラダ油を加えてさらによく捏ねる。滑らかになったら油を引いたボウルに入れてラップし、25度〜30度で60分発酵させる。この間に餡をつくる。
豚挽肉に醤油、酒、生姜汁、顆粒状中華スープ(本式の毛湯(マオタン)か白湯(パイタン)があればそのほうがいい)を加えて粘りが出るまでよく捏ね、冷蔵庫に入れておく(できれば前日につくって一晩くらい寝かす)。
長葱、ニラは微塵切りにする。白菜は微塵切りしたのち塩を振ってしばらくおき、水気を絞る。
ボウルに肉、野菜を入れ、甜麺醤、胡麻油、塩、胡椒を加えて軽く混ぜ合わせる(野菜から水が出るのでここでは捏ねない)。
生地を打ち粉をした台にとって軽く叩いてガスを抜き、ベーキングパウダーを加えてさらに捏ね、棒状に伸ばして10等分し、それぞれ麺棒で8〜9センチに丸く伸ばす。
襞は取らずに餡を包み、サラダ油を引いたフライパンに並べ(上記配合だと26センチ径がちょうどよい大きさ。中央に1コおいて残り9コを周りに放射状に並べる)、蓋をして25度〜30度で30分発酵させる。
ここからはほとんど餃子と同じで、フライパンを火に掛けて軽く焼き、水を加えて蓋をして、中火で12〜15分、水気がなくなるまで焼く。
「あなたもずいぶん暇なのね」
「文句言うなら食うなよ」
「あら文句じゃないわ、誉めてんのよ」
「どこが」
できるかな?
2003年01月13日
ひとまず小説はおいといてイラストに専念しようと思い、ペインターでファイルを開いたが、なかなか思うように描けない。何だか画面の納まりが悪くて全然筆が進まないのだ。この分では仕上がりそうにないと焦りつつ、何時間も茫と画面を眺めている。
大胆に大雑把な塗りで仕上げたいと思いつつ筆を取ればチマチマと細部ばかりを弄くっている始末で、これではいつになったら仕上がるか予測もつかない。
こんなことでほんとにできるのか? 間に合うのか?
「間に合うか、じゃなくて間に合わせんのよ!」
「自信ないな」
「死ぬ気でやりゃ何だってできるわよ」
「だって死にたくないよボク」
「だいじょぶよ、あんたが死んだって誰も悲しみゃしないから」
「ミクさんも」
「何であたしが」
「やっぱり描けないよ」
「言い訳しない。さっさと描く」
「でも」
「描きなさいっ!」
「自信ないな」
「あそっ。ご褒美いらないのね、残念。疲れたからあたし帰るね」
「描くよ、ボク、描くよ」
「じゃ頑張って。あっちで待ってるから。できたら呼んでちょうだい」
私にはご褒美、あるのだろうか? 誰かご褒美、くれないだろうか
ってゆうかご褒美って何だ、旨いのか?
そろそろ一周年…
2003年01月10日
そろそろサイト開設して一年が経つが、一周年に向けて何か用意しているかといえば何も用意していない。そんなことはないだろう、一周年というめでたい日を迎えるにあたって何の用意もせぬことなどありえない、何か用意しているに違いない、そんなふうに言っておいて驚かせるつもりだろうと思う向きもあるかも知れぬが、本当に何もない。だから焦っている。
小説の新作はあるがイラストの新作がない。一周年までにはなんとか仕上げたいと思うが、果たしてそれができるのか、ちょっと分からない。一週間あればイラストの一枚や二枚できるだろうと思うか知れぬが、何せ私は遅筆なもので一周間でも覚束ない。それなのに、このところ小説ばかり書いていてイラストはずっと手つかずのままなのだ。小説を書いているとはいっても、ただ開いたファイルを漫然と眺めているだけで全然書けてはいない。登場人物たちがうまく動いてくれないのだ。それはとりもなおさず描き手たる私が今書きつつある世界を把握し切れていないということに尽きるのだが。
いやそれよりも今はイラストを描かねば。と思いつつ今日もまた一筆も入れずにしまった。こんなことでいいのだろうか?
「そんな暢気なこと言ってていいんですか?」
「構やせん、誰も待ってなどおらぬよ」
「そんなことないですよ、待ってますよ」
「あるさ、こんな辺鄙な所へ誰がわざわざ好き好んで来るものか」
「そんなことないですよ、来てますよ」
「来ないじゃないか、挨拶くらいあってもよさそうだのに、誰も何も言ってはこないでは、ないか」
「恥ずかしいんですよ」
「子供じゃあるまいし恥ずかしいてなことがあるか」
「あなたがそんなふうに偉そうにしてるからじゃありませんか。そうして、文句でもあるなら言ってみろ俺が懲らしめてやる、みたいな横柄至極な態度でいるから。それじゃあ誰だって物怖じしてしまいますよ」
「俺のどこが横柄だ、俺は横柄じゃない」
「横柄ですよ」
「どこがだ」
「どこがって、全体がです」
「何を! こうしてくれる、えい、えい」
「何をなさいます、やめて下さい、ああ、痛い痛い」
「俺は横柄じゃない、俺は横柄じゃない」
「痛い痛い」
「横柄か? 俺は横柄か?」
「堪忍、堪忍して」
なんだか、こんなのばかりで申し訳ない。
移転したのに
2003年01月01日
以下の文章は実は移転前にupしようとして適わなかったもので、今さらここに載せることもないのだが供養のつもりでupしてみた。ちょっとした移転顛末記のようなものだが、べつに他意はない。
「なあ、どこがいいかな?」それとなく男は訊いてみる。
「どこだっていいじゃありませんか」まるで関心なさそうに答える女はこちらのほうがよほど重大とでもいうように繕いものに集中している。
女はいつも繕いものをしていた。いったい何を繕っているのか男にはさっぱり分からなかったが、薄暗い六畳間の辛うじて日の射し込む場所に陣取って、何かを繕っているのだった。その姿になぜか母を思いだしてしまうため、女が繕いものをしているのを男はあまり好かなかった。
自分を棄てた母を殊更怨んでいるということはなかったが、女の身振り仕草にどこかしら母を思わせるものがふいと垣間見えるのを男は嫌悪していた。そのせいか女の素っ気ない返答がなんだか妙に癪に触って「好かあないさ、安定したサービスを継続して提供してくれるところでなきゃあ困る」といくらか語気荒く言ったのだった。
ふいと針を持つ手を女は膝に下ろすとゆっくりと男のほうへ向き直り、「そんなゆっくり考えてる暇なんかないでしょうに。見てくださいよ、物置き見たようじゃないですか。狭っ苦しくって適いませんよ」と乱雑な部屋の有り様を一瞥して示す。
「何、これはこれで案外居心地がいいものさ」弁明の余地もなく苦し紛れにそう男は呟く。
獲たりと女はその尻を引っ捕まえて「どこがです? イヤですよ私はこんなところにずっと居るなんて。毎日毎日もう息が詰まってしようがありません。勘弁願います」と常になく興奮した体で詰め寄ってきた。
なんだか雲行きが怪しくなってきて、事態の収拾を考慮してそれ以上の抵抗をなかば男は断念しつつスゴスゴと引っ込んでしまうのも軟弱なようで「それはおまえ、大袈裟だよ」と言ってしまってからしかし女の悲痛に歪められた眼差しに気づいて戦く。
「大袈裟なもんですか。こないだだってあれですよ、大きな地震あったじゃありませんか。ガラクタの下敷きになるんじゃあないかって、あのときほど恐ろしかったことはありませんよ」
「ガラクタとはまたずいぶんと手厳しいな。みんな私の大切なこどもたちだよ、どれもこれもひとつとして粗略には扱えぬものばかりなんだ」宥めようとするもうまく言葉にできず、弁解がましいことしか出てこないのを男はもどかしく思いながら尚も言葉を連ねていった。
それを女は忌々しげに見つめているのみでもうそれ以上何も言うことはなく、針を手にとると繕いものをまたはじめるのだった。
どこだっていいと女は言うが、それじゃあ駄目なのだ、どこでもいいというわけにはいかないのだと男は心のうちに呟くと、自身の希望と懐具合とを両眼に睨み据えつつ再度ひとり沈思しはじめた。
供養ってか、ただ載せたかっただけじゃん。