Effluents from Tomokata=H

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前回までのあらすじ

宇宙人三人組トリオと行を分かったあと、踊り場の部屋での休息中に人語を解する柴犬の訪問を受けた聡志と春信は相応に驚くが、牛乳で持て成すと元は飼い犬だったその犬も喜んで饗応を受ける。この犬の不意の出現が春信に救いのように思えたのはかつて飼っていた飼い犬の再来と思ったからで、さらには忌わしい亡霊からいくらかなりと引き離してくれたからで、やはり階段は癒しをもたらすある種の浄化装置だと春信は思い、たとえ人々に忘れさられていようとその本来の功力が減退することはなくその多大な恩恵に与っていると思うとそれを独占している優越を感じ、まったき癒しを得るためにさらなる上昇が必要とあれば、いつまででも上りつづけるとの決意を新たにするのだった。

その犬の言うには純粋の柴犬ではなく雑種とのことだった。その柴犬似の犬に父の記憶はなかったが、父はいなくとも母がいたし父の変わりともなる飼い主一家が世話してくれたので父の不在に負い目を感じることはなかった。それもしかし人語を発するまでのことに過ぎなかった。皆に厭われて家を出た犬は、父の姿を追い求めてこの階段に行き着いたということだが、あるいは階段が導いたのではないか、まだ見ぬ父の姿を通して自らの許へ引き寄せたのではないかと今では思っていると話すと、春信も頷き、ここにやって来る者がこの階段に導かれて来たという見解に、聡志も異論はなかった。そんななか、卒然と杉の香の匂いだしたのをまるで階段に出発を告げられでもしたように感じ、二者一犬ほとんど同時に腰を上げてまた上り始めた。

上るうち柴犬似の雑種の犬が人の匂いを嗅ぎつけ、そう指摘しても二人は首を傾げているが、避ける理由はないので探り当てた部屋に着くと、躊躇わずノックするが静まり返っていて気配もなかった。中を覗いて声を掛けると弱々しい返事が聞こえ、続いて動く気配がして部屋の隅に放りだされてある蒲団が持ち上がり、それが移動してくるから蒲団が生きて動いていると皆驚いた。蒲団の塊が詫びると、めくれた掛蒲団の中から人の顔が現れ、蒲団を被っていただけだと皆安堵したが、男の被った蒲団は肉体の一部なのらしく、そのあまりの奇矯さに皆愕然となる。

男の勧めもあって酒盛りとなり、酒が廻ってくると男をくるんでいる蒲団も赤みがかって脈打ち、それが肉体の一部なのが分かるのだった。カゼが長引いて二週間ほど寝込んでいたのが抑もの始まりだったと男は言い、ひき剥がすことも難しく、否応なく蒲団とともに生きることを余儀なくされた男は、ほとんど外出不能で鬱々と家に籠って生活していたという。

男の話を聞きながら部屋が回転しだすまで聡志は飲み続けたが、杉の香りに吐き気を催して踊り場の木椅子で休んでいるとしばらくして春信も部屋を出てきた。二人して煙草を吸いながら階段に吸い込まれていく煙や言葉に笑い入るが、不意に立ち上がった春信は何か決然とした面持ちで聡志を見つめた。徐ろにその手を取って「飛ぼう」と床を軽く蹴って軋ませると、フワリと春信は宙に浮き上がってそのまま滑るように下へと下りていき、それに引っ張られて聡志も宙に浮いた。

しばらく宙を漂い、前方を窺い見るがそこに浮いているはずの春信の姿はなく、宙に浮いているのは聡志一人だった。心細くなって「春信」と呼び掛けるものの返事はなく、声は途中で闇に掠め取られてしまって春信にまで届くことはなく、ひとり漂いつづけるうちにいつの間にか落ちる夢にシフトしていた。

一方春信のほうも亡霊に悩まされていて、おれは殺ったのになぜこいつは殺らないと執念く怨言を言って止めないその亡霊を無視して聡志の肩に手を掛けようとしたときにその眼が開いた。

心配そうに覗き込む春信の顔が眼前にあり、「大丈夫か? 魘されてたけど」と春信は心配するが、そういう春信こそ蒼白で、まだ夢の中なのではと聡志は疑った。それが紛れもない現実と思うのは夢の中の浮遊感がなくハッキリと重力を感じるからで、だから今にも消え入りそうな様相で項垂れている春信には尚更異常を感じ、「お前こそ」と注意を促すが、春信は一人ブツブツと何事か呟いていた。

その聡志の声が反対側の耳から流入してきてやっと呪声が霧消しその気配も失せて春信は我に返るものの、怨嗟の塊のような怨言呪詛はしばらく耳内に残響して春信を悩ませるのだった。

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