友方=Hの垂れ流し ホーム

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 雑記

miscellaneous notes 

移転するぞっ

2002年12月28日

昨日プロバイダからメールがきてどうやらFTPアドレスが違うらしいと知り、その指示どおり入力したところサーバーへ接続できた。アドレス違ったら繋がらぬのも道理で、このひと月、一人うろたえ凹んでいたのがバカらしく、大恥を晒す結果になってさらにも凹んでしまうが、不思議なのはそれまで一年近くものあいだ、その間違ったアドレスで接続できていたということだ。問題は解決したからまあいい。あとはスムースに移転作業を行うのみだ。繋がったのだから移転などしないでもいいようなものだが、ここが一杯一杯なのは歴然だしすでにサーバーを借りてしまっていて独自ドメインも取得してあるしデータのアップロードも大方済んでいる。

移転は来年一月一日に行う予定。ただ移転するだけでデザイン等変わるということもないので、あまり期待しないように。

アップの図

これはまだ描きかけで移転先にはない。悪しからず。

わらび餠作る

2002年11月27日

こないだ、わらび餠を作った。小豆漉餡を中に包み込んで黒須黄奈粉を塗したやつ。が、見事に失敗。二〇個分用意して巧いこと包めたのは最初の四個だけ。あとは穴だらけで、惨澹たる敗北。はじめてだから失敗しても不思議はないが、それにしてもひどすぎる結果だ。

餡が柔らかすぎたのか、それで巧く包めなかったのかと配糖率を調べてみたところ、でき上がりの餡重量の37.5%とあって、でき上がり660gほどの餡で砂糖量が250gだったから配合上は問題なく、つまり餡が問題なのではないらしかった。問題は餠のほうらしく、餠が固かったのだ。でき上がったばかりのまだ温かいうちは伸びもよく、巧く包むことができたのだが、餠が冷めてくるにつれて伸びなくなってしまったのだ。

無性に腹が立って再度作り直した。失敗したままだと次に作るときにもまた同じ失敗をくり返す恐れがあるからだ。饅頭などもそうだが、餡を生地で包むというのはけっこう難しく、かなり熟練した技術が要るように思う。数をこなすより他上達の道はないのだろうが、たまにしか作らない素人には尚さら習得するのが困難だ。さらには写真と文とからしか参照しないから、一連の動作なりそのリズムなりを把握することがほとんどできないので、なかなかその勘所が掴めなくても仕方がない。

不恰好ながらそれでもなんとか二〇個包むことができた。味もまあ、悪くない。それにしてもそんなに沢山作って、いったい誰が食うのだ?

当初のタイトルは『増殖(発端)』という

2002年11月24日

それから自ずと知れるように、つまりはそのような話なわけだ。分裂増殖した自己は自己か他者か? 社会的存在足りうるのか否か? 非存在として如何に生きうるか? 斯かる存在論的な問いはまあしかしどうでもいいわけで、いや、よくはないが、いまはおく。

三者邂逅の図

ってゆうか、読みたい人は手ぇ挙げて。いませんかあ?

「止してくださいよ、そんな、宣伝みたいなこと。恥ずかしいじゃありませんか」

「何恥ずかしいことがあるものか。むざむざ死蔵させておく手もなかろうて」

「イヤですよ、みっともないったらありゃしない。それにそんなことしたら、自分で自分の値を下げるようで癪じゃありませんか。向うが辞を低くして乞い願ってるところへですよ、宜しい賜るぞ受けとれって具合にやらなきゃあ万事ダメですよ」

「ははは、今どきそんな尊大な態度なぞしようものなら相手にもされないよ。何、値を下げたりなぞせんよ。それにだ、こんなことくらいで値が下がるようなものを私が拵えてるとでも思っているのかね。これはまた私も、随分と見損なわれたもんだね」

「いいえとんでもない、そんなこと露思ってもいませんよ、いませんけど…」

「けど、何だね」

「いえ、何でも」

「なら何も言うな」

やはり空しい。

イラストだけが…

2002年11月23日

このところずっと掛かりきりだった新作小説だが、その出来不出来は捨象して何とか目処が立った。あと何回か読み返して最終的な詰めの作業が済めば、HTML化してサイトにupできるだろう。とはいえ年内中にできるかどうかは分からない。それにしても高だか一〇〇枚程度書くのにいったい何ヵ月掛かったのだろう。嘆いても仕方ないが二ヵ月、せめて三ヵ月以内には書き上げたいものだ。たしか以前はそれくらいのペースで書いていたはずなのに、サイトを立ち上げてからはその半分にも満たないノロノロした歩みになってしまっている。

なぜかといえば一方でイラストを描いているからだが、そのイラストのほうも徐々に逼迫してきて作業は遅々として進まない。イラストが小説の首を締め、小説がイラストの首を締め、そしていずれは共倒れというようなことにだけはしたくないが、なんだかそんな予感がしてならない。年内を乗りきって無事に一周年を迎えることが果たしてできるだろうか?

「何をそんなに弱気になっているの」

「弱気にもなるさ、書いても描いても碌なものができないんだから」

「そんなことないわ、素敵よ、とっても」

「ウソだ、煽てたってダメさ」

「ウソじゃないわ、私、本気でそう思ってよ」

「ウソだ」

「ウソじゃないったら」

「だって」

「私のこと信じられないの?」

「そうじゃないけど」

「なら信じて」

「…」

「もっと自身をお持ちなさい」

「…でも」

「素敵よ、あなた。とっても素敵」

「ホント?」

「本当よ」

「ありがとう、頑張るよオレ」

「あなたならきっとできるわ」

「うん」

空しい。

こんな漫画だが…ってどんな漫画だ?

2002年11月18日

このところ小説に手こずっていて全然イラストを描いていない。ファイルすら開いていない体たらくで、次の更新がいつになるか、今月中に更新できるか、頗る怪しい。一周年を前にして運営の危機に直面したというところか。このような駄文でお茶を濁しているところがもうすでに末期症状といえよう。

更新遅滞の埋め合わせとともにいくらかの前宣伝の意味も込めて下の絵をupしてみた。例の漫画「終わりなき…」の一コマだが、現段階ではこのような形でしかお見せすることができない。一部サーバへupもしているがリンクはしておらず、全面公開するか否かも今のトコ未定だ。

縊り殺すの図

昭和三〇年代に

2002年11月15日

先日たまたま寄った書店で[1960年・三池](同時代社刊)を発見、購入した。福岡市大牟田の三井三池炭鉱(97年閉山)における労資闘争を記録した写真集で、同題の写真展に併せての出版ということらしい。1960年といえば安保闘争がまず念頭されるが、私の生まれる以前のことなのでまるで想像もつかない。凄い時代もあったものだとしかしその写真の迫力には圧倒される。スト、集会、デモを写したものが多いが、なかにはひととき寛いでいる笑顔の人々もあって炭鉱労働者の日常を切りとった(陽気に遊ぶ子供らの姿もそこにはあって微笑ましい)それらいくつかの写真に、殺伐した闘争との対照からだろうかよけい和ませられる。

労資闘争はもとより安保闘争にも格別興味があるわけじゃなく、下の11月03日の項にもあるように『資本論』を耽読しているからといってそう思われる向きもあるかも知れぬが、そういうことじゃ全然ないのだ。

何より写真として惹かれるということはたしかだが、1960年というところに何かしら私を魅して已まないものが潜んでいるらしいのだ。全体昭和三〇年代ころの人物なり風景なり町並みなりを写した写真に言い知れぬ郷愁を感じてしまうのだ。そのようなものとしてこの写真集もだから見てしまう。視点が思いっきりズレているがどうしようもない。昨今見られるレトロブームもおそらくそれと同種の郷愁に根ざしたものと思うが、その時代を生きていた者ならともかく、自身の記憶にもないものがなぜ斯くも懐かしいのか。

その時代を生きたいとかその時代に生まれたかったとかいうのではもとよりない。喪失した物語なり全体性なりのへの郷愁なのだろうか。物質的豊かさではなく精神的豊かさへの憧憬からそのように感じてしまうのだろうか。どうにも、よく分からない。

未発表な漫画とかあったりするわけで

2002年11月08日

もう一年以上前になるだろうか、長編小説「消える前」を一年半かけて書き上げた直後だったと思うが、不意に思い立って漫画を描いたのだった。それ以前にも二、三描いているが、不馴れなペンで描いた線も不安定な代物で、とても人様に見せられるものじゃない。うち一本は『秘蔵の名作艶本・第5集/旅宿のおんな/安田義章監修・佐野文哉訳』(二見書房刊/二見文庫)に収められている何寄実好成文、不器用又平(歌川国貞)画による艶本「泉湯新話/下巻」を元に描いたエロ漫画で、尚のこと見せられない。

なんでまた急に漫画など描こうなんて思ったのか、よく覚えてはいないが、当初小説として構想していたシナリオを漫画用にリライトしたものをたまたま発見したか何かしてその気になったのかもしれない。腐らせちまうのは勿体ないとか、どうせそんなふうな貧乏ったらしい思いに違いない。

ストーカーとかじゃないよね

原稿はケント紙にペン入れまでしたものをスキャンしてパソコンで仕上げた。ペインターでモノクロ着色したのち、適当にエフェクトかけてトーンにした。トーンは高いし貼るのも面倒だからというのがその理由だが、あとから手直しできて頗る便利で、実際ペン画をずいぶんと修正している。そうしてできたのが『終わりなき…』三〇枚だ。

これはそのなかで割と気に入っているカット。近景の電柱と遠景とを別々に描いて近景のレイヤーをぼかしている。これはしかし絵的にまだマシなほうで、前半とくに最初の数ページはひどいものだ。異常に線が太くデッサンも狂いまくっている。下描きまではけっこうイケてるとか思ってたのに、ペン入れすると途端に線が乱れておかしなことになってしまう。あのGペンとか丸ペンとかいうものになかなか馴れなくて、もっと練習してから描けばよかったのだが、そんなこと思いも及ばなかった。どうにもお粗末きわまりなく、ハードディスクに仕舞い込まれたまま印刷に供されることもなくそれは今も眠っている。

誰も待ってなどくれないだろうが…

2002年11月03日

去る十月十九日にイラスト「生け贄」を更新してすでに二週間が経過したが、その間次作イラストには全く手をつけていない。というのもずっと小説に掛かりきりだったからだ。その小説もしかしお話にならないくらい煮詰まってしまっている。小説、イラストのふたつながら暗礁に乗りあげてしまった状態で、非常に焦っている。誰も読まぬ小説に血道をあげるよりイラストを描いたほうが来訪者に親切というものだろうが、自分のなかでは小説のほうがやはり優先度が上で、イラストばかり描いていてその皺寄せが小説のほうへ跳ね返るのは望ましくない。

愚にもつかぬ小品を小出しにしてアクセスを稼ぐより、ドンとデカいのを垂れ流したい。

ところで今『資本論』を読んでいる。べつにマルキストでもなんでもないし今さらマルクスもないだろうと思いもするが、読んでおいて損はないとコツコツ岩波文庫で買い揃えていたのをようやく読みはじめている。第四編の相対的剰余価値の生産の件まで読み進めてきたが、資本主義的生産様式に於ける労働者と資本家の壮絶な死闘は一編の小説を読むようだ。あらゆる手を尽して剰余労働をさせて労働者から搾取せんとする資本家、それに組み敷かれまいと足掻く労働者、資本の法外な搾取を暴く工場監督官。これこそ最上のプロレタリア文学なのではないかと思ってしまうほど『資本論』は面白い。

雑記はじめました。

2002年11月01日

これからここへとりとめもないことを書き連ねたりなんかしようかなと思う。その手の文は今まで掲示板へ書き込んでいたが、どうも文体的に書きにくくて仕方がないので不要なコンテンツの付加は望まぬながら已むを得ずこのような仕儀となった。このようなものを好んで読もうという酔狂な方はまずおられないとも思うが、これもひとつの垂れ流しの形としてご容赦いただければと思う次第。

で、今新作小説を書いている。九〇枚まで書き進めたがどうにもダメで、話がてんで纏まらなくて困っている。予定ではこれは六〇〜七〇枚程度で纏めるはずだったのが一向話が纏まってくれず、膨れあがってしまったのだ。それでも一〇枚近く削除した。まだまだ削れるはずと読み返しているが、読み返せば読み返すほどその不出来に空しくなってくる。いつもそう思うのだが、いったいいつになったらでき上がるのだろう。いっそ悉く反故にしてしまおうか。

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