2003年下半期
12月
31日 まったりと
19日 軋むのは階段か?
11月
12日 動いたっ
06日 おっ遅い!
03日 はっ速い!
10月
30日 替えがないとね・・・
22日 難儀
06日 ホモホモ7
09月
23日 洗浄
18日 消えちまえ
13日 間山
08月
17日 新旧交代
05日 8がダメならもう・・・
07月
30日 おまいさん
28日 それだけではないのだ
21日 誰かが見ている
11日 疑惑がいい
06日 2-1=1だっけ?
2003年12月31日
新作、連載ともども小説の年内更新はやはり無理で、新作に至ってはこの二週間一枚も書けていない。というか今年は全然小説が書けていない。サイトを開設してから執筆の時間があまりとれないということによるらしく、焦っても碌なことはないのでのんびりやるよりほかないのだが、あまりにも書けないので気は滅入る。
来年はどうなることやら・・・
2003年12月19日
長らく更新の滞っている小説『階段の軋み』の挿画に久しぶりに着手する。構図が決まらなくて困っていたのだが、どうにか形になりそうなところまで持ってくことができた。とはいえ年内の更新は無理そうだ。早く終わらせたいのは山々だがなかなかそうも行かず、不本意なものを出すことはやはりできないから今しばらく猶予頂きたい。
「ヤダッ! 待てない」不意に言われて驚くが、できぬものはできぬのだから仕方がない。
「そんなこと言われましても」できるだけ丁重に答えるが、不遜げな眼差しで女はこちらを見据えると「挿し絵なんかいらないんだから今すぐ更新してよ」と迫る。尤もな発言ではあるもののこちらにはこちらの方針があるわけで、その旨理解して頂くよりないと説明するも「待てないっつってんでしょ!」と凄むのだった。
「そこを何とか」平身低頭してお引取り願おうと試みる。
「無理。ってゆうかお前描いてないじゃん。描く気ないんだったらべつに挿し絵とかいらないんだからさ、さっさと更新してよ」苛立たしげに女は細いヒールを打ち鳴らして迫りくる。
「ちょっと、あの、困ります」壁際まで追い詰められ、逃げ場を失う。女は壁に手をつき、こちらになかば覆い被さるように凄みながら「ちょっとって何よ、待てないっつってんでしょ。ちょっとも何もないでしょ」とドスを効かせる。
「お叱りはご尤もですが、年末になりますといろいろと忙しいものでして」
「さんざんサボってきて今さら忙しいって何よ、ふざけないでよ」
こちらを見据えて冷笑する女は掌を突きだして出せと言う。つまりは読者を装った強盗であったかとそう思った途端、全身を恐怖が貫き走る。竦めていた首を恐る恐る擡げながら上目見ると出せと女は再度声高に言い、さらにもグイと掌を突きだしてくる。恐ろしさに言葉もなく、一心に首を振るよりほか何もできない。
「あるんでしょ? 原稿。出しなさい、早く」有無を言わせぬ厳しい言葉に屈しそうになるが、ここは死守せねばと首を振る。しばらくして要求されているのが金銭ではなく原稿だと気づき、強盗ではなかったと安堵するも原稿を奪うのだって強盗には違いなく、一旦退いた波がまた打ち寄せてくる。
「そ、それだけは」拝むばかりにひたすら乞うが、頭を低くすればするほど女はつけあがり、一方の手で私の頭を押さえつけるともう一方の手を私の顔の前に翳す。長く尖った爪が妖しく光り、これ見よがしに眼球へとそれを近づける。それから徐ろに二本の指を私のこめかみに宛うとそのままグリグリと頭蓋に押し込んでくる。逃げようとするも押さえつけられている頭はびくともせず、見る間に指の根元近くまで差し込まれてしまう。次いで深く差し込んだその指を女は穿るように幾度も屈伸させ、それからゆっくりと引き抜くと、何か黒っぽい柔らかな塊が二本の指に絡まって私の頭蓋から抜き出される。
「これよこれ、じゃ貰ってくね」半笑いで女は言うとそのままどこかへ行ってしまった。
こめかみに触れてみるが傷もないし痛みもない。むしろ頭がスッキリして軽くなったくらいだ。私を害せんとのつもりだったのではなく、不要な澱か何かを取り除いてくれたのでもあろうか。濁りない頭で事に当たれとかそういうことなのだろうか。それならそうと言ってくれても良さそうなものだ。
しばらくして『階段の軋み』に関する情報がそっくり失われているのに気づいた。
さて、新作小説のほうだが、現時点で219枚になっている。恐ろしく難産なうえに失敗作ではないかとの懸念なきにしもあらずだ。失敗でも何でも書き上げてupするつもりだが(何せ垂れ流しだからね)、お楽しみにとは言えぬほど暗澹たる気分に陥っているのも否めぬ事実。マジで困っている。
2003年11月26日
CPUがいくら速くなっても執筆製作のスピードはちっとも速くならず、相変わらず遅々として進まない小説もイラストも中途半端なラフがゴミのように散在するばかりで、仕上がる前に飽きてしまった挙げ句の放置プレイ。
そんななか、レシピだけは着実に増えている現状を鑑みるにいったいここは何のサイトなのかとその方向性を見失いそうになる。いや、見る人によってここはテキストサイトだったりイラストサイトだったりレシピサイトだったりするわけで、こちらが何と決めつけることはほとんど無意味だから諸君の好きなように呼んでくれたまえ。何と呼ばれようと私は歡迎するよ。
『垂れ流し』とはよく言ったもので、まさに是れ垂れ流しで、つまりは垂れ流し系サイトなのだ。方向性といえるような方向性などだから最初っからないようなものなのだ。とはいえこのところあまり垂れ流していないので今これを垂れ流しているというわけだ。
そういえば先週末辺りに『未来世紀ブラジル』(1985年製作 英・米)のDVDが出たらしい。言わずと知れた奇才テリー・ギリアムの近未来SFだ。ブラックで救いのない話だから好みは別れるところで、『アルマゲドン』(1998年製作 米)とかそういった類いのド派手でベタなものがお好みの方には不向きかもしれないが、こんなのが私は好きだ。LDでは持っているがこれはスタンダードにトリミングされているから、ノートリミングなら欲しいところだ。調べてみたらDVDはビスタ(たぶんオリジナルもビスタと思う)ということだからいよいよ欲しくなってしまった。3,800円。Amazonなら3,230円(15%引)。少し前から『パルプ・フィクション』も観たいなあと思っていたから一緒に買えば手数料もそれだけ割安になると思うとさらにも欲しくなる。とはいえそれだけ懷も寒くなるわけで、果たしてこの冬越せるかどうか・・・
ところでペインタ7、8で描画が遅れるということを以前書いたが、CPUが速くなったことでさして気にもならなくなった。問題が解決しているわけではないがそれなり使えるから良かった。というわけで少しずつVer.8を使いはじめているが、筆の形をしたカーソルが妙に使いにくいのでリソースを開いて三角のものに替えてしまった。ところがこれまでカラーだったカーソルが8ではモノクロになっているためモノクロにならざるを得ないのだが、カラーにできるかどうかはちと分からない。
と思いきや、その後判明したところではキャンバス上でのみそれなりに描画できるということで、レイヤー上での描画はほとんどダメだった。例えば網掛けのように連続してストロークを描く場合に五本目くらいでもう描画されなくなり、そのまま描きつづけていると十本目くらいからまた描画されるという始末で、その間が抜けてしまうのだ。これは致命的だ。これではどうにも使えない。いったい何が原因なのだか・・・
2003年11月12日
妻のお腹の妊娠五ヶ月になる赤ちゃんが動いたのだ! 元気に妻の腹を蹴っているのを感じたよ。いや、そうではなく、ダメかと思っていた1.2GHzのCPUが動いたのだよ。古いSCSIカードをもしやと外してみたらすんなり起動した。SCSI機器は何も接続していなかったから不要といえば不要の代物で、外したところでまったく痛手はない。古い機器をいつまでも未練たらしく温存してたのがいけなかった。物を捨てられぬのが斯かるところで災いするとは思いもよらず、何だかちょっと凹んだ。
改めて1.2GHzを使ってみるとやはり速い。この調子ならもうしばらくは今のマシンを使えそうだ。
「何が気合いだよ。何が念を送れだよ」ほんの一瞬でも念じようという気になった自分が腹立たしい。
「思いが通じたんだって。カードは単なる外面的現れにすぎないのよ」そう言う妻の眼つきは尋常ではなかった。
「本気で言ってんの? ソレ」お腹の赤ちゃんに障りはしないかとそれが心配だ。
「1.2GHzの必要を心から願うあなたの強い思いが、彼の内なる力を目醒めさせ、解き放したのよ」彼って誰だ、CPUのことか?
「だいじょぶか? 熱あるぞ」
「カードに封じ込められた強力な魔に少しやられたみたい。邪悪なエネルギーに満ちているこのカードを放置していては危険だわ。早く、早く始末してっ」
「でもなんか、捨てるには忍びないな」
「何を言っているの! グズグズしているうちに封印が破られてしまうわ」言うが早いか妻は私の手からSCSIカードを奪いとると窓を開けて放り投げてしまった。SCSIカードは鄰の早坂さんちの庭の銀杏の木にぶつかって早坂さんちの庭に落ちた。
「危ないところだったわ」得意げに妻は言うと爽やかな笑みを残して階下へ降りていく。
ところで小説のほう、どうにか更新したが、『階段の軋み』ではなくまたしても『消える前』。乱交パーティーの後編だ。といっても前編に較べて盛り上がるようなシーンはない。いや、前編にしても大して盛り上がってはいなかったが。いずれにせよ今後もこのくらいのペースで更新できればいいのだが、なかなかそうもいかないだろう。
2003年11月06日
やはりG4が起動しない。裝着したCPUの放熱がうまくいっていないのだろうか。一度脱着したことで熱伝導シートの溶けた部分がうまくヒートシンクと密着せず、それで起動しないのだろうか。そうだとしても最初に起動しなかった理由がそれでは説明できない。どうもよく分からない。それにしても起動するまでに10分とか20分とか要するようでは話にならないし、斯かる状態では起動できたとしても安定した動作は保証できそうにもないから不安は拭い切れず、已むを得ずCPUを元に戻した。
眼に見えて速く感じたわけではないから元に戻したところで遅いと意識することはないが、折角の1.2GHzを無駄にはしたくない。どうしたら良かろう?
とりあえず新しい熱伝導シートに替えて試してみるか。それでもダメだったら・・・
販売店での取りつけが原則で、ユーザーが取りつけたら保証は効かぬということだから、もうお手上げだ。
「ふん、だらしがないねえ。男だったら気合いで動かしてみせな」
「できるかよ、そんなこと」
「できないと思うからできないのさ」
「いや、そういう問題じゃないと思うけど」
「そういう問題なのよ。気合いよ気合い。気合いがあれば何だって解決できるわよ」
「でも、どうやって」
「念を送るのよ、念を」
「だから、どうやって」
「そんなこと知らないわよ。自分で考えなさいよ」
2003年11月03日
うちのパソコンはPowerMacG4だがCPUが350MHzで、最近の1GHzとか1.5GHzとかに較べたらもうかなり遅いのだろうと思いつつもさして不自由を感じていなかったから気にはしていなかった。それがふとネットで検索掛けてみたら5~6万くらいで売ってるから買おうと思えば買えるなあとちょっと心が揺らいだ。
そう思ったらしかしもうダメで、日に日にその思いは募っていき、新たにPCを買うことを思えば安いものじゃないかと誰かが耳許でずっとずっと囁きつづけるのだった。古くなったものが新しく生まれ変わるなんて素晴らしいじゃないかとそいつは礼讃頻りで、うっかり頷きでもしようものなら早く買わないと生産中止になっちゃうぞとか言って不安を煽るのだ。
で、結局買ってしまった。1.2GHzのCPUアクセラレータ。振り込んでから2~3日で屆いた。早速取りつけに掛かるが、ヒートシンクを外してボードを取っ替えるだけだから楽チンだ。すぐに起動させてみる。が、うまく起動しない。電源を切って再度起動スイッチを押すが、やはり起動しない。もっ遍元に戻して起動、調べてみるも異常は認められず、再度取りつけし直して起動。今度はうまく起動する。取りつけ方が甘かったのかもしれない。まだ重い処理とかしていないから何とも言えぬがそれでも以前より速いようだ。ベンチマークテストをしてみたらその差は歴然だった。
ところが翌日起動しようとしたらまたダメなのだ。何度か試みてようやく起動するが、それが四回に一回くらいだからどうにも具合が悪い。いくら処理速度が速くなってもこのストレスはちと辛い。初期不良かもしれぬが、そのうち安定するかもしれないからしばらく様子を見るか。
晩飯にカジキのカツレツ、トマト、ルコラ乗せを作る。
塩・胡椒してパルメジャーノを塗しつけ、卵、パン粉をつけて多めの油で揚げるような感覚で焼き、オリーヴ油で和えたトマトの角切り(湯剥きして塩・胡椒する)、ザク切りのルコラを乗せるだけ。パルメジャーノがなかったのでペコリーノ・ロマーノ(羊乳のチーズ)で代用する。
弱火でかなり時間を掛けて焼かないとパン粉が焦げるが、今回もちょっと焦がし気味。何度作っても学習しないバカな私・・・
味にはしかし問題なかった。トマトの酸味がよく効いているしルコラとの相性もよく、チーズが仄かに香しくて美味しい。
2003年10月30日
この一、二ヶ月でコンポートをいくつか作ったが、ある程度保存しておくためにもそのほうが良いだろうとコンポートを入れる容器には常から密封ビンを使っている。褐変する食材もあるから半年一年と保存することはまずないが、それでも使うまではしっかり密封しておきたいものだ。国産のものより安いボーカルの密封ビンを私は使用しているが、0.5L、0.75L、1Lのびんをそれぞれ何本かずつ用意している。
抑も密封ビンは密封してしまうと手で開けることはできない。ではどうやって開けるかというとパッキンの一部に出っ張りがあって、内側から出っ張りの途中まで0.5ミリくらいだろうか、細い空気穴が開けられているのだ。その出っ張りの部分を鋏で切りとって中に空気を通すことで蓋が開く仕組みになっている。
つまり一度開けてしまうとパッキンは再利用できないのだ。そのために替えパッキンというものがある。それがしかし売っていない。びんはいくらでも売っているが、替えのパッキンがなかなか手に入らないのだ。見つけたときに買いだめしているのだが、店に在庫がなくなると非常に心細い。なんとか安定して購入できるルートはないものかとネットで検索してもみたが、一件も引っ掛からない。
メーカーの生産料が抑も少ないのか、輸入量が少ないのか、それとも小売店の仕入れが稀なのか、いずれとも分からぬが何とかしてほしいものだ。もう手持ちの替えパッキンが残り少ないのだ。
密封ビンて、普通そんなに使わないのかなあ?
例によって新作小説の近況報告だが、177枚ほどになった。ちょっとだけ先が見えてきたような気がする。終われるかもしれないと少しホッとしている。とはいえまだまだ推敲が必要ではあるのだが。完成したら200枚超えちゃうかもしれない。
2003年10月22日
ヨーグルトを作ろうと牛乳を火に掛けていたところ吹き零れそうになり、慌てて鍋をひっくり返してしまって500mlの牛乳を床にぶちまけてしまった。その際左手の甲の1/4程度、第2~4指のつけ根から第二関節辺りまでを火傷してしまった。洗面器に水を張って冷やすが手を水から出すと火のように熱く、痛みがなかなか退かないから困った。それでも三~四時間ほど浸けていたらどうにか痛みも退いてきた。湯に浸けるとまだ痛みがあるが、赤くなった程度で大したことはない。風呂に入るのが難儀だが、油脂分の多い洗い物なども湯でないと落としにくいからそれも難儀といえば難儀だ。
ところで新作小説、165枚に達するも未だ終局が見えず。いったいいつまでかかずらわっているのだろう。もういい加減書き上がっていてもいいはずなのに。書くペースも以前の半分以下に落ちてしまっていて、何だか気が重い。常にも増して荒唐無稽というか支離滅裂というか、まったくわけが分からないから仮に書き果せたとしても読み手がつくとは思えない。果たしてそんなものを書く意味があるのだろうか、カネ払ってまでサーバに置いておく必要があるのだろうか。
2003年10月06日
行こう行こうと思いつつ先月は一度も書店へ行かずにしまった。その間に出ただろう本を買いに伊勢佐木町の有隣堂本店書籍館へ赴いた。近くにも書店はあるから殊更有隣堂本店書籍館でなくてもよさそうなものだが、ほかの書店で欲しい新刊を見つけてもわざわざ有隣堂本店書籍館へ出向いて買うほど有隣堂本店書籍館が私は好きなのだ。すべての本を有隣堂本店書籍館で買うわけではないものの、なるべくならそうしたいとさえ思うほど有隣堂本店書籍館に私は愛着を感じているのだ。だから有隣堂本店書籍館へ赴いた。拙作『暑気のせい』の私のように京急日ノ出町駅からてくてく歩いてコルトレーンの『エクスプレッション』を聴きながら。コルトレーンもどきのオッサンにはしかし出会うことはなかった。
まず一階で小川洋子、川上弘美、島田雅彦を計四冊購入。
次いで二階でレシピ本を漁るがめぼしいものはなく、すぐ三階へ上がって以前から気になっていたラカンのセミネールを思い切って購入。計三冊。
そして六階で奥浩哉、松本大洋、鶴田謙二、黒田硫黄を購入。さらに以前BSマンガ夜話でその存在を知ってからずっと読みたかったが絶版で手に入らぬとなかば諦めていた『ホモホモ7』、それが復刊されたらしく、A5版の400ページくらいで2,600円とあって高いと一瞬ためらうが、この機を逸したらいつ読めるか分からぬので購入。計五冊。
CDもしばらく買っていなかったので、足を伸ばして石丸電気横浜店へ行く。足を伸ばすといっても有隣堂からものの一分と掛からない。セシル・テイラー、ドナルド・バード、フレディー・ハバード、ジョー・ヘンダーソンを計七枚購入。
これだけ買うとさすがに重く、寄り道する気もなく真っ直ぐうちへ帰る。いや、軽くたって寄り道などしないだろうが。
持って出掛けた懐中時計はネジを巻き忘れていたらしく止まっていた。意味なし。
2003年09月23日
長らく道元の正法眼蔵を読んでいて、もちろん原文には歯が立たないから石井恭二訳で読んでいるわけだが、その第五十四に「洗浄」というのがある。何かというと須らく清潔を旨とせよということなのらしいが、全体に難解な仏教理念のなかにあってそこだけ妙に浮いているというか、平たく言えば排便の作法について書いてあるのだ。それが実に細かく書いてあって面白い。ほかの項目にも洗面の作法だとか至極日常的なことについても書かれていたりするから、殊更それが奇妙ということはないのだが、そこだけ見るとやはり笑える。
それら作法について道元は大比丘三千威儀経等を參照して解説しているのだが、用を足したあと水で洗うときにやたらと零すなとか、したくなってから慌てていかず余裕を持っていけだとか、無理に息むなとか、お喋りするなとか、歌を歌うなとか、鼻水や唾を周囲に散らすなとか、壁に落書きするなとか、何か中学の生活指導のようなことまで細々と書いてあるから、いつの時代もこういうところは変わらないのだなと何だか親しみを覚えもする。
必ずしも便所があるわけではないからそのときは川辺ですることになるのだが、泥で団子を作って(七個一列として二列に並べておくらしい)用を足したあとそれで陰部を洗い、手を洗うのだという。
これは注のほうにあったのだが釈迦の十大弟子のひとり舎利弗(しゃりほつ・シャーリプトラ)の逸話がまた面白い。清浄を願うひとりのバラモン僧がいたが、あるとき釈迦のところで舎利弗が用を足したあとに上に書いたように泥団子で洗浄する樣子を仔細に観察し、それに感銘を受けて仏教に帰依したというのだ。人が用を足しているのを見ているのもどうかと思うが、用便のあとの始末に感銘を受けるというのも何だかちょっと笑える。
いやこれは笑い話ではなく、道元ちゅう偉い坊さんが垂れたありがたいお説教なのだから謹聴せねばならぬところなのだが、笑ってしまう私に覚りは縁遠いということか。
『現代文 正法眼蔵4 石井恭二』(河出書房新社・1999年)
2003年09月18日
実に四ヵ月振りの更新なのだ。何がって連載小説がだ。月一くらいで更新せねばと思いつつ、新作の執筆等に苦闘する折からどうしても後回しになってしまう。まあ、でも、更新したよとりあえず。
ホントは「階段の軋み」を先にしたかったのだ。というのもこっちのほうがさらに遅れて半年滞っているからなのだが、挿画が全然描けぬから、次回で終わるというのに未だupできぬ状態。本文だけ先にという手もあるが、やはり最後なのだからピシッと決めたいもので、本年中にはたぶん更新できるかと・・・
ところで「消える前」だが、連載第八回は「5 小セミナーという名の一大乱交パーティー(前)」ということで、神聖チエミ教信者らの催す老若男女入り乱れての壮絶なエロスの饗宴と相成るわけで、主人公紀子もその輪に加わり散々に嬲り者にされるという実に非道な展開なので、お子様にはちっと刺激が強いかもしれませぬ。
というのは嘘で、セックス教団とはいいよう教義としてのセックスなどほとんどないのが実体なのだ。とはいえ性描写は相応にあるのだが、教団とは関係のないところでのセックスが主だったりする。べつにセックス教団を描きたいわけではないからそれでもいいのだ。
しかしこの小説、読んでいる人っているのだろうか?
2003年09月13日
間山は大学のときの同窓で、あまり人好きのするほうではない私とも気が合い、長らく交友がある。といって年に一、二度飲みに行くくらいで、しかも誘うのは決まって間山のほうからだ。そんな私を見限ることなく誘いつづけてくれる間山には感謝している。
間山には腹違いの妹がいるらしい。行きつけの飲み屋でたまに一緒になる間山の父の嘗ての同僚の加賀谷氏に聞いたのだという。間山の父と飲んでいるところを数回見掛けたことがあり、挨拶くらいは交わしていたから互いに顔は見知っていた。定年後間山の父はほとんど飲み歩くこともないが、加賀谷氏には今でもその店で会うことがあり、たまたまひとりで訪れた折に会って同席したのだという。
写真を見せてもらったともいうが、そのとき加賀谷氏は間山の顔を嘗めるように見つめながら、どことなく似ていなくもないとそう言ったそうだ。ウソのような話で半分間山は疑っているが、父の浮気が元での離婚話など数え切れぬほどだから強ち可能性がないとも言えない。その日は全然酔えなかったと間山は私に言った。
もしそれが事実なら一度は会ってみたいともいうが、そんなこと切り出せば揉めるに決まっているから確認のとりようもなく、ひとり悶々として仕事も手につかないのらしい。
とはいえ加賀谷氏はなぜ間山にそれを告げたのだろう。誰かにその事実を告げることで自分ひとり抱えている荷をいくらかなりと軽くしたかったのでもあろうか。
一緒に行っては貰えまいかと頼まれたときには面喰らったが、酒も入っていたせいかその場の勢いで嫌とも言えず了承してしまった。断わればよかったと後悔している。もうじき間山がここにくる。今ならまだ逃げられる。どうしようかと尻をモゾモゾさせているうちに「悪いな」とはや緊張ぎみの声が掛かる。
ところで新作小説すでに131枚に達したが、ダメだ、全然終わらない。終局がてんで見えてこない。どうしよう。どうしようたって書くしかないのだが、書けば書くほどに予期せぬ方向に転がっていって手もつけられぬ状態で、そんな着膨れみたいになってしまって大丈夫かと危惧する毎日だ。誰か助けて。
上の文は新作小説とは何の関係もない。念のため。
2003年08月17日
これまで頻繁にフリーズしていたPictureViewerがピタリとフリーズしなくなった。これは恐らくペインタ6を再インストールしたためと思われる。6の再インストールによってペインタ書類のアイコン表示がこれまでの7、8由来のアイコンではなく、6由来のそれに変わったのだが、それと軌を一にしてPictureVieweの動作が安定したのだ。ほかにアップルスクリプトの自動処理も安定したようだ。これは主にサイトに載せるjpeg画像のファイルタイプをペインタ書類からPictureViewe書類へと変換するために使用しているのだが(ダブルクリックでペインタが起動しちゃうから重くて面倒なのね)、あるときを境にして(恐らくペインタ7のインストール)不安定になったのが治ったのだ。
OSがアイコンの表示等にペインタ7だか8だかのデータを参照しなくなったことで安定したのだとすれば、Mac OS 9下でのいくつかの不具合がペインタ7、8に起因すると予想され、Mac OS 9とペインタ7、8とがいかに相性が悪いかということが分かる。それはとりもなおさずMac OS 9下でのペインタ7、8の使用が絶望的だということを意味し、そしてこれはMac OS 9下でのペインタ6か、Mac OS X下でのペインタ8かという二択に収斂する問題になる。古いOSや古いアプリが淘汰されるのは仕方ないとしても、新しくなったからといって必ずしも使い勝手が良くなっているとはかぎらないから、一朝一夕には解決できぬそれは問題でもあり、頭を悩ませている。
ペンタブの問題も相変わらず解決していないし、このままMac OS 9を使いつづけられるわけでもないだろうから、そろそろ見切りをつけねばならない時期なのかもしれないが、Mac OS X 10.2てどうなのだろう、いくらか使い良くなったのだろうか?
「おいおいそんなのオレに訊いたって分かるわけねえだろう、グダグダ文句言ってる暇があったらよ、思い切って移行しちまえよ」他人事だと思って無責任にほざく月島は、もう幾日も風呂に入らぬような脂ぎった頭髪を掻き毟ると、掻き毟った自身の指先の臭いを嗅ぎ、Yシャツの裾にその指先を擦りつける。Yシャツの裾は汚れ黒ずんでいた。
「6がそんなにいいのかねえ、過去に拘泥してるのって端から見てて不様だぜ」嘲るように月島は言い、「弘法は筆を択ばないんじゃなかったっけ」と嫌みたっぷりにつけ足す。月島はオレの煙草を吸っていた。いつもそうだ。何やかや言って人のモノを横から掠めていくのがこいつのやり口で、油断していると金まで取られてしまう。もう三万くらいは貸しているが一円も返ってきてはいない。迂闊に返せとも言えないのは問答してるうちにさらに金を貸してしまう羽目になるからで、なぜそうなるのかオレにも分からぬが、こいつと話してるといつの間にかそうなってしまう。油断のならないヤツだが、どこか憎めないところがあるから適わない。これで仕事ができないただのお調子者だったら少しは優越感にも浸れるのだが、滅法仕事ができるときてやがるから癪に触る。
オレの煙草を吹かしながらいつまでも居坐っているから金の無心かと警戒していると案の定飲みに行かないかと誘われる。どうせ払わないでばっくれるに決まってるからきっぱりと断れば「つれないなあ、純ちゃん。いつからそんな堅物になっちゃったの」と馴れ馴れしく身を寄せてきて、仕事熱心なのもいいがそんなことじゃあ時流に取り残されちまうぜとオレの肩を思い切り叩き、じゃ待ってっからと言うと月島はオレの煙草を揉み消し、軽快な足取りで出ていった。
あんな口先だけのようなヤツがどうして仕事ができるのかオレには理解不能だったが、現実に月島はオレより仕事ができた。オレは些事に拘泥しているのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。何が何でも新しくなきゃいけないなどということはないはずだ。6だってまだまだ使えるさ。オレだってまだまだ使えるさ。たぶん。いや、しかし・・・
ところで笙野頼子氏の新刊『水晶内制度』(新潮社)が出た。危うく買いそびれるところだった。挙って買うべし! 一家に一冊。
2003年08月05日
先日購入したペインタ8が宅配で届いたので早速開封してインストールした。7でのペンタブ使用時における描画の遅れが解消されることを願ってアプリ起動、試し描きしてみる。
起動してまず驚いたのはインタフェイスがすっかり様変わりしていたことだ。フォトショライクになっていて何がなんだかよく分らず、使いづらいというのが正直なところだが、それはまあ馴れの問題だからどうでもいい。そんなことよりペンタブで、これが使えなきゃ何のためのペインタか分らないし、至宝となるかゴミと化すか、すべてはそれに掛かっている。
恐る恐るペンを取り、ちょっと浮かして動かしてみるが、どうも変だ。やはり動きが数秒遅れている。7のときと何ら変わっていない、いやそれどころか悪化している。ペンタブのみならずマウスでの描画も遅れるし、ただキャンバス上を移動させているだけでも数秒の遅れが出る。ただこれはブラシゴーストを無効にする設定にしたら解消された。それでも描画の遅れは解消されず、ペンツール以外のツールでは正常に動作するのだが、ペンツールのときにのみ遅れが出る。なぜこんなことになるのかまるで分らない。OS 9だからなのだろうか、オレのマシンのみの現象なのだろうか、このアホなマシンの中でだけ悪さしていてほかにこのような事例は存在しないのだろうか。そうとすれば修復の余地はあるはずだが、原因がOSにあるのかペンタブにあるのかペインタにあるのか、あるいはそれ以外の何かとの絡みでおかしいのか、それが不明だからどうにもならない。
いずれにしろ致命的で、まったく使い物にならない。前にOS Xでは異常なかったと書いたが、その後OS Xでもペインタ7において同様の不具合が起きることが判明したからあるいはこれもと危惧されたが、ざっと試した範囲ではOS X下でのペインタ8はスムースな描画が可能だった。とはいえOS X自体が使い勝手が悪いので移行する気にはなれないから、今後もペインタは6を使うしかなさそうだ。それともペンタブのほうを替えてしまったほうがいいのだろうか? ハードを替えてもドライバが変わらないとすれば改善は期待できないようにも思うがどうなのだろう。
いや、これは誰かの陰謀だ、そうだきっとそうに違いないお前の陰謀だろう図星だろうが何とか言ってみろとそうヒロシが問いつめると、それまではあとかうんとか煮え切らぬ態度でゴニョゴニョと濁していたのが急にもの凄まじい形相で怒りをあらわにし、ググゥアと雄叫びめいた叫びを叫んで猛然と突進してくる。まさかそんな挙に出るとは思わぬから油断していたヒロシはその決死の体当たりを真面に食らって伸びてしまい、意識を取り戻したときには辺り一帯もう薄暗く、横たわるヒロシの四囲は悉く闇に閉ざされてはきとした輪郭さえ捉えられぬから変だと仔細に眼を凝らせば、どこか知らぬ薮のなかと思しく、意識を失っているあいだに拉されたのに違いないとその危機感からゆっくりと身を起こそうとするが両の手と両の足を縛られていてゴロリとまた転げてしまい、その音に気づいたらしくのっそりと右手の薮のなかから現れいでたその男は細長い光るモノを懐から覗かせている。
何だよ脅かすなよ冗談は止してくれお互い大人じゃないかこれが分別ある大人のすることかと少しく声を荒げれば、忍び笑いに男は笑いながらすいとその懐の光るモノを取りだして何もいわずヒロシのほうへ翳してみせ、それが何か自慢の宝物をでも見せびらかすような勿体ぶった素振りのためつい食い入るように薄闇に茫と浮かびあがるそれをヒロシは眺め入り、妖しい光を放つその細長いモノをもっと近くで見せようとしてか男はそれをヒロシのほうへさらにグイと差し伸ばし、ああこれならよく見えるなとそう思ううちにそれはもうヒロシの胸の辺りに深々呑み込まれている。
長い長い放尿を男は済ますと仰向けに寝転がったヒロシには一瞥もくれずにまた薮のなかへ分け入り、それきり戻ってこなかった。男の小便の臭いの立ち込めるなか、8がダメならもうお終いだとヒロシは思った。
朝はこなかった。
2003年07月30日
「おまいさん、何してんのさ、もうドン臭いったらありゃしないんだから」
「そうドン臭いドン臭い言うなって、俺だって俺なりに一所懸命やってんだからよ」
「どこが一所懸命なんだい、あたしにゃ怠けてるとしきゃ見えないよ、亡くなった親方が見たらなんて言うかねえ」
「親方のこたあ言うなよ。親方が逝っちまってからこっち、遮二無二やってきたんだぜ、少しゃあそれをよ、誉めてくれたあ言わねえけどよ、でもほら何だよ、分かるだろ」
「分かるもんかい、酒ばかり掻っ食らって何が遮二無二だよ、ぐうたらにも程があるよ、ちったあ清之介さんを見習っておくれよ」
「そら関係ねえだろが、清之介は清之介、俺は俺だ」
「関係ありますよ、あの人はおまいさんの二倍働いてるよ、それこそ一所懸命身を粉にして家族を養ってるよ。おまいさんとは雲泥の違いだよ。あああ何の因果でこんなぐうたら亭主貰っちまったんだろうねえ、清之介さん見たような亭主だったら良かったのに」
「何を! もっ遍言ってみやがれ」
「ふん、何遍だって言ってやるさ! あたしゃ清之介さん見たような亭主が欲しい、病気しても親身になって看病してくれる清之介さん見たような人が亭主だったらいい」
「この野郎、それが亭主に言う言葉かよ」
「おまいさん見たような甲斐性なしが亭主なもんか!」
とまあ、このような言い回しがわりと好きなわけなのだが、如何せん自作小説に使うことができないのでこの場で発散させている次第。
2003年07月28日
小説を紹介して頂いているサイトは実は他にもひとつあって、世話になっているといえばこちらのほうがよほど世話になっているのだが、アダルトな内容が多分に含まれているサイトなのでこれまでリンクはしていなかったのだ。そのサイトの運営理念と愚作の表現形式とが妙な符合を見せているのらしく、言われてなるほどと頷いたものだ。
その説明によれば矛盾ないし相反する二者、ないし三者以上の並置から、異なる全体を生み出す試み
なのだそうだが、それが愉楽を求めてただひたすら階段を上りつづける落伍者らを描いた『階段の軋み』に符合しているというのだ。
ほかにも紹介されている作品があるが皆アート系の優れものばかりで、それに比して私の小説はショボいなと気後れを感じたものだ。それでもリンクされて多くの眼に晒されれば読まれる可能性も広がるから紹介して頂くのは大変ありがたく、何よりそのサイトの試みが興味深いものだったこともあり、快諾した次第。その後このサイトは着実に拡大して一大伽藍を築きつつあり、その分益々愚作の卑小さが目に立つようで冷や汗ものだが、それは見ないことにする。
ほかにジャズに関するエッセイめいた短文を寄稿してもいるのだが、これはそちらでしか読めないので興味のある方は是非と宣伝などしつつこれまたマニアックな趣味に走っているから読み手もつきにくかろうと懸念頻りなのだった。
Theater Brain 脳の劇場(http://www6.ocn.ne.jp/~bmline/)
2003年07月21日
見ているといって何かストーカーめいた不審人物の徘徊を指すのではないし、霊的な存在の跳梁跋扈に怖れ戦(おのの)いているというのでもなく、況して自意識過剰な被害妄想で不在の敵を仮構しているというのでもない。ウチの小説を紹介してもらっちゃったのだ。嬉しいような恥ずかしいような変な気分だが、抑もそのような形で紹介されることなど全然考えもしていなかったためにそれはもう驚いた。いったいそんなことがあるのだろうか、担がれているのじゃないだろうか、とそんなふうな邪推さえしてしまいそうなほどのそれは驚きで、しばし茫然として頂いたメールの文面を眺めていたような次第。
最後まで読んだらしいということも驚きだが、それを紹介しようだなんて、しかも頼まれもしないのに紹介しようだなんて本当だろうかと文面を読み返すうちに少なからず疑念が擡げてきた。というのも私の書くものといえばそのほとんどが救いのない話だし読みつづけることを拒絶するような難読窮まりない文章だし、抑もファンタジーでもなくライトノベルでもない息も絶え絶えな窓際の純文系という性質上、敬遠されることが多いだろうということは容易に想像がつくからだ。決して人に薦められる体のものじゃないはずなのだ。それなのにどうしてまたそんなものをと思うのもだから無理からぬことで、そんな奇特な方がおられようとは夢思わぬ私なのだった。
自作がどのように紹介されていようと構わないがやはりいくらか気にはなるし本当に本当かどうか確認の意も含めて早速サイトを訪れてみれば、いきなり己が小説のタイトルが眼に入ってきてちょっと面喰らった。やはり本当だった。全くなんてことをしてくれるんだ。いや、私は嬉しいのだ。その文面を見るかぎりこちらの意図をそれなり感じとってもらえたということが諒解できたからで、小説もイラストも低調を窮めている現況において斯かる朗報に接せられたことは本当に嬉しい。それがいい刺戟となって執筆のほうも波に乗れたら尚いいのだが、そうは行かないのが辛いとこだ。現在七十八枚だが、あいかわらず執筆は難航していて活路も見出せていないのだ。先行きが思いやられる。
オンライン小説Love Letter(http://www.netwave.or.jp/~sei-y/osltop.html)
2003年07月11日
妻の貴子(仮名)の行動に不審を感じて興信所に調査を依頼した。懸念していた通りの結果を報告されてやはりなと頷くとともに怒りとも悲しみともつかぬ昂りが堰を切って溢れだす。調査報告書を淡々と読みあげる調査員の事務的な態度に内心の激昂は弥増すばかりだがその場では冷静を装っていた。妻を前にしてしかしその冷静さを保てるか否か甚だ心許なく、斯かる一時の感情の暴発は相手を利するだけだとの弁護士の忠言もいつ消し飛ぶか気が気ではない。
臨戦体勢のなか、上辺は実に平穏な団欒が展開されている。団欒とはしかし常にそのような危機を内に孕んでいるものの謂いではなかろうか。抑止力としての危機が、団欒には不可欠なのではないだろうか。危機を回避せんとしてその上辺で演じられるものをこそ「家族」というのではないだろうか。
ただ危機は事実である必要はなく疑惑であれば充分で、その甘美且つ謎めいた響きが人をしてその虜と為さしめるのだ。疑わしさこそが人と人とをギリギリの均衡状態で繋ぎとめる靱帯にほかならない。それに比して事実はあまりに過酷だ。急転直下、否応なしに事態を結末にまで至らしめるほかない事実は、それまで築きあげたもの総てを更地に返してしまい、あとには荒廃と無秩序しか残らない。
事実など要らぬ、疑惑がいい。甘美な疑惑が。
2003年07月06日
一〇年以上使用していたアップルの純正モニタがついにいかれた。不意に音もなく掻き消えるようにして画面が消えたのだ。その際ペインタを使用中で、二台あるうちの左モニタの画面全体にファイルを展開して右モニタにパレット類をおいて描いているのだが、消えたのはパレットをおいてある右のほうで、視認できないからドラッグできず左モニタへ移動させることもできないから焦った。一旦パレット設定で保存してからデフォルトに戻したが、スッキリしていた画面にパレットがあるとなんだか窮屈なように思うから現金なものだ。
せっかくデュアルモニタにしたのにデュアルにしてから一年かそこらしか持たなかったのかと思うと癪だが使えるだけ使ったのだから良しとするか。とはいえ新しいのを買うかどうかは迷うところで、プリンタとスキャナを買い替えたいというのが前々から念頭にあり、さらにデジカメにしても最近また調子悪くて接触不良なのか不意に作動しなくなるしと、いずれを優先させるかが難しい。そうかといってデュアル環境を使わないのは損失のような気がするし、それらすべてを一挙に購入してあまりある財が存すれば問題はないのだが、小市民の懐は甚だ寒いのだよ。
ところで若合春侑氏の新刊『蜉蝣』(角川書店)が出た。挙って買うべし!