2011年
11月
15日 お知らせ
07月
05日 お知らせ
04月
17日 アランの声を聞く。
03月
14日 計画的に。
02月
27日 真理のことば
03日 進まない。
01月
20日 九年
04日 あまりつぶやかない。
02日 新年
2011年11月15日
7月5日にメールで「ショコラ・カフェ」のレシピについてご質問頂いた方にお知らせしています。
四ヶ月が経ちましたが、連絡はありません。頂いたメールに記入されていたアドレスが不完全なものでしたので返信できないのです。お手数ですが、返信可能なアドレスをご記入の上、再度メール頂けないでしょうか?
これまでの経緯についてはこちら。
─追記(11月7日)─
7月5日にメールで「ショコラ・カフェ」のレシピについてご質問頂いた方にお知らせしています。
五ヶ月が経ちました。やはり連絡はありません。頂いたメールに記入されたアドレスが不完全でしたので返信できないのです。お手数ですが、返信可能なアドレスをご記入の上、再度メール頂けないでしょうか?
とはいえ、この五ヶ月一度も再訪されていないと思われ、そうとすればもう二度と来て頂けないと考えたほうがいいのかもしれません。それでも万が一ということもあるかもしれないのでお知らせしています。
─追記(12月13日)─
7月5日にメールで「ショコラ・カフェ」のレシピについてご質問頂いた方にお知らせしています。
半年が経ちました。まったく連絡はありません。頂いたメールに記入されたアドレスが不完全でしたので返信できません。お手数ですが、返信可能なアドレスをご記入の上、再度メール頂けるとありがたいです。
半年経過して尚何の反応もないので、再訪の可能性はほとんどないと思いますが、万が一ということもあるかもしれないのでお知らせしています。
2011年07月05日
本日7月5日、メールでレシピについて質問を頂きました。ところが二通目に頂いた訂正メールのアドレスが不完全で、返信できません。
お手数ですが、再度メール頂けないでしょうか?
─追記(7月12日)─
7月5日にメールでムースについてご質問頂いた方にお知らせしています。
上記より一週間が経ちましたが、いまだ連絡がありません。アクセスログを見るかぎり再訪された様子がないので、このページも見ていない可能性がありますが、アドレスが分からない以上こちらから返信のしようがなく、ここでお知らせするよりほかに方法がありません。
記入されたアドレスが不完全でしたので、再度メールして頂けるとありがたいです。
─追記(7月20日)─
7月5日にメールでムース(ショコラ・カフェ)についてご質問頂いた方にお知らせしています。
さらに一週間が経ちましたが、連絡はありません。アドレスが分らないと返信できませんので、再度メールして頂けると幸いです。
─追記(7月26日)─
月5日にメールで「ショコラ・カフェ」のレシピについてご質問頂いた方にお知らせしています。
三週間が経ちましたが、まだご連絡頂いておりません。その間一度も再訪されていない様子です。すぐにも返信したいのですが、アドレスが分らないのでどうすることもできません。再度メールして頂けると嬉しいです。
─追記(8月2日)─
7月5日にメールで「ショコラ・カフェ」のレシピについてご質問頂いた方にお知らせしています。
すでに一ヶ月が経ちましたが、連絡はありません。返信したいのですが、アドレスが分らないので返信することができません。もう来ては頂けないかもしれませんが、ほかに方法がないのです。再度メールして頂けると嬉しいです。
─追記(8月9日)─
7月5日にメールで「ショコラ・カフェ」のレシピについてご質問頂いた方にお知らせしています。
五週間が経ちましたが、やはり連絡はありません。返信したいのですが、アドレスが分らないので返信できないのです。再度メール頂けないでしょうか?
─追記(8月17日)─
7月5日にメールで「ショコラ・カフェ」のレシピについてご質問頂いた方にお知らせしています。
六週間が経ちましたが、連絡はありません。アドレスが分らないので返信したくても返信できないのです。お手数ですが、返信可能なアドレスをご記入の上、再度メール頂けないでしょうか?
─追記(9月8日)─
7月5日にメールで「ショコラ・カフェ」のレシピについてご質問頂いた方にお知らせしています。
二ヶ月が経ちましたが、いまだに連絡がありません。メールに記入されたアドレスが不完全で返信できません。お手数ですが、返信可能なアドレスをご記入の上、再度メール頂けないでしょうか?
─追記(10月5日)─
7月5日にメールで「ショコラ・カフェ」のレシピについてご質問頂いた方にお知らせしています。
三ヶ月が経ちました。連絡はありません。メールに記入されたアドレスが不完全でしたので返信できないのです。お手数ですが、返信可能なアドレスをご記入の上、再度メール頂けないでしょうか?
2011年04月17日
『アランの戦争』エマニュエル・ギベール著 野田謙介訳(国書刊行会/2011年01月)を読む。
全体的に引きの構図が多く、色調もセピア系でどこか色褪せたポートレートを思わせもする画面構成だからだろうか、ストーリーに没入するとかキャラクターに感情移入するとかいうよりは、そこから少し距離をおいて俯瞰的に眺めてしまう。というかそうした視点に否応なしに立たされてしまう。その反面、眼前に浮かび上がってくるものがある。静かにユーモラスに語るアランの語りがそれで、ほぼすべてのコマにアランの語りが綴られている。
そこから分かるのは、作者ギベールはアランの物語をダイナミックに演出するのではなく、つまり物語の内部へ読者を引き込むために主観的な描写で感情移入させるのではなく、その一歩手前に留めおこうとしているということで、そしてそれはアランの語りを聞く作者ギベールの位置とも重なるものだろう。つまり読者はアランの語りを聞くギベールの位置に立たされることになるわけだ。ギベールは読者を聞く者の位置に留めおくために、飽くまでアランの語りそれ自体を丹念に再現してゆく。アランの声に耳を傾けてくれとでもいうように。そしてそれこそが最大の魅力となっている。
もちろんギベールの特異な描画法やその画力も素晴らしいもので、それだけでも充分見応えがあると言っていい。それでもこれはギベールのポートレート風の絵の端々にアランの語りが綴られているのではなく、アランの語りにギベールのポートレートが添えられていると言うべきで、つまりギベールは読者を、今まさに語っているアランのほうへと導いてゆくのだ。
その意味でこれはアランの半生を描いているのではない。そうではなく、自身の半生を語る晩年のアランの姿をこそ描いているのだ。出来事よりもそれを語る語りのほうに力点が置かれているのもそのためだろうし、そしてそれは何よりアランの語りを、というかその声を届けたいということにほかならない。
とはいえ印刷物によって書物によって、語りそれ自体を、声それ自体を、再現しようとするというのはほとんど不可能なのだが、というか絶対的に不可能な試みと言っていい。そうした不可能な試みにギベールは挑んだということになるが、果してその試みは成功したのだろうか。もちろんアランの声は読者に届くはずもないのだから、その意味でこの試みは最初から挫折していると言わざるを得ない。それでも尚アランの声は読者に届くと言いたい。たしかにこれは書物であり印刷物であって、そのかぎりに於いて読者は聞くことができないのだから、そこに印刷された文字を読むよりほかないのだが、それにも拘らず読者はアランの物語を読んだのではなく、アランの物語をその声を聞いたという感覚を覚えずにはいないだろう。ここにはたしかにアランの声が響いている。
2011年03月14日
以下の一都八県で今日から実施されている計画停電に於ける停電時間のグループ分けをメモしておく。
【栃木、茨城、群馬、千葉、神奈川、東京、埼玉、山梨、静岡】
とはいえ、時間帯は多少前後することがあるとか、状況によっては予定された時間以外に停電するかもしれないとか、予定のグループと異なる時間帯に停電するかもしれないとか、但書があってややこしい。まあ電力というのは使用状況を見ながらその都度発電量を調整しているわけだから、仕方がないのかもしれないが。
3月15日のグループ分け。
第3グループ 06:20~10:00
第4グループ 09:20~13:00
第5グループ 12:20~16:00
第1グループ 15:20~19:00
第2グループ 18:20~22:00
http://www.tepco.co.jp/index-j.html
─追記(3月15日)─
ちょっと勘違いしていた。どの地域がどのグループに属するのかということも変動するのかと思ったらそうではなかった。どの地域がどのグループかは固定されているようだ。そのグループ分けが何丁目単位でされているから、区単位で見てものどのグループなのかがよく分らなかったのだ。
そうして日ごとにローテーションで停電する時間帯がくり上がってゆくようだ。ということは、どのグループに属しているかが分れば、停電する時間もおおよそ見当がつくということだ。
2011年02月27日
ダンマパダ 第一章 ひと組みずつ
三
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した」という思いをいだく人には、怨みはついに息(や)むことがない。
四
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息(や)む。
五
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息(や)む。これは永遠の真理である。
『ブッダの真理のことば・感興のことば』(中村 元訳/岩波文庫 1992年6月15日第25刷 10頁)
シンプルで分りやすく、予備知識がなくても理解できる内容だからだろう、今でも広く読まれているというダンマパダ。『ブッダのことばースッタニパーター』(中村 元訳/岩波文庫)の解説によると、釈迦が亡くなったのが紀元前383年頃らしいが、そのとき弟子たちが釈迦の教えを韻文の形で残したらしい。当時インドには文字がなかったから暗誦して伝えるしかないわけだ。そうして釈迦が亡くなってから百年くらいの間に作られたものが『ダンマパダ』や『スッタニパータ』の元になっているらしい。そのあと、アショーカ王の時代になって、つまり紀元前268~232年頃、さらに散文による説明が付加されていったということだ。
そうして釈迦の死から四百年くらい経った頃だろうか、大乗的な思想が在家信者の中から現れてくる。大乗仏教に於ける思想的な深化や複雑化した教理体系はそれはそれで興味深いのだが、釈迦本来の思想とはやはり異なるものだろうから、釈迦自身が何を考え何を説いていたのかということは、そこからつまり大乗的な視点からは捉えにくい。それにはやはり大乗思想以前の、それよりさらに古いものに当たるよりほかにない。
それが『ダンマパダ』や『スッタニパータ』等の原始仏典というわけだ。それらに見られる韻文形式は最も古い時代に成立したということから、後の法華経などに見られるような神格化された姿ではない、つまり眉間から光を放って遍く世界を照らしたりしない、どこでも自在に飛んでいったりしない、そして不死ではない、生前の釈迦の人間としての姿が、その一端なりとも窺える文献でもあって、そうした意味でとても興味深い。仏教の教義や体系に興味がなくても、釈迦その人には関心があるという向きには良いかもしれない。
最後にもうひとつ。
ダンマパダ 第一七章 怒り
二二三
怒らないことによって怒りにうち勝て。善いことによって悪いことにうち勝て。わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。真実によって虚言の人にうち勝て。
(同上 41頁)
2011年02月03日
そろそろ小説をなんとかしなければと思っているのだが、ほとんど進展がない。まあ焦っても書けないものは書けないのだから仕方がないというか、粘り強く書きつづけるよりほかにないが、書けないとやはり苛々する。その苛々を解消するために菓子を作るというのではないが、そうした側面もないわけではないだろう。頭を切り換えるのに身体を動かしたりすることは少なからず有効だろうからだ。
そういえばチョコを3キロも買ってしまったのでチョコも作らなければならないのだった。とはいえ何を作るかはまだ考えていない。トリュフは手がチョコ塗れになるからあまり作りたくないし、かといってクーゲルを使うのも違う気がするし。さてどうするか?
2011年01月20日
18日で当サイトを開設して九年が経ったらしい。無理せずマイペースでやってきたからだろうか、閉鎖に至ることもなくここまで来ることができた。とはいえ最近は全然絵を描いていない。描きたいとは思うのだがなかなかモチベーションが上がらないというか、小説のほうに気が行ってしまうと絵のほうまで気が回らないのだ。それでも小説が捗っているならまだしもだが、このところ行き詰まっていて、いまだ140枚程度だから始末に負えない。
まあそんなわけで、ときどき覗きにきて下さるとありがたい。
2011年01月04日
せっかくなのでツイッターと連携してみたが、レイアウト的に微妙に納まりが悪い気がする。トップページに置くことも考えたが、やはりレイアウトが崩れてしまって巧く配置できず、ここに置くのが無難というか妥当というか、しばらく様子を見ることにする。
ついでにボタンも点けてみたり。