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3 殻に籠る

01

普通成長といえばエネルギーを摂取してその体が大きくなることで、如何な生物と雖もこの原則には従わざるを得ないはずだが、旺盛な食欲を見せはするものの孵ったときのまま一向知恵美は大きくなる様子もなく、いやむしろ少しずつ縮んでいるようにも思え、この大原則に真っ向から反するような知恵美に打つ手もなく、ただ甲斐甲斐しく世話をする以外何ひとつ対策とてもないのを恵美は歯痒く思い、セミナーでの狂熱が悪影響を及ぼしたとは思えないが日に日に衰弱していくようだしほとんど光を発しなくなったことからもそれは明らかで、「何だか小さくなってない?」とその疑問をぶつけると知恵美はカカと短く笑ってから「成長するってことは大きくなるってことで縮んでくことじゃないよ」と否定し去るのだが、恵美には縮小しているようにしか思えず、それ以上問い詰めることはしかしできずに「ホントにだいじょぶなの?」と訊けば「だいじょぶだってば」と答えるがとても大丈夫そうには見えず、掌大はあったのが小指ほどにまで縮んでしまい、「元気元気」と言うわりに以前のような覇気がないし声も通らず掠れている。食事はしかし一日三度旺盛というほど食べているのだがまるで栄養にならないのか肌の色も薄く透明になっていくように思えるし光量も日に日に衰えていくようで、紀子にも相談するがこればかりはどうすることもできず、医者に診てもらえば分かるかもしれないがそれはやはりできないと事態を見守るより他なく、紀子と恵美はつきっきりで知恵美のそばに座り込み、というよりその場を離れがたく、風呂もトイレも速攻で済ませて戻り、とにかくそばに居続けて「陛下陛下」と呼び掛け呼び続け、一日三回食前に身長体重の測定を綿密に行うことで一日平均で身長が約〇・六ミリずつ体重が約〇・三グラムずつ減少していることが確認されるが回復の手だてはしかしなく、現在八十五ミリ、四十七グラムの知恵美の身長体重がこのまま減少し続ければ約五ヶ月で身長体重ともに〇になる計算で、そのギリギリまで生存が可能とはしかし思えないので最悪の事態はもっと早い段階で訪れるはずだから最早一刻の猶予もないと焦るが、ただ見守るより他ないため焦りは苛立ちになりさらには怒りへと変じ、それを表にはしかし出さずに仕舞い込むから余計その苛立ち怒りは増幅されてすでに極限に近く、紀子と交代ですぐ後ろのベッドで仮眠をとりなどしているが神経高ぶっているから寝ようとしても寝られずうつらうつらしているうちに交代の時間になってしまうため休みなしに等しく、知恵美の縮小衰弱に続くように恵美も紀子も日に日に衰弱疲弊していき、その灼かな霊験の力により自らを救うことはできないのかとふと恵美は思うが、その縮小衰弱が灼かな霊験をも縮小衰弱せしめているのかもしれないし永久機関が不可能なようにそれは不可能なのかもしれず、超越的なメシア=天皇とすればあるいは可能かもしれぬと思いつつもやはりただ見守り続けて回復を祈るより他ないのだと紀子は思う。

洗い物を食器棚に片そうと紀子はキッチンに立ちほんの一、二分で戻ってくるが、そのときにはもう俯せていたのを眠ったとしか思わず、「寝たの」と呼び掛けるが返事はなく、緊張の持続で疲労も極限に近く無理もないとは思うが「そんなとこで寝ると風邪引くよ」と肩を揺さぶって起こそうとするとそのまま横様に倒れ込むが目醒めることはなく、その倒れ込みようがしかしひどく不自然で「ねえ、ねえ」と呼び掛け続けるがやはり反応はなく、その口元に耳を近づけると寝息もしていないため寝ているのではないと気づき、「知恵美、知恵美、陛下」と呼び掛けると「どうかしたの?」と甲高に答え、「恵美が変なの」とこのときばかりは脳天気さの微塵もない紀子のうろたえ声に知恵美も事態を察し、灼かな霊験を顕してくれとのその悲痛な懇願に応えようとするが、恵美の意識は回復することなく昏睡状態のまま呼びつけた救急車に乗せられる。死の直接因は心不全と聞かされたがその真因は不明らしく、感染症の疑いもあったらしいが調べた結果否定され、結局何もかも不明のまま処理されて葬儀も恙なく済み、恵美の家族に知恵美の存在を明らかにすることはしかし紀子にはできず、その存在を知る者はだから紀子だけなので残された知恵美は紀子が引き取る他なく、ぬかりなく事を運んで知恵美とその存在を知らしめる諸物一切を持ちだして自宅マンションに移送し、恵美の実家で執り行われた葬儀に紀子は知恵美と共に参列したが、読経の響くなかもちろん知恵美はバッグの中だし焼香したのも紀子だけで、型通り悔やみの言葉を言うと恵美の両親はその最期を看取った紀子に深々と頭を下げて礼を返すものの、「ほんとに紀ちゃんにはお世話に……心配でし……で…惑ばかり掛け……とに」と紀子の見知っている恵美の両親とはまるで違う不明瞭な喋り方だし意識を喪失したようで全体置物めいていて顔には一切の表情がなく、どう応じればいいのか分からず戸惑いつつも適当に頷いてやり過ごすが場違いなところに来てしまったという思いは拭いきれず、出棺を待たずすぐに辞して近くだというのに実家にも寄らずに帰ってきたのは恵美とのあらゆる記憶が呼び覚まされそうに思い、それにひどく不安を感じもしたからで、幸い界隈は様変わりしていてどこか見知らぬ町のようだったため変に感傷に浸ることもなく抜け出せるが、そのせいか恵美の葬儀に関わる記憶の一切が悉く幻想の領域に押しやられて総てが非現実の出来事のように思え、それに引き摺られるように恵美の死までが嘘のように思えてくるのだった。

ただ移動に疲れただけではなく気持ちの整理のつくつかないに関わりなく時間が流れていくことに紀子は心底疲れ果て、それでも去りゆく時間に追い縋るように小走りになって脇腹を押さえながら自宅マンション五〇五号室に帰り着き、息を切らしながらも浄めの塩をパラパラと振り掛けて部屋に上がると知恵美を神棚ではなく卓上に置いたのはまだ設置位置が定まらぬからで、その床に放置された神棚を後目に何か死にかけの螢のように気弱げに明滅する知恵美を瞬間紀子は見据えると片手拝みに拝むが、すぐそのままの体勢で横倒れに脇のベッドに俯せに身を沈めて溜め息とも深呼吸ともつかぬ息を吐きだし、肺の中の空気を総て吐き尽すと次ぎに息を吸い込み、身を沈めたときに舞い上がった埃をしかし思い切り吸い込んでしまって気管にそれが貼りついて、忽ち噎せ返ってしばらく咳き込むが、咳が止めばもう何てことはなく、浮腫んだ足先の血流が減ってその痺れるような感覚が今まで感じていた焦燥を緩和させて途端に時間が澱み停滞しはじめるのを意識し、さらには不自然に視界が歪んでいくのをいくらか不快に思いつつほとんど光を発しなくなった知恵美を虚ろに眺めながら小一時間ほど紀子は身動きもせず、眠ったわけではしかしなく意識はむしろハッキリしていて絶えず知恵美を気に掛けていて「陛下」と時折呼び掛けるが、紀子同様知恵美は身動きひとつしない。


朝になれば前日の錯乱は一応退いているし不安や恐慌の兆しもなく、清々しいとは言えぬまでもそれなりに目醒めよく、しかしすぐ知恵美の容態はと飛び起きて脇の卓を窺えばいよいよそのときが近いのか淡い光どころか艶もなく全体黒ずんでいて触れるのさえ躊躇われるほど憔悴しているように思え、このまま目醒めることもなく逝ってしまうのかと恐る恐る「陛下」と呼ばわると二、三秒の間をおいて「何」と知恵美は答え、その一言で総ての不安が解消されたわけではないものの目醒めたことに歓び、そのカラカラに干涸らびたミイラの如き知恵美陛下に紀子は朝の挨拶を威儀整えてすれば、カカと知恵美は常のように短く笑ってから掠れた甲高な聞きとりにくい声で「そういう堅っ苦しいのは止してよ。かたいのは食べ物だけにして」と言い、そこに紀子は天性の道化を見る思いがして自分など足元にも及ばないと感服し、それだけにしかし笑うに笑えずに全身を硬直させていると「昨日だって」と前日の恵美の葬儀について不平を零し、挙げ句「ああいう辛気臭いのボク嫌いだよ」と悪態をつく始末で、心底嫌悪しているとはしかし思えず、強がっているだけだと「気を落とさないで」と慰めなどして「今日からここがあなたの家だから」と言うと「お世話になります」と殊勝な挨拶で、「いいえこちらこそ」と紀子は答えて深々とお辞儀をすると、「堅苦しい挨拶は抜きです、でどういうことなんです?」と八木は性急に訊き、死んだのが知恵美ではなく恵美だと聞いて一瞬安堵の笑いが洩れそうになるのを怺えて神妙な顔つきを崩さず、悔やみの言葉を述べて胡麻化すと教団としては今後も以前に変わりなく助力を惜しまない旨述べ、「いっそのこと知恵美さんを教団で」保護し養うというのはどうかと提案するが「それだけは」と固く断り、最初の条件に些かの変更もないし向後一切そのようなことはあり得ないと釘を刺すが八木も負けてはおらず、「もはや知恵美さんはあなただけの知恵美さんではないんです、縮小のこともありますし」と痛いところを突いてきて「我々としても放置してはおけない事態ですよこれは」と迫り、眼前の知恵美を指して「何です? これは。ミイラじゃないですかまるで」と非難がましく言い立てるが紀子も頑として退かず、教団への不信というよりそれは宗教に対する不信感を隠さなかった恵美の意志を尊重すべきだと思うからで、あまりに性急なその要望には紀子としても応じ兼ね、縮小に関しては適宜報告はするが保護云々に関しては一切受け入れるつもりはないと突っぱねてこれ以上話すことはないと席を立ち、「じゃこれで失礼します」と決然と本部事務所を出ていく紀子に呆気にとられて言葉もなく、「えらい剣幕だな」と誰にともなく八木は言って皮肉に笑うがすぐ真顔になって「駒井君駒井君、日下さんをね」と呼び掛ける。

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