Effluents from Tomokata=H

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02

帰宅するとまず神棚に直行して知恵美の無事とその帰還に加えて先の願いを再度紀子は祈り、ここからの神棚をアンテナとしての送信が最も知恵美に近く最も効果的というかに念入りに行い、それからトイレに入って便座に腰掛け長い放尿を済ますと総ての活力がその尿に溶けだしていたかにもう何をする気もなく、それでもシャワーだけはと脱衣するが下着を脱ごうとして二度もよろけて壁に左肩をひどくぶつけ、浴室ではしかし転けることもなくというより狭いから転けようもなく、いまいち飛沫を弾かぬことに肌の老いを感じてそのような老いとはもはや縁のない半透明の恵美の霊を羨みつつ汗を流すと疲労も心労もいくらか癒え、これだけは欠かせぬとビールを一缶空けて生乾きの髪のままベッドに俯せに潜り込むとすぐに意識は遠退いていくが寝たかどうかも分からぬうちに不意に誰かに揺り起こされて壁側に向けていた顔を反転させるとすでに日が出ているのか室内は明るく、その眩しさに紀子は眼を細めて眼窩の奥のむず痒さを怺えながら薄目見ると距離にして五〇センチ辺りのところに淡い光を発して虚空に浮遊する知恵美を確かに捉え、一遍に眼が醒めてガバと起きあがって「えっ」と咳き込んだような声を洩らすと「近くまで来たからちょっと寄ってみた」と言ったように思うが神々しい光に紛れてよく聞きとれず、フワフワと卓のほうに知恵美は漂っていくと軽やかに着地するが「ああ疲れたあ」と甲高な声は常のままひどく年寄り染みた抑揚で言い、その華奢な体に較べて大きな頭を支えきれぬというように横になって再度「疲れた」と甲高に呟く声に「お帰り」と紀子がやっと声に出して言うと「お帰りでもないんだ」と知恵美は困惑げに言い、メシア=天皇ともなると仕事は増える一方で休みもろくに取れないんだからと零す。声質は知恵美のものながらその物言いがどこか父親に似ているような気もし、気にせずしかし聞いていると世界は混沌としているし放っとけば悪化するばかりですぐ収拾つかなくなるし、常に補修しなければならぬから眼が離せなくて寝る間もないと知恵美は愚痴り、その癖手当てがつくわけでもないとくれば「割に合わない商売だよメシアってのも」と益々父に似てくるから紀子はいくらか混乱し、あるいはイタコみたいに父が憑依しているのかもしれぬと思いつつ「変だよ知恵美ちょっと」どうかしたのかと問えば「それはボクのせいじゃなくて」紀子の感性の問題だと知恵美は言い、端的にその人物の内面を映す鏡のような作用があるらしく「ま、不可抗力だけど気に障るなら謝るよ」と知恵美は言い、言いながら淡い光は益々その神々しさを増していき、真面に直視できぬほどに輝くのを眩しいと言えば「ゴメンつい昂奮しちゃって」と知恵美はちょうど六〇ワット電球ほどに光を弱め、身の内から発するその淡いが強烈な光を不思議そうに眺めながらメシアになんかなるもんじゃないねと言うのを「じゃやめちゃいなよ」と唆し、というより思わず口について出たそれは本音で宗教なぞに関わるからこんなことになったので端的にそれが誤りの元でその点自分は深く反省していると紀子は謝り、知恵美は知恵美であってメシアじゃないし天皇でもないんだからどこにも行かず何もせず自分の傍にいてほしいと紀子が言うとそういうわけにもいかないと知恵美は言い、メシアなどいなくたって誰も困りはしないとさらに乞えば「そうでもないんだよ」と知恵美は言い、不意にまた淡い光を後光のように輝かせると「分かっちゃったんだよね、分かっちゃったんだ、何だかんだ言ってボクがいないとこの世界は破滅するってことが」とメシア=天皇として覚醒したことを告げるのだった。この世界がこの世界として在るための結節点で過去現在未来に無媒介に働きかける作用点、「それがボク、分かる?」と妙に嬉しそうに知恵美は言い、「我ながら感動しちゃったよ」とカカと甲高に笑う声の響くなか、その存在との隔たりを紀子は思い知らされて「じゃね」と行こうとする知恵美を引き留めることもできず、フワリ浮き上がる知恵美の神々しさに涙をさえ流し、知恵美にとっては自分こそ厄介な枷でしかなくその飛翔を阻む権利のないことを思い知り、それを告げにこそ知恵美は来たのだと思えば引き留めたところで無駄だとなかば観念し、淡いがしかし強烈な光に包まれた知恵美が浮遊しつつ窓ガラスを擦り抜けて出ていくのを紀子はただ茫と見つめ、室内が元通り薄闇に包まれるとしかし紀子は不安を掻き立てられてその決定的な別れが肯んじられず、朝から憂鬱なのもそれを重く引き摺っているからで、吉凶いずれの夢なのか分からないから誰にも告げられないが泣き腫らし浮腫んだ顔を指摘されたため半透明の恵美の霊にだけは打ち明け、近いうち帰ってくることのそれは予兆に違いないと断じるその根拠が紀子には分からぬがそう言われていくらか気が安まったことも確かで、前向きに思考するよう心掛けて欲しくない朝食を無理にも摂り、腫れて一重になった瞼を気にしつつ紀子は自宅マンションを出るが、一足ごとに憂鬱に蹴躓きそうなのを二歩前を浮遊するかに歩く半透明の恵美の霊に牽引されるようにして歩き、そのように歩きながらも常に念頭にあったのは知恵美がどこに行こうとしているのかということで、究極それは分からないにしろ沖とその一派がその到達点とは考えられぬからそれを単なる通過点と見做せばそこからの奪回は可能だろうと紀子は思い、他ではなくここへ私の元へと知恵美が帰還するためには如何にすべきかをひとり半透明の恵美の霊とともに考えるのだった。

信者らの実態をつぶさに実見するというのではないにしろ教団全体を俯瞰的に捉えるのにそれは役立ち、加えて知恵美に対する悲観的な憶測を排するのにその忙しさは実際的な効果もあり、徐々にだが前向きに考えられるようになった紀子はいずれ開示せねばならぬメシア=天皇の不在に際してその信仰強化に努めつつ駒井の作成になる知恵美派の資料を元に少しずつ情報を集め、思ったほどしかし情報の集まらないのがもどかしく、その目論見の成功不成功に関わりなく事件になれば足はつくだろうがそれでは遅く、事が起きる前に奪回せねばならないと思うのは事件を未然に防ごうとかそういうつもりではなく、天皇が死のうとどうなろうと紀子にほとんど関心はないが知恵美の死はどうにも認めがたいからで、日下や八木は単純に不死と断じている節があるがメシア=天皇だからといって不死との保証はないと紀子は思い、捜索の強化を進言しつつ自らも足で稼ぐつもりで出先の小セミナーにおいて折に触れて聞き込みを怠らず、それでも知恵美派の動向はまるで掴めぬからその脅威は増すばかりで、そのせいかどうか知らぬがここ数週間日下が姿を見せぬのを訝って「どうしたんです?」と思い切って駒井に訊けば以前より進められていた土地の購入の件で揉めているとのことで、教団施設建設のためのものと知って相手側が待ったを掛けてきたらしく仲介の不動産会社との協議を日々重ねているとのことだった。その方面に関して紀子は一切関係していないから駒井の言を信用するしかないがデタラメでもなかろうと半透明の恵美の霊も言い、実質日下の不在で混乱を来すということもないから不安材料にはならずに済み、そのように各人が各人の問題と取っ組み合っていて他に関わってなどいられぬ状況のなか、半透明の恵美の霊とともにひとり紀子が本部事務所に訪れると常の寂とした雰囲気とは微妙に異なるのにまず気づき、それが駒井のではない人の気配に因るものと認めて捜索隊か八木か日下かと訝りつつ差し覗くと来客らしく、しかも畏まって向こう向きに坐っているその姿に見覚えがあるとの判断からいくらか緊張が拭われもしたから臆せず入っていけば、正面の駒井の素振りで気づいて振り返るよりしかし先に「先日はどうも」と半透明の恵美の霊がまず挨拶し、続く紀子の挨拶に答えて「いえいえこっちこそバカみたいな真似して」と照れたように田尻は頭を下げ、その破廉恥な行動については未報告だから三者の照れ笑いがもひとつ駒井には解せぬながら、その的確な観察眼で親密さの中に僅かに揺らぐ淫猥なものを察知して「よろしいですか?」と殊更事務的に先日の申し出の件でお出で願った旨を述べ、より適任の者は他にもいるが「ご本人の希望はやはり反映させるべきと思いまして」その旨お願いしたところ快く承諾されましてとの駒井の説明を受け、光線の加減でいくらか茶掛かって見える淡グレーのスーツが先日の馬鹿っぽい雰囲気を一掃してきつく締めたネクタイを息苦しそうに幾度も直しつつ「マネージャーの田尻です」と改めて挨拶するのを見ればまるで別人のようで、その顎の発達が現代的ではないからか端的に男前とは言えぬながら髪も整えられ髭も剃られていて全体それは誠実そうな顔立ちで、その挙措からもそれ以外の様相は見出せぬから怨霊退散と喚きながらその熱り立ったペニスを振り翳して迸り出る大量の精液を所構わず浴びせ掛けるというような曲解と知りつつも拭いきれなかったそのイメージも刷新されるようなのだった。

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