Effluents from Tomokata=H

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03

一書に薄力粉・グラニュー糖に角切りの固いバターを混ぜ込み全卵を加えて纏める生地をパート・ブリゼと明記してあるかと思えば、別の一書には薄力粉・強力粉同割に固いバター・水・塩で卵・砂糖を加えない所謂練りパイ生地をパート・ブリゼと明記していて卵・砂糖を加えるものをパータ・フォンセとしてあったりしてその分類が一様でなく混乱を来たしたので自分なりに分類を試みようとしたことがあるが、グラニュー糖か粉糖か上白糖か三温糖か黒糖か、全卵か卵黄か全卵+卵黄か卵黄+水か卵黄+牛乳かとそれぞれの配合分量は微妙に異なるし、所謂煉りパイのパート・ブリゼにしても無折り二回折り六回折りと三つ折りの回数が人によって異なり、詰まるところ菓子によってその配合は変わらざるを得ず、そこには無数のヴァリアントが存在し、一菓子に一生地ということになってしまい、いやそれを作るパティシエによっても異なるため一対多対応となってしまって実際的に分類は不可能だということが分かり、様々ある配合の中から自分の好みに合うものを自分の舌で選び取って自分なりに体系的なものを作り上げていくより他ないということに気づくが、それを築き上げるには軽く見積もっても数十年を要するだろうと無理に分類しようとするのはやめにした。

しばらく文字を寝かせている間クルリと反転して手摺りに凭れて一階を眺め下ろすと、時折二階の料理の棚前でミニスカートのお姉ちゃんが平積みの書冊を物色するのに夢中で階下からの視線のあることに気がつかずに小腰を屈めて尻突きだしている無防備な姿を一階から仰ぎ見てそのスカートにくっきり浮きでた下着のラインを見、その生足の膝裏から腿裏の肉づき具合を眺め、更にはそのスカートの中を垣間見ようと賢明になっているのに気づいて恥ずかしくなるが、二階から一階を見下ろすのは幾分爽快で、たかだか数メートルの視点の移動に過ぎないのだがそのたかだか数メートルが決定的な差異を生じさせ、虫籠内の昆虫でも見るように棚の間を蠢いて手を伸ばしては本を出し入れしている人の様を観察することにある種の快味を覚え、片足に体重を掛けた無防備な体勢で文庫本など読みつつ大人しく待っていたり忙しなく鞄の中を掻き廻していたり不自然な仁王立ちで腕組みなどしている人らの背中を眺めやりつつ壁際三〇センチ辺りの所定の位置に立って急行を一本やり過ごし、次に来た四輛編成の普通のその人らのあとから乗り込んだ車内は冷房が効いていて寒いほどで、平日の午前だけに乗客は少なく学生もいないので空いている席もかなりあるが、乗車したドアのすぐ脇に立ったままで席に着かないのは見知らぬ他人の隣席に着き向かいの他人と相対することの殊にミニスカートの若い女性と相対したときのその三角地帯の威圧による精神的疲労よりは揺れる電車にバランスを取りつつ立つその肉体的疲労の方が遙かにましだからで、その揺れに足を取られて早くも疲労を感じつつ左肩をドアに強く押しつけるようにして寄り掛かり、車内が静かなためよく聞こえる「次は南太田南太田」「次は黄金町黄金町お出口右側に変わりぃます」という独特の抑揚の普段は聞き逃しがちな車掌のアナウンスを聞くともなしに聞きながら眼は窓外を流れる近景遠景を追うが、近景ばかり見ていると眼球の動きがめまぐるしくて忽ちこめかみと頸椎に鈍痛が生じるしそれが昂じると嘔気を催すため遠景を中心にして時々眼を下向けて騙し騙し近景を眺めるようにしているものの、それでも突風が吹けば剥がれそうなトタン屋根の連なりだの物干しの洗濯物が揺らめく様子だのをついその細部まで眺めてしまうため降りるときには何かに憑依されでもしたかのように頭が重くなっているのだった。

南太田駅を過ぎて進行方向左の窓の四角い枠から覗ける野毛の高台にある展望台からはこの大岡川中村川に挟まれた釣り鐘形の埋立て地が一望できるが、普段何気に動き廻っているその空間が一転高みから見下ろすとあまりにせせこましく、人の日常生活空間など広いようで狭くごくごく限られた空間内をチマチマと移動しているだけだということに気づいて改めて驚くのだったが、そのあまりのせせこましさに失望するわけではないものの何とも言えずやる瀬ない気になり、車窓から眺めてそのように想起するだけでそのやる瀬なさに纏われ伸し掛かられそうになったので体を反転させて棚の方を窺い見るが、モゾモゾと蠢いていて不穏な気配濃厚なため寝かしが足りないと再び反転して車内に眼を向け耳傾けると、「次は日ノ出町日ノ出町お出口左側に変わりぃます、尚電車とホームの間が開いております、お降りの際足元にお気をつけ下さい」というアナウンスがマイクを近づけ過ぎているためか妙に籠もってはいるもののハッキリと聞こえてきて、左にカーブしているので左に傾いでホームに入っていく車体はそのまま左に傾いだ状態で停止し、南太田黄金町で乗り込んだ乗客の半数ほどとともにこの日ノ出町で降りる私の足の運びはこめかみから頸椎にかけて生じた鈍痛のためか他の降客に較べて遙かに遅く、フラフラと通路右脇に寄って次々追い抜いてスタスタ歩く人をやり過ごしつつゆるゆると階段を下りていくのだが、いつからこれほど歩くのが遅くなったのかは分からないが、駆け込み乗車もしないし点滅しはじめた信号に気づいても横断歩道の中央に離れ島のようにある縁石にひとり取り残されるようなことになっても慌てて走りだすこともなく、今この信号を走り渡ったところで何の得があるのかと思うと走る気など起こらないのだった。いや、そうではなくただ単に体力が低下したということに過ぎず怠くて怠くて仕方がないのだが、その怠さは過酷な労働を強いられての蓄積した疲労から来るものでは決してなく偶の運動による極度の疲労で、一日部屋に閉じ籠って何をするわけでもなくただ本を広げて文字を追いMacに向かって文字を打ち込みペンを走らせ、時折思い出したようにパンを作り菓子を作るだけの生活で、偶に本を買うか食材を買いに行くためにしか外出しないので走るということがどんなことなのか忘れてしまいそうなほど走るということから遠ざかっていて気がつけばもう何年も走ったことがないということに改めて驚き、走るとは抑も如何なる行動かと考えざるを得ないのだった。

抑も走るとは追う追われるのいずれかの行動で、追うとは何かを獲得しようとすることだろうし追われるとは何かから逃れようとすることで、つまりは捕食と逃走という生存それ自体を意味し、そのような生存それ自体としての走ることを忌避しているということは生存それ自体を忌避しているということで、確かに大学進学が頓挫して目的を見失い、茫然と数年が過ぎてからこれではいかんと浪人中通っていたアトリエの知人の伝でイラストを描かせてもらいはしているものの一枚数千円のものが月に数えるほどなので小遣い銭程度にしかならず、といってそれ以上何をするでもなく新たな目的も見出せぬまま親の臑を舐り尽している状態が何年も続いていて内心忸怩たる思いがあるためかその見失った目的の代替案として出てくるのは死でしかなく、常にそれを小脇に抱えてはいるもののそう簡単に死を選択することもできずにダラダラと生きているのだったが、なぜ死ぬのかを考えずにどのように死ぬかを考え続けているのはすでにそれが決定されているからだし、二十一世紀を迎える前に決着をつけると決めているからで、階段の手摺りの枠の一本に結びつけた縄状に縒ったシーツの端に首だけでぶら下がってユラユラと揺れ動いている映像が、あるいは台所で喉頸辺りを赤く染めて同じように赤く染まった包丁とともに赤い水溜りの中に仰向けに横たわっている映像が明確にあることはあるのだが、あまりに明確に映像化してしまっているためかそこへ一歩踏みだすことができないのだった。目的なく走ることは可能なのだろうか、いや、走ることそれ自体を目的として走ることはできるのだろうかなどと思いつつ↑の表示されている自動改札の投入口に切符を差し入れてドアの開いたとこをさっと抜け、駅舎を出て徐々に強まってくる日盛りの下に立つと肌がチリチリと焼けるような気がし、それを避けるように日陰を探して歩いていくのは偶に日の下にその身を晒すと忽ちクラクラと眩暈がするためで殊更「生白」という名に拘っているわけではなく、事実ガキの頃はその名に反して肌は黒く、ナマシロなのになんで黒いんだと散々からかわれた結果「焦げ黒」という名を賜り、別段それを不名誉とも思わなかったがいつからか極端に外出を厭うようになって日を浴びずに何年も過ごしているうちにその名のとおり生白い肌になり、それが原因してというのではないだろうが妄想に親しむようにもなったのだった。

つい半年ほど前のことに過ぎないにも拘らず最初に作った菓子が何だったのか確かな記憶がすでにないのはそのあまりの出来の悪さに排除隠蔽したいということでもあろうが、そこを強引に引っ張りだしたところでは市販の冷凍パイ生地にこれも市販のジャムを塗って焼いただけの至極簡単な一口パイだったように思うが、あるいは最初はマフィンか何かで一口パイはそのあとだったような気がしないでもなく、いずれにしてもまだオーブンレンジはなかったのでクッキーもバターケーキもジェノワーズも総てトースターで焼いたのだが、一五〇度から二〇〇度ほどで焼く菓子を庫内温度が四〇〇度にもなるトースターで焼くには小忠実にスイッチのオンオフを繰り返して温度調節しなければならず、字義通り一秒たりとも眼を離すことができず今より遥かに困難な作業で、その割に生地の膨らみは悪いし表面ばかりが焦げつくしで納得の行く仕上がりのものなどひとつもできず苛立ちが募るだけだったが、それだけにオーブンレンジで焼いたときの当たり前の膨らみにえらく感動し、それが病みつきになった原因かもしれないとも思うものの好きで作っていることは確かだし失敗すればするほど思い通りにならなければならないほどのめり込んでいくのも確かなのだが、それが好循環か悪循環かは分からないがなかばアリバイのようなもので、小脇に抱えた死の重圧を牽制するためのそれはアリバイなのかもしれないと次の行動に移行するその端境の自失している無防備のときなどに不意に思ったりするのだったが、一度も死にたいなどと思ったことはなく、むしろ死にたくないからこそここまで生きてきたとも言えるが、消去法で最後に残るのがいつも死で、気がつくとそれを小脇に抱えていて備えつけの家具か何かのように何喰わぬ顔でそれはピタリと納まっているのだった。

今向かいつつある有隣堂本店書籍館ではなく近所の書店でたまたま購入した菓子のレシピ本に掲載されていたのを日々眺めていていたのがその発端で、それがボディーブローのようにジワジワ効いてある時一挙に噴出して作りはじめ、最初は型の要らないバターロールだのパン・オ・レだので済んでいたのが作るうちに欲が出て遂にハンズで蓋つき一・五斤食パン型を購入したのだったが、ハルユタカ一〇〇%の粉ならグルテン形成に必要なグリアジンとグルテニンの含有量が外国産のものに匹敵しているらしくかなりの膨らみを得ることができ、一・五斤でハルユタカ一〇〇%を三六〇グラムで焼いたら天井につきそうなほどだったため量を減らして焼いたところ少しも窯伸びせず目の詰まった重たいパンになり、その後何度焼いても同様で改善が見られなかったのは粉が違っていたためで、つまりハルユタカが入手できなくて購入した南部小麦のしかもタンパク質含有量十三%以上の強力粉ではなく十一%ほどしかない準強力粉だったので膨らみが悪いのも当然で、そのうえ国内産小麦は吸水が悪く水の量を加減しなければならないのを知らずに外国産小麦の使用を前提のレシピの通り粉対比で七〇%加えていたため粘ついて纏まりの悪い生地しかできず、加減すれば今度は固い生地になり、加えてミキシング時の気温湿度にも影響されるしと作るたびにその条件が異なるのでやればやるほどわけが分からなくなり、そのように粉の性質その他による著しい変化に対応できずに失敗を重ねてきたのだったが、抑も使用しているオーブンが違い、掲載されている写真を見ると食パンの一斤型を入れても庫内は広々して見える専用のオーブンだったりするので現在の住宅事情から考えてもそんなバカでかいオーブンを設置するスペースなどない、というより他の調理器具と比較して利用頻度の低いだろうオーブンに、多機能のゆえに個々の設定の詰めが甘くならざるを得ないオーブンレンジではなく専用のオーブンにそれだけのスペースを割く余裕などなく、求める理想のパンを乏しい機材と乏しい技術とで焼くことの不可能性を思い知らされて幾度断念し掛けたか分からず、というのも捏ね上がりの状態を判断できないし油脂投入時期もだからよく分からず、つまりレシピの文章と掲載されている写真とからだけでは生地の伸展具合やその感触まで見極めることができないし混捏の力加減やリズムもゴッソリ欠落してしまうので眼前の現物との比較検討が不可能なためどこまで行ってもその差が縮まることはなく、すでにミキシング時点で手探りの状態なので以後の不安は累積的に増大する一方で、オーブンに入れてしまえばあとは祈るより他ないのだが、結果無惨に敗北してもどの時点で誤りがあったのかすら分からないので改善のしようもないのだった

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