ホーム | インフォ | プロフィール | 小説 | イラスト | レシピ | 雑記 | 掲示板 | リンク | 送信 | 履歴 


目次 第六回へ 第七回 最終回へ

戻る  

廿五段 廿六段 廿七段 廿八段

廿五段

あまりにも唐突で突然のことに面喰らって出食わした最初の瞬間から私もサトシ氏もハルノブ氏もそれがそもそも具えている本来の属性でもあるかのようにひしひしと感じずにはいなかったマネキンのイクミ氏のその存在の奇矯さに対する不審やわだかまりはいつの間にか薄れて背景にしりぞき申し訳程度にチカチカとまたたいて辛うじてその所在を知らしめているにすぎなくなり、つまりその奇矯さなどどうでもよくなって止め処もなく話しつづけるマネキンのイクミ氏の長話に引き込まれてただ聞き入っているが、話に夢中でお茶を出すのも忘れていたといって「いやお構いなくお構いなく」と制するマネキンのイクミ氏に構わずに、聡志がつと座を立ってお茶を入れるそのほんの僅かな時間だけマネキンのイクミ氏の口は閉ざされて踊り場の狭四畳半が静寂に包まれるとその間を繋ぐように杉の香りが急激に濃厚に匂いだすが、一息入れてその湯気の立つ入れたてのお茶で喉を潤して中身ががらんどうの私と違ってたっぷり漉餡の詰まった薄皮饅頭二個を平らげ、苦味の効いたお茶で漉餡の甘味を洗い流してからまた喋りだすが、喋るというよりも言葉が自らの意志で勝手に迸り出るというように次から次から口から溢れだしてこのがらんどうで空洞の打てばよく響く楽器のような体のどこにそれだけのものが詰まっているのかと不思議に思うほど湯水のように出てくるのに我ながら驚き呆れたものの、とめようとしてとめられずに何もかもをぶちまけ曝けだしていて、そうだそうなんだあのバイトの若僧に対する憎んでも憎み切れず殺しても殺し足りないほどの巨大な憎悪が怨念がこのがらんどうの体全体にさながら饅頭の漉餡のようにギッシリ隙間もなく詰まっており、その憎悪が怨念が私を私たらしめている唯一のものであり、どう考えても私とは相容れないガラクタの異臭を発して腐れきっている屑スクラップ廃棄物の用なしばかりが堆積していたあのスクラップの山の中に無残に放置され、雨粒の一滴一滴に針で刺されるような激しい痛みを覚えつつ憎悪に狂いに狂ったあの三日間が劇的に私を変貌変容させたのだが、その針雨の中に微かに浮かび上がったまっ白い月のあまりの真っ白さが異様に不気味だったと言うと、雲ひとつない星空に孤立するように張りついていた青々しい月の薄光を背中に浴びつつその青月明かりを受けて不気味に浮かび上がっている青腐れ小屋と対峙していたことは明瞭な記憶として今尚消えることなく残っているが雨など一滴だって降ってはいないとその堂々メビウスの輪巡りの平行線を辿るだけで一向に交叉することなく合意点を見出すこともできない遠くて近く近くて遠い過去をまたしても聡志は蒸しかえし、その夜の雨の有無と月光の色とが呼び水となってさらに次々と互いの記憶の齟齬懸隔が顕になり浮き彫りになってそのひとつひとつを順繰りにおごそかに議論の俎上に乗せて精緻に解剖していくが、何が事実で何が事実ではないのか何があって何がなかったのか何が起きて何が起きなかったのかがまるで分からず、逆に互いのズレが明確化して同じ時間空間を共有したとは思えないほどにそのズレ隔たりは拡大していくばかりで、いや全く同一の空間を共有することなどできるはずもないし時間にしてもその流れ方や感じ方がそれを享受する主体が介在することによって大きく異なるというのも自明のことなので厳密な意味で共時的共空間的現象経験などというものが単なる幻想にすぎないということは端から承知しているが、ごく一般的通俗的大衆的認識における時間感覚空間感覚から言えばそこでの同一空間とは点ではなくてある拡がりを持った場ということだし時間にしても個々人の内的時間感覚ではなくて時計を基準として推し計り他と共有できるもので、それらを前提としたうえでのことなのでそこにある種の共通認識を見出して感興し交感することも成立するはずなのだが、それがどれだけ記憶を突き合わせ重ね合わせてみても何ひとつ合致符合するものはなく確実絶対というような決定的証拠を挙げることができないのが不思議というより不気味で恐ろしく、ただその月が満月だったということが、球形の円形の真ん丸の月が中天に存在していたということだけが、それだけがそのひとつだけがどうにか共通した記憶としてあり、あるいはその微弱だが影響を及ぼさずにはおかない月の引力が記憶作用に影響していたのかもしれないなどとまるで根拠のない立証性の低い見解に縋らなければならないのには私にしても春信にしても腑に落ちず納得し兼ねるものがあるが、それより他に尤もらしい見解を見出すことができないのでそれ以上に説得力のある見解、と言ってそれ以外には見出し得ず反駁を許さない唯一絶対の最終的真実を希求しているのでは毛頭なく互いに納得でき頷き合えるものでさえあればそれがどんなに異様でグロテスクで惨たらしく眼を背けたくなるような悍しくも反吐が出る見解でもよく、とにかくそのような何がしかの共有できる見解が見出せるまではとりあえずはそれでお茶を濁す他なく、両者ぐったりグニャリとなって無気力的虚脱をしょい込み抱え込んで闇々鬱々と塞ぎ込んでしまうが、一旦は気鬱に沈み込んで泥土泥濘の中にズブズブと沈降してなす術もなく蜿いていてもすぐまた憎怨軍が派遣されてその三日の間憎悪はさながら培養液中の細菌のように爆発的に増殖しつづけて尽きることなく溢れだし流れだして、ついには私を超マネキン人形へと変貌変質変容させたらしいのだが、らしいというのはどの瞬間にこのがらんどうで中身が空っぽのはずの体に人並みの運動性が、いやそれ以上の超人的とも言える敏捷性を備えた運動能力が獲得されたのか私自身ハッキリとした自覚すらなく、気がついたときにはつまり意識を意識したときにはすでに処分場をあとにしてどこだか分からないが街灯もない真っ暗な凸凹道をあのバイトの若僧に対する憎悪に燃えて猛然と走っていたからで、それでも一つ言えることは三日間昼夜途切れることなく降り続いた雨の私の体にぶち当たっては滴り落ちていったあの雨滴の一粒一粒が、煮えくり返って爆発寸前だった憎悪のエネルギーを押しとどめ押し返して超人的な運動性へと変質させる何らかの触媒の役をしたのではないかということだが、しかしそれも単なる憶測に過ぎず、私の理解を遥かに超えているためその辺りは適当に相槌を打って聞き流してしまうが、まず殊更大きな音を立ててお茶をズズッと啜って皆の注意を惹いておいてからゆっくりと湯呑みを卓袱台に戻し、それから口を開いた春信は「それを理解できて説明できる者なんかいやしないさ」と言って粒餡の大福をパクリと啣え、それに答えるように蒲団男が大きく二度頷いたのに私も同調して「そう、そんなことは重要じゃない全然」と言ってマネキンのイクミ氏に先を進めるよう促すので、ややこしい所は一切省いて話を先に進めることにし、その前に喉を潤そうと一口お茶をすすり込んだ。

伊達に先端を突っ走ってきたわけではないことを物語る戦痕と言ってもいい私の体についた無数の傷も殆どこのバイトの若僧一人によって刻まれたと言ってもよく、いや私だけではなくこの店の大半のマネキン人形にある大小深浅の傷の殆どがこのバイトの若僧一人によって刻まれたといっても過言ではなく、というのも大体このバイトの若僧にはマネキン人形に対する愛情も敬意も何もなく、そのような美意識のカケラもない無感動な、つまりは私たちマネキン人形に相対する資格すらない人間で、だからあのような粗雑な扱いをして誰憚る所がないのだが、闇夜を走りながら私のうちにあったのはただそのバイトの若僧への憎悪怨念ということのみで、それ以外は何もなくその思いだけで私は動いていると言ってよく、無心に走りつづけてようやく朝方、といっても夜はまだ明けきっていないので辺りはほの暗く人影も全くなく、だから誰にも見咎められずに店の脇の物陰に潜んで周囲の事物と同化することができ、その数時間後にバイトの若僧がその締まりのない顔を眠たげに弛緩させて更にも不細工な顔つきで出勤してくるのを確認するが、今出ていっても人眼もあると懸念して沸々ムラムラと煮えくり返って湧出する憎悪を押し戻してやり過ごし、襲撃は夜のほうがいいとまた暗くなるのをがらんどうの頭の中で襲撃の場面をくり返しくり返し幾度も幾度もシミュレーションして計画を完璧なものに練り上げつつひたすら待ちつづけ、八、九時間が経過してようやくまた辺りが暗くなっていよいよだ、ついにそのときが来たとバイトの若僧の出てくるのを今か今かと待ちに待って出勤時と同じような弛緩した不細工な顔つきにいささか疲労の粉を吹きださせているもののそれでも軽薄なフットワークで出てきた所を気づかれないよう細心の注意を払って抜き足で背後から近づいてその距離五十センチと近づいた所で狙いを定めてプラスティック製の硬い両拳を目一杯振り上げて後頭部を思いきり殴りつけると、ボコと低く鈍い音が小さく響くとともにバイトの若僧は空気が抜けたようにゆっくりと頽れ、俯せになって不様に地面に倒れ込んだが、そのバイトの若僧襲撃の場面を語るマネキンのイクミ氏はこの部屋に怒鳴り込んできたときのヤクザっぽい風貌に変貌しており、微かに笑みさえ浮かべて私たちを見廻すのが如何にもそれらしくちょっと恐怖を覚え、一歩退いたところに座している私と春信の二人から突出して最前面に立ってヤクザっぽいマネキンのイクミ氏に面と向かって坐っている蒲団男もなかば蒲団に埋もれてその些か分裂傾向の見られるマネキンのイクミ氏に恐怖しているのがその蒲団の輪郭線の微動からも窺えるが、春信だけはそれに全く臆することがないのかあるいはただ鈍いだけなのか、平然として「死んだのか?」と訊き、「どうなんだ?」と身を乗りだしてそこにこそ何か重大な秘密が隠されているとでもいうように「そのバイトの若僧は死んだのか?」と返答を迫るのに私もサトシ氏も息を呑んで返答如何とマネキンのイクミ氏をうかがうが、長い長いそれこそ一、二分の黙考ののちにようやく「いや、殺せなかった」と答えたので安堵して「はああああああああ」と長いため息をついたが、ハルノブ氏だけは何か腑に落ちない様子で腕組みしているのを見ると、バイトの若僧を殺害できなかった私の勇気のなさ意気地のなさを非難しているようにも思えるが、実際殺すだけの勇気がなかったのだからそう思われても仕方なく、だからハルノブ氏のその非難は甘んじて受けるが、俯せに倒れたバイトの若僧がどんなツラをしているのかと足で蹴転がして仰向けてそのツラを月明りに晒すと耳の辺りから額の辺りから鼻から口から至る所からまるで汚穢そのもののようなドロリとしたドス黒い血がドロドロと流れ落ちてくるのを見て、その流れ落ちるドロリとしたドス黒い血に怯えたとか意気を削がれたとか怖じけづいたとか罪の意識に苛まれたとか良心の呵責にうち震えたとかいうのでは決してなく、ただ何とはなしに虚しい気がしてそれまでの憎悪が消え去ったというわけではなく脈々とそれは脈打ち息づいて噴出しつづけているにも拘らずそのバイトの若僧の血まみれの頭に最期の一撃をプラスティックの拳の一振りを加える気にはならず、といって救け起こす気なども更々なく、だから気は失っているもののまだ息がありヒッヒッという不規則な呼吸音を立てているそのバイトの若僧を放り置いてその場をあとにしたのだったが、行く当てもなく姿が姿なだけに人眼を避けて闇から闇へと彷徨した挙句、また元の場所に戻ってきてまだそこにさっきと同じ姿勢で倒れている虫の息のバイトの若僧の脇を、チラリと視野の隅にその姿を捉えるもののその方に顔は向けずに通り過ぎて店に忍び込んだのだったが、私が自らの意思で動き歩いているのを目の当たりにして店の並み居るマネキン人形たちは皆驚きを隠せない様子で、物問いたげに私を窺うが声に出して訊くことはできないので思念で私に訴えかけてきて、「どうして動けるようになった?」だの「誰にしてもらった?」だの「オレも動けるようになれるか?」だの「紹介してくれよ」だのという愚問に一々答えているうちに自分が何か途轍もなく素晴しくてこの世のものとは思えないほど神々しい存在にでも変貌を遂げたような気がしてきて、自分は選ばれた存在ではないか何か超越的な存在によって特別に選ばれたのではないかと思い、そのことに言いようのない優越を感じてマネキン人形のさらに上を行く過去現在未来に渉って全マネキン人形の頂点に立つ超マネキン人形とでもいうようなもの凄いものに私はなったのだと嬉しくなり胸踊らせて、これがオレの鼓動脈拍だとカツカツカツと威風堂々兵隊歩きでカツカツカツカツとことさら音高く足音を響かせて店内を周って売り物の衣服を上から下まで一揃い自ら選びとってくると、親の手のかかる幼児のように誰かの手を煩わせて着せてもらうのではなく自らの手でそれら自ら選びとってきた衣服を着し、その巧みに手足を動かして衣服を着る私の動作の一つ一つを固唾を飲んで見つめている並み居るマネキン人形たちの熱い視線にさらにも優越を感じつつ手早く手際よく衣服を着し、着し終わると今度はさっきの勇壮な兵隊歩きのカツカツカツではなく優雅なモデル歩きでツカツカツカとゆっくりと歩いてショーウィンドウに向かい、自ら動くことのできない普通のマネキン人形を脇へ押し除けて超マネキン人形たる私の立つスペースを超マネキン人形たるに相応しくゆったり幅広くとり、かつてのように、いやそれ以上に悠然とそこに立って超マネキン人形たるに相応しい優雅で神々しいポーズを決め、いや決めたのではなく私がそこに立つだけでそれが優雅で神々しく何者をも感動に胸うち震わせずにはおかない妖艶なポーズになるのは必然だったので、何も意識することなくただそこに立ちさえすればいいのだったと胸聳やかして得々とマネキンのイクミ氏が追懐するのを私と聡志と蒲団カラオケ男の三人の聴衆はただ黙然と聞いているのだったが、気がつけば湯呑みは空だし盆に天こ盛りにあった菓子類も悉くなくなっているので補充しようとマネキンのイクミ氏を制して空盆をヒョイと掴んで空湯呑みをその中に納めて立ち上がる。

廿五段 廿六段 廿七段 廿八段

戻る 上へ  

目次 第六回へ 第七回 最終回へ


コピーライト