友方=Hの垂れ流し ホーム

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八十年

2005年06月24日

昨日の晩飯に何を食ったか覚えていないと思ったら昨日は晩飯を食っていないと言われた。どうりで腹がすくと思った。何かないかと探すが何もない。仕方がないので買い物に出た。実に八十年振りの買い物だった。鉛筆と消しゴムを買った。唐揚げにした鉛筆が好きなのだ。消しゴムは刻んでみそ汁に入れる。

鉛筆は食うものではないと言われた。それでもたしか八十年前に買い物に出たときには鉛筆を唐揚げやコロッケや天ぷらにして売っていたはずだ。豊かになるとはそういうことだと言われた。そんなものかと思った。

では今は何を食うと訊けば、人間を食うと答えた。人間は食ったことがないが旨いのかと訊くと、鉛筆よりは旨いだろうと言う。どこで売っているのか訊いてみるとどこでも売っていると答える。

では人間を買ってくるとまた買い物に出た。なるほど人間はどこにでも売っている。唐揚げと天ぷらを買ってきて、早速食ってみた。

旨かった。それからは専ら人間ばかり食っている。でも時どき鉛筆も囓る。

ダメなエアコン。

2005年06月18日

最近どうもエアコンの調子がおかしい。といっても基本的にエアコンは使わないからおかしくたって殊更困りはしないのだが、菓子を作るときだけはべつで、室温20度というのが理想的な温度だから、それに近づくよう設定して使用している。それが最近、エアコンの温度が下がらないのだ。生ぬるい風が出てくるだけで、これではただの扇風機だ。これから夏に掛けて益々暑くなるっていうのに、エアコンが効かないと菓子を作るのが難しくなる。最高で室温35度くらいにはなるから、そんな状態ではマシなものはできないと思う。真面に作れそうなのはパウンドケーキとかシューくらいか。梅雨が明けるまでには直ってもらわないと困る。困るのだ。

で、修理に来てもらったおっちゃんの言うには時空連続帯にひずみが生じているとかで、真空バルブの可動電極軸受がバカになってるとかなってないとか、量子波動モーターが損傷しているとかいないとか、とにかく修理には二〜三週間掛かるとのことだった。もっと短くならないかと訊いてみれば、応急処置的にひずみを矯正することはできるらしいが、飽くまでそれは一時的なものにすぎないからまたすぐにおかしくなるし、そんなことをくり返していたらいずれひずみは矯正不能になり、そうなれば部屋ごと別の時空へ飛ばされかねないと恐いことを言う。

別の時空へ飛ばされては敵わないから修理に出すことにした。うまく直ってくれるといいが……

二週間後戻ってきた時空冷却装置は、まあそれなりに調子よく、これならこの夏も無事に乗り切れそうだと安堵するも、電波ネズミがよく飛んでくるようになった。さして害はないとはいえ、それはそれで厄介で、電チュウコロリもすぐになくなってしまった。飛来する電チュウの数も日増しに増えていて、気づけば部屋の隅に埃のように溜まっていたりするのだ。飯のなかに紛れ込んでいて気づかず食ってしまうこともある。さして害はないとはいえ、いい気分ではない。

これは装置の影響に違いないと再修理を頼もうとしたが回線が繋がらない。というか、どこにも掛からない。ふと見ると床一面電波ネズミに覆われていて、三センチほども積もっている。超電磁吸引クリーナーキクヒコでも追っつかない勢いだ。それもそのはず、窓の外は電チュウの大群で日射しも届かないくらいになっていたのだ。さして害がないとはいえ、いや充分に害されている。回線が繋がらないのも電チュウの影響だろうか。もはや猶予はならない。明日にでも市の電波課へ苦情を言いに行こうと思う。

難儀な文体さ

2005年05月20日

ところがそうではないのだ。いや、十中八九そうに違いないと睨んでいるがやはりそうではないのだと煮つけた鰈の身を解して煮汁と絡めながら弥生はそれを否定し、尚幾許か煮汁のなかを転がしているうちに身がバラバラに崩れてしまうとそれには手をつけずにまた新たに身を解しに掛かり、そうしてしばらく弄んでいるがそれにも飽くと諦めたように細かな身を掬いあげては口へと運ぶのだったが半分も食べられず、残りは鍋に戻したもののきっと手をつけることなく傷んでしまうに違いなく、これまでそうやって何もかもをダメにしてしまい、これからもそうやって何もかもがダメになってしまうのだと弥生は腐ってゆく自分になかば酔いしれつつ洗いものを片づけるとフロを沸かして長々と湯船に浸かり、どうしても型から外すことができないゆるゆるムースは今も尚冷蔵庫の中段で冷やされているが一昼夜おいても状態にさしたる変化はなく、触ってみると指につかないから固まったと喜んでいたら型を傾けると傾けたほうへムース面が盛りあがり、つまり乾燥してできた表面の皮膜が下の液状ムースを押さえ込んでいるだけで傾きが臨界に達すると皮膜が破れてドロリとした液体が溢れ出てくるのだった。

今書いている小説の書きだしの部分から。このあと改行なしでこの三倍くらいつづくが、まだ決定稿じゃないので推敲過程で変わる可能性あり。とはいえこんな文体じゃ誰も読んではくれないだろう。かかる文体が読みの速度を遅延させることは分かっているし、そういった読みの速度を増すことにある種の享楽を見出しているマンガ等に拮抗し得ないということも承知している。そうと分かっていてもこんなふうにしか書けないのだから仕方がない。

ただ、本当にかかる文体でないと自分の表現したいものが表現できぬのかという問題はあって、もっと読まれやすい表現を模索する余地がないとは言えない。といって娯楽性を追求するつもりは毛頭ないし、かかる遅延にこそ小説の醍醐味はあるのではないかとも思うのだ。マンガのような速度を求めた時点でそれはもう小説とは異なる何かになってしまうような気がするのだ。それとも遅延しつつ速度を増すことが可能なのだろうか?

親指返した?

2005年05月15日

『親指さがし』(山田悠介原作、綾村切人作画)というマンガがある。同名小説をコミック化したものだが、小説のほうは読んでいない。親指さがしより小説は純文系ばかりでエンタメ系にはあんまり興味がないもので。作画の綾村切人氏のペン画をべつのところで見たのだが、それがあまりにも凄かったので気になっていた。で、上記の本が出ていると知り、先日伊勢佐木町の有隣堂本店書籍館へ行った折に探してみたが、小説にしろマンガにしろ幻冬舎とは縁がないのでなかなか棚が見つからず、フロアをグルグル回ってしまった。まあ、なければネットで手に入れればいいと軽い気持ちだったが、幸い棚も見つかりマンガも置いてあったので首尾よく購入できたというわけ。

マンガは面白かった。内容的にはよくあるホラーなのだが、綾村氏の絵に、その凝った構図に惹きつけられた。トーンを使わない画風にも氏のこだわりを感じる。原作を読んでいないのでそれをどのように継承し、発展させ、変奏しているのか分からない。ただ原作にないキャラがひとりいて、そのキャラが襲われるシーンが、他のものに較べて鮮烈だったように思う。原作つきではなく、オリジナルのものを読みたくなったが、いくつかあるらしい短編も雑誌掲載のため未読。

『親指さがし』(幻冬舎/2005年1月 ISBN4-344-80511-9)

ショウジョノユメ(作者HP)

死んで花実が咲くのです

2005年04月15日

私の小説の主人公はよく死ぬ(他殺ではなく自殺)。死なぬまでも気が触れる。というか真面なヤツはひとりもいないと言っていい。その主人公の壊れ方なのだが、男性と女性とで若干差異が生じる。男性主人公の場合、大概死から逃れられないのだが、女性主人公だとギリギリでそれを回避しているのだ。恐らく私のうちにある自殺願望が男性だとストレートに表出してしまうのでもあろう。小説としてどちらが良いのかは分からないが、読まされるほうからすれば欝な展開は嫌なものだろう。とはいえ私にとって小説の執筆はリハビリみたいなものだし、端っから娯楽性を求めてもいないのだから仕方がない。

ところで最近やっと次の小説を書きだしたが、今度は女性が主人公なので死なないかもしれない。そこを敢えて死なせてみるというのも手だが、こればっかりは書いてみなければ分からない。

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