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11 決算できるならそれに越したことはない

01

雨粒の一滴を強い衝撃とともに右頬に受けたその直後だったか「降ってきたね」と振り返りもせずに言う半透明の恵美の霊に「すぐ止むよ」と答えたのを紀子は覚えているが、眼前に浮遊する青白いそれは霊的存在らしく歩行に伴う上下動もなく滑るように移動しているが生前の名残か知らぬが手足はごく普通に動かしているからそのブラブラと揺れ動く手足が操り人形めいて滑稽というほどではないにしろ妙にちぐはぐな印象は拭えず、背後から見ている紀子の気をそれはいくらか紛らせもしたから頽れずに歩き続けることができ、自分を守護し先導するものとして改めてそこに恵美=マリア=皇太后を紀子は認めもして、それを足掛かりに僅かに非理性への顛落を免れた矢先の嫌な雨だったからひどく堪えたが、マリアの加護かメシアの加護か小粒な雨の凄まじい打撃に感覚が冴えただけなのか無限に続くかに思えた帰路が不意に常態に復してその視野の端に自宅マンションを捉えもし、勢い込んでやや前傾気味に足を縺れさせながら紀子は最後のスパートに入ったのだったが、すぐ止むと明言した雨はそれ以後もずっと降り続いたらしく翌日は朝から雨で気も滅入り、前日の疲れも取れぬまま半透明の恵美の霊とともにひとり紀子が本部事務所に出向くと田尻は打ち合せの最中で、ソファの合成皮革を軽く軋ませてその隣に掛けながら今や挨拶代わりとなっている知恵美捜索にその後進展があったかどうかということを向かいの駒井に訊くとこれも挨拶めいた口調で「サッパリ」と首を振り、予期していながら毎回それには落胆してその編制やら何やら捜索の在り方自体に問題はないのかと零したくもなるが、その尻尾を掴むどころか拝むことさえさせぬ敵のほうがさらにも上手なのらしく、天皇を殺ろうというくらいだから当然といえば当然で、総ては綿密な計画に基づいての行動だろうしあるいはそれに知恵美の灼かな霊験を味方につけているとすればそれを暴くことは最早不可能で、そうとすれば異端分子に荷担した知恵美はそのメシアとしての在り様から大きく逸脱していることにもなり、少なくとも教団の規定するメシアではあり得ないということだから最悪切り捨てる他ないのではと言ったのは八木で、飽くまで知恵美=メシア=天皇に拘る日下の頑なな拒否で辛うじてそれは免れてはいるがこの際恵美=マリア=皇太后をその根幹に据え直すべきではとの意見もなくはなく、八木のその意に同意するのではないにしろ符牒と言いながらそこまで執念く拘る日下が駒井にはもひとつ分からず、ただ確実に言えることはその精液が近頃急激に水っぽく薄まっているということで、当人がどこまで自覚しているか分からぬだけにその味気なさを告げたものかどうか駒井はためらい、必然八木のまだ粘性の強い癖のあるだけにあとを引くそれを求めることにもなるのだが、だからといって日下を追い落として八木を次期教祖にと企んでいるのでは全然なく、駒井にすれば二人一組になって初めて機能する対の装置みたいなものと見做しているから日下にしろ八木にしろ一方のみではどうにも不安定に思えるしどっちか一方に与するということもだからなく、それよりはむしろ二人を結ぶ鎹(かすがい)とさえ自分を規定しているくらいだから私的な性交渉にのみそれはとどまり、教義に即したともいえるそれはひたすら快楽の追求を目指したセックスで、言質を取って確認したわけではないが八木にしてもその気はないらしいからその点駒井は安心して身を委ねることができるし淫猥の限りを尽してそのねっとりと舌に纏わりつく濃っいい白濁の液を存分味わうこともできるのだった。

望み通り第二第三のメシアが顕現するとは思えぬだけに知恵美=メシア=天皇は恵美=マリア=皇太后ともども教団にとって失いがたい存在といってよく、紀子も含めて特定個人の私物と化さしめてはならぬと駒井は思うのだが私的な思いの強い紀子にどう言い含めたらいいかとその教団への貢献を高く評価しているだけに今尚思い悩んでいて、紀子自らそれを認めて然るべく身を処してくれればそれに越したことはないが現況を鑑みるにその線は薄く、況して子を想う母のそれにも似た悲痛な眼差しで見つめられてはどうにも打ち明けにくいのだがあとになればなるだけ困難になるだろうから今のうちじっくり話し合うべきかと「田尻君にもね、一応」聞いておいてもらいたいと立ち掛ける田尻を呼び止めつつ駒井は告げ、さて何から言うべきかとこの瞬間に至ってもまだ駒井は迷い、事務的に距離を置くべきか親身に肌触れ合うべきかと逡巡しているその一瞬の隙を突いてのように捜索隊の面々が引き上げてきてどうにも回避しようがなく、露骨な非難こそないものの皆一様に強張っているのがその気怠げな動きのうちにも見てとれるし、それが不眠の捜索を終えての疲労とはまた別種のものということは確かで、駒井と田尻の牽制で辛うじて拮抗しているが敢えてそれを突き崩すかに紀子が口火を切ったのには駒井も田尻も等しく驚いたし隊の面々にしてもそれは同様らしく、不意に立ち上がって散会し掛けた面々の背中のひとつに向けて名指しで呼び止めながら口に出すまでしかしそんな気は全然なかったから誰より言った本人が一番驚いていて、後悔というのではないにしろTPOをまるで弁えぬかの自身の言動になかば自失したようにその場に立ち竦んで皆の注視に気後れするが、今さら撤回もないだろうしいずれ話し合わねばならないとすればこの機に片づけてしまえと「一五分だけ」くれと頼まれて不意のことで思わず頷いてしまったができるならすぐにもこの場を立ち去りたく、何も夜を徹しての捜索から帰ってきた今でなくてもとその無神経を訝りつつそれが狙いだとしたら侮れないと累積した疲労を押し隠して促されるまま功次はソファに腰を下ろすが、落ち着かなげに幾度か尻を据え直しながら見廻してその気配のないことを確認するといくらか動悸も治まり、それでも何が始まるのかと一抹不安を懐いていたから向かいの席に着く紀子に焦点合わせるとそこから眼を離さず、というより離すことができずに終始見つめられているから何だか居たたまれぬがこっちから言いだしたことだから逃げるわけにもいかないとその眼を紀子は上眼に軽く見返した。気を利かして席を外す駒井と田尻だが狭い事務所内のことだから聞こえないはずはなく、そうかといって二人を追い出して事務所を占拠するわけにもいかぬし場所を変えるというのも時間的に無理だからここで済ます他なく、聞かれて困ることではないと思いつつも一応念頭には入れておいて再度功次と向き合えば、何か尋問でもされているかに卑屈に縮こまって警戒しているから私ってそんなに悪者かと問い掛けたくなり、話が拗れるだけとしかし抑えてそれに代わる言葉を探すが寛いで歓談できるような内容じゃないからどう繕ったところで無意味と知り、何より時間がないから前置き抜きということになってしまうがこうも警戒されては切りだす切っ掛けが掴めぬし巧いこと口も廻らず、累積した疲労のせいと断じながらも自身の無思慮に紀子は苛立ち、その苛立ちを察してかさらにも警戒を強めるかに萎縮する功次をどう解したらいいのか困じた末、恵美ならどうすると横目にチラと指示を仰ぐが「こうなっちゃうとダメなんだ」と同様な困惑を示すのみで打つ手もなく、ほんの長い数分の間睨み合う形となって緊迫も度を増してこれじゃ埒開かないとチラと功次を見遣ってから「あのね」と紀子は切りだし、続けて「だから」としかしいくらか減速したようにその手元に視線を落とすと「つまり」とそこで失速してしまって全然先に進まず、その紀子の困惑を前にして上眼に窺う隈掛かった眼元に徐々に不安を滲ませながらあのね(あなたは生きていてはいけないの)だから(あなたは死ぬしかないのです)つまり(恵美の死霊に呪殺されるのです)とそのように功次は欠落部分を補完し、そんなはずはないと否定しつつ声として聞いたようにさえ思い、その表面の困惑を私が言ってるんじゃないからね恵美が言わせてるんだからねとそう功次は受け取りもし、その真意がしかし分からぬから罠だ絶対に罠だ騙されるなと内心で叫びながら逃げる算段を考えようとするが考える傍から否定されて続く言葉を見出せぬまま約束の一五分も気づけば疾っくに過ぎていて、このまま不発に終わるのかとなかば紀子は諦めつつ気配に田尻の焦燥を感じてその圧迫に背押されるようになぜあんなデマを流したのか率直に聞かせてくれないかと詰問するふうでもなく低姿勢に構えているから、それが却って功次に底気味の悪さを感じさせるしその影に恵美の呪詛を垣間見たような気さえし、最前の穴埋め問題の解答の正しさを保証されたように思いもしてその呆気ない幕切れを前にただ茫とするのみだった。進んでそれを受容するというのではないし今さらそれを覆し得るとも思わぬながら他意はなかったし申し訳なく思っていると功次は詫びるが、怯えたような素振りが妙に気になりながら紀子はそれを指摘し得ず、その謝意のどこまで真実かを見極めんとするかにその眼の動きを注視していると蠅でも追うかに目まぐるしく動いて瞬きも多く、考えの纏まるより先に発してしまうから自分でもその脈絡を掴めないが耳からのフィードバックで再度辿り返してみれば辿々しいながらもそれなり意には適っているからと功次はそのまま続け、その辿々しさに惑わされまいと思いつつ紀子はその詫びを聞くがもひとつ把握できず、まるで理解を示さぬその身振りに功次は恵美との結託を読みとってこれ以上の弁明は無意味かとも思いながら「恵美が、恵美の死霊がオレっ」と言い掛けて不意にそれを眼にしたから絶句してしまい、というより呼吸に支障を来して先を続けられず、鯉の形態模写でもするかに口を開閉させて頻りに何か訴えようとしているがやはり紀子には把握できず、小芝居とそれを一蹴することはないもののその大仰な身振りが何とはなしに胡散臭く思えたから謝罪ぐるみ否定するのではないにしろいくらか距離を置くかに身を退く紀子の隣で紀子のほうになかば身を凭せて投射映像のように背後を透かしているその姿を功次は捉えたのだった。確信を得たというように小刻みに頷きつつ鎮まっていた動悸の一瞬にして乱れるのを功次はもう抑えられず、これを目の当たりにしてマリアと崇め信仰する信者らの気が知れないし何もかも冗談としか思えず、少なくとも功次にとってそれはマリアではあり得ないしその呪詛の凝り固まったもので偏に自分をとり殺すためにのみ存在しているとしか思えず、総てはつまり罠だったのだこの教団自体が巧妙に仕組まれた定置網みたいなもので網に掛かるのをずっと待っていたのだと功次は思い、その矛盾に気づかぬではないがむしろそのような矛盾こそが呪詛怨念の事実性を保証するかに思えて絶対に這い上がれぬ深い深い落とし穴に落ちたというか落ちている途中で底に達したときがその最期、いや達したと気づいたときにはすでに遅くどうにも逃れられないことを思い知るが、何の釈明もできずに犬のように殺されたくはないとふと思い、それを端緒に自身の心臓を二度までも抉られる様を想像さえしてしまい、すぐに掻き消すが警告を発するためか神経細胞は執念くそれを像に結ぼうとするからいつまでも脳裡にチラついて功次を悩ませ、なかば観念していたつもりだがこうして眼前にすると怖じ気づいて直視もできないのだった。

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