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闇の中を果てなくつづく階段は杉の香に満ち溢れている。濃厚なその香りにえも言われぬ陶酔を覚え、どっぷりそれに浸りながらも春信は上を目指して直上るが、ここに来て以来ずっとつき纏って春信を悩ませるものがある。額から鼻から口から血を流しながら罵り怨言呪詛を言うそれは亡霊なのだった。寝ている春信の蒲団の横に添い寝するようにそいつは横たわり、恨み辛みをくり返す。
それでも階段のミシミシという軋みの豊麗な響き、えも言われぬ淫蕩な響きによってその罵り怨言呪詛が癒されはする。癒されはするが、そのあまりの狭さと密閉性にしばしば無性に息苦しくなることがあり、ただでさえ低迷に落ち込みがちなのがさらに一層落ち込んで、狂い死にしそうにさえ思うのだった。
そんな中かつての知己に巡り会った春信は、三十年前と容易に連絡することができるほど変化のあとの僅かな聡志に驚き、自分の方はアレが決定的に、容易に見分けもつかないほど変容させてまるで別人になってしまった、聡志が他人を見る眼で自分を迎えたことでもそれは窺えると、そう思い、自身のそのように禍々しくも愚かしい過去を披歴することがためらわれるのだった。
とはいえ、この階段が逃亡者犯罪者隠遁者にとって恰好の隠れ家だということに違いはなく、ここに隠れ潜む者が他にもいるということにそれは他ならない。
聡美と晴伸もその意味では隠遁者に違いなく、自他を隔てている存在の境界が消えて何もかもが解け合い交ざり合ってまさに二人は一心同体と言ってよく、二人を引き離すことなど誰にもできないと聡美は思い、そう思うだけで身体は火のように火照って息づかいも荒く身も砕けんばかりに疼いて仕方がないのだった。
そんな二人だがかつては大人たちに微笑ましげに眺められていたのだ。それがいつしか不浄なものでも見る眼つきになり、どこにいてもそのような視線が二人を捉えているのに気づく。しかしなぜそんな眼で見られるのかいまもって理解しがたく、そもそもなぜそれが禁止されているのかさえ二人には分からないのだった。
最も身近な分身ともいえる存在であればこそ最も愛情を感じて然るべきだし、それを抑圧し禁止し罪悪視するほうがよほど捻くれゆがみ倒錯している。これこそ人のあるべき本来の美しい姿だと聡美は讚嘆してやまず、断じて倒錯などではありえないと、思いきり腰を突きあげてその愉楽に浸る。
その二人のもとに聡志と春信が訪れ、ここに四人は邂逅する。息苦しさを訴える春信が向いの部屋へ退避すると、三人での酒盛りとなり、深夜聡志は春信のもとに振らつき帰り、二人の関係について詮索する。
小説/literary fictions
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