仄暗い白熱電球の六十ワット光を反射させて艶やかに光る桃色ピンクの舌を横ちょにダラリと垂れ下がらせてハッハッと荒激しくハッハッと息をしながら戻ってきてハッハッと体熱を放散しながらハッハッと私たちを見た柴犬似の雑種の犬は、「まだ飲んでるんですか? もう六時ですよ」と壁に掛けてあるゼンマイ式時計の時刻をチラリと横眼で読みとると呆れ顔で言い、荒激しい息をハッハッと整えながら私たちの前を横切って部屋奥左隅にあるテレビの対局に位置する右隅に自ら座蒲団と毛布で設えた寝床に倒れ込むように横になったのを、「今日はもうお終いか?」とひとり素面の春信が烏龍茶を左手に粒餡の大福を右手に訊くと、如何にも重たげにぬっと首を擡げて億劫そうにこっちを一瞥して「はい」と言うその一言が私たちの尻を青畳に釘づけ接着してしまい、グルグルと部屋が右廻りに回転しだすまで飲み続けたのだが、その右廻りに回転する部屋に気分が悪くなったというよりは部屋に満ちる杉の香りに吐き気を催して部屋を飛びだし、踊り場に設えられた木椅子にギシリと軽く軋みを立てて浅く腰掛けてしばらく休んでいると音もなくドアが開いたのを空気の流動で気づいて振り向くと春信で、私の左横にあるもう一脚の木椅子にギシリと腰掛けたので「蒲団屋は?」と訊くと「蒲団にくるまって寝ちまった」と答え、それから右手で左胸ポケットから煙草と百円ライターを取りだして一本口に啣えると無言で私の方に差しだすので一本抜きとって口に啣えてしばらく無言で喫煙を堪能し、一心地ついたところで初めて言葉らしい言葉が煙に混入するように吐きだされ、吐きだされるとその言葉はたゆたいつつ天井へと上り詰めて六十ワット光の電球に絡まりつく薄煙とは袂を分かって階段の上下に拡がる小暗い闇底淵の方へと吸い込まれるように拡散反響していくが、階段は静かで音もなくひっそりとして囁くような小さな声で会話する私たちの声すら高く遠く響き渡り、最後には階段の闇底淵に吸い込まれていくのだがそれでもなかなか消えずにいつまでも尾を引くように響き続けるのでつい耳傾けて聴き入ってしまうと二人顔を見合わせて笑い入ると、その二人の笑い声がまた階段に響き渡っていつまでも尾を引いてまたそれに聴き入るというように、一頻りそのような児戯的遊戯を繰り返してこういうのもたまにはいいなと思いつつ酔いを覚ましていたが、不意にギギギイとその腰掛けていた木椅子と床を軋ませて春信が立ち上がって何か決然とした面持ちでしばらく無言で私を見つめるが、その口に斜に啣えた煙草の灰が今にも落ちそうなのが気に掛かって携帯用灰皿を出そうかどうか思案しているうちに徐ろに私の手を取り、「飛ぼう」と言って足で床を軽く蹴ってギシリと軋゛ませるとフワリと春信の体は重力に反して宙に浮き上がってそのまま滑るように下へと下りていくのに引っ張られて私の足も床から離れて宙に浮き、ゆるゆると漂うように階段を下へと下りていくが、一旦流れに乗ってしまえば春信が手を放しても落ちることはなく、ゆるゆると階段の上を漂うことができるのだが、なぜ上ではなく下に行くのか、上を目指して階段を上り続けている私たちがなぜ下に下りなければならないのかとふと疑問に思って春信に訊こうと首を廻らせて春信の漂っている前方を窺い見るが、そこに漂い浮いているはずの春信の姿はなく宙に浮いているのは私ただ一人で、春信は遥か下に行ってしまって見えないのかそれとも消えてしまったのか抑もの最初からまぼろし幻影だったのか分からないが、妙に心細くなって「春信」と呼び掛けるものの返事はなく、更に「春信春信」と呼び続けるがそれに答える声はなく、あのときは春信の方が私を呼び続けていてそれを私は無視して草掻き分けてズンズン歩いていったのだったと思いつつ尚も「春信春信春信」と呼ぶがやはり返事は一向になく、周囲は前も後ろも右も左も上も下もつまり全方位が闇に沈んでいて暗くて何も見えず、階段の電球が私の上にのみ仄暗く六十ワットの光を光らせているがそのため前後左右上下の闇が一層際立って濃く重々しく感じられ、それだけに余計孤独感寂寥感は増大して何度も何度も「春信春信春信春信」と春信を呼ぶが私の声は途中で闇に掠め取られ飲み込まれてしまって春信にまで届くことはなく、ひとり寂しく漂い続けるしかないと思いそれも仕方ないと観念して漂い続けているうち徐々に速度が増して漂うというよりは落ちている感覚になっているのに気づき、いつの間にか落ちる夢にシフトしていることに気づいたときにはすでに私の体は物凄い速度で下に向かって動いており、逆に階段は物凄い速度で後方に流れているが、その階段のへりが次第に私の方に迫ってきて、また人形のような姿を晒すのかと思うと遣り切れず、何とかその前に目覚めることはできないものかといろいろと試みてはみるものの何ひとつうまく行かず、空しく蜿いていたが、その蜿きようがあまりに苦しげで余程恐ろしい夢でも見ているらしく、放ってもおけなかったので起こしてやろうと肩に手をかけようとするのを一人殺すも二人殺すも同じだちょっと押すだけで鞠のようにコロコロと転げ落ちていくぞと耳元であいつが言い、うるさいと手で払い除けるがそんなことで消えてしまうような柔な存在ではないあいつは払っても払っても蠅蚊のようなしぶとさで耳元に纏わりついて落せ落せと教唆の言を吐き、おれは殺ったのになぜこいつは殺らないと執念くなぜこいつは殺らないと怨言を言って止めないのだったが、殺す理由などあるものかと落せ押せ殺せと呪詛怨言を言いつづけるそいつに無視を決め込んで、まだ夢にうなされて額にうっすらと汗を浮かび上がらせウンウンと低い唸り声を上げて苦しげにもがいている聡志を起こそうとその肩に手をかけようとしたときに聡志の両の眼がパチリと開き、私を見上げるまだ虚ろなその起き抜けの半眼を見ると、心配そうに私を覗き込んで立ち竦む春信の顔が眼前にユラユラと揺らめいており、眼が合うと「大丈夫か? 魘されてたけど」と言って左手を私の右肩に軽く乗せてギギギイと心地よく木椅子を軋ませて元の位置に腰掛けるが、そういう春信こそ顔色蒼白で血の気がまるでなく貧血寸前に思え、それこそあの青々しい月に照らされたときのように死人のようで生気も感じられず、まだ夢のとば口附近に半身を置いているのではないかと疑ったほどその顔は青々しくその存在は薄々しげだが、それが夢ではなく紛れもない現実だと思うのは夢の中の浮遊感がなくハッキリと一Gの重力を体に感じるからで、だから今にも消え入りそうな様相で項垂れている春信の青々しさ薄々しさには尚更異常を感じ、「お前こそ」と自分のことは差しおいて注意を促すが、聞いているのかいないのか春信は一人ブツブツと何事か呟いており、その聡志の声が反対側の耳から流入してきてやっとあいつの呪声が霧消しその気配も失せて我に返るものの、怨嗟の塊のようなあいつの発した怨言呪詛はしばらく耳内に残響してグルグル渦巻いて私を悩ませた。
小説/literary fictions