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さらさらと靡く髪を掻きあげながら

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どこかへ行こうとしていたのだが、いや、行こうとしていたのではなくて実際どこかへ行ってきたのだったか、それともどこかへ行ってきたあとでまたべつのどこかへ行こうとしていたのか、あるいはそうしたこととはまったくべつのことをしようとしていたのか、ただ何となくそんなふうなことを夢想してみただけなのか、何しろ日がな一日空想に耽って飽くことを知らないのだからそれが夢想ではないと断言することは容易ではないのだが、今となってはどうでもいいことで、いや、良くはないが殊更思いださなくても構わぬ事柄のように感じていることはたしかで、それでもこうしてまた髪を掻きあげていると、といってそれが癖だということではなく、いや案外癖なのかもしれないが、このときは少しく風が出てきたこともあって髪を掻きあげるだけの理由はあり、いやどんなに強風吹き荒れようとも髪を掻きあげないという選択肢もあるわけだが一般的には頬やこめかみを撫でる髪はそれ自体鬱陶しいものだから髪を掻きあげたのは風が出てきたからだといっても強ち誤りではなく、ただ風がまったく吹いていなくても髪を掻きあげていたかもしれないからそれが癖なのか否かは判然としないし、誰しも自分の癖には相応に無自覚だろうから、いや全然無自覚ではないにしても当の行為を行為しているその瞬間には意識していないだろうから、髪を掻きあげることと風が吹いていることとの因果関係が如何様になっているのかと問うてみたところでさして益もないと思われ、だから髪を掻きあげたといってもそれが風という外的な要因によるのか癖という内的な起因に発するのかは定かじゃないし、あるいは全然べつなところにそれはあったのかもしれず、もしかしたら髪を掻きあげるという仕草が自分以外の誰かに対して、誰でもいいが同性よりは異性だろう、いやひょっとすると同性かもしれないが今のところ自身に同性愛的傾向は欠片も見出せないから、大概異性だろう誰かに対してアピールする体のものだったかもしれず、つまりはその誰かに対して自分をカッコよく見せるためのある種気取った仕草、相手がそれをカッコいいと認めるというよりは自分がそうだと認める仕草、もちろんそれはモデル並みのカッコよさとは凡そ無縁の月並みな仕草に違いなかろうしどれほど足掻いたとて己のカッコよさにも限界があると弁えているつもりだが、それでもいくらかなりと自身を底上げせしめ得るであろうようなそうした仕草なのではなかろうかと思わないでもなく、仮にそうだとしてもかかるアピールをする誰か、同性か異性かそれは知らないが、そうした何者かが果して存在していたのかとなると記憶にそれは定かじゃなく、ないものをあったと見做しているのかあったことをなかったことにしてしまっているのか分からないが、それでもとにかく髪を掻きあげるという仕草のうちに、腕を上げ、額あるいはこめかみもしくは鬢(びん)に手を差し入れ、差し入れたその手を頭部の丸みに沿うようにして前方から後方へ速やかに移動させ、いくらか髪を跳ね上げるようにして抜き去り、必要ならば二度、あるいは三度四度と右動作をくり返したのち腕を下ろすという一連のなかば無意識の動作のうちに、何がなし思いだされるようでもあり、思いだされぬようでもあり、そしてその掻きあげる手が右手の場合と左手の場合とでやはりいくらか記憶へのアクセスにも違いが生じるらしく、といってさしたる違いはないのかもしれないがいかに些少な違いであれ同じではないということになればそれを同断に扱うことはできないし、いずれは間脳を経て右から左へあるいは左から右へと情報が伝達されるにしても、右手からの刺戟は左脳で左手からの刺戟は右脳でまず処理されるわけだからやはりそれなりに違った反応が導かれるだろうことは想像に難くなく、とはいえどっちの手で髪を掻きあげれば当の記憶を浚渫(しゅんせつ)するのに適しているのかはよく分からないし、どっちもあまり適してはいないようにも思え、ということはそんなことをしても、つまりそれが右手であれ左手であれ、いくら髪を掻きあげたところでなくした記憶を取り戻すことなど今更無理なのかもしれないということで、無理なら無理でも構わないが抑も記憶をなくしたということは本当だろうかとふと疑念が過ぎり、元より猜疑心の強い質ではないもののある種の状況下におかれると誰しもそうした猜疑に囚われてしまうはずで、言い訳めくがたしかにそれはそうなのであって、だからなかば必然的にそれから何分かに一回、ことによると何秒かに一回浮かんでは曖昧にぼやけてゆくその疑念にいつか意識は領せられるが、といってただそれだけを思考しているわけではもちろんなく、前方へ右方へ左方へそして後方へも時どき視線を巡らせながら、といって注意深い目配せというようなものではなく、つまり身の危険を感じての周囲への警戒といった殺気立ったものでは全然ないそれはただの散漫な眺めやりといった程度のもので、とはいえそうした眺めやりにも明晰な思考に劣らぬ発見があったりするからバカにできず、具体的にそれを示せと言われてもすぐには思いつかないが、とにかくそんなふうにして一方で疑念に捕らわれながら他方で視線を巡らせていたわけで、さしあたって心的に切迫したものはだからないのだがそれでも心穏やかというわけではなく、いや、それなりに穏やかではあるのだがふと兆した疑念に捕らわれてしまってからは少しく動揺してもいて、だから常よりはいくらか緊張気味で足の運びも強張っている感じがし、傍目にはしかし際立って不審な点は見られないだろうような、たとえば巡邏中の警察官に職務質問されるような怪しげな人物には見えないはずで、見えるかもしれないが、ただどちらかといえば目立たぬほうだからごくごく普通のどこにでもいる一般市民的様相を呈しているだろうことは間違いなく、そしてかかる様相で舗装された道路を、年末になると掘り返しては埋め戻しているせいでひどく凸凹したアスファルトの路面を、なかば消えかかった白線に導かれでもするようにして真っ直ぐに、道路自体はいくらか蛇行しているようだから道なりにということだが、歩いているわけで、つまり何もかも明晰だし何の不都合も生じてはいないのだからなくしたものなどないといえば言えるのだった。

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