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キラキラとよく輝きながら人を襲う

01

ところがそうではないのだ。いや、十中八九そうに違いないと睨んでいるがやはりそうではないのだと煮つけた鰈の身を解して煮汁と絡めながら弥生はそれを否定し、尚幾許か煮汁のなかを転がしているうちに身がバラバラに崩れてしまうとそれには手をつけることなくまた新たに身を解しに掛かり、そうしてしばらく弄んでいるがそれにも飽くと諦めたように細かな身を掬いあげては口へと運ぶのだったが半分も食べられず、残りは鍋に戻したもののきっと手をつけることなく傷んでしまうに違いなく、これまでそうやって何もかもをダメにしてしまい、これからもそうやって何もかもがダメになってしまうのだと腐ってゆく自分になかば酔い痴れつつ洗いものを片づけるとフロを沸かして長々と湯船に浸かり、長いといっても三、四十分くらいなもので、過去最長記録が九十分以上だから弥生として長いと感じる時間では決してないのだが、一般的に長いほうだとの認識はあり、そうして全身フニャフニャにふやけてしまうまで湯船に身を沈め、皺寄った指先の妙に白っちゃけた色合いに眉顰めながらつい考えてしまうのは、どうしても型から外すことができないゆるゆるムースのことで、今も尚冷蔵庫の中段奥で冷やされているそれは一昼夜おいても状態にさしたる変化がなく、それでも触ってみると指につかないから固まったと喜んでいたら型を傾けると傾けたほうへムース面がいびつに盛りあがり、つまり乾燥してできた表面の皮膜が下の液状ムースを押さえ込んでいるだけで、傾きが臨界に達すると皮膜が破れてドロリとした液体が溢れ出てくるのだった。会社へ持ってゆく約束だったのだがそれはついに果たせず、べつに大した約束ではないから反古にしたところで文句も出るまいが、いやむしろ食べたあとにああでもないこうでもないと批評がましい面々の手厳しい意見を聞かされぬだけマシかもしれないが、いつまでも固まらぬゆるゆるムースを前に途方に暮れ、捨てるには忍びないがひとりですべてを食べ切ることは到底できず、カロリーのことももちろんあるが食の細い弥生には別腹などないからで、それでも湯上がりにテレビの前で髪を乾かしながら冷たい型を小脇に抱えてスプーンで掬って食べ、いや食べるというより啜り込むといったほうが適切で、ストローを使ったほうが早い気がしたがそれだけは決してすまいと飽くまでスプーンに固執する弥生がその手にしているのはしかしデザートスプーンではなくスープスプーンで、それをムースの皮膜に突き立て掻き廻し、程よく均一になったところで掬いあげてスプーン下面から滴る雫を型の縁で拭い落とすと零さぬようゆっくりと口元へ持っていって啜り込むが、勢いよく手が動いていたのは四口までで、それから徐々に動きが緩慢になって十口ほどで手は止まり、そのあまりの不味さに辟易してというのではしかしなく、何がなし虚しさが込み上げてくるようだったからで、そうしてそれが自然に揮発するのを待ちながら弥生は漫然とテレビを眺め、過剰なリアクションとぬるいツッコミの今ひとつ笑いどころが掴めないそれは若手芸人の、といってもすでに中堅くらいの芸歴だが、あまりパッとしないせいかゴールデンタイムへの進出を果たせずにいる漫才でデビューしたコンビの、医者と患者のベタなコントだったが、それでもいくらかはその口元を弛ませたし蒸散による体熱の低下を僅かながら遅延させもし、さらにそれは身体各部の筋肉を弛緩させもするが指の力も適度に抜けたため危うくスプーンを型の中へ落としそうになる。気づいたときには指先まで浸かっていて、なかば沈んだスプーンをムースから引きあげるとそこに付着したムースを嘗めとり、次いで指先に付着したそれも嘗めとり、スプーンを銜えたまま濡れ布巾で指先を拭うと、外してテーブルに置いておいたラップを型に掛けてまた冷蔵庫の中段奥へ戻し、そうして面白いのだか面白くないのだか分からぬ深夜番組をいつまでも見つづけ、長いのだか短いのだか分からぬ一日だったとヴァニラ臭い吐息を洩らす。といってヴァニラが嫌いというのではなく、むしろその甘い香りにいつまでも浸っていたいくらい菓子は好きだから暇があると有名パティスリーへ行ったりするし長い行列も厭わず、ただいろんなものをちょっとずつ味わいたい質なせいかひとりで赴くことはほとんどなく、大概友人と連れだって出掛けるのだが、そのときはそうではなく、噎せ返るような甘い香りに囲繞されて露骨に眉を顰める佐脇を無視して弥生はショーケースを端から覗いてゆき、そうして煌びやかなケーキたちに見蕩れながらどれにしようかと選んでいるときがまた至福なのだが、閉店間際で品数も少なかったからいくらかテンションが下がり、それでも迷いに迷った末選んだ生菓子を持って近くにある持ち込み可の喫茶店で紅茶とともに味わいながら幸せな気分に浸る。とはいえ、なぜ佐脇なのかとその人選の誤りだったことを少しく後悔もし、店へ寄ったのはたまたま近くを通り掛かったためでただの気まぐれにすぎなかったから今さら悔やんでも仕方ないが退屈そうにコーヒーを飲む佐脇はケーキにはほとんど手をつけず、フォークで横倒しにしたそれを生地とクリームとフルーツと飾りのハーブとチョコレートとに丁寧に分別していて、最近独立開店したわりと有名なパティシエのケーキだからひとつひとつの素材を丹念に確かめつつその計算され尽した香りを触感を味を堪能するということではしかしなく、同僚の丸尾がたしかそんなふうな食べ方をよくしていて人前も憚らずグチャグチャにしてしまうので下品というか最初ひどく恥ずかしかったのを記憶しているが、馴れてしまえばどうってことはないしその的確な解説は傾聴に値すると今では歓迎もしていて、それに鍛えられてか丸尾には到底及ばないにしろ近頃は弥生もそれなりにお菓子通と言えるほど知識も豊富になったが元もと拘る質ではないのでケーキは普通に食べるしそのほうが美味しいとも思っていて、その目の前でしかしそうしたことをしている佐脇に丸尾のような拘りがあるはずもないからたとえ傍目にそう見えたとしてもただ退屈紛れにバラしているそれは児戯にすぎず、おもちゃを前にして分解せずにはいられないガキの心性と大差ないそれをぼんやりと弥生は眺めていただけだが、その視線に気づくといくらか気が引けたのか佐脇は徐ろに半割のフランボワーズの一切れを突き刺して深紅の果肉が瑞々しいそれを口に含み、罰ゲームか何かのように複雑な表情で咀嚼するのだった、主に右顎を使って、時どき左顎に切り替えながら。丸尾がするような 為になる講釈はもちろんなく、ただ黙々と咀嚼するその顎の動きを何かに似ていると思いながら弥生はぼんやりと眺めていた。右顎、右顎、左顎、右顎、右顎、左顎、右顎、右顎、右顎、左顎、左顎、右顎、右顎、両顎、右顎、右顎、嚥下。粗方フルーツを食べ終えた佐脇は口を漱ぐかのように砂糖もミルクも入っていないコーヒーを音立てて飲み、次いでフォークを置こうとするが弥生の視線がまだ注がれているのを見てとるとまたケーキのほうへ持っていってシロップの染み込んだ恐らくジョコンドと思われる薄い生地を端っこからちょっとずつ切りとって食べてゆき、それを見ながら佐脇に例のブツを処理してもらうことを思いついて断るだろうか無理してでも食べるだろうかと考え、佐脇のことだから命じれば従うだろうことは想像に難くないがいくら何でもそこまで非道なことはできぬし斯かるサディスティックな欲望に自身囚われていると認めたくもないからその案は斥け、というかあれはもうダメになってそうだから止したほうがよく、それでも無理して食べる姿を想像していたら不意に可笑しくなってきてそれが眼前の佐脇とダブって見えたから尚さらで、怺えきれず笑みを零せば何が可笑しいのかと怨めしそうに見つめる佐脇と眼が合い、自身がか弱い小動物か何かだとでもいうようなその眼差しに少しく苛立ちを覚えたものの無理しなくてもいいと許してやってその皿を手元へ引き寄せると残っているクリームをちょっと掬いとり、リキュールを強く効かせた大人な味を味わってから店をあとにした。いや、何にも似ていなかったが、先に立って歩きながら従者のように大人しくついてくる佐脇を見ていたら何かもう一発かましてやりたいというか、可愛がってやりたいというか、といって虐めたいとかそういうことではないのだが、いやそういうことなのかもしれないが、とにかく何か奥のほうで燻っているものがあるようで、徐々に高じてくるそれを持て余し気味にいくらか早足になるとその高ぶりを察したのらしくどこか落ち着きない様子でついてくる佐脇を見返りながらその執拗な愛撫を思いだしたりしていると、ふと甘いリキュールの香りが鼻腔に膨らみ、それに寄り添う恰好で燻っていたものがゆっくりと拡がるが、チラと見返る弥生の笑ましげな視線に同様な視線を佐脇が返して寄越したから何か見透かされているようで不愉快になり、かといってみすみすこの波を逃してしまうことも惜しまれ、そうして貪欲にセックスに耽ったそのあとには必ず反動がきて毎回ひどく落ち込むのだが、そうと分かってはいても自制しようとの腹もないのは斯かる自己嫌悪に浸るためにこそ羽目を外しているのかもしれないからで、このときも何かよく分からぬ疲労を背負い込んでフラフラと彷徨い歩いた末に帰宅したのだった。

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