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九段

佇む聡志

夜中に不意に目覚めたのは何か霊的なものの気配を感じたとかひどい悪夢に魘されたとかいうわけではなくただ尿意を覚えたからだが到底朝まで持ちこたえられそうにもないほどに溜まっていたので便所に行こうと酔いの残滓を足元に絡ませ引き摺ってフラフラと歩いてファスナーを下ろし掛けてふと周りを見ればそこは踊り場で、真っ暗い底下闇に向かって音もなくヒタヒタと打ち寄せるその闇打際に百ワットの電球に照らされて私はフラフラと立っていて間違えたと思って廻れ右して戻ろうと思ったときにはその酔いと結託した打ち寄せる闇に足を掬われてしまっていて気がつくとすでに体は宙に浮いており、頭は天井を向き眼の前に電球がチカチカと瞬いているのが妙に眩しくて眼を細めるもののその眩しさは少しも和らがないので完全に眼を閉じるが、それにも拘らず眩しくて眩しくて仕方がなく、次第に明るく強く輝きだしてまるで太陽のようだと思っているとそれはまさに太陽になって、というより本来太陽であったものが何らかの原因でちっぽけな百ワットの電球へと化せられていたのが何の弾みでか呪縛が解けて今ようやく本来の姿を取り戻したとでもいうように今までの分も取り返そうとここぞとばかりに照り輝いてこの身を焦がすほどに眩しく照りつけるのでこのままでは焼け焦げてしまうと半身を返そうと蜿くのだが、空中のことでうまく行かず、ようやくその呪縛が解けて解放されたことに我を忘れたように限度を超えた輝きを見せる太陽に背を向けることができたと思うと今度は眼の前に階段の縁が迫っており、それがグングン近づいてきて今にもぶつかりそうになるのだが、いつものように着地することなくいつまでも延々落ち続けて春信に揺り起こされてようやくそれから解放されはしたものの、その日は二日酔いで床に就いたまま終日温もった蒲団の中で寝て過ごし、摂取した酒量は私よりも遥かに多かったがケロリとして爽やかに笑んでいる若さの横溢した向かいの若者とその連れの女も様子を見に来て何くれとなく世話などしてくれ、「悪い奴ではないな」と春信も言い、以後互いに頻繁に行き通うようになってしばらく愉楽の登攀を共にしたため夜は大概大酒盛りになったが真っ先に酔い潰れるのはいつも私で、二人の若さに自らの衰えを犇々と思い知らされるが、見たところ二十を超えるか超えないくらいのまだまだ遊びたい盛りの若い身空でこのような暗く狭く陰気で息苦しくただ階段の軋みに杉の香りに青畳の匂いに言い知れぬ陶酔を感じはするもののどうかすると気が狂れる怖れがないとは言えないこの階段に好んでとどまっていること自体がすでに奇矯なことと言え、二人があまり身の上を語りたがらないのも無理はなく、だからこっちから根掘り葉掘り訊くこともないが、しかしそうは言っても気にはなるもので終夜春信と二人部屋に戻ると決まって話は二人のことになり、勝手なことをあれこれ言い合うため想像は逞しくなるばかりでとどまるところを知らず、菓子盆に天こ盛りだった粒餡の大福や大判焼や栗蒸し羊羹などが総て姿を消してもやむことなく、気がつけばすでに朝と言っていい時刻で彼らの朝食に呼ばれて四人膝突き合わせて食事していると、どうにも気になって二人の態度はもとよりその発言の一言半句も聞き漏らすまいと食事もそこそこに耳傾けて聞き、そのようにして僅かに聞き得た断片をひとつに纏め上げ再構成してようやく分かったことは二人が姉弟であるらしいということだが、しかし二人が一線を超えた関係にあるのは二人の態度表情仕種などから明白なので、それならここに隠れ住んでいることも頷け、春信も「なるほどそういうことか」と点頭して私の方をチラと見て好色そうな笑みを浮かべてフフンと鼻で笑い、その相姦姉弟に絶大な興味を抱いて終始観察の眼を煌めかせている春信だが、その精神が最も弛緩し無防備になって観察条件としては最適なはずの毎夜の酒席には殆どつかず、ほんの四、五分でひとり部屋に戻ってしまうのはその閉所恐怖のためということもあるかもしれないが下戸で騒がしいのも好まないからだろうと聡志は認識しているらしいのだがそれは誤りで、私が飲まないのは飲めないのではなく断酒を決めたからで、というのも飲めば必ず酌してやるとあいつがやって来て呪詛怨言を繰り返した果てにあの時の顛末を私に記憶のないのをいいことにこうもしたああもしたとことさら醜悪に再現してみせるからで、もともとつき合いから始めた飲酒だし待っている家族のいない単身赴任先のとっ散らかった部屋に真っ直ぐ帰るのも寂しいからとその寂しさを紛らすために飲み歩いていただけなので何の未練もなくスッパリと断つことができ、以来一滴も口にしてはいないが気分が良ければそのまま居座ることもあり、ひとり烏龍茶をチビチビ飲んで口内を適度に湿らせては粒餡の大福をバクバク食べながら密かに姉弟を観察して時々ニヤリとほくそ笑んだりしているが、そのたまたま四人での酒茶盛りのとき、不意に弟のハルノブが「知ってますか?」と得意げに言うので「何を?」と訊き返すと、充分に酔いの回った状態で聴く階段の軋みは堪らなく心地よく、それこそえも言われぬ快感をこの世のものとも思われぬ至福の陶酔を齎すと言い、「どうです試してみませんか?」と言うのだが、その危険性を思うと試す気になどなれずキッパリ断わると、「意気地がないなあサトシさんは。僕は一人でもやりますよ」と嘲るように弟のハルノブは言うと、ニタニタと笑いながら姉のサトミさんの制止するのも聞かず意気揚々だが足取りヨロヨロと部屋を飛びだして階段を上りだしたのだったが、フラフラと足元覚束ず危うげでいつ踏み外すかと皆ヒヤヒヤと見守っていたが、しばらくして無事にヨロフラ下りてくると何か一大事業でも成し遂げたというような晴れやかな笑みをその酔いに火照った顔面に表出させて、「最高ですよ、一緒に行きましょうよ」と言って私の手を取ろうとして手を伸ばし掛けたところを姉のサトミさんに強か叩かれて子犬のように悲鳴を上げてその手を引っ込めると、途端にガキっぽい表情をその皮膚表面にブツブツと泡立たせて如何にもガキっぽく笑い、弟のハルノブのその如何にもガキっぽい笑いにはそれまで姉弟について離れなかった暗い翳はなく、弟のハルノブが初めて年相応の屈託ない若者に見えるが、それも一瞬のことでその直後には弟のハルノブの全身に薄膜が張るように紗が掛かって濁った灰色の翳が降りてくるのだった。

むかしから耳にしていたここの噂を不意に思いだして、というより目が覚めた途端に目の前にそれがプカリと浮いているような感じがしてしばらくためつすがめつしていたらなんだかそれに魅せられてしまって一日我慢していたけれどどうしようもなくて翌朝、まだ明けきらぬうちに手を取り合って家を出たのが十七のときで、決意というほどの固く強い思いなどまるでなくて何か初詣にでも行くようなお参りが済んだらすぐにも朝ご飯までには間に合うように帰ってくるとでもいうような軽い気持ちでしかなかったのが自分でも不思議でしょうがなく、二度と戻ってはこないという気がしないものだから通りすぎる景色にしても見馴れた家並みにしても何にしてもこれが見納めだという感覚すらなくてスイスイと早足で気にもとめずに来てしまったのだけれど、そもそもその噂自体信じていたわけではないしなぜそんな気になったのかもまるで分からないけれどふいと出てきて遠足気分にも似た心持ちで歩きつづけて恐いもの見たさも手伝ってそよ風の一吹きでも簡単に壊れてしまいそうなあの小屋に草かき分けて「なんだか密会でもするみたい」などと言って気を紛らせつつ晴伸の腕にしがみついてそのピンととんがった可愛らしい左耳に唇をほとんど密着させて「不義密通」とささやいてそのピンととんがった可愛らしい左耳を舐め、立ち止まって振り向いた晴伸の口を吸い舌をからめなどしながらそれこそその『不義密通』をこれから行うのだというようにもぐり込んだのだけれど、はじめて眼にする階段は異様に暗くてその底しれない闇に飲みこまれそうで不気味に思えたけれど晴伸となら何があっても恐くはないしためらうこともないと、その闇深い階段を意を決してというのではなくちょっとお二階へとでもいような気楽さ何気なさで上りだす晴伸のあとについて上るとカツカツと硬質でいかめしい響きでひび割れたコンクリートが鳴るのが耳障りだし、それが小屋の外までも世界の隅ずみまでも響きわたるほど大きく響くような気もして誰かがこの音を聞きつけ聞き咎めて何事かとやって来るのではないかとずいぶん不安だったけれど、幸い誰にも気づかれはしないで上りつづけることができ、それでも背後から追い立てられるようなすぐそこまで鬼が迫り来ているようなズシリと肩に食い込むほどの重たい切迫感をつねに感じていたから一気呵成に体力のつづくかぎり太股が腰がふくらはぎが背中が腕が爪先が踵が、つまり身体中の筋肉という筋肉がパンパンに張ってビリビリとしびれてもう一段も上に上がることができないというほどのそれこそ晴伸と存分にまぐわってまぐわい尽したあとのような疲労を感じるまで一度も休むことなく踊り場の部屋にも立ち寄らずいかにも心地よさそうなおしゃれな椅子にも腰かけずにがむしゃらに上りつづけたから、ようやくその連れ込み宿の一室のような四畳半に落ち着いて青畳に頬をぺったりとくっつけて横になってもその濃厚な匂いにまるで気づくことなく杉の香りさえわからず、すぐに意識を失って深い死のような眠りに入ってしまったので、そのときだけは晴伸と愛撫を交すこともまぐわうこともなく朝を向かえ、眼が覚めてからそのことに気づいてなんだか損をしたような気がして私の横でまだ寝息を立てている晴伸をゆすり起こしてその身にもたれかかり、杉の香と青畳の匂いに包まれて階段の踊り場の部屋での最初のまぐわいをまぐわり、それから一日も欠かさず朝昼晩の食事をとるのと同じようにまぐわっているけれど、飽きるとかマンネリになるとかいうことは一切なく、つねに未知なる現象に出くわすのではないかさらにも深い快楽の奥底深淵があるのではないかというような新鮮新たな気持ちでまぐわうことができ、だから存分に堪能することができて奥へ奥へ深みへ深みへとどこまでも底しれない淫楽愉楽の淵に沈んでいって果てもなく、まるでこの闇深い無限につづく階段のようにそれには果てがないように思え、これも霊験あらたかな階段の加護だと囁き合いつつさらにも淫楽愉楽に耽るのだった。

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