閉じる 前ページ 次ページ
闇の中を果てなくつづく階段は杉の香に満ち溢れている。濃厚なその香りにえも言われぬ陶酔を覚え、どっぷりそれに浸りながら聡志と春信の二人は上を目指して直上る。
踊り場の部屋での休息中、不意に人語を解する柴犬似の雑種の犬の訪問を受けて二人は相応に驚くが、何が起きても不思議はないと受け入れ、二者一犬で階段を上り始めた。さらに上るうち柴犬似の雑種の犬が人の匂いを嗅ぎつけ、探り当てた部屋で出会ったのは蒲団が肉体の一部と化した男だった。カゼが長引いて寝込んだのが抑もの始まりで、否応なく蒲団とともに生きることを余儀なくされた男は、鬱々と家に籠って生活していたという。好意を寄せていた女性に蒲団のことを指摘されてひどく苦悩していたが、そのすべての原因が蒲団なのだということに絶望した。さらには家族にも疎んじられ、家を出て放浪の果てに階段へ訪れたのだった。そして三者と一犬で階段を上ることになるが、ほどもなく柴犬似の雑種の犬は顛落してしまう。
聡志と春信には共通の思い出があった。小学生の折、階段の賭場口に当たる掘っ建て小屋に二人で一夜を過ごしたというのがそれで、しかし聡志と春信にはそれについて何ひとつ一致する記憶がなく、どれほど記憶を摺り合わせようとしてもそれができなかった。その二人の前に、二人が小屋で過ごしたその日に行方不明になった尚義が十歳当時の姿のまま現れる。二人はその姿を凝視するが、尚義は何も言わずただ黙って坐っているだけで、すぐに掻き消えるように部屋を出ていった。
四畳半の片隅に設えられていたカラオケに蒲団男は興奮し、その肉蒲団を上気させるほど楽しむが、その声がうるさいと大声で怒鳴りながら侵入してきたのは人ではなく、動くマネキン人形だった。自身をマネキンの座から追い落としたバイトの若造への憎悪に燃えるそのマネキンのイクミ氏の話に三人は興じるが、喋り疲れたマネキンのイクミ氏がピクリとも動かなくなり、翌日になってもそのままの状態だったため、元のマネキン人形に戻ってしまったと打ち沈んでしまう。三人の不安を他所にマネキンのイクミ氏は何もなかったように目覚め、安堵から笑い入る三人の笑みをマネキンのイクミ氏は言葉なく見つめるのだった。
その後軽快な軋みを響かせて四人は登攀を続けるが、ほどなく蒲団男が顛落してしまう。それに伴ってマネキンのイクミ氏が不調を来たし、それを気遣ってしばらく四畳半に留まることになる。マネキンのイクミ氏の恢復を待って登攀を再開する。
そんな折、春信の許に春信を脅かす霊が再び現れ、今までにないその重圧に屈したように春信は自ら犯した過ちを語りはじめる。
小説/literary fictions
閉じる 前ページ 次ページ